第六十二話 年越しの願い
十二月三十一日。
今年も、いよいよ今日で終わりを迎える。
冬の冷たい空気が辺りを包み、窓の外はまだ薄暗かった。
母屋の一室。
「……ん」
和真がゆっくりと目を覚ました。
時計を見ると、午前六時を少し過ぎたところだった。
「……そろそろ起きないとな」
今日は大晦日。
神社では年越しに向けた準備が大詰めを迎えており、和真も朝から手伝いに行くことになっていた。
まだ眠気は残っていたものの、そろそろ起きなければならない。
そう思い、布団から身体を起こそうとした。
しかし――。
「……むぅ」
「……あおい?」
腰に回された小さな腕が、ぎゅっと力を込めた。
「……まだじゃ」
和真の胸元に顔を埋めたまま、あおいが小さく呟く。
「まだ眠いのか?」
「違うのじゃ……」
「じゃあ、どうした?」
「……もう少し、こうしていたいのじゃ」
そう言って、あおいはさらに身体を寄せてきた。
ここ最近、すっかり見慣れた光景だった。
京都旅行から帰って以来、あおいは以前にも増して和真のそばを離れなくなっていた。
食事中は必ず隣。
居間でくつろぐときは膝の上。
部屋に戻れば当然のようについてくる。
そして夜になれば、和真の布団へ潜り込んでくるのだった。
最初こそ戸惑っていた和真だったが、最近ではそれが当たり前になりつつあった。
「でも、今日は早く行かないと」
「……分かっておる」
「なら、そろそろ……」
「あと少しだけじゃ!」
あおいが顔を上げ、潤んだ瞳で見つめてきた。
「……駄目かえ?」
「……はぁ」
和真は思わず苦笑した。
どうにも、このお願いには弱い。
「……あと五分だけだぞ?」
「……っ!」
途端に、あおいの表情がぱっと明るくなった。
「うむっ! 和真は優しいのう!」
「はいはい」
和真が頭を撫でると、あおいは嬉しそうに目を細めた。
「……ふふっ」
そのまま、もう一度胸元に頬を寄せる。
和真も自然と腕を回し、あおいを抱きしめた。
そんな何気ない行動さえ、今ではすっかり習慣になっていた。
結局、五分の約束が十分になってしまったのは、言うまでもない。
◇ ◇ ◇
午前七時過ぎ。
朝食を済ませた二人は、外出の支度を整えていた。
「和真、手袋は持ちましたか?」
玄関先で、リディアが声をかける。
「ああ、大丈夫。ちゃんと持ったよ」
「今日は夜まで外にいるのでしょう? 予備のカイロも持っていった方がいいですよ」
「そうだな。ありがとう」
「それと、食事と水分補給も忘れないでください。忙しいと、和真は自分のことを後回しにしますから」
「ははっ、気をつけるよ」
リディアは小さく頷いた。
「こちらの掃除や片付けは、私たちで進めておきます。和真は神社の仕事に集中してください」
「本当に助かるよ」
「気にしないでください。私たちも、いつもお世話になっていますから」
そう言って、リディアは穏やかに微笑んだ。
そこへ、台所から酒菜が顔を出した。
「おう、和真! 今日も遅くなるんだろ?」
「うん。たぶん、ほとんど一日中かな」
「そうか。なら、夕飯のことは気にするな。こっちは俺が何とかする」
「ありがとう、酒菜」
「それより、ちゃんと飯は食えよ? 忙しいからって抜くんじゃねえぞ」
「分かってるよ」
「ったく、本当かよ」
酒菜は呆れたように笑った。
料理の仕込みもあるため、今日は朝から忙しい。
それでも、皆で新年を迎えるための準備を任されていることが、どこか嬉しそうだった。
「和真」
最後に声をかけたのはユエだった。
「夜は予定どおり、全員で神社に向かえばいいのね?」
「うん。十時頃に来てくれれば大丈夫だと思う」
「分かったわ。それまでに、こちらの仕事は終わらせておく」
「よろしく頼むよ」
「ええ。あなたも無理はしないことね」
「ははっ、みんな同じことを言うなぁ」
「それだけ心配されているということでしょう?」
「……ごもっとも」
和真が苦笑すると、ユエは小さくため息をついた。
そんな和真の腕に、あおいがするりと自分の腕を絡ませた。
「和真! そろそろ行くぞ!」
「はいはい」
「今日は忙しいのじゃ! 遅れるわけにはいかぬ!」
「さっきまで布団から出たがらなかったのは誰だったかな?」
「そ、それは別の話じゃ!」
あおいが頬を赤らめる。
その様子に、周囲から笑い声が漏れた。
「じゃあ、行ってくるよ!」
「行ってくるのじゃ!」
二人は揃って玄関を出た。
その後ろ姿を見送りながら、ユエが小さく呟く。
「……まったく。今日もあの調子なのね」
「……だねぇ」
返事をしたのは、少し離れた場所にいたみゆだった。
その二本の尻尾は、元気なく垂れ下がっていた。
◇ ◇ ◇
神社に到着すると、すでに大勢の人が準備に追われていた。
参道には露店が並び始め、境内では提灯や案内板の最終確認が行われている。
授与所ではお守りや破魔矢の数を確認し、巫女たちが慌ただしく行き来していた。
今日から明日にかけて、多くの参拝客が訪れる。
その準備で、境内は朝から大忙しだった。
「おはようございます!」
和真が挨拶をすると、近くにいた巫女が振り返った。
「あっ、和真さん! おはようございます!」
「今日は何から手伝えばいいですか?」
「それでしたら、まず参道の準備をお願いできますか? 人手が足りなくて……」
「分かりました」
「わらわも手伝うぞ!」
「あおいさんも、ありがとうございます!」
あおいは嬉しそうに頷いた。
こうして、二人の慌ただしい一日が始まった。
和真は重い荷物を運び、参道の設営を手伝い、必要な備品の確認までこなしていく。
一方、あおいも巫女たちと協力しながら授与所の準備を進め、境内の飾り付けにも参加していた。
もちろん、境内では二人とも普通の人間の姿である。
時折、別々の仕事を任されることもあった。
それでも――。
「和真!」
「ん? どうした?」
「こちらは終わったぞ!」
「お疲れさま。じゃあ、少し休憩しようか」
「うむ!」
休憩時間になれば、あおいは必ず和真のそばへ戻ってきた。
二人で温かいお茶を飲み、次の仕事が始まればまた一緒に動き出す。
時には周囲の巫女たちから、仲の良さをからかわれることもあった。
「本当に仲がいいですね、お二人とも」
「そう見えますか?」
「ええ。まるで恋人同士みたいです」
「……っ!」
あおいの顔が一瞬で赤くなる。
しかし、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ふ、ふふっ……そうかのう?」
「はい、とってもお似合いですよ」
「そ、そうか……!」
あおいは幸せそうに頬を緩めた。
和真は少し照れくさそうに笑っている。
そんな彼の隣で、あおいはますます機嫌を良くしていた。
忙しい一日。
それでも、和真と一緒にいられるだけで楽しかった。
あおいにとって、今日は幸せな大晦日だった。
◇ ◇ ◇
一方、その頃。
母屋とアパートでは、年末最後の大掃除が行われていた。
「ひかげ! そこの棚が終わったら、こっちも頼めるか?」
「は、はい。もう少しで終わりますから、ちょっと待ってくださいね……」
「おう! 慌てなくていいからな!」
酒菜の声が響く。
ひかげは丁寧に棚を拭きながら、小さく頷いた。
その近くでは、ピピが楽しそうに歌を口ずさんでいた。
「ふんふふーん♪」
「ピピ、そっちの棚も頼んでいいですか?」
リディアが声をかける。
「うん! 僕に任せて!」
ピピは元気よく返事をし、翼を使って棚の埃を払っていく。
しかし――。
「……けほっ!」
舞い上がった埃が、ピピの顔にかかってしまった。
「あははっ! 埃、いっぱい!」
「……ピピ。もう少しゆっくり動かした方がいいですね」
「はーい!」
リディアは苦笑しながら、掃除の進み具合を確認した。
酒菜は台所と居間を行き来しながら、料理の仕込みと片付けを並行して進めていた。
ユエも全体の様子を見ながら、必要なところを手伝っている。
皆が新年を気持ちよく迎えられるよう、忙しく動いていた。
しかし――。
その賑やかさとは対照的に、ひっそりと静まり返った部屋があった。
フェンリスの部屋だった。
◇ ◇ ◇
「……うぅ」
布団の中から、小さな声が漏れた。
フェンリスは枕を抱きしめ、身体を丸めていた。
銀色の髪が枕に広がり、毛先の淡いピンク色が頬にかかっている。
その頬には、涙が伝っていた。
「……和真……」
ぽつりと名前を呼ぶ。
当然、返事はない。
和真は今、神社にいるのだから。
分かっている。
忙しいことも。
あおいが和真のそばにいたがっていることも。
和真が誰かを傷つけようとしているわけではないことも。
全部、分かっている。
それでも――。
「……会いたいよ……」
ぽろりと涙が零れた。
函館旅行から帰ってきたとき、フェンリスは本当に幸せだった。
和真と気持ちを確かめ合い、これからはもっと一緒にいられるのだと思っていた。
朝起きたら顔を見て。
一緒にご飯を食べて。
隣に座って。
夜は抱きしめてもらって眠る。
そんな何気ない時間が、ずっと続くと思っていた。
ところが――。
ここ最近は、まるで違った。
朝はあおいと一緒。
昼もあおいと一緒。
夜も、あおいが和真のそばから離れない。
少しだけでも話したいと思って近づいても、いつもあおいが先にいる。
もちろん、和真も声をかけてくれる。
頭を撫でてくれることだってある。
けれど、それはほんのわずかな時間だった。
もっと一緒にいたい。
もっと甘えたい。
そう思っても、なかなか二人きりになれない。
「……僕だって……」
枕を抱く腕に力がこもった。
「……僕だって、和真にぎゅってしてほしいのに……」
ぽろぽろと涙が零れる。
和真の温もりが恋しかった。
優しく頭を撫でてほしい。
名前を呼んでほしい。
抱きしめてほしい。
そして、もう一度あの腕の中で安心して眠りたかった。
「……和真ぁ……」
フェンリスは枕に顔を埋めた。
「……寂しいよぉ……」
とうとう、我慢していた気持ちが溢れ出した。
ここ数日、フェンリスは何度も自分に言い聞かせていた。
あおいだって、和真のことが大好きなのだから。
今は少しくらい譲ってあげよう。
自分は函館で、あんなに幸せな時間を過ごしたのだから。
そう思っていた。
けれど――。
「……もう……我慢できないよ……」
ひくっと喉が鳴る。
「……和真が……足りない……」
ついに、寂しさが限界を迎えてしまったのだった。
◇ ◇ ◇
「……はぁぁ……」
母屋の居間では、みゆが何度目かも分からないため息をついていた。
雑巾を手にしたまま、落ち着きなく部屋を歩き回っている。
右へ三歩。
左へ四歩。
そして、またため息。
「……はぁ……」
「……みゆ」
「ん?」
「そこ、さっきから何度も拭いていますよ」
リディアに指摘され、みゆは自分の手元を見た。
「……あれ?」
確かに、同じ机を何度も拭いていた。
「あはは……そうだった?」
「ええ。もう十分きれいになっています」
「そっかぁ……」
みゆは力なく笑った。
その二本の尻尾も、落ち着きなく左右に揺れている。
「……和真、今頃何してるんだろ」
「神社の仕事でしょうね」
「それは分かってるんだけどさぁ……」
みゆは机に頬をつけた。
「……あおいと、ずっと一緒なんだろうなぁ」
ぽつりと呟く。
リディアは少しだけ目を細めた。
「……寂しいんですか?」
「……うん」
みゆは素直に頷いた。
「だってさぁ……最近、全然甘えられてないんだもん」
「そうですか……」
「膝の上も、隣も、寝るときも、全部あおいなんだよ?」
みゆは頬を膨らませた。
「僕だって、和真にくっつきたいのに……」
その声に、近くで片付けをしていたナディアが振り返った。
「お前、まだそんなこと言ってるのか?」
「だってぇ!」
「和真が忙しいのは仕方ないだろ?」
「それは分かってるよ!」
「なら、帰ってきたときに甘えればいいじゃねえか」
「だからぁ、そのときもあおいがいるんだってば!」
みゆは両手をばたばたさせた。
「この前なんて、僕が和真の膝に座ろうとしたら、あおいが先に座っちゃったんだよ!?」
「ははっ、そりゃ残念だったな」
「笑い事じゃないよぉ!」
みゆはむっと頬を膨らませる。
「しかも和真ったら、当たり前みたいに頭を撫でてるし……」
思い出しただけで、二本の尻尾がぴんと立った。
「……ずるい!」
ナディアは肩をすくめた。
「ま、あおいも和真に甘えたいんだろ」
「それはそうだけどさぁ……」
「だったら、少しくらい譲ってやればいいじゃねえか」
「……もう十分譲ってるよぉ」
みゆは再び机に突っ伏した。
「ナディアは平気なの?」
「俺様か?」
「うん。最近、和真と二人きりになれてないじゃん」
「まあな」
ナディアはあっさりと頷いた。
「でも、だからって焦っても仕方ないだろ?」
「……むぅ」
「和真が俺様のことを嫌いになったわけじゃねえんだからな」
そう言って、自信たっぷりに笑った。
その余裕ある態度が、今のみゆには少しだけ羨ましかった。
「……いいなぁ、ナディアは」
「何がだ?」
「そうやって余裕でいられるところ」
「ははっ。俺様だって、和真に会いたくないわけじゃねえぞ?」
「……そうなの?」
「当たり前だろ」
ナディアは小さく笑った。
「ま、今日は年越しだ。夜になれば会えるんだから、それまで我慢すればいい」
「……夜かぁ」
みゆは窓の外を見つめた。
まだ昼にもなっていない。
夜までは、ずいぶん時間がある。
「……長いよぉ……」
そんなみゆの様子に、ナディアは呆れたように笑った。
しかし――。
「……まったく」
背後から聞こえた声に、二人が振り返る。
そこには、腕を組んだユエが立っていた。
「みゆ。ナディア」
「……ん?」
「フェンリスも呼んできなさい」
「フェンリスも?」
「ええ。三人に話があるわ」
その表情を見た瞬間、みゆの耳がぴくりと動いた。
嫌な予感がした。
「……ユエ?」
「何かしら?」
「……もしかして、怒ってる?」
「少しね」
「……ひゃっ!」
みゆの尻尾が一気に縮こまった。
ナディアも苦笑する。
「おいおい。俺様までか?」
「当然でしょう?」
「……やれやれ」
ナディアは頭を掻いた。
どうやら、逃げられそうにはなかった。
◇ ◇ ◇
しばらくして。
母屋の一室に、三人の姿があった。
フェンリス。
みゆ。
ナディア。
三人は並んで座り、その正面にはユエが腰を下ろしている。
「……それで、話って何だ?」
ナディアが口を開いた。
ユエは三人の顔を順番に見た。
みゆは落ち着きがなく、フェンリスは目元を赤く腫らしている。
ナディアだけが、いつもどおりの余裕を見せていた。
「あなたたち、最近の和真とあおいのことで不満があるのでしょう?」
「……うん」
みゆが素直に頷く。
フェンリスも小さく頷いた。
「……僕も」
「俺様はそこまで気にしてねえけどな」
「そう。なら、まず二人に聞くわ」
ユエはみゆとフェンリスに視線を向けた。
「あなたたちは、あおいが和真を独占していると思っているのね?」
「……うん」
「……そうだよ」
「では、今まで自分たちはどうだったのかしら?」
「……え?」
みゆが瞬きをした。
「思い出してみなさい。あなたたちは今まで、どれだけ和真に甘えてきたの?」
「……あ」
「旅行では二人きりの時間を過ごし、帰ってきてからも隙があれば和真のそばにいたでしょう?」
みゆの耳が、ゆっくりと下がっていく。
フェンリスも俯いた。
「自分たちが和真と過ごしている間、ほかの誰かが寂しい思いをしていたかもしれない。そう考えたことはある?」
「……」
「フェンリス」
「……うん」
「函館旅行から帰ってきて、あなたはどうだった?」
「……僕?」
「ええ」
フェンリスは少し考え込んだ。
「……和真と、ずっと一緒にいたかった」
「そうでしょうね」
「……一緒に寝たり、抱きしめてもらったり……」
「ええ。ずいぶん甘えていたわね」
「……うん」
「みゆも同じでしょう?」
「……そうだね」
「ナディア。あなたも例外ではないわよ」
「ああ、分かってる」
ナディアは素直に頷いた。
ユエは三人を見渡した。
「いい? 和真に甘えること自体が悪いと言っているわけではないの」
三人は黙って耳を傾けた。
「ただ、自分が甘えられるときには周囲が見えなくなって、ほかの誰かが甘えていると不満を抱く。それでは少し勝手ではないかしら?」
「……」
「今のあおいは、少し前のあなたたちと同じことをしているだけよ」
その言葉に、三人は何も言い返せなかった。
思い当たることが、あまりにも多かったからだ。
みゆは何度も和真の布団へ潜り込んでいた。
ナディアも、自分から積極的に和真を誘っていた。
そしてフェンリスも、退院後や函館旅行からの帰宅後は、和真のそばを離れたがらなかった。
誰もが、自分の幸せな時間を大切にしていた。
けれど、その間に寂しい思いをしている人がいたかもしれない。
そんなことは、あまり考えていなかった。
「……そっかぁ」
みゆが小さく呟く。
「僕、和真と一緒にいられるのが嬉しくて……ほかのこと、あんまり考えてなかったかも」
「……僕も」
フェンリスも俯いたまま口を開いた。
「和真と一緒にいたくて……ずっと甘えてた」
「そうね」
「……あおいだって、今は同じ気持ちなんだよね」
ユエが頷く。
「ええ。だから、あおいだけを責めるのは違うでしょう?」
「……うん」
フェンリスは目元を拭った。
「……ごめん、ユエ」
ユエの表情が少し和らいだ。
「私に謝る必要はないわ。ただ、今後は気をつけなさい」
「……うん!」
「僕も気をつけるよ」
みゆも素直に頷いた。
そこで、ナディアが口を開く。
「でもよ、ユエ」
「何かしら?」
「言ってることは分かる。でも、こいつらが寂しがってるのも本当だろ?」
「ええ」
「だったら、少しくらい何とかしてやれねえか?」
その言葉に、みゆとフェンリスが顔を上げた。
ユエは小さく息をついた。
「……まったく。あなたも結局、和真に甘えたいのでしょう?」
「ははっ、そりゃそうだろ?」
ナディアは悪びれもせず笑った。
「俺様だって、和真に会いたいのは同じだからな」
「……素直で結構」
ユエは呆れながらも、わずかに笑みを浮かべた。
そして――。
「今夜、みんなで神社へ行くでしょう?」
「……うん?」
みゆが首を傾げる。
「そのとき、私からあおいに話をしてみるわ」
「……えっ!?」
「もちろん、あおいにも気持ちがある。無理に和真から引き離すつもりはないわ」
「……うん」
「ただ、あなたたちも和真と話したがっていることは伝える。あおいだって、きちんと話せば分かってくれるはずよ」
「……本当!?」
みゆの耳がぴんと立った。
フェンリスも、思わず身を乗り出した。
「ユエ……!」
「その間に、あなたたちは和真と話しなさい」
「……和真と?」
「ええ。ただ寂しいと騒ぐのではなく、自分がどう思っていたのか、これからどうしたいのか、ちゃんと言葉で伝えるのよ」
「……!」
「和真は言わなければ気づかないことも多いでしょう?」
その言葉に、三人が揃って頷いた。
「……確かに!」
「……和真、そういうところあるよね」
「ははっ、違いねえな」
ユエはため息をついた。
「そこで意気投合しないの」
「えへへ……」
みゆが照れ笑いを浮かべる。
フェンリスも、先ほどまでの泣き顔が嘘のように少しだけ表情を明るくした。
「……ユエ」
「何かしら?」
「……ありがとう」
フェンリスが深く頭を下げた。
「僕……ちゃんと和真に話してみるよ」
「僕も! ちゃんと伝える!」
「俺様も、せっかくだから和真とゆっくり話すとするか」
三人の顔を見て、ユエはもう一度ため息をついた。
「……いい? 勘違いしないで」
「……?」
「これは、あなたたちが和真を独占するための時間ではないわ」
三人の背筋が伸びた。
「あおいにも、あなたたちにも、和真と過ごしたい気持ちがある。それを忘れてはいけないわよ」
「……うん!」
「分かった!」
「ああ、もちろんだ」
「それから、和真自身の気持ちも大切にすること。いいわね?」
三人は揃って頷いた。
ユエはようやく満足したように腕を解いた。
「なら、話は終わりよ。夜までにやることを済ませなさい」
「うんっ!」
みゆが元気よく立ち上がる。
フェンリスも続いた。
その表情には、もう涙の跡こそ残っていたものの、先ほどまでの沈んだ様子はなかった。
今夜。
和真に会える。
ちゃんと話せる。
そう思うだけで、胸が温かくなってくる。
そして三人が部屋を出ようとしたところで――。
「……それと、もうひとつ」
ユエの声が響いた。
三人がぴたりと足を止める。
「今夜、和真を取り合って神社で騒ぎを起こしたら……」
ユエはにっこりと微笑んだ。
「……分かっているわね?」
「「「……うん」」」
「……返事だけはいいのね」
ユエは呆れたようにため息をついた。
◇ ◇ ◇
部屋を出た三人は、しばらく顔を見合わせていた。
最初に口を開いたのは、みゆだった。
「……ねえ、フェンリス」
「……ん?」
「今日、どういう服で行く?」
「……え?」
「だって、せっかく和真に会えるんだよ?」
みゆの目がきらりと光った。
「だったら、思いっきり可愛くしていきたくない?」
「……!」
フェンリスの耳がぴんと立った。
「……可愛く……」
「うん! 和真がびっくりするくらい!」
「……僕も……可愛いって言ってほしい!」
「でしょ!?」
二人の表情が一気に明るくなる。
そんな二人を見て、ナディアが楽しそうに笑った。
「ははっ、そういうことなら俺様も負けてられねえな」
「ナディアも!?」
「当然だろ? せっかくの年越しなんだからな」
みゆとフェンリスは顔を見合わせた。
そして――。
「……よしっ!」
みゆが拳を握る。
「今夜は絶対、和真に可愛いって言わせちゃおう!」
「……うんっ!」
フェンリスも力強く頷いた。
つい先ほどまで、枕を涙で濡らしていた少女。
今、その瞳には小さな希望が宿っていた。
大好きな和真に、もう一度振り向いてもらいたい。
そのためなら、少しくらい頑張れる。
いや――。
今夜だけは、誰よりも頑張りたかった。
こうして三人は、大晦日の夜に向けて、それぞれの準備を始めることになった。
それぞれの部屋へ戻った三人。
しかし、すぐに着替えを始めたわけではなかった。
まだ昼前。
夜の十時に出発するまでは、十分すぎるほど時間がある。
それなのに、三人の頭の中はすっかり今夜のことでいっぱいだった。
特に――。
「……ど、どうしよう!」
自室に戻ったフェンリスは、早速クローゼットの前で頭を抱えていた。
「可愛い服……可愛い服……!」
扉を開け、ハンガーに掛かった洋服を一着ずつ確認していく。
冬物のコート。
セーター。
スカート。
ワンピース。
どれもお気に入りの服だった。
けれど、今日ばかりは簡単に決められない。
「……和真、どんな服が好きかな」
小さく呟く。
函館旅行の準備をしていたときのことを思い出した。
あのときは、みゆやナディア、リディアと一緒に買い物へ出かけた。
和真が喜んでくれそうな服を、みんなで一生懸命選んだのだ。
そして実際に旅行へ出かけると、和真は何度も褒めてくれた。
『似合ってるよ、フェンリス』
優しい声。
嬉しそうな表情。
思い出しただけで、頬が熱くなる。
「……えへへ」
思わず笑みが零れた。
けれど、すぐに首を振る。
「……だ、駄目だ! 今日はもっと頑張らないと!」
フェンリスは再びクローゼットへ向き直った。
せっかくの大晦日。
しかも、今夜は和真とゆっくり話せるかもしれない。
だったら、いつもとは違う自分を見せたかった。
「……これかな?」
手に取ったのは、柔らかな白いニットだった。
身体にほどよく沿った形で、首元には小さな飾りがついている。
鏡の前で合わせてみる。
「……うん、可愛いかも」
けれど、それだけでは少し物足りない。
今度はワインレッドのスカートを取り出した。
「……こっちと合わせたら……」
鏡を見ながら、首を傾げる。
白いニットと深い赤色のスカート。
銀色の髪とも相性がよさそうだった。
「……いいかも!」
思わず声が弾む。
さらに黒いタイツと、冬用のショートブーツを用意する。
上から羽織るコートは、淡いベージュ色に決めた。
これなら寒い夜でも大丈夫だろう。
「……よしっ!」
服装が決まったところで、フェンリスは一度大きく頷いた。
しかし――。
「……あっ」
ふと、別のことが頭に浮かんだ。
「……下着も……」
思わず顔が赤くなる。
別に、今夜何かがあると決まったわけではない。
ただ神社へ行って、和真と話をするだけかもしれない。
それでも、せっかく綺麗に着飾るのだから、見えないところまで頑張りたかった。
「……べ、別に見せるわけじゃないけど……」
誰に言い訳するでもなく呟き、引き出しを開けた。
そこには、函館旅行の準備で購入した下着も丁寧にしまわれていた。
フェンリスはその中から、淡いピンク色の一組を手に取った。
控えめなレースが施された、お気に入りの下着だった。
「……これにしようかな」
鏡の前で胸元に合わせる。
そして、ふと想像してしまった。
もしも和真が、今夜また抱きしめてくれたら。
もしも、可愛いと言ってくれたら。
「……っ!」
フェンリスは慌てて下着を胸に抱えた。
「……な、何考えてるんだ、僕!」
顔が熱い。
思わずベッドに倒れ込み、枕に顔を埋める。
けれど――。
「……でも……」
小さく笑った。
「……可愛いって、言ってほしいな」
その声には、先ほどまでの寂しさとは違う、甘い期待が混じっていた。
◇ ◇ ◇
午後。
掃除を終えたフェンリスは、今度は髪型に頭を悩ませていた。
「……うーん」
鏡の前に座り、銀色の髪を梳かしていく。
毛先の淡いピンク色が、動くたびにふわりと揺れた。
普段は自然に下ろしていることが多い。
けれど、今日は少し変えてみたかった。
「……結んでみようかな」
試しに両側の髪を少し取り、後ろでまとめる。
鏡を覗き込む。
「……んー」
悪くはない。
けれど、何となくしっくりこなかった。
今度は片側だけ編み込んでみる。
「……あれ?」
途中で指が絡まった。
「……むぅ」
やり直す。
もう一度。
さらにもう一度。
「……む、難しい!」
とうとうフェンリスは両手を下ろした。
普段、身体を動かすことなら得意だった。
けれど、こうした細かな作業はどうにも苦手だった。
「……みゆなら、できるかな」
そう考えていた、そのとき。
――コンコン。
「フェンリスー? いるー?」
「……みゆ!」
扉の向こうから聞こえた声に、フェンリスの表情が明るくなった。
「いるよ! 入って!」
「お邪魔しまーす!」
扉が開き、みゆが顔を覗かせた。
そして、鏡の前に広げられた髪飾りや服を見て目を丸くする。
「わっ! すごい! もう準備してるんだ!」
「う、うん……」
「何してたの?」
「……髪型、どうしようかなって」
フェンリスは少し恥ずかしそうに答えた。
「……和真に可愛いって言ってほしくて」
その言葉に、みゆがにっこり笑った。
「いいじゃん! 僕も同じこと考えてた!」
「……本当?」
「もちろん! せっかくの年越しだもん!」
みゆはフェンリスの後ろへ回り、鏡越しに髪を眺めた。
「ねえ、これなら片側だけ編み込んで、後ろで留めるのはどう?」
「……できる?」
「任せて!」
みゆは楽しそうに笑った。
そして、フェンリスの髪を丁寧に梳かし始めた。
「わぁ……やっぱり綺麗な髪だねぇ」
「……そうかな?」
「うん! 銀色からピンクに変わってるところ、すっごく可愛いよ」
「……えへへ、ありがとう」
みゆの指が器用に動いていく。
片側の髪を細く編み込み、後ろで小さな飾りを使って留める。
反対側は自然に下ろし、毛先の柔らかな色が見えるよう整えた。
「……できた!」
「……わぁ!」
フェンリスが鏡を覗き込む。
普段とは少し違う自分が、そこにいた。
片側だけを編み込んだ髪型は、可愛らしさの中に少し大人っぽさもあった。
「……すごい!」
「でしょ?」
「みゆ、ありがとう!」
「えへへ! どういたしまして!」
嬉しくなったフェンリスは、思わずみゆに抱きついた。
「わわっ! フェンリス、苦しいって!」
「あっ、ごめん!」
二人は顔を見合わせ、笑い合った。
少し前まで、和真を巡って落ち着かない気持ちになっていた二人。
それでも、こうして一緒に準備をしていると、自然と笑顔になれた。
「……ねえ、みゆ」
「ん?」
「……今日、和真に会えるの楽しみだね」
「……うん!」
みゆは大きく頷いた。
「僕も、早く会いたい!」
◇ ◇ ◇
フェンリスの部屋を出たみゆは、自室へ戻るとクローゼットを開いた。
「……さてと」
ずらりと並んだ洋服。
普段なら、その日の気分で簡単に決めてしまう。
けれど、今夜は違った。
「……いつもと違う服がいいよねぇ」
みゆは何着か取り出し、ベッドの上に並べた。
可愛らしいワンピース。
柔らかな色合いのセーター。
落ち着いた雰囲気のブラウス。
その中で、みゆの目が止まった。
「……これ、いいかも」
手に取ったのは、深い青緑色のブラウスだった。
首元が少し広めに開いた、普段より大人びたデザイン。
「……和真、びっくりするかな?」
鏡の前で合わせてみる。
普段の元気で可愛らしい雰囲気とは、少し違って見えた。
「……うん、悪くない!」
みゆは嬉しそうに笑った。
けれど、ふと視線が胸元へ向かう。
「……もうちょっとだけ……」
襟元を軽く整え、鏡の中の自分を確認する。
少しだけ胸元が見える。
決して派手ではない。
それでも、いつもより大人っぽく見える気がした。
「……えへへ」
みゆの口元に、いたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「和真、ドキッとしてくれるかなぁ」
想像する。
久しぶりにゆっくり話せる和真。
そんな彼が、自分の姿を見て少し照れてくれたら。
それだけで嬉しかった。
「……よし、これに決定!」
黒いロングスカートと合わせ、上から羽織るコートも選ぶ。
寒さ対策も忘れない。
さらに、下着も普段より少し綺麗なものを選んだ。
どうせ見えないのだから、適当でもいい。
そう思いかけて、首を振る。
「……せっかくだしね」
誰に見せるわけでもない。
それでも、今夜は自分なりに精一杯おしゃれをしたかった。
準備を進めていた、そのとき。
「……あっ」
みゆは机の上に置かれた小さな袋に目を向けた。
そっと手を伸ばし、中から取り出す。
それは、薄い木の札だった。
温泉旅行のとき、和真と一緒に選んだ根付け。
二枚並べると、木目がぴったりとつながる。
そんな、二人だけの思い出の品だった。
「……懐かしいなぁ」
みゆは指先で木の表面を撫でた。
あの旅行は、本当に楽しかった。
和真と一緒に温泉街を歩いて。
お店を覗いて。
美味しいものを食べて。
そして、二人でこの根付けを選んだ。
帰宅したあと、和真は自分の分を鍵につけてくれた。
それが嬉しくて、みゆもずっと大切にしていた。
「……和真、まだつけてくれてるかな」
ぽつりと呟く。
以前は確かに、鍵についていた。
けれど最近は、そこまで確認する余裕もなかった。
「……今夜、見せてもらおうかな」
みゆは小さく笑った。
そして、根付けを大切そうに両手で包む。
「……僕も、ちゃんと大事にしてるよ」
誰もいない部屋で、そっと呟いた。
それから根付けを小さなバッグに取り付けた。
歩くたびに、控えめに揺れる位置。
これなら和真も気づいてくれるかもしれない。
「……えへへ」
鏡に映った自分を見て、みゆは満足そうに頷いた。
「……今夜こそ、いっぱい甘えちゃうんだから!」
◇ ◇ ◇
一方、ナディアの部屋では――。
「……よし、これでいいな」
ナディアは鏡の前で、あっさりと服装を決めていた。
フェンリスやみゆとは違い、ほとんど悩んでいない。
選んだのは、上品な和服だった。
深い紺色を基調とした着物。
裾や袖には、控えめな花模様があしらわれている。
帯は落ち着いた銀灰色。
華やかすぎず、それでいて目を引く組み合わせだった。
「……悪くねえな」
鏡の中の自分を見つめ、満足そうに笑う。
ナディアは和真の好みを、ある程度把握していた。
派手に着飾るよりも、落ち着いた雰囲気の中に少しだけ女性らしさを見せる。
そういう姿に、和真は弱い。
「……ふふっ」
ナディアは口元を緩めた。
「ま、今夜はこいつで十分だろ」
髪も丁寧にまとめ、上品な髪飾りを添える。
さらに冬用の羽織と防寒用の小物を用意した。
夜の神社は冷える。
いくらナディアでも、薄着で長時間過ごすつもりはなかった。
「……これでよし」
そこまで準備して、ふと手を止める。
鏡の中の自分を見つめた。
思い出すのは、阿智村への旅行。
星空の下で和真と過ごした時間。
旅館で、自分の気持ちを伝えた夜。
あのときの和真の表情は、今でもはっきり覚えている。
「……まったく」
ナディアは小さく笑った。
「俺様も、ずいぶん変わったもんだな」
以前の自分なら、たった一人の男に振り向いてもらうために服を選ぶなど、考えもしなかっただろう。
それなのに今は、和真がどんな反応をするか想像するだけで楽しい。
「……和真」
小さく名前を呼ぶ。
「今夜は、俺様のこともちゃんと見ろよ?」
そう呟き、ナディアは満足そうに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
午後六時。
年末の大掃除と片付けは、ようやく一段落していた。
台所では酒菜が年越しそばの準備を進めている。
「おーい! そろそろ飯にするぞ!」
その声に、住人たちが集まってきた。
「わぁ! いい匂い!」
ピピが嬉しそうに声を上げる。
「今日はおそばなんだね!」
「ああ。大晦日だからな。年越しそばだ」
「としこしそば?」
「一年の締めくくりに食うもんだ。ま、難しいことは気にせず食え!」
「うんっ!」
ピピは元気よく頷いた。
その隣では、ひかげが湯気の立つ器を見つめている。
「……美味しそうですね」
「おう。ひかげの分もちゃんとあるぞ」
「あ、ありがとうございます……!」
酒菜が笑いながら、次々と器を並べていく。
リディアも配膳を手伝っていた。
「酒菜、こちらの器も運びますね」
「おう、頼む!」
「皆さん、熱いので気をつけてください」
全員の準備が整うと、食事が始まった。
けれど、いつもとは少し違う。
普段なら、ここに和真がいる。
あおいも隣に座っている。
その二人の姿がないだけで、何となく食卓が静かに感じられた。
「……和真も、おそば食べてるかな」
フェンリスがぽつりと呟く。
「神社で何か出してもらってるんじゃない?」
みゆが答える。
「……そうだといいな」
「和真、忙しいとご飯忘れちゃうことあるもんねぇ」
その言葉に、リディアが頷いた。
「出かける前にも伝えておきましたが、少し心配ですね」
「ま、あおいが一緒なんだ。食事くらいは気にしてるだろ」
ナディアがそう言うと、フェンリスは小さく頷いた。
「……うん」
少し寂しい。
けれど、今夜は会える。
そう思うだけで、自然と箸が進んだ。
◇ ◇ ◇
午後八時半。
三人はそれぞれの部屋で、最後の身支度を整えていた。
フェンリスは白いニットにワインレッドのスカート。
片側を編み込んだ銀髪には、小さな髪飾りが光っている。
みゆは青緑色のブラウスに黒いロングスカート。
普段より少し大人っぽい装いで、バッグには思い出の根付けが揺れていた。
そしてナディアは、落ち着いた紺色の着物姿。
上品な髪飾りと帯が、大人の女性らしい雰囲気を引き立てていた。
――コンコン。
「フェンリスー!」
みゆの声が聞こえた。
「準備できたー?」
「うん! 今開けるよ!」
扉を開けると、そこには着替えを終えたみゆが立っていた。
「……わぁ!」
「えへへ、どう?」
みゆがくるりと回る。
スカートの裾がふわりと揺れた。
「すっごく可愛い!」
「ほんと!?」
「うん! いつもと全然違う!」
「やった!」
みゆは嬉しそうに笑った。
そして、フェンリスの姿を見て目を丸くする。
「……わぁぁ!」
「……ど、どうかな?」
「すっごく可愛い!」
「……本当!?」
「うん! 髪型も似合ってるよ!」
フェンリスは嬉しそうに頬を染めた。
「……えへへ」
そこへ――。
「お前ら、準備できたか?」
ナディアが姿を見せた。
二人が振り返る。
そして――。
「……わぁ!」
「……すごい!」
同時に声を上げた。
深い紺色の着物。
整えられた髪。
普段とはまるで違う、大人びた雰囲気。
ナディアは二人の反応を見て、満足そうに笑った。
「ははっ。どうだ?」
「すっごく綺麗!」
「……ナディア、似合ってる!」
「当然だろ?」
自信たっぷりに笑うナディア。
けれど、その視線はすぐに二人へ向けられた。
「お前らも、ずいぶん気合い入ってるじゃねえか」
「えへへ!」
「……頑張ったんだ!」
「そうか。なら、和真も喜ぶだろうな」
その言葉に、フェンリスの顔が一気に赤くなった。
「……そ、そうかな!?」
「ああ。少なくとも、俺様は似合ってると思うぞ」
「……えへへ」
フェンリスは嬉しそうに笑った。
みゆも満足そうに頷く。
「よーし! これなら絶対、和真に褒めてもらえるね!」
「……うん!」
「ま、あまり期待しすぎるなよ?」
ナディアが笑う。
「和真のことだ。三人揃って着飾って行ったら、どう反応していいか分からなくなるかもしれねえぞ」
「……あっ」
みゆが何かを想像したように笑い始めた。
「あははっ! ありそう!」
「……和真、真っ赤になっちゃうかな?」
「さあな。楽しみにしておこうぜ」
三人は顔を見合わせ、笑い合った。
先ほどまでの寂しさが、少しずつ期待へと変わっていく。
今夜は、きっと楽しい時間になる。
そんな予感がしていた。
◇ ◇ ◇
午後九時五十分。
母屋の前にある広場には、住人たちが集まり始めていた。
「……寒いですね」
ひかげが白い息を吐く。
厚手のコートに身を包み、首元にはマフラーを巻いていた。
「夜だからな。しっかり防寒しておけよ」
酒菜がそう言いながら、周囲を見渡す。
今夜は全員で神社へ向かう予定だった。
境内には多くの人が集まるため、皆、人間の姿に整えている。
普段とは違う装いの住人たちが、次々と広場に集まってきた。
「みんなー!」
元気な声とともに、ピピが駆け寄ってくる。
冬用のコートに身を包み、どこか浮き浮きした様子だった。
「ねえねえ! 神社って、いっぱい人がいるんだよね!?」
「そうですよ。今日は大晦日ですから、かなり混雑すると思います」
リディアが答える。
「わぁ! 楽しみ!」
「ただし、はぐれないようにしてくださいね」
「うん!」
「……本当に大丈夫でしょうか」
リディアは少し心配そうに呟いた。
その隣で、ユエが小さく笑った。
「大丈夫でしょう。これだけ人数がいるのだから」
やがて、フェンリス、みゆ、ナディアも姿を見せた。
「おーい! みんなー!」
みゆが手を振る。
その姿を見た酒菜が、思わず目を丸くした。
「……おいおい」
「ん? どうしたの?」
「お前ら、ずいぶん気合い入ってるじゃねえか」
「えへへ! 分かる?」
「分かるも何も、いつもと全然違うだろ」
酒菜は楽しそうに笑った。
「なるほどな。和真に見せるためか?」
「……っ!」
フェンリスの顔が赤くなる。
「……そ、そうだけど!」
「ははっ! 正直でいいじゃねえか!」
「……も、もう!」
フェンリスが頬を膨らませる。
そんなやり取りを見ながら、ひかげが小さく微笑んだ。
「……フェンリス、すごく似合ってます」
「……本当!?」
「はい。可愛いです……!」
「ありがとう、ひかげ!」
フェンリスは嬉しそうに笑った。
続いてリディアが、三人の装いを順番に確認する。
「皆さん、素敵ですね。特にフェンリスは髪型も変えたんですね」
「うん! みゆに手伝ってもらったんだ!」
「とても似合っていますよ」
「えへへ!」
みゆも得意そうに胸を張った。
「でしょ? 僕、頑張ったんだ!」
「みゆも普段とは違う雰囲気で、いいと思います」
「やった!」
そして、リディアはナディアへ視線を向けた。
「ナディアの着物も綺麗ですね。落ち着いた色合いがよく似合っています」
「ははっ、ありがとな」
ナディアは余裕のある笑みを浮かべた。
その様子を少し離れた場所から眺めていたユエは、静かに息をついた。
「……まったく」
三人が振り返る。
「何よ、ユエ?」
みゆが首を傾げた。
「昼間の話は忘れていないでしょうね?」
「……っ!」
三人の表情が一瞬で引き締まった。
「わ、忘れてないよ!」
「……僕も!」
「ああ、ちゃんと覚えてる」
ユエは三人をじっと見つめた。
そして、小さく頷いた。
「ならいいわ」
少し間を置き、付け加える。
「……まあ、着飾ること自体は悪くないでしょう。よく似合っているわよ」
「……!」
フェンリスの表情がぱっと明るくなった。
「……ありがとう、ユエ!」
「ふふっ」
ユエはわずかに微笑んだ。
やがて時計の針が午後十時を指した。
「よし、全員揃ったな!」
酒菜が周囲を見渡す。
フェンリス。
みゆ。
ナディア。
ユエ。
リディア。
酒菜。
ひかげ。
ピピ。
八人が揃っていた。
「じゃあ、そろそろ行くか!」
「うんっ!」
ピピが元気よく返事をする。
こうして八人は、和真とあおいが待つ神社へ向けて歩き始めた。
◇ ◇ ◇
午後十時過ぎ。
神社に近づくにつれ、周囲の雰囲気が変わり始めた。
道には多くの人が行き交い、遠くから賑やかな声が聞こえてくる。
参道には露店が並び、温かな明かりが夜の闇を照らしていた。
「わぁぁ!」
ピピが目を輝かせる。
「すごい! いっぱい人がいる!」
「本当ですね……」
ひかげも驚いたように周囲を見渡した。
境内へ続く道には、すでに多くの参拝客が集まっている。
屋台からは焼きそばや甘い菓子の香りが漂い、あちこちから楽しそうな声が響いていた。
「……すごい人だね」
フェンリスが呟く。
「あおいたち、こんな中で仕事してるんだ……」
「そうだねぇ」
みゆも周囲を見渡した。
「和真、どこにいるんだろ?」
「ま、境内のどこかだろ」
ナディアが答える。
「とりあえず中に入ってみようぜ」
八人は人混みに気をつけながら、神社へと進んだ。
そして境内に入ると、さらに多くの人々が行き交っていた。
参拝の準備。
お守りの授与。
屋台の呼び込み。
年越しを待つ人々。
それぞれが思い思いの時間を過ごしている。
「……和真、どこかな」
フェンリスは背伸びをして周囲を探した。
けれど、人が多すぎてなかなか見つからない。
「……むぅ」
少しだけ頬を膨らませる。
せっかくここまで来たのに。
早く会いたい。
そんな気持ちが顔に出ていた。
その様子を見て、ユエが口を開いた。
「近くの巫女に聞いてみればいいでしょう」
「……あっ、そっか!」
みゆが頷く。
ちょうどそのとき、近くを一人の巫女が通りかかった。
「あの、すみませーん!」
「はい?」
巫女が振り返った。
「和真って人、どこにいるか分かりますか?」
「和真さん、ですか?」
「うん! 今日、朝からお手伝いしてると思うんだけど」
「ああ! 和真さんですね!」
巫女の表情が明るくなった。
「分かりますよ。朝からずっとお手伝いしていただいているので」
「……本当!?」
フェンリスが身を乗り出す。
「はい。今はあおいさんと一緒に、裏の休憩所にいらっしゃると思います」
「……っ!」
フェンリスの表情がぱっと明るくなった。
「……和真、そこにいるんだ!」
「ええ。よろしければご案内しましょうか?」
「いいんですか?」
リディアが尋ねる。
「はい。ちょうど私もそちらへ用事がありますので」
「ありがとうございます」
リディアが丁寧に頭を下げる。
巫女はにっこりと微笑んだ。
「では、こちらへどうぞ」
八人は巫女の後について歩き始めた。
境内の賑わいから少し離れた場所。
関係者用の通路を進むと、いくつかのテントが並ぶ休憩所が見えてきた。
温かな飲み物が用意され、仕事の合間に休む人々が集まっている。
その一角に――。
「……あっ!」
最初に気づいたのは、フェンリスだった。
見慣れた黒髪。
優しい横顔。
そして、その膝の上には――。
「……あおい」
和真が椅子に腰かけていた。
その膝の上には、あおいがちょこんと座っている。
しかも――。
「……ふふっ」
あおいは幸せそうに目を細めていた。
和真が、その頭を優しく撫でているのだ。
「今日は本当に頑張ったな、あおい」
「……うむ」
「疲れてないか?」
「少し疲れたのじゃ……」
「そっか。じゃあ、もう少し休んでような」
「……ふふっ、そうするのじゃ」
あおいは嬉しそうに和真へ身体を預けた。
その様子を、近くにいた巫女たちが微笑ましく眺めている。
「本当に仲がいいですねぇ」
「ええ。見ているこっちまで幸せになります」
「お似合いですよね、お二人とも」
「……ふふっ」
あおいはその言葉を聞き、ますます上機嫌になっていた。
「……和真」
「ん?」
「もう少し撫でてくれぬか?」
「はいはい」
和真は苦笑しながら、再び頭を撫でた。
あおいは満足そうに目を閉じる。
まるで、そこが自分だけの特等席であるかのように。
「…………」
その光景を見て、フェンリスは思わず足を止めた。
みゆも隣で立ち止まる。
「……あー……」
何とも言えない声が漏れた。
ナディアは二人の顔を見比べ、小さく笑う。
「……ははっ。なるほどな」
そしてユエは――。
「……まったく」
額に手を当て、深いため息をついた。
そのときだった。
「あれ?」
和真がこちらに気づいた。
「……みんな?」
顔を上げ、八人の姿を確認する。
「あっ! 来たんだ!」
和真は嬉しそうに笑うと、片手を上げて合図した。
「おーい! こっちこっち!」
「……っ!」
フェンリスの表情が一気に明るくなった。
「……和真!」
思わず駆け出しそうになる。
けれど、すぐに足を止めた。
昼間、ユエに言われたことを思い出したのだ。
自分だけが独占しようとしてはいけない。
ちゃんと、みんなの気持ちを大切にする。
「……うん」
フェンリスは小さく頷いた。
そして、みゆとナディアの顔を見る。
「……行こう!」
「うん!」
「ああ」
三人は揃って歩き始めた。
◇ ◇ ◇
「みんな、来てくれたんだな!」
和真が嬉しそうに笑った。
「おう! 約束どおり来たぞ!」
酒菜が片手を上げる。
「準備の方はどうだ?」
「うん。ひとまず大きな仕事は終わったよ。あとは年越しの対応かな」
「そりゃお疲れさん」
「和真、ちゃんと休憩は取れていますか?」
リディアが尋ねる。
「うん。今もちょうど休んでたところだよ」
「それならよかったです。食事も済ませましたか?」
「ああ。こっちで温かいものを出してもらったよ」
「そうですか。安心しました」
リディアはほっとしたように微笑んだ。
「カズマー!」
今度はピピが元気よく声を上げた。
「お疲れさまー!」
「ありがとう、ピピ!」
「僕も今日はいっぱい掃除したんだよ!」
「そうなんだ。偉いな」
「えへへ!」
ピピは嬉しそうに笑った。
そんな賑やかな様子を見て、あおいも顔を上げる。
「おお、皆も来たのか!」
「うん! 約束してたでしょ?」
みゆが笑う。
「そうであったな」
あおいは嬉しそうに頷いた。
ただし――。
和真の膝から降りる様子はなかった。
それどころか、少しだけ身体を寄せ直している。
その仕草を見て、フェンリスとみゆは思わず顔を見合わせた。
「…………」
「…………」
けれど、何も言わなかった。
今夜は、ちゃんと話をすると決めたのだから。
「それにしても、皆ずいぶんおしゃれしてるな」
和真が周囲を見渡す。
「年越しだからか?」
「……っ!」
フェンリスの心臓が跳ねた。
みゆも思わず背筋を伸ばす。
ナディアは余裕のある笑みを浮かべた。
「まあな。せっかくだから、少しくらい着飾ろうと思ってな」
「そっか。いいな、そういうの」
和真は笑顔で頷く。
その視線が、三人へ向けられた。
「フェンリスも、今日はいつもと雰囲気が違うな」
「……っ!」
フェンリスの顔が一気に赤くなった。
「……そ、そうかな!?」
「うん。髪型も変えたんだろ?」
「……う、うん!」
「似合ってるよ。可愛いな」
「…………!」
フェンリスは固まった。
そして――。
「……えへへ……!」
嬉しそうに頬を緩めた。
頑張ってよかった。
心の底から、そう思った。
「みゆも、今日は大人っぽい感じだな」
「……えっ!?」
今度はみゆが反応する。
「ほ、本当!?」
「うん。いつもと違って新鮮だよ。似合ってる」
「……えへへ!」
みゆは嬉しそうに笑った。
「やった! 頑張った甲斐があったよ!」
「頑張った?」
「な、何でもない!」
慌てて首を振るみゆ。
和真は不思議そうに首を傾げた。
そして最後に、ナディアへ視線を向ける。
「ナディアは着物なんだな」
「ああ。どうだ?」
「すごく綺麗だよ。落ち着いた色も似合ってる」
「……ふふっ」
ナディアは満足そうに笑った。
「当然だろ? 俺様が選んだんだからな」
「ははっ、そうだな」
和真は楽しそうに笑った。
そんな三人の様子を、ユエは静かに眺めていた。
フェンリスは顔を真っ赤にしながら嬉しそうに笑い、みゆは尻尾があれば勢いよく振っていただろうと思えるほど上機嫌。
ナディアも、余裕を見せながら満足そうにしている。
たった一言、褒めてもらっただけ。
それだけで、三人の表情はすっかり明るくなっていた。
「……やれやれ」
ユエは小さく笑った。
そして、和真の膝の上にいるあおいへ視線を向ける。
あおいは相変わらず、幸せそうに和真へ身体を預けていた。
「……さて」
ユエは静かに立ち上がった。
そろそろ、約束を果たす時間だった。
「……あおい」
「ん? 何じゃ、ユエ」
「少し、私と話をしない?」
「……話?」
「ええ。ちょっと聞きたいことがあるの」
あおいが首を傾げる。
「ここでは駄目なのかえ?」
「できれば、二人で話したいのだけれど」
「……ふむ」
あおいは少し考え込んだ。
そして、和真の顔を見上げる。
「……和真」
「ん?」
「少しだけ、行ってきてもよいか?」
「もちろん。行っておいで」
「……うむ」
あおいは名残惜しそうに和真の膝から降りた。
そして、最後にもう一度振り返る。
「……和真」
「どうした?」
「戻ってきたら、また隣に座ってもよいかえ?」
和真は優しく微笑んだ。
「いいよ。待ってるから」
「……っ!」
あおいの表情がぱっと明るくなった。
「……約束じゃぞ!」
「はいはい」
その返事に満足したあおいは、ユエと一緒に休憩所を出ていった。
その後ろ姿を見送る三人。
フェンリス。
みゆ。
ナディア。
三人は、そっと顔を見合わせた。
いよいよ、自分たちの番だった。
和真とちゃんと話す。
寂しかったこと。
もっと一緒にいたかったこと。
そして、今も大好きだということ。
それぞれが胸の中に抱えていた気持ちを、今夜こそ伝えようと決めていた。
フェンリスが小さく深呼吸する。
みゆがそっと頷く。
ナディアは二人に向かって、いつもの余裕ある笑みを浮かべた。
そして三人は、和真へと視線を向けた。
ユエとあおいが休憩所を離れていく。
その後ろ姿を見送っていたフェンリスは、そっと胸元に手を当てた。
どくん、どくん。
心臓が落ち着かない。
和真に会えた。
久しぶりに可愛いと褒めてもらえた。
それだけでも十分嬉しかった。
けれど、今日こそ伝えたいことがある。
フェンリスは隣にいるみゆを見た。
みゆは小さく頷き返す。
その反対側では、ナディアが余裕のある笑みを浮かべていた。
「ほら、二人とも。せっかくユエが時間を作ってくれたんだ。行くぞ」
「う、うん!」
「そうだね!」
三人は和真へ近づいた。
「和真!」
「ん? どうした、フェンリス?」
「あのさ……ちょっと僕たちと話せないかな?」
「話?」
「うん。できれば、ほかの人がいないところで」
和真は少し不思議そうな顔をした。
そこへ、みゆが横から顔を覗かせる。
「僕からもお願い! そんなに長くはかからないと思うからさ」
「三人とも?」
「そういうことだ。少し付き合ってくれないか?」
ナディアも微笑みながら声をかけた。
和真は三人の顔を見比べる。
どこか緊張した様子のフェンリス。
普段より少し真剣なみゆ。
そして、いつもどおり落ち着いているナディア。
どうやら、何か大事な話があるらしい。
「分かった。ちょっと待ってて」
和真は近くにいた神社の関係者へ声をかけ、しばらく休憩していても問題ないことを確認した。
「お待たせ。じゃあ、行こうか」
「うん!」
三人の表情が明るくなる。
和真は休憩所に残る四人へ振り返った。
「ごめん、ちょっと行ってくるね」
「おう、行ってこい!」
酒菜が片手を上げる。
「和真、外は冷えますから気をつけてくださいね」
「ありがとう、リディア」
「……いってらっしゃい」
ひかげも小さく手を振った。
ピピは温かい飲み物を前に、嬉しそうにしている。
「カズマ、またあとでね!」
「うん。またあとで」
四人に見送られ、和真たちは休憩所の外へ出た。
その後ろ姿を見送りながら、酒菜が小さく笑った。
「ようやく話せるみたいだな」
「そうですね」
リディアも頷いた。
「最近の三人は、少し落ち着かない様子でしたから」
「ああ。ま、和真も気づいてなかったんだろ」
「……ちゃんと、お話できるといいですね」
ひかげが心配そうに呟いた。
酒菜はそんな彼女を見て、安心させるように笑った。
「大丈夫だ。あいつらなら、きっとうまくやるさ」
◇ ◇ ◇
休憩所から少し離れた場所。
境内の裏手にある建物の脇には、風を避けられる小さなスペースがあった。
人通りも少なく、参道の賑わいが遠くから聞こえてくる程度だった。
「ここなら大丈夫かな?」
和真が振り返る。
「うん!」
フェンリスが頷いた。
けれど、いざ話そうとすると、なかなか言葉が出てこない。
和真が優しく尋ねる。
「それで、どうしたんだ?」
「……えっと」
フェンリスは手を握ったり開いたりした。
昼間は、あんなに言いたいことがあったのに。
今は和真が目の前にいるだけで、胸がいっぱいになってしまう。
そんな様子を見かねたナディアが、そっと背中を押した。
「フェンリス。遠慮することはないだろ? ちゃんと聞いてもらえ」
「……うん!」
フェンリスは深く息を吸い込んだ。
そして、和真を真っ直ぐに見つめる。
「和真!」
「うん?」
「僕、寂しかったんだ!」
「……え?」
あまりにも真っ直ぐな言葉に、和真は驚いた。
フェンリスはそのまま続ける。
「最近、全然一緒にいられなかっただろ?」
「……ああ」
「朝も昼も、夜もあおいと一緒でさ。僕も和真と話したかったのに、なかなか話せなくて……」
声が少しずつ小さくなっていく。
「函館から帰ってきて、これからはもっと一緒にいられるって思ってたんだ」
「……フェンリス」
「だから、最初は少し我慢してたんだよ。あおいだって和真が好きなんだから、僕ばっかり甘えちゃ駄目だって」
フェンリスは小さく笑った。
「僕、函館ではいっぱい甘えさせてもらったからさ。今度はあおいの番でもいいかなって」
「……うん」
「でもね……」
フェンリスは視線を落とした。
「……思ってたより、ずっと寂しかったんだ」
ぽつりと呟く。
「和真の顔を見るたびに、抱きつきたいって思ってた。隣に座りたいし、頭も撫でてもらいたかった」
その目に、じわりと涙が浮かぶ。
「夜だって……また一緒に寝たいって思ってたんだよ」
「……」
「だけど、あおいがすごく嬉しそうだから、なかなか言い出せなくて……」
フェンリスは唇をきゅっと結んだ。
「……今日なんて、とうとう泣いちゃったんだ」
「……泣いた?」
「うん」
少し恥ずかしそうに笑う。
「朝から和真に会いたくてさ。気がついたら、枕が涙でびしょびしょになってた」
「……っ」
和真の表情が曇った。
「……ごめんな、フェンリス」
その言葉に、フェンリスは慌てて顔を上げた。
「ち、違うよ! 和真を責めたいんじゃないんだ!」
「……うん」
「僕もちゃんと言えばよかったんだ。もっと一緒にいたいって!」
フェンリスは一歩近づいた。
「ただね、和真……」
今度は、少しだけ声が震えた。
「……僕のこと、忘れちゃったのかなって……ちょっとだけ、不安だったんだ」
和真は目を見開いた。
「そんなわけないだろ!」
思わず声が大きくなった。
フェンリスも驚いたように顔を上げる。
和真は少し声を落とした。
「忘れるわけないよ」
「……本当?」
「当たり前だろ。函館で伝えた気持ちは、今も変わってない」
「……っ!」
フェンリスの頬が赤くなる。
あの旅館で、二人は互いの想いを確かめ合った。
あのとき和真が伝えてくれた言葉。
それを今も大切にしてくれている。
そう分かった瞬間、胸が熱くなった。
「ただ……あおいが甘えてくるのが当たり前になって、ほかのみんなとの時間をちゃんと考えられてなかった」
和真は申し訳なさそうに眉を下げた。
「本当にごめん」
「……ううん!」
フェンリスは首を振った。
「僕もちゃんと伝えられなかったんだから、お互いさまだよ!」
そして、少しだけ照れくさそうに笑った。
「……ねえ、和真」
「ん?」
「……ひとつだけ、お願いしてもいい?」
「もちろん」
フェンリスは両腕を少し広げた。
「……久しぶりに、ぎゅってしてほしいんだ」
和真は優しく微笑んだ。
「おいで、フェンリス」
「……っ!」
次の瞬間。
「和真っ!」
フェンリスは勢いよく和真の胸へ飛び込んだ。
和真もその身体をしっかりと受け止める。
「……ああ、もう!」
フェンリスは和真のコートをぎゅっと掴んだ。
「……やっぱり、これが一番落ち着くよ!」
「ははっ、そっか」
「うん!」
顔を胸元に埋めたまま、嬉しそうに頷く。
和真の腕が背中へ回り、優しく抱きしめてくれる。
ずっと欲しかった温もりだった。
「……えへへ」
「フェンリス?」
「……何でもない!」
そう答えながらも、離れようとはしなかった。
和真が頭を撫でると、ますます嬉しそうに身体を寄せる。
「……和真」
「ん?」
「……大好きだよ!」
和真は微笑んだ。
「俺も好きだよ、フェンリス」
「……っ!」
フェンリスの顔が一気に熱くなった。
そのまま、ぎゅうっと抱きつく力が強くなる。
「……えへへ!」
ようやく戻ってきた笑顔。
それを見て、和真も安心したように微笑んだ。
◇ ◇ ◇
「……ねえねえ」
しばらくして、横から声が聞こえた。
和真が振り返る。
みゆが、にこにこと笑っていた。
「……和真?」
「ん?」
「そろそろ僕の番でもいい?」
「……あっ」
和真は思わず苦笑した。
フェンリスも慌てて顔を上げる。
「あっ、ごめん、みゆ!」
「いいよいいよ! 久しぶりなんだから、いっぱい甘えたくなるよね!」
みゆは楽しそうに笑った。
そして、にやりと口元を緩める。
「でも、そのままだと僕の時間がなくなっちゃうからさ」
「……うっ」
フェンリスは名残惜しそうに和真から離れた。
みゆはそんなフェンリスの肩を軽く叩いた。
「よかったね!」
「……うん!」
二人は顔を見合わせて笑った。
それから、みゆが和真の正面に立つ。
「さてと、和真!」
「……はい」
「僕からも、ひとつ言いたいことがありまーす!」
「……何でしょう?」
和真が少し身構えると、みゆは頬を膨らませた。
「最近の和真、あおいに甘すぎ!」
「……うっ」
「朝から晩まで一緒じゃん!」
「……そうだな」
「膝の上も、隣も、寝るときも! 全部あおいなんだもん!」
みゆは指を折りながら数えていく。
「僕だって和真の膝に座りたいし、一緒に寝たいし、いっぱい甘えたいんだよ?」
「……うん」
「なのにさぁ、最近は全然できないんだもん」
みゆは少しだけ口を尖らせた。
「……僕、結構我慢してたんだからね?」
その声を聞き、和真は申し訳なさそうに眉を下げた。
「……ごめんな、みゆ」
「……もう!」
みゆは和真の胸を指先で軽くつついた。
「すぐ謝る!」
「いや、でも……」
「僕だってちゃんと言わなかったんだから、お互いさまでしょ?」
みゆはそう言って笑った。
「それにさ、あおいが和真と一緒にいたい気持ちも分かるんだよ」
「……うん」
「僕だって同じだもん」
少しだけ、声が柔らかくなる。
「……でもね、和真」
「ん?」
「僕のことも、たまには思い出してほしいな」
その言葉に、和真の胸が少し痛んだ。
みゆは明るく、いつも楽しそうに笑っている。
いたずら好きで、和真を困らせることも多い。
だからこそ、寂しさを抱えていることに気づけなかった。
「……みゆ」
「なーに?」
「忘れてなんかないよ」
「……ほんと?」
「もちろん」
和真は優しく微笑んだ。
「最近はちゃんと時間を作れてなかったけど、みゆとの思い出だって大切にしてる」
「……!」
みゆの表情が少し明るくなった。
「……じゃあさ」
「ん?」
「これ、覚えてる?」
みゆはバッグにつけていた小さな根付けを外した。
木で作られた、二人の思い出の品。
温泉旅行のとき、一緒に選んだものだった。
「ああ、もちろん」
「……えへへ」
みゆは嬉しそうに笑った。
「僕、ずっと大事にしてるんだよ」
「そっか」
「……和真は?」
少しだけ不安そうな顔。
和真はその意味を理解すると、すぐに上着のポケットへ手を伸ばした。
「ちょっと待ってな」
取り出したのは、普段使っている鍵だった。
その先には――。
「あっ!」
みゆが目を見開いた。
見覚えのある木の根付け。
旅行から帰ってきたときと変わらず、和真の鍵についていた。
「……まだ、つけてくれてるんだ!」
「当たり前だろ?」
和真は笑った。
「二人で選んだ大事なものなんだから」
「……っ!」
みゆの頬が赤くなる。
そして、嬉しそうに自分の根付けを近づけた。
二つを並べると、木目がぴったりとつながった。
「……えへへ!」
「ちゃんと合ってるな」
「うん!」
みゆはしばらく、その二つを眺めていた。
あの旅行は、本当に楽しかった。
温泉街を歩いて。
一緒にお店を覗いて。
美味しいものを食べて。
そして、二人だけの思い出を作った。
みゆにとって、大切な宝物だった。
「……ねえ、和真」
「ん?」
「また二人でお出かけしようよ」
「うん、いいよ」
「旅行じゃなくてもいいんだ。買い物とか、お散歩とかさ」
みゆは少しだけ首を傾げた。
「……できれば、今度は和真から誘ってほしいな」
「……俺から?」
「うん!」
みゆはにっこり笑った。
「だって、僕ばっかり誘ってる気がするんだもん!」
「……ははっ、そうかもしれないな」
「でしょ?」
和真は優しく頷いた。
「分かった。今度は俺から誘うよ」
「……ほんと!?」
「ああ、約束する」
その瞬間。
「……やったぁ!」
みゆは嬉しそうに和真へ抱きついた。
「わっ!」
和真が少しよろめく。
「み、みゆ!」
「えへへ! いいじゃん!」
みゆは満足そうに笑った。
そして、和真の胸元に頬を寄せる。
「……ねえ」
「ん?」
「僕も、ぎゅってして?」
和真は優しく微笑んだ。
「もちろん」
そっと腕を回す。
みゆは嬉しそうに目を細めた。
「……えへへ」
そのまま、しばらく動こうとしなかった。
けれど――。
「……みゆ?」
「……ん?」
「そろそろ……」
「……あと三分!」
「……あのなぁ」
「二分でもいいよ?」
「……ははっ」
和真は思わず笑ってしまった。
そんな二人を見て、フェンリスも楽しそうに笑った。
みゆが嬉しそうにしている。
それが、自分のことのように嬉しかった。
◇ ◇ ◇
「さて」
最後に口を開いたのは、ナディアだった。
「二人とも、満足したか?」
「うん!」
「……えへへ、もう少し甘えたいけどね!」
みゆがいたずらっぽく笑う。
ナディアは肩をすくめた。
「まったく。欲張りだな」
「ナディアだって、和真に甘えたいんでしょ?」
「ははっ、当然だろ?」
ナディアは隠すことなく答えた。
そして、和真へ視線を向ける。
「和真」
「ん?」
「俺様からも少し話がある」
「……うん」
ナディアはゆっくりと近づいた。
紺色の着物が、冬の夜風に小さく揺れる。
「まず、二人の話を聞いてどう思った?」
「……正直、反省してるよ」
「そうか」
ナディアは小さく頷いた。
「ま、和真が誰かを傷つけようとしてたわけじゃないのは分かってる」
「……うん」
「でもな、お前は少し優しすぎるんだよ」
和真が首を傾げる。
「……優しすぎる?」
「ああ」
ナディアは微笑んだ。
「誰かに甘えられたら、できるだけ応えてやろうとするだろ?」
「……そうかな」
「そうだよ。俺様が言うんだから間違いない」
自信たっぷりに笑う。
「ただな、和真。お前が一人に夢中になってる間、ほかの奴らが寂しがってることもある」
「……うん」
「だからって、全員に同じように接しろとは言わないぞ。お前にも気持ちがあるんだからな」
ナディアは少しだけ表情を和らげた。
「でも、たまには周りを見てやれ。それだけで、こいつらも安心するだろ」
「……そうだな」
和真は静かに頷いた。
「ありがとう、ナディア」
「礼を言われるほどのことじゃないさ」
そう答えてから、ナディアは少しだけ笑みを深くした。
「……それと、もうひとつ」
「ん?」
「俺様だって、和真と二人で過ごしたいと思ってるんだぞ?」
「……っ」
和真の表情が少し変わる。
ナディアは楽しそうに笑った。
「何だ、その顔は?」
「いや……ナディアは平気なのかと思ってた」
「ははっ、そんなわけないだろ?」
ナディアは一歩近づいた。
「俺様だって、お前のことが好きなんだからな」
そう言って、和真の胸元へそっと手を添える。
「ただ、フェンリスやみゆみたいに泣いたり騒いだりしないだけだ」
「……そっか」
「ああ。だから、俺様のことも忘れるなよ?」
その言葉に、和真は微笑んだ。
「忘れないよ」
「……ふふっ」
ナディアは満足そうに笑った。
「なら、いい」
そして、少しだけ首を傾げる。
「……で、和真」
「ん?」
「俺様には何もないのか?」
「……何も?」
「二人には抱きしめてやっただろ?」
「……あっ」
和真が気づいた瞬間、ナディアは楽しそうに笑った。
「まさか、俺様だけお預けなんてことはないだろうな?」
「……ははっ」
和真は苦笑した。
「もちろん」
そう言って、そっと両腕を広げた。
ナディアは嬉しそうに目を細める。
「……ふふっ、そうこなくちゃな」
そして、自分から和真の胸へ身体を寄せた。
和真の腕が、優しく背中へ回される。
「……どう?」
「……ん?」
「少しは満足した?」
和真が尋ねる。
ナディアは小さく笑った。
「……そうだな」
少し間を置き、付け加える。
「もう少しだけ、こうしていたい」
普段より柔らかな声だった。
和真は何も言わず、もう一度優しく抱きしめた。
「……ありがとう、和真」
その声は、とても穏やかだった。
◇ ◇ ◇
一方、その頃。
ユエとあおいは、参道から少し離れた場所を歩いていた。
周囲には提灯の明かりが灯り、遠くから参拝客の賑やかな声が聞こえてくる。
「……それで、ユエ」
あおいが口を開いた。
「わらわに話とは何じゃ?」
「ええ。少し確認したいことがあるの」
「……何じゃ?」
ユエは足を止め、あおいへ向き直った。
「あなた、最近ずいぶん和真に甘えているようね」
「……っ!」
あおいの頬が少し赤くなる。
「そ、それは……」
「否定する必要はないわ。見ていれば分かることだもの」
「……うむ」
あおいは小さく頷いた。
「……和真と一緒にいると、安心するのじゃ」
「そうでしょうね」
「それに、和真はいつも優しいのじゃ。わらわが一緒にいたいと言えば、嫌な顔ひとつせずにそばにいてくれる」
あおいは嬉しそうに微笑んだ。
「……つい、甘えてしまうのじゃ」
「ええ。そこまではいいわ」
ユエは腕を組んだ。
「ただし、少し考えてほしいことがあるの」
「……考えてほしいこと?」
「和真は、あなた一人のものではないでしょう?」
「……っ」
あおいが目を見開いた。
ユエは静かに続ける。
「最近、フェンリスやみゆが和真とゆっくり話しているところを見たことがある?」
「……」
あおいは答えられなかった。
「ナディアも同じよ。あの三人は、ずいぶん寂しい思いをしていたようね」
「……そうなのかえ?」
「ええ」
ユエは小さく息をついた。
「あなたが悪意を持って独占しているわけではないことくらい、分かっているわ」
「……うむ」
「ただ、自分が幸せだからといって、周りが同じとは限らないでしょう?」
その言葉に、あおいは視線を落とした。
思い返してみる。
確かに、ここ最近は和真のそばにいることばかり考えていた。
朝になれば一緒に起きて。
食事のときは隣に座り。
少し時間ができれば膝の上へ。
夜になれば、一緒に眠ってもらう。
それが嬉しくて、幸せで。
ほかの住人たちの様子を、あまり気にしていなかった。
「……わらわは……」
小さく呟く。
「……皆に、寂しい思いをさせておったのか……」
ユエは頷いた。
「少なくとも、あの三人はそう感じていたようね」
「……そうか」
あおいの表情が曇った。
「……わらわは、皆のことも大切に思っておるのじゃ」
「分かっているわ」
「フェンリスも、みゆも、ナディアも……皆、大切な仲間なのじゃ」
「ええ」
「それなのに……」
あおいは自分の手を見つめた。
「……わらわは、自分のことばかり考えておったのじゃな」
ユエは少しだけ表情を和らげた。
「気づけたのなら、これから気をつければいいでしょう」
「……うむ」
「それに、私はあなたに和真から離れろと言っているわけではないの」
「……え?」
あおいが顔を上げる。
「あなたが和真に甘えること自体は悪いことではないわ。ただ、ほかの三人にも和真と過ごす時間が必要だということよ」
「……!」
「あなたも、三人も、和真も。誰か一人だけが我慢し続ける必要はないでしょう?」
その言葉に、あおいはしばらく考え込んだ。
やがて、小さく頷く。
「……そうじゃな」
そして、少しだけ笑った。
「わらわも、少し欲張りすぎておったようじゃ」
「そうね」
ユエはあっさりと頷いた。
「……そこは否定してくれぬのか?」
「事実でしょう?」
「……むぅ」
あおいは頬を膨らませた。
その様子に、ユエはわずかに笑った。
「まあ、今夜はせっかくの年越しなのだから、皆で楽しく過ごせばいいわ」
「……うむ!」
あおいは大きく頷いた。
そして、ふと首を傾げる。
「……ところで、ユエ」
「何かしら?」
「和真は今、何をしておるのじゃ?」
ユエは少しだけ目を細めた。
「……きっと、三人と話しているのでしょうね」
「……三人と?」
「ええ。あなたが和真と過ごしていた間、あの三人も伝えたいことがあったようだから」
「……そうか」
あおいは少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
けれど、すぐに首を振った。
「……ならば、わらわも待つとしよう」
その言葉に、ユエは満足そうに頷いた。
「ええ。それでいいのよ」
◇ ◇ ◇
その頃。
和真たち四人の会話も、ようやく落ち着きを取り戻していた。
「……それにしても」
和真が三人を見渡す。
「みんな、そんなに寂しかったんだな」
「そうだよ!」
フェンリスが元気よく答えた。
「僕、もう少しで和真の部屋に押しかけるところだったんだから!」
「……それは、いつものことじゃない?」
みゆが横から笑う。
「なっ! みゆだってそうだろ!?」
「えへへ、ばれた?」
「もう!」
二人のやり取りに、和真も思わず笑った。
ナディアも楽しそうに眺めている。
「ま、これで少しは落ち着いただろ?」
「……うん!」
フェンリスが頷く。
「でもさ、和真」
「ん?」
「これからは、僕ともちゃんと一緒にいてほしいな」
その言葉に、みゆも続いた。
「僕ともね!」
「俺様のことも忘れるなよ?」
三人の視線が一斉に和真へ向けられた。
「……ははっ」
和真は少し困ったように笑った。
「分かったよ。ただ、俺にも神社の仕事とか、ほかにやることはあるからな?」
「うん! それは分かってるよ!」
「僕も! ずっと一緒じゃなくてもいいんだよ!」
みゆが笑う。
「たまには和真の方から誘ってくれたら、それだけで嬉しいもん!」
「そうだな。俺様もそれでいい」
ナディアが頷いた。
和真は三人を見渡し、改めて微笑んだ。
「……ありがとう。ちゃんと話してくれて」
フェンリスも嬉しそうに笑う。
「……えへへ!」
そして、少しだけ照れくさそうに言った。
「……僕も、ちゃんと言えてよかったよ」
和真はそっと、その頭を撫でた。
「……ん!」
フェンリスが満足そうに目を細める。
すると――。
「あっ! ずるい!」
みゆがすかさず声を上げた。
「僕も撫でて!」
「……ははっ、はいはい」
和真はみゆの頭にも手を伸ばした。
「えへへ!」
その光景を見ていたナディアが、楽しそうに笑う。
「まったく。二人とも甘えん坊だな」
「ナディアだって、さっき甘えてたじゃん!」
みゆが言い返す。
「ははっ、そうだったな」
ナディアは余裕のある笑みを浮かべた。
和真はそんな三人を眺めながら、ふと思った。
自分は、ずいぶん恵まれているのかもしれない。
こうして真っ直ぐに気持ちを伝えてくれる人たちがいる。
寂しかったと、会いたかったと、遠慮せずに言ってくれる。
だからこそ、自分もちゃんと向き合わなければならない。
全員の願いを、何でも叶えられるわけではない。
けれど、せめて相手の気持ちには気づいていたい。
「……よし」
和真は小さく頷いた。
「そろそろ戻ろうか」
「うん!」
「そうだね!」
「ああ。皆も待ってるだろうしな」
四人は揃って歩き始めた。
参道の方から、賑やかな声が聞こえてくる。
時計の針は、少しずつ新しい年へ近づいていた。
そして――。
今年最後の夜は、まだ終わらない。
境内の裏手を歩く四人。
遠くから聞こえてくる人々の声は、先ほどよりも賑やかになっていた。
時刻は午後十一時を少し過ぎたところ。
今年も残すところ、あと一時間ほどだった。
「……えへへ」
和真の隣を歩きながら、フェンリスが嬉しそうに笑っていた。
「どうした、フェンリス?」
「ん? 何でもないよ!」
「そうか?」
「うん!」
そう答えながらも、口元は緩んだままだ。
久しぶりに和真に抱きしめてもらえた。
自分の気持ちも、ちゃんと伝えられた。
それだけで、胸の奥に溜まっていた寂しさが随分と軽くなっていた。
「……ねえ、和真」
「ん?」
「手、繋いでもいい?」
「もちろん」
「……やった!」
フェンリスは嬉しそうに和真の手を握った。
指先から伝わってくる温もり。
たったそれだけのことなのに、頬が自然と緩んでしまう。
そんな二人の様子を見て、みゆが口を尖らせた。
「あー! フェンリス、ずるい!」
「えっ!?」
「僕も繋ぎたい!」
「ええっ!?」
みゆは和真の反対側へ回り込んだ。
「和真、こっちの手も貸して!」
「ははっ、いいよ」
「やった!」
みゆも嬉しそうに手を握る。
右手にはフェンリス。
左手にはみゆ。
和真は二人に挟まれながら、思わず苦笑した。
「……なんだか、久しぶりだな」
「でしょ!?」
みゆが楽しそうに笑う。
「やっぱり、和真の隣は落ち着くねぇ」
「僕も!」
フェンリスも大きく頷いた。
その後ろを歩いていたナディアが、呆れたように笑う。
「まったく。二人とも、すっかり機嫌が直ったみたいだな」
「えへへ!」
「ナディアも繋ぎたい?」
みゆが振り返る。
「俺様まで加わったら、和真が歩きにくいだろ?」
「それもそうだね!」
「納得するの早いな、お前……」
ナディアの言葉に、三人は笑い合った。
和真も楽しそうに笑っていた。
少し前まで、三人がそんなにも寂しい思いをしていたなんて気づかなかった。
けれど、こうして話をしてくれたことで、ようやく分かったこともある。
何でも察することはできない。
だからこそ、言葉にすることが大切なのだろう。
そんなことを考えながら歩いていると――。
「あっ!」
フェンリスが前方を指差した。
「和真! ユエとあおいだ!」
少し先の通路に、二人の姿が見えた。
◇ ◇ ◇
「おお、和真!」
あおいが嬉しそうに顔を上げた。
そして、駆け寄ろうとして――。
「……む?」
ぴたりと足を止めた。
和真の右手にはフェンリス。
左手にはみゆ。
二人とも、幸せそうに笑っている。
「……ふむ」
あおいは小さく頷いた。
少し前の自分なら、きっと和真のそばへ駆け寄っていただろう。
そして、膝の上に座ったり、腕に抱きついたりしていたはずだ。
けれど、今は違う。
ユエから話を聞き、少しだけ考えが変わっていた。
「……楽しく話せたようじゃな」
あおいが微笑む。
「うん!」
フェンリスが元気よく答えた。
「和真に、ちゃんと話せたよ!」
「僕も!」
みゆも嬉しそうに頷く。
ナディアは満足そうに笑った。
「ああ。おかげでこいつらも落ち着いたみたいだ」
「そうか……よかったのう」
あおいは心から嬉しそうに微笑んだ。
その様子を、ユエが静かに眺めている。
「……さて、そろそろ戻りましょうか」
「そうだな。みんなも待ってるだろうし」
和真が頷く。
すると、あおいが少しだけ近づいてきた。
「……和真」
「ん?」
「わらわも隣を歩いてよいかえ?」
「もちろん」
「……ふふっ」
あおいは嬉しそうに微笑んだ。
ただし、今度は和真の腕に抱きつくことはしなかった。
代わりに、少しだけ後ろを歩いていたナディアの隣へ並ぶ。
「……ナディア」
「ん? どうした?」
「少し、そなたの隣を歩いてもよいか?」
「ははっ、もちろんだ」
「うむ!」
あおいは満足そうに頷いた。
その小さな変化に気づいたユエは、何も言わずに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
休憩所へ戻ると、酒菜たちが温かい飲み物を手に待っていた。
「おう、戻ってきたか!」
「ただいま!」
和真が片手を上げる。
「ずいぶん楽しそうだな。ちゃんと話せたみたいじゃねえか」
「うん!」
フェンリスが笑顔で頷いた。
「ちゃんと話せたよ!」
「そりゃよかった」
酒菜は満足そうに笑った。
その隣では、リディアが時計を確認していた。
「もうすぐ十一時半ですね。参拝客もかなり増えてきました」
「そうですね」
近くにいた巫女が頷く。
「日付が変わる頃には、もっと賑やかになると思います」
「毎年こんなに大変なんですか?」
リディアが尋ねる。
「はい。でも、皆さんが楽しそうに新年を迎えてくださるので、こちらも嬉しいんですよ」
巫女はにっこりと微笑んだ。
その言葉に、あおいも嬉しそうに頷く。
「うむ。新しい年を迎えるのは、やはり特別なことじゃからのう」
すると、ピピが勢いよく顔を上げた。
「ねえねえ! もうすぐ新しい年になるんだよね!?」
「そうだよ」
和真が答える。
「あと少ししたら、年が変わるんだ」
「わぁ! 楽しみ!」
ピピは目を輝かせた。
「新しい年になったら、何か変わるの?」
「そうだなぁ……」
和真は少し考えた。
「特別に何かが変わるわけじゃないけど、気持ちを新しくして、また一年頑張ろうって思える日かな」
「へぇ!」
ピピは感心したように頷いた。
そして、嬉しそうに笑う。
「じゃあ、僕も新しい年になったらいっぱい頑張る!」
「ははっ、そうだな」
「何を頑張るんだ?」
酒菜が尋ねる。
「えっとね……」
ピピはしばらく考え込んだ。
そして――。
「……いっぱい遊ぶ!」
「そっちかよ!」
酒菜の突っ込みに、周囲から笑い声が上がった。
「だって、楽しいのが一番だもん!」
「まあ、それも間違いじゃねえな」
酒菜も笑った。
そんな賑やかなやり取りを見て、ひかげも小さく微笑んでいた。
「……みんなで年越しできるの、嬉しいですね」
「そうですね」
リディアが頷く。
「今年はいろいろありましたから、こうして皆さん揃って新年を迎えられるのは嬉しいです」
「……そうやなぁ」
ひかげは静かに頷いた。
その言葉に、和真も皆の顔を見渡した。
楽しかったこと。
驚いたこと。
心配したこと。
そして、忘れられない出来事。
今年は、本当にいろいろなことがあった。
特にフェンリスが倒れたときは、どうなることかと思った。
あの病室で、意識の戻らない彼女の手を握っていた時間。
今でも鮮明に覚えている。
けれど今、そのフェンリスは元気に笑っている。
それが、何よりも嬉しかった。
「……和真?」
フェンリスが首を傾げる。
「どうしたの?」
「……いや」
和真は微笑んだ。
「みんな元気でよかったなって思って」
「……?」
フェンリスは一瞬不思議そうな顔をした。
けれど、すぐに笑顔になった。
「うん! 僕も、みんなと一緒にいられて嬉しいよ!」
その言葉に、和真は優しく頷いた。
◇ ◇ ◇
午後十一時五十分。
境内は、いよいよ年越しを待つ人々で賑わっていた。
参道には多くの人が並び、境内の灯りが夜空を照らしている。
和真とあおいも、再び神社の仕事を手伝っていた。
ただし、今度は二人で別々の持ち場についている。
あおいは巫女たちとともに授与所を手伝い、和真は参拝客の案内をしていた。
その様子を、フェンリスたちは少し離れた場所から眺めていた。
「……和真、頑張ってるね」
フェンリスが呟く。
「そうだねぇ」
みゆも頷いた。
「朝からずっと仕事してるんでしょ? すごいよね」
「ああ。あおいもよく働いてるな」
ナディアが微笑む。
そんな三人の様子を見て、ユエが口を開いた。
「あなたたちも、少しは手伝ったらどう?」
「……えっ!?」
みゆが振り返った。
「僕たちも?」
「ええ。あれだけ人がいるのだから、できることはあるでしょう?」
「……そっか!」
フェンリスの表情が明るくなった。
「僕、和真の手伝いしたい!」
「僕も!」
みゆも頷く。
ナディアは笑いながら肩をすくめた。
「ま、せっかくだ。俺様も手伝うか」
三人は近くの巫女へ声をかけた。
事情を説明すると、快く簡単な仕事を任せてもらえた。
参拝客への案内。
授与所で使う袋の補充。
休憩所への飲み物の運搬。
それぞれが、できる範囲で手伝い始めた。
もちろん、和真とあおいの仕事を邪魔しないように。
その姿を見た和真が、少し驚いた顔をした。
「あれ? みんなも手伝ってくれてるの?」
「うん!」
フェンリスが笑う。
「和真ばっかり働いてるんじゃ大変だろ?」
「僕も手伝うよ!」
みゆも楽しそうに笑った。
「せっかくみんなで来たんだもん!」
「ははっ、ありがとう」
和真は嬉しそうに微笑んだ。
少し離れた場所では、あおいもその様子を見ていた。
「……ふふっ」
自然と笑みが零れる。
和真のそばには、いつも誰かがいる。
そして、皆が彼を大切に思っている。
自分だけではない。
けれど、それは決して寂しいことではなかった。
こうして皆で支え合えるのなら、それも幸せなことなのだろう。
◇ ◇ ◇
やがて。
時計の針が、午後十一時五十九分を指した。
境内の空気が、少しずつ変わり始める。
参拝客たちが時計を確認し、近くの人々と顔を見合わせていた。
年越しの瞬間が近づいていた。
和真も、ようやく仕事の手を止めた。
近くの巫女たちが、少しだけ休憩するよう勧めてくれたのだ。
「和真!」
あおいが駆け寄ってくる。
「もうすぐじゃぞ!」
「ああ、そうだな」
「皆も呼んでよいかえ?」
「もちろん」
あおいは嬉しそうに頷き、近くにいたフェンリスたちへ声をかけた。
「皆、こちらへ来るのじゃ!」
「はーい!」
みゆが手を振る。
フェンリスも嬉しそうに駆け寄ってきた。
ナディア。
ユエ。
リディア。
酒菜。
ひかげ。
ピピ。
全員が揃った。
十人で迎える、今年最後の瞬間。
「……なんか、緊張するね」
フェンリスが呟く。
「分かる!」
みゆも笑う。
「ただ年が変わるだけなのに、何でこんなにわくわくするんだろ?」
「ふふっ、それが年越しの面白いところなのでしょうね」
リディアが微笑んだ。
「……もうすぐですね」
ひかげも少し緊張したように時計を見つめる。
その隣で、ピピが元気よく声を上げた。
「ねえねえ! あと何秒!?」
「もうすぐだぞ」
和真が笑った。
周囲からも、少しずつ数を数える声が聞こえてくる。
「十!」
「九!」
「八!」
フェンリスが目を輝かせた。
「七!」
「六!」
みゆも楽しそうに声を重ねる。
「五!」
「四!」
あおいが、そっと和真の隣へ寄った。
「三!」
「二!」
和真は皆の顔を見渡した。
「一!」
そして――。
――ゴォォォン……。
遠くから、除夜の鐘の音が響いた。
日付が変わった。
二〇二七年、一月一日。
新しい年の始まりだった。
「「「明けましておめでとう!」」」
皆の声が重なる。
周囲の参拝客からも、新年を祝う声が響き渡った。
「和真! 明けましておめでとう!」
フェンリスが満面の笑みを浮かべる。
「ああ、明けましておめでとう、フェンリス」
「今年もよろしくね!」
「もちろん」
続いてみゆが顔を覗かせた。
「和真! 今年もいっぱい甘えちゃうからね!」
「ははっ、お手柔らかに頼むよ」
「えへへ! 約束はできないけどね!」
みゆはいたずらっぽく笑った。
「和真」
ナディアも近づいてくる。
「明けましておめでとう。今年もよろしくな」
「ああ、こちらこそ」
「ふふっ。今年も退屈しなさそうだな」
「……それは間違いないな」
二人は顔を見合わせて笑った。
そして――。
「和真!」
あおいが嬉しそうに声をかけた。
「明けましておめでとうなのじゃ!」
「明けましておめでとう、あおい」
「今年も、わらわと仲良くしてくれるかえ?」
「もちろんだよ」
「……ふふっ」
あおいは幸せそうに微笑んだ。
その様子を見ていたユエが、小さく息をついた。
「……まったく。新年早々、賑やかなことね」
「ユエも明けましておめでとう」
和真が笑顔で声をかける。
「ええ。明けましておめでとう、和真」
「今年もよろしくな」
「こちらこそ。あまり私に説教をさせないでちょうだい」
「……ははっ、努力するよ」
「努力ではなく、実行しなさい」
「……はい」
そのやり取りに、周囲から笑い声が上がった。
「和真、明けましておめでとうございます」
リディアが穏やかに微笑む。
「明けましておめでとう、リディア」
「今年もよろしくお願いしますね」
「こちらこそ。いつも助けてもらってるからな」
「ふふっ。そう言ってもらえると嬉しいです」
そして酒菜が、和真の肩を軽く叩いた。
「おう、和真! 明けましておめでとう!」
「明けましておめでとう、酒菜!」
「今年もよろしくな!」
「ああ、よろしく!」
「それと、今年はあんまり心配かけるんじゃねえぞ?」
「……ははっ、気をつけるよ」
「ったく、頼むぞ!」
酒菜は豪快に笑った。
「……和真さん」
少し遠慮がちに、ひかげが声をかける。
「明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとう、ひかげ」
「……今年も、よろしくお願いしますね」
「ああ、こちらこそ」
和真が微笑むと、ひかげも嬉しそうに笑った。
最後に――。
「カズマー!」
ピピが元気よく声を上げた。
「明けましておめでとう!」
「ああ、ピピもおめでとう!」
「今年もいっぱい遊ぼうね!」
「ははっ、そうだな」
「やったぁ!」
ピピは嬉しそうに跳ねた。
十人の笑い声が、新年の境内に響いた。
◇ ◇ ◇
年が明けてしばらくすると、参拝客の列が少しずつ進み始めた。
「さて、せっかくだし初詣もしていくか?」
和真の提案に、皆が頷いた。
「うん!」
「わらわも一緒に参るぞ!」
あおいが嬉しそうに笑う。
神社の仕事はまだ続いていたものの、交代で短い休憩を取ることができた。
和真とあおいも、その時間を利用して皆と一緒に参拝することになった。
十人は案内に従い、列に並んだ。
しばらく待って、ようやく順番が回ってくる。
賽銭を入れ、鈴がある場所では鈴を鳴らし、それぞれ静かに手を合わせる。
和真も目を閉じた。
――今年も、みんなが元気で過ごせますように。
願いは、ただそれだけだった。
もちろん、叶えてほしいことは他にもある。
けれど、昨年の出来事を思い返すと、やはり一番に願うのは皆の無事だった。
隣では、フェンリスが真剣な顔で手を合わせていた。
――今年も、和真といっぱい一緒にいられますように。
そして、少しだけ頬を赤らめる。
――それから……また、二人で旅行に行けたらいいな。
そっと目を開けると、和真が隣にいた。
それだけで嬉しくなり、自然と笑みが零れた。
みゆも目を閉じていた。
――今年も和真と仲良くできますように。
少し考えてから、願いを付け加える。
――それから、もっといっぱい甘えられますように!
思わず口元が緩んだ。
ナディアは静かに手を合わせていた。
――今年も、和真と皆が笑って過ごせればいい。
その願いは、意外なほど穏やかなものだった。
そして最後に、あおい。
――今年も、和真と一緒にいられますように。
少しだけ間を置く。
――それから……皆とも仲良く過ごせますように。
今までなら、和真とのことばかり願っていただろう。
けれど、今日は少し違った。
大切な人が増えた。
大切にしたい時間も増えた。
そのことが、今はとても嬉しかった。
◇ ◇ ◇
「ねえねえ! おみくじ引こうよ!」
参拝を終えたみゆが、楽しそうに声を上げた。
「おみくじ?」
ピピが首を傾げる。
「何それ?」
「今年の運勢を占うものだよ」
和真が説明すると、ピピの目が輝いた。
「僕もやりたい!」
「じゃあ、みんなで引いてみるか」
十人は揃っておみくじを引くことにした。
結果を確認すると――。
「……あっ!」
フェンリスが声を上げた。
「大吉だ!」
「おお、よかったな!」
和真が笑う。
「えへへ! やった!」
フェンリスは嬉しそうに紙を広げた。
「……恋愛運もいいって!」
「へぇ!」
みゆが横から覗き込む。
「どれどれ?」
「ちょ、ちょっと! 勝手に見ないでよ!」
「いいじゃん、減るもんじゃないし!」
「もう!」
二人のやり取りを見て、和真が笑った。
「みゆはどうだった?」
「僕?」
みゆは得意そうに紙を掲げた。
「じゃーん! 僕も大吉!」
「おお!」
「えへへ! これはいい年になりそうだね!」
そう言って、和真へいたずらっぽく笑いかけた。
「……いっぱい期待してるからね?」
「……何を?」
「ひ・み・つ!」
「……ははっ」
和真は苦笑した。
その隣では、ナディアが自分のおみくじを眺めていた。
「……ふむ」
「ナディアはどうだった?」
「中吉だな」
「そっか」
「ま、悪くねえだろ」
ナディアは満足そうに頷いた。
「運勢なんて、最後は自分で変えるもんだからな」
「……ナディアらしいね」
みゆが笑う。
「当然だろ?」
ナディアも笑い返した。
そして、あおい。
「……おお!」
嬉しそうに声を上げた。
「わらわも大吉じゃ!」
「よかったな、あおい」
「うむ!」
あおいは満面の笑みを浮かべた。
「これは幸先がよいのう!」
そんな賑やかな様子を、ユエは少し離れた場所から眺めていた。
「……本当に、賑やかなことね」
「そうですね」
リディアが微笑む。
「でも、こういう時間もいいものですね」
「ええ。それは否定しないわ」
ユエは小さく頷いた。
その隣で、酒菜が笑う。
「ま、今年も騒がしくなりそうだな!」
「……そうですね」
ひかげも嬉しそうに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
午前一時半。
参拝客はまだまだ多く、神社の仕事は続いていた。
和真とあおいは再び持ち場へ戻り、ほかの住人たちは休憩所で温かい飲み物をいただいていた。
「……ふぁぁ……」
小さなあくびが聞こえた。
「……ん?」
リディアが振り返る。
そこには、目をこすっているピピの姿があった。
「ピピ、眠いんですか?」
「……んー……」
ピピはこくりと頷いた。
「……ちょっとだけ……」
朝から大掃除を頑張り、夜になってからは神社で大はしゃぎ。
年越しの瞬間も、誰よりも元気に声を上げていた。
さすがに疲れが出てきたらしい。
「……ふぁぁ……」
もう一度、大きなあくびをする。
「……ピピ?」
ひかげが心配そうに声をかけた。
「……大丈夫ですか?」
「……うん……」
そう答えながらも、ピピの瞼は今にも閉じそうだった。
そして――。
「……すぅ……」
ひかげの肩に、こてんと頭を預けた。
「……あっ」
ひかげが目を丸くする。
「……寝ちゃいました……」
リディアが小さく笑った。
「ずいぶん頑張って起きていたみたいですね」
「……そうみたいです」
ひかげは起こさないよう、そっと身体を支えた。
酒菜がその様子を見て、時計を確認した。
「もう一時半か。そろそろ帰るか?」
「そうですね。ピピも眠ってしまいましたし」
リディアが頷く。
「無理に起こして歩かせるのも可哀想ですから」
ユエも静かに頷いた。
「そうね。私たちは先に帰りましょう」
「……和真たちは?」
ひかげが尋ねる。
「まだ仕事があるのでしょう。確認してくるわ」
ユエはそう言うと、休憩所を出ていった。
◇ ◇ ◇
「……そうか。ピピが寝ちゃったのか」
ユエから話を聞いた和真は、少し申し訳なさそうに笑った。
「ごめん。みんな、朝から掃除もして疲れてるよね」
「気にする必要はないわ」
ユエは腕を組んだ。
「皆、自分で来ると決めたのでしょう?」
「……そうだな」
「それに、新年の挨拶も済ませたのだから十分よ」
和真は頷いた。
「じゃあ、みんなには先に帰って休んでもらおうかな」
「あなたたちは?」
「俺とあおいは、もう少し仕事があるんだ」
「そう」
ユエは頷いた。
「フェンリスたちは?」
「三人とも、もう少し残ってくれるって」
「……なるほどね」
ユエは小さく息をついた。
そして、和真をじっと見つめる。
「和真」
「ん?」
「今日、三人と話したのでしょう?」
「ああ」
「なら、これ以上寂しい思いをさせないように気をつけなさい」
「……うん」
和真は真剣に頷いた。
「分かってるよ」
「それならいいわ」
ユエは少しだけ表情を和らげた。
「それと、あおいのことも忘れないように」
「……もちろん」
「……まったく」
ユエはため息をついた。
「あなたも大変ね」
「……ははっ、そうだな」
「自分で招いている部分もあるのだから、しっかりしなさい」
「……はい」
その返事に、ユエは満足そうに頷いた。
◇ ◇ ◇
休憩所へ戻ると、ピピはすっかり眠っていた。
「……すぅ……すぅ……」
ひかげの肩に寄りかかり、気持ちよさそうに寝息を立てている。
「……よく寝てるな」
酒菜が小さく笑った。
「起こすのも可哀想ですね」
リディアが呟く。
「俺が背負ってやるか?」
酒菜が申し出た。
けれど、リディアは首を振った。
「酒菜は荷物をお願いします。ピピは私が背負いますね」
「……大丈夫か?」
「ええ。これくらいなら問題ありませんよ」
リディアは穏やかに微笑んだ。
そして、眠っているピピを起こさないよう、ひかげと協力して背中に乗せる。
「……ん……」
ピピが小さく身じろぎした。
「……カズマぁ……」
寝言のように名前を呼ぶ。
その声に、周囲から小さな笑いが漏れた。
「……夢の中でも和真なのね」
ユエが呆れたように呟く。
「ははっ、ピピらしいな」
酒菜も笑った。
やがて支度が整い、五人は帰ることになった。
和真とあおい、フェンリス、みゆ、ナディアは休憩所の外で見送った。
「じゃあ、みんな気をつけてね!」
和真が声をかける。
「おう! そっちも無理するなよ!」
酒菜が片手を上げた。
「和真、帰ってきたらちゃんと休んでくださいね」
リディアも心配そうに言う。
「うん。ありがとう」
「……あの、和真さん」
ひかげが遠慮がちに声をかけた。
「……明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「ははっ、さっきも言ってくれただろ?」
「……あっ」
ひかげは恥ずかしそうに頬を染めた。
「……す、すみません……」
「いや、嬉しいよ。こちらこそよろしくな」
「……はい!」
ひかげは嬉しそうに微笑んだ。
最後にユエが、和真を見つめた。
「……和真」
「ん?」
「年明け早々、面倒事を増やさないようにしなさい」
「……努力します」
「だから、努力ではなく実行しなさいと言っているでしょう?」
「……はい」
そのやり取りに、フェンリスたちが小さく笑った。
こうして五人は、一足先に帰っていった。
◇ ◇ ◇
午前二時。
境内の賑わいは、少しずつ落ち着き始めていた。
とはいえ、まだ多くの参拝客が訪れている。
和真とあおいは再び仕事へ戻り、フェンリスたちもできる範囲で手伝っていた。
ただし、今度は誰も和真を独占しようとはしなかった。
フェンリスは授与所の近くで備品を運び、みゆは参拝客の案内を手伝う。
ナディアは力仕事を引き受け、和真たちの負担を減らしていた。
忙しい時間が続く。
けれど、不思議と誰も疲れた顔を見せなかった。
「和真!」
フェンリスが声をかける。
「これ、こっちに運べばいい?」
「ああ、お願い!」
「任せて!」
元気よく返事をして、荷物を運んでいく。
「和真ー!」
今度はみゆが声をかけた。
「こっちの案内、終わったよ!」
「ありがとう、みゆ!」
「えへへ!」
そして、ナディア。
「和真、こっちも片付いたぞ」
「助かるよ、ナディア」
「ははっ、これくらい何でもないさ」
少し離れた場所では、あおいがその様子を眺めていた。
「……ふふっ」
幸せそうに笑う。
和真のそばには、今も三人がいる。
けれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
むしろ、楽しそうな皆を見ていると、自分まで嬉しくなってくる。
「……和真」
小さく名前を呼ぶ。
その声に、和真が振り返った。
「ん? どうした、あおい?」
「……何でもないのじゃ!」
「そっか?」
「うむ!」
あおいは満面の笑みを浮かべた。
そして、自分の仕事へ戻っていった。
◇ ◇ ◇
午前五時過ぎ。
ようやく夜通しの慌ただしさが一段落し、交代の人員も揃い始めた。
「和真さん、あおいさん。本当にありがとうございました!」
神社の関係者が、深く頭を下げた。
「いえいえ。こちらこそ、お世話になりました」
和真も頭を下げる。
「わらわも、楽しかったのじゃ!」
あおいが嬉しそうに笑った。
「お二人のおかげで、本当に助かりました」
さらに、フェンリスたちにも感謝の言葉が向けられた。
「皆さんも、ありがとうございました」
「ううん! 僕も楽しかったよ!」
フェンリスが笑顔で答える。
「僕も!」
みゆも元気よく頷いた。
「ま、困ったときはお互いさまだろ?」
ナディアも笑った。
関係者は嬉しそうに微笑んだ。
「よろしければ、少し休んでからお帰りください」
「ありがとうございます」
和真が頭を下げる。
そして、皆で最後の休憩を取ることになった。
◇ ◇ ◇
休憩所の一角。
温かいお茶を飲みながら、五人はようやく一息ついていた。
「……ふぅ」
和真が椅子にもたれかかる。
「さすがに疲れたなぁ」
「朝からずっと働いてたもんね」
フェンリスが心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「ああ。ちょっと疲れただけだよ」
「……無理しちゃ駄目だよ?」
「ありがとう」
和真が微笑むと、フェンリスも嬉しそうに笑った。
その隣で、みゆが大きく伸びをする。
「んーっ! 僕も疲れたぁ!」
「お疲れさま」
和真が声をかける。
「えへへ! 頑張ったから、褒めて!」
「ははっ、偉い偉い」
和真はみゆの頭を撫でた。
「やった!」
みゆは嬉しそうに目を細める。
そんな二人を見て、あおいが小さく笑った。
「……ふふっ」
「ん? あおい?」
「何でもないのじゃ」
そう答えながら、あおいは和真の隣に腰を下ろした。
けれど、膝の上には座らなかった。
代わりに、そっと肩を寄せる。
「……和真」
「ん?」
「わらわも、今日は頑張ったのじゃ」
「そうだな。あおいもお疲れさま」
和真が優しく頭を撫でる。
「……ふふっ」
あおいは満足そうに目を細めた。
その様子を見ていたフェンリスとみゆも、自然と笑顔になった。
少し前までなら、あおいが和真に甘える姿を見て、寂しくなっていたかもしれない。
けれど、今は違う。
ちゃんと自分たちの気持ちを伝えた。
和真も、それを受け止めてくれた。
だから、もう必要以上に焦ることはなかった。
「……ねえ、和真」
フェンリスが声をかける。
「ん?」
「帰ったら、ちゃんと休もうね!」
「そうだな」
「僕も一緒に休みたい!」
みゆがすかさず手を挙げる。
「……みゆ」
フェンリスが少しだけ頬を膨らませた。
「えへへ! いいじゃん!」
「……もう!」
そんな二人のやり取りを見て、ナディアが楽しそうに笑った。
「ははっ、帰ってからも賑やかになりそうだな」
「……本当にな」
和真は苦笑した。
◇ ◇ ◇
午前六時過ぎ。
東の空が、少しずつ明るくなり始めていた。
五人は神社の関係者に改めて挨拶を済ませ、帰路についた。
冷たい冬の空気。
白く染まる吐息。
夜通し賑わっていた参道も、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
「……わぁ」
フェンリスが空を見上げる。
「明るくなってきたね」
「そうだな」
和真も空を見上げた。
遠くの空が、薄い橙色に染まり始めている。
「……もう朝なんだねぇ」
みゆが呟く。
「なんだか、不思議な感じ」
「夜通し起きてたんだから、そう感じるだろうな」
ナディアが笑う。
「俺様も、さすがに少し眠いぞ」
「ははっ、帰ったらみんなで休もう」
和真がそう言うと、四人が揃って頷いた。
しばらく歩く。
朝の静かな道。
遠くから、鳥の声が聞こえてきた。
そのときだった。
「……あのう」
あおいが小さく声をかけた。
ただし、和真ではない。
フェンリス。
みゆ。
ナディア。
三人に向けた言葉だった。
「……ん?」
フェンリスが振り返る。
「どうしたの、あおい?」
あおいは少しだけ周囲を確認した。
和真は数歩前を歩いている。
ちょうど道の先を確認しており、こちらの会話は聞こえていないようだった。
あおいは三人へ、そっと近づいた。
「……少し、話があるのじゃ」
「話?」
みゆが首を傾げる。
「うむ」
あおいは少しだけ俯いた。
そして――。
「……すまなかったのじゃ」
三人が目を丸くした。
「……え?」
フェンリスが驚いたように声を漏らす。
「あおい?」
「……わらわは、最近ずっと和真に甘えておった」
あおいは小さく息を吸い込んだ。
「朝も昼も、夜も……和真のそばにおりたくて、つい独り占めしてしまったのじゃ」
「……」
「ユエに言われて、ようやく気づいた」
あおいは三人の顔を順番に見た。
「……そなたたちも、和真と一緒にいたかったのじゃな」
フェンリスが少しだけ目を伏せる。
みゆも静かに頷いた。
「……うん」
「……そうだね」
あおいは申し訳なさそうに微笑んだ。
「わらわは、自分が幸せだったから……ほかの者の気持ちを考えられておらんかった」
そして、深く頭を下げた。
「……本当に、すまなかったのじゃ」
「……あおい!」
フェンリスが慌てて近づいた。
「そんなに謝らなくてもいいよ!」
「……じゃが……」
「僕だって、同じことしてたんだから!」
フェンリスは笑った。
「函館から帰ってきてから、僕も和真にいっぱい甘えてたし!」
「……フェンリス」
「だから、お互いさまだよ!」
その言葉に、あおいが顔を上げた。
みゆも隣で頷く。
「そうそう! 僕だって同じだよ!」
そして、いたずらっぽく笑った。
「それにさ、あおいが和真に甘えたくなる気持ち、僕もよーく分かるもん!」
「……みゆ」
「和真って、甘えるとすぐ許してくれるじゃん?」
「……うむ」
「でしょ?」
みゆは楽しそうに笑った。
「だから、ついつい甘えたくなっちゃうんだよねぇ」
その言葉に、フェンリスも頷いた。
「うん! 僕も!」
あおいは三人を見つめた。
そして、少しだけ笑った。
「……そうか」
「うん!」
フェンリスは元気よく頷いた。
「だから、これからはみんなで仲良くしようよ!」
「そうだね!」
みゆも笑った。
「和真のことは大好きだけど、僕たちだって仲良しなんだからさ!」
その言葉に、あおいの瞳が少し潤んだ。
「……ありがとうなのじゃ」
小さく呟く。
そして、嬉しそうに微笑んだ。
そんな三人の様子を、ナディアは静かに見守っていた。
「……ふふっ」
「……ナディア?」
あおいが顔を上げる。
ナディアは余裕のある笑みを浮かべた。
「ま、俺様からもひとつ言っておくか」
「……何じゃ?」
「和真を独占したい気持ちは分かる。でも、だからってほかの奴らと仲が悪くなるのはつまらねえだろ?」
「……うむ」
「だったら、これからはうまくやればいい」
ナディアは笑った。
「誰か一人だけが我慢する必要なんてないんだからな」
その言葉に、あおいは嬉しそうに頷いた。
「……そうじゃな!」
そして――。
ふと、何かを思いついたように顔を上げた。
「……のう、皆」
「ん?」
みゆが首を傾げる。
あおいは少しだけ口元を緩めた。
「……ひとつ、提案があるのじゃ」
「提案?」
フェンリスも首を傾げた。
ナディアは興味深そうに笑う。
「ほう。何だ?」
あおいはもう一度、前を歩く和真を確認した。
そして、三人を手招きする。
「……もう少し近くへ寄るのじゃ」
「……?」
三人は不思議そうに顔を寄せた。
あおいは声を潜める。
「……わらわたち、皆、和真が大好きじゃろ?」
「……う、うん!」
フェンリスが頷く。
「もちろん!」
みゆも笑った。
「ああ、そうだな」
ナディアも頷く。
あおいは満足そうに微笑んだ。
「……ならば」
少しだけ間を置く。
そして――。
「……いっそのこと、四人で仲良く和真を誘惑してみぬか?」
「…………」
一瞬。
三人の動きが止まった。
「…………え?」
最初に声を上げたのは、フェンリスだった。
「……よ、四人で!?」
「うむ!」
あおいは真剣な顔で頷いた。
「一人だけで独占するから、ほかの者が寂しくなるのであろう?」
「……ま、まあ……」
「ならば、皆で仲良く甘えればよいのじゃ!」
「……!」
みゆの目が、きらりと光った。
「……あっ!」
何かを思いついたように笑い始める。
「それ、面白そうじゃん!」
「……みゆ!?」
フェンリスが驚く。
「だってさぁ!」
みゆは楽しそうに笑った。
「四人で一緒に甘えたら、和真、絶対困っちゃうよ!」
「……そ、それはそうだけど!」
「えへへ! 想像しただけで楽しい!」
みゆの表情が、すっかりいたずら好きの猫又に戻っていた。
その隣で、ナディアも楽しそうに笑い始める。
「ははっ! なるほどな!」
「……ナディアまで!?」
フェンリスが目を丸くする。
「いや、悪くないと思ってな」
ナディアは口元を緩めた。
「俺様たち四人で和真を囲んだら、あいつがどんな顔をするか……ちょっと見てみたいだろ?」
「……うっ」
フェンリスは思わず想像した。
四人で和真を囲む。
あおいが隣に座り。
みゆが腕に抱きつき。
ナディアが耳元で甘い言葉を囁き。
そして、自分も――。
「……っ!!」
顔が一気に赤くなった。
「……む、無理だよぉ!」
「えー! 何で?」
みゆが楽しそうに笑う。
「だって、絶対恥ずかしいじゃないか!」
「えへへ! フェンリス、真っ赤!」
「もう! みゆ!」
フェンリスは頬を膨らませた。
そんな二人を見て、あおいが小さく笑う。
「……ふふっ」
そして、少しだけ真面目な顔になった。
「もちろん、和真が嫌がることはせぬぞ?」
「……うん」
「ただ、皆で仲良く和真に甘えるのじゃ」
あおいは嬉しそうに微笑んだ。
「……そうすれば、誰も寂しくならぬじゃろ?」
その言葉に、フェンリスは少しだけ考え込んだ。
確かに、そうかもしれない。
一人で独占しようとするから、ほかの誰かが寂しくなる。
だったら、最初から一緒に過ごせばいい。
もちろん、二人きりの時間だって欲しい。
けれど、皆で過ごす時間も大切にしたい。
「……うん!」
フェンリスは顔を上げた。
「僕も、やってみたい!」
「……おお!」
あおいの表情が明るくなる。
「よいのか!?」
「うん! でも……」
フェンリスは少しだけ頬を赤くした。
「……あんまり恥ずかしいのは、まだ無理かも」
「えへへ! じゃあ、少しずつ慣れていこうよ!」
みゆが楽しそうに笑った。
「最初はみんなで和真にくっつくところから!」
「……それなら、できるかも!」
フェンリスも笑顔になった。
ナディアは三人を見渡し、満足そうに頷く。
「決まりだな」
「……うむ!」
あおいが嬉しそうに頷いた。
「では、四人の秘密の約束じゃ!」
そう言って、手を差し出す。
みゆがすぐに手を重ねた。
「賛成!」
フェンリスも少し照れながら手を重ねる。
「……僕も!」
最後にナディアが手を重ねた。
「ははっ、面白くなりそうだな」
四人は顔を見合わせた。
そして――。
「「「「……ふふっ!」」」」
小さな笑い声が重なった。
◇ ◇ ◇
「……ん?」
そのとき。
前を歩いていた和真が振り返った。
「みんな、どうした?」
「……っ!」
四人が同時に身体を強張らせた。
「何か楽しそうに話してたけど」
「な、何でもないよ!」
フェンリスが慌てて答える。
「……本当か?」
「うん!」
その隣で、みゆがにやりと笑った。
「えへへ! 女の子だけの秘密だよ!」
「……秘密?」
「そうそう!」
みゆは楽しそうに頷いた。
「和真には、まだ教えてあげなーい!」
「……なんだそれ」
和真は苦笑した。
ナディアも口元を緩める。
「ま、楽しみにしてろよ」
「……何を?」
「さあな?」
ナディアは笑って誤魔化した。
最後に、あおいが嬉しそうに微笑む。
「……ふふっ」
「……あおい?」
「何でもないのじゃ!」
そして、少しだけ首を傾げた。
「和真」
「ん?」
「……今年も、わらわたちと仲良くしてくれるかえ?」
和真は優しく微笑んだ。
「もちろんだよ」
「……うむ!」
あおいは満面の笑みを浮かべた。
そして、三人へ小さく目配せする。
フェンリス。
みゆ。
ナディア。
三人も、嬉しそうに笑い返した。
四人だけの、小さな秘密。
それは、新しい年に向けた、少しだけ大胆な約束だった。
◇ ◇ ◇
やがて、五人は母屋へと戻ってきた。
空はすっかり明るくなり始め、東の方角が淡い橙色に染まっている。
「……ただいま」
和真が玄関を開ける。
家の中は静まり返っていた。
どうやら、先に帰った住人たちは休んでいるらしい。
「……みんな寝てるみたいだな」
「そうだね」
フェンリスが小さく頷く。
みゆは大きく伸びをした。
「んーっ! さすがに眠くなってきたぁ!」
「俺様もだ」
ナディアが笑う。
「今日はよく働いたからな」
「そうだな。みんな、本当にありがとう」
和真が頭を下げる。
「おかげで助かったよ」
「気にしなくていいよ!」
フェンリスが笑顔で答える。
「僕も楽しかったし!」
「僕も!」
みゆも頷いた。
「来年もみんなで行こうね!」
「……来年?」
和真が笑った。
「まだ今年が始まったばかりだぞ?」
「……あっ!」
みゆが目を丸くする。
「そっか! もう今年なんだ!」
その反応に、皆が笑った。
そして――。
「……さて」
和真は時計を確認した。
「少し休もうか。もうすぐ朝だし」
「うん!」
フェンリスが頷く。
そのとき、みゆが何かを思いついたように笑った。
「……ねえ、和真」
「ん?」
「今日、どこで寝るの?」
「……え?」
和真が首を傾げる。
「いや、普通に自分の部屋だけど……」
「……ふーん」
みゆはにやりと笑った。
その表情を見て、フェンリスも何かを察したらしい。
「……あっ」
ナディアも楽しそうに口元を緩めた。
そして、あおい。
「……ふふっ」
四人が顔を見合わせる。
先ほど交わしたばかりの秘密の約束。
それを思い出したのだ。
「……ねえ、和真!」
フェンリスが一歩近づいた。
「……今日、一緒に寝てもいい?」
「……え?」
和真が目を丸くする。
その隣から、みゆが顔を覗かせた。
「僕もー!」
「……みゆまで?」
「当然だろ?」
ナディアも楽しそうに笑った。
「俺様も、たまには一緒に休みたいからな」
「……ええっ!?」
和真がさらに驚く。
最後に、あおいがそっと近づいた。
「……和真」
「……あおい?」
あおいは嬉しそうに微笑んだ。
「……わらわも、一緒がよいのじゃ」
「…………」
和真は四人を見渡した。
フェンリス。
みゆ。
ナディア。
あおい。
全員が、期待に満ちた瞳でこちらを見つめている。
「……ちょ、ちょっと待ってくれ!」
和真は慌てて両手を上げた。
「四人とも一緒って……布団、どうするんだよ!?」
「……あっ!」
フェンリスが目を丸くする。
「……そっか!」
「そこまで考えてなかったのか!?」
「……えへへ」
フェンリスが照れ笑いを浮かべる。
すると、みゆが楽しそうに笑った。
「だったら、みんなでお布団持ってくればいいじゃん!」
「……みゆ!?」
「いいでしょ? 広くすれば!」
その言葉に、ナディアも頷いた。
「ははっ、確かにそれなら問題ないな」
「いや、そういう問題じゃ……」
和真が困り果てた顔をする。
けれど――。
「……和真」
フェンリスがそっと近づいた。
「……駄目かな?」
その表情は、どこか不安そうだった。
みゆも、少しだけ声を落とす。
「……僕たち、久しぶりにみんなで一緒にいたいんだ」
ナディアも微笑む。
「嫌なら無理にとは言わないぞ」
最後に、あおいが優しく言った。
「……わらわも、皆と一緒に眠ってみたいのじゃ」
和真は四人の顔を見渡した。
そして――。
「……はぁ」
小さく息をついた。
「……分かったよ」
「……っ!」
四人の表情が一気に明るくなる。
「ただし!」
和真が指を立てた。
「今日はみんな徹夜なんだから、ちゃんと寝ること! 騒がないこと!」
「うん!」
「はーい!」
「ああ、分かった」
「約束するのじゃ!」
四人が揃って答える。
和真は思わず苦笑した。
「……本当に大丈夫かなぁ」
そんな和真の隣で、あおいが楽しそうに笑った。
そして、三人へ小さく目配せする。
フェンリスも頬を赤らめながら笑う。
みゆはいたずらっぽく口元を緩めた。
ナディアも、満足そうに頷く。
新しい年。
新しい約束。
そして、四人だけの小さな秘密。
それが和真にどんな騒動をもたらすのか。
今の和真は、まだ知る由もなかった。
――こうして、四ノ宮和真の新しい一年は、賑やかに幕を開けたのだった。
そして、その年最初の朝。
彼は早くも、自分の優しさが少しばかり裏目に出たことを実感することになる。
もっとも――。
幸せそうに笑う四人を見てしまえば、結局は何も言えなくなってしまうのだが。
それもまた、和真らしい新年の始まりなのかもしれなかった。




