第三十六話 二日間の夢の国
大阪旅行から帰ってきた翌朝。
母屋の食卓では、ひかげがスマートフォンを片手に、旅行中に撮った写真を皆に見せていた。
「わあ! おっきい!」
画面を覗き込んだピピが、嬉しそうに声を上げる。
「これ、お魚!?」
「はい。ジンベエザメっていうお魚なんですよ」
「僕よりおっきい!」
「ふふっ。比べものにならへんくらい大きかったですよ」
「すごい! 僕も見たい!」
ピピは興奮した様子で翼を動かした。
「おい、ピピ。飯の途中だぞ」
隣に座っていた酒菜が、味噌汁の椀を少し遠ざける。
「あっ! ごめん!」
「まったく。朝から元気だな、お前は」
「うん!」
反省しているのか怪しい返事に、酒菜は呆れたように笑った。
そんな二人を眺めながら、和真はお茶を一口飲む。
昨日までの大阪旅行。
最初は緊張していたひかげも、二日目には随分と積極的になっていた。
人混みの中で、自分から手を握ってきたこともある。
思い出すと、自然と口元が緩んだ。
「……和真さん?」
視線に気づいたひかげが、小さく首を傾げる。
「どうかしはりました?」
「いや、昨日は楽しかったなって思ってさ」
「……はい」
ひかげは少し頬を赤くした。
「私も……ほんまに楽しかったです」
そう言って微笑むひかげを、みゆがにこにこと眺めている。
「ひかげ、旅行に行ってから少し変わったよね」
「えっ?」
「前より和真の隣に行くようになったし」
「そ、そんなこと……」
「あるよね?」
みゆが和真へ同意を求める。
「まあ、前より話してくれるようにはなったかな」
「か、和真さんまで……」
ひかげは恥ずかしそうに俯いてしまった。
「こら、みゆ。あんまりからかうな」
「えへへ。ごめんごめん」
和真が苦笑すると、ひかげは小さく首を振った。
「……嫌やないですから」
その呟きを聞いたみゆが、ますます嬉しそうに笑った。
以前のひかげなら、恥ずかしさから話題を変えていたかもしれない。
少しずつではあるが、自分の気持ちを素直に表せるようになってきたようだった。
「ねえねえ!」
そこへ、ピピが再び身を乗り出した。
「次、僕だよね!」
「ん?」
「旅行!」
「ああ、そうだったな」
和真が頷くと、ピピは嬉しそうに翼を広げかけた。
「ピピ」
「……あっ!」
酒菜に名前を呼ばれ、慌てて翼を畳む。
「えへへ……」
「まったく」
食卓に笑い声が広がった。
「それで、ピピ。行きたい場所は考えてあるのか?」
「ある!」
「おっ、どこだ?」
「遊園地!」
「遊園地か」
「うん! すっごく大きいところ!」
ピピは目を輝かせながら、和真へ身体を寄せた。
「カズマといっぱい遊ぶ!」
「それは楽しそうだな」
「じゃあ今日!」
「今日は無理だよ」
「明日!」
「明日も無理だって」
「えーっ!」
不満そうに頬を膨らませるピピに、和真は苦笑した。
「まずはどこに行くか決めないと。ホテルとかも予約しなきゃいけないし」
「じゃあ、今日決める!」
「そうだな。朝飯が終わったら一緒に調べようか」
「やったー!」
嬉しそうに声を上げるピピ。
その隣で、みゆがふと空いている椅子へ目を向けた。
「そういえば、フェンリスは?」
「あいつなら、もう仕事に行ったぞ」
酒菜が答えた。
「えっ? もう?」
「ああ。今日は朝早くから来てくれって頼まれたらしい」
和真は壁の時計を見た。
まだ普段なら、皆で朝食を取っている時間だった。
「随分早いな」
「最近忙しいみてえだな。昨日も帰りが遅かっただろ」
「そういえば、そうだな」
「しばらくは朝から晩まで働くって言ってたぞ」
「大丈夫なのかな」
和真が心配そうに呟く。
「元々体力はある奴だが、無理はさせたくねえな」
「帰ってきたら、俺からも言っておくよ」
そんな会話を、みゆは黙って聞いていた。
フェンリスが旅行を延期した理由。
酒屋の店長が事故に遭い、しばらく仕事ができなくなってしまったこと。
その穴を埋めるため、フェンリスが仕事を増やしていることを、みゆだけは知っていた。
けれど、本人が皆に隠している以上、勝手に話すわけにはいかない。
みゆは小さく息を吐き、再び朝食へ手を伸ばした。
◇
朝食を終えた後。
居間のテーブルには、和真のノートパソコンが置かれていた。
その隣では、ピピが今か今かと画面を覗き込んでいる。
「カズマ! 早く!」
「ちょっと待って。今調べてるから」
「まだ?」
「まだ」
「早く!」
「ピピ、そんなに急かしても変わらないよ」
ソファに座っていたみゆが笑った。
「だって! 僕、早く行きたい!」
「気持ちは分かるけどね」
ようやく検索画面が開く。
「さて、ピピ。大きい遊園地がいいんだったよな?」
「うん!」
「どこか名前は知ってる?」
「知ってる!」
「どこ?」
「ディズニー!」
「おっ、ディズニーか」
「あと、ユニバ!」
「ユニバも知ってるのか」
「うん! ひかげが教えてくれた!」
和真は少し離れたところに座っていたひかげへ目を向けた。
「ひかげが?」
「はい。前にピピちゃんと一緒に、遊園地の動画を見てたんです」
「なるほどな」
「どっちも楽しそうやったんで、決められへんみたいで……」
「両方行きたい!」
ピピが勢いよく答える。
「両方かぁ……」
和真は苦笑した。
「ディズニーとユニバは離れてるからな。一泊二日で両方は難しいぞ」
「えーっ!」
「まずは写真を見比べてみようか」
和真は二つの遊園地の公式サイトを開き、写真を表示した。
片方には大きなお城。
もう片方には、映画やゲームの世界を再現した色鮮やかな街並みが広がっている。
「わあああ!」
ピピは目を輝かせた。
「お城!」
「こっちがディズニーランドだよ」
「お姫様いる!?」
「いるよ。会えることもある」
「本物!?」
「えっと……まあ、会いに行けるってことで」
和真が少し困った顔をすると、みゆが楽しそうに笑った。
「ピピ、こっちも見て」
みゆが表示したのは、ディズニーランドのパレードだった。
華やかな衣装を着たダンサー。
大きく飾られた乗り物。
音楽に合わせて踊るキャラクターたち。
「わあっ!」
ピピは画面へ顔を近づけた。
「歌ってる!」
「そうだよ。音楽もいっぱい流れるんだ」
「僕も歌いたい!」
「一緒に楽しめる曲があったらいいね」
「うん!」
ピピは嬉しそうに頷いた。
歌うことが大好きなピピにとって、音楽にあふれたパレードは特に魅力的らしい。
続いて、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの写真を表示する。
「こっちは?」
「大阪にあるユニバーサル・スタジオ・ジャパン。略してユニバって呼ばれてるんだ」
「大阪!」
「そう。ひかげと昨日まで行ってたところだよ」
「じゃあ、ひかげも行った!?」
「いえ、今回は行ってへんのです」
ひかげが答える。
「でも、楽しそうなところですよ」
「これ!」
ピピが画面を指した。
そこには、大きな恐竜が映っていた。
「恐竜!」
「そうだな。恐竜のアトラクションもあるよ」
「食べられる!?」
「食べられないって」
「よかった!」
真剣に安心するピピを見て、みゆが吹き出した。
「ピピ、そこ心配するんだ」
「だって、おっきい!」
「確かに大きいけどね」
さらに画面を切り替えると、ゲームの世界を再現したエリアが映った。
「あっ!」
その写真を見たナディアが、興味深そうに顔を上げた。
「これ、前に配信で見たゲームじゃないか?」
「そうだな」
「なるほど。世界そのものを再現しているのか。面白いな」
ナディアも画面を覗き込む。
「俺様なら、こっちを選ぶかもしれんな」
「えーっ! じゃあ僕も!」
「おいおい。ピピが行きたい方を選ぶんだぞ」
「うーん……」
ピピは真剣な顔で二つの画面を見比べた。
お城も見たい。
恐竜も見たい。
パレードも楽しそう。
ゲームの世界にも行ってみたい。
「……決められない!」
とうとうピピが声を上げた。
「まあ、どっちも楽しそうだからな」
和真も頷いた。
今回の旅行は一泊二日。
ピピは二日間、思いきり遊園地で遊びたいと言っている。
それなら、ある場所がちょうどよさそうだった。
「ピピ、ちょっとこっちも見てみるか?」
「なに?」
「実はディズニーって、遊園地が二つあるんだよ」
「……二つ?」
「ああ。ディズニーランドとディズニーシー」
「しー?」
「海って意味だよ。もう一つ、海をテーマにした遊園地があるんだ」
和真はディズニーシーの写真を表示した。
大きな火山。
水辺に並ぶ美しい建物。
船が行き交う港。
そして、幻想的な海底の世界。
「わああああ!」
ピピが歓声を上げた。
「海!」
「そう。こっちも楽しそうだろ?」
「お船!」
「船にも乗れるよ」
「お魚!」
「魚をテーマにした場所もあるな」
「おいしい!?」
「……そっちか」
和真が苦笑すると、みゆが声を上げて笑った。
「ピピ、遊ぶ前から食べること考えてる!」
「だって、お魚!」
「まあ、魚料理が食べられる店もあるかもしれないけどな」
「食べたい!」
ピピは嬉しそうに画面を眺めていたが、突然和真の方へ振り返った。
「カズマ!」
「ん?」
「こっちも行きたい!」
「じゃあ、ディズニーにするか?」
「うん!」
「一日目はディズニーランド。二日目はディズニーシー。そうすれば二日とも遊園地で遊べるぞ」
ピピは目を丸くした。
「二日とも!?」
「ああ」
「朝から!?」
「朝からだな」
「夜まで!?」
「そこは体力と相談だけどな」
「僕、疲れない!」
「俺が疲れるかもしれないだろ」
「じゃあ僕が運ぶ!」
「いや、それは遠慮しておくよ」
和真が笑うと、ピピも楽しそうに笑った。
「決まり! 僕、ディズニーに行く!」
こうして、ピピとの旅行先が決まった。
◇
「ところで和真。一つ確認したいことがあります」
旅行先が決まったところで、リディアが声をかけてきた。
「ん? どうした?」
「ピピちゃんの姿についてです」
「ああ……」
和真はピピへ目を向けた。
ピピはハーピーだ。
人間とは違い、腕の代わりに大きな翼を持ち、足には鋭い鉤爪がある。
普段はリディアが作った装置で人間の姿に見せているが、実際の身体が変わるわけではない。
人の多い遊園地では、それだけでは不安が残る。
「確かに、乗り物とかは難しいかもしれないな」
「はい。そこで、少し試していただきたいものがあるんです」
「試す?」
リディアは微笑むと、小さなケースをテーブルへ置いた。
中には、銀色の細い腕輪が収められていた。
「実は、以前から改良を進めていたものが完成したんです」
「これって、いつもの装置か?」
「外見を変えるという意味では同じですが、仕組みはまったく違います」
リディアは腕輪を取り出した。
「ナディアさんとユエさんから魔法技術を教えていただき、それを私の技術と組み合わせました」
「俺様が教えたのは、肉体を魔力によって変質させる術式だ」
ナディアが口を開く。
「単に姿を変えて見せるだけなら簡単だ。だが、身体そのものを変えるとなると、話は別だからな」
「私は変化した肉体を安定させる方法を教えたわ」
ユエが続けた。
「人間の腕や脚へ変化させても、元の身体とのつながりが維持されなければ意味がないでしょう?」
「なるほど……」
和真は二人の説明に頷いた。
リディアは腕輪を手にしながら続ける。
「お二人の技術を参考に、変化を維持する術式と制御装置を組み合わせました。これなら、外見だけではなく、身体そのものを一時的に変えられます」
「……それって、つまり?」
「ピピちゃんの翼を人間の腕に、鉤爪の足を人間の脚に変えられるということです」
「えっ!?」
和真は思わず声を上げた。
「本当にそんなことができるのか?」
「はい。すでに安全性の確認も行っています。今日は実際に試していただこうと思いまして」
その説明を聞いていたピピが、興味津々といった様子で近づいてきた。
「僕の翼、手になるの!?」
「そうですよ」
「本当に!?」
「ええ。ピピちゃん、試してみますか?」
「やる!」
即答だった。
リディアはピピの腕輪を装着し、起動方法を説明する。
「最初は私が操作しますね。動かずにいてください」
「うん!」
ピピが翼を畳むと、腕輪が淡い光を放ち始めた。
その光が、ゆっくりと身体全体へ広がっていく。
大きな翼が光に包まれ、少しずつ形を変えていった。
羽毛に覆われていた翼は縮み、肩から伸びる二本の腕へ。
足の鋭い鉤爪も消え、人間の足へと変化する。
やがて光が収まった時。
そこには、普通の人間と変わらない姿のピピが立っていた。
「…………」
ピピは自分の身体を見下ろした。
そして、ゆっくりと両手を持ち上げる。
「……手?」
指を開く。
握る。
また開く。
「……動く!」
今度は一本ずつ指を曲げてみる。
「わあっ!」
ピピは嬉しそうに声を上げた。
「見て! カズマ!」
「ああ……すごいな」
「僕、手がある!」
ピピは和真へ駆け寄ると、その手を握った。
「カズマ! 触れる!」
「そうだな」
和真も驚きながら、ピピの手を握り返した。
温かい。
柔らかく、指先もしっかり動いている。
見た目だけを変える装置とは、まるで違っていた。
「本当に人間の手と変わらないんだな」
「はい。触覚や筋肉の働きも、変化後の身体に合わせて調整しています」
リディアは満足そうに頷いた。
「ただ、慣れるまでは少し練習が必要ですね」
「練習!」
ピピは和真の手を離すと、今度は自分の足元を見た。
「足も!」
その場で軽く跳ねる。
もう一度跳ねる。
「わあ! 歩きやすい!」
「ピピ、あんまりはしゃぐと転ぶぞ」
「大丈夫!」
そう言いながら、ピピは勢いよく走り出そうとした。
「わっ!」
慣れない身体の動きに、足がもつれる。
倒れそうになったところを、和真が慌てて受け止めた。
「ほら、言っただろ」
「えへへ……」
「まったく」
和真が苦笑すると、ピピはその腕の中で嬉しそうに笑った。
「でも、すごい!」
「ああ。本当にすごいな」
その言葉に、リディアが少し照れたように微笑んだ。
「ありがとうございます」
「リディアも、ナディアも、ユエも。ありがとうな」
「ふん。俺様にとっては、それほど難しいことではない」
「そう言いながら、随分熱心に協力していたでしょう?」
ユエが横から口を挟む。
「お前もだろうが」
「私は興味があっただけよ」
「俺様だってそうだ」
二人のやり取りに、和真は思わず笑った。
「何にしても助かったよ。これならピピも安心して旅行を楽しめそうだ」
「はい。ただし、乗り物の安全条件は別ですから、事前に確認してくださいね」
「もちろん」
リディアはピピの腕輪を指さした。
「それから、変化中は普通の人間と同じ身体です。翼を使って飛ぶことはできません。元に戻りたい時は、安全な場所で解除してください」
「はーい!」
ピピは元気よく返事をした。
その直後、何かを思いついたように和真へ顔を向ける。
「カズマ!」
「今度はどうした?」
「もう一回、手!」
「手?」
「つなぐ!」
ピピが両手を差し出した。
和真は笑いながら、その手を握る。
「こうか?」
「うん!」
ピピは嬉しそうに和真の手を握り返した。
これまでも和真へ抱きつくことは何度もあった。
翼で包み込むこともできた。
けれど、人間の手でこうして指を握るのは初めてだった。
「……えへへ」
ピピは自分たちの手を見つめながら、幸せそうに笑った。
「旅行でも、ずっとこうしてる!」
「ずっと?」
「うん!」
「乗り物に乗る時は離さないといけないぞ」
「えーっ!」
その返事に、居間から笑い声が上がった。
◇
旅行先が決まったことで、今度は具体的な計画を立てることになった。
「一日目がディズニーランド、二日目がディズニーシー。これでいいな?」
「うん!」
和真がノートへ書き込むと、ピピは隣で何度も頷いた。
「じゃあ、次はホテルだな」
「ホテル!」
「二日目も朝から遊ぶなら、近くに泊まった方がいいだろうし」
「お城!」
「……お城?」
「お城に泊まりたい!」
ピピが画面を指さした。
そこには、ディズニーランドの大きなお城が映っている。
「いや、そこには泊まれないんだよ」
「えーっ!」
「でも、近くにお城みたいな雰囲気のホテルはあるぞ」
「本当!?」
「ほら、これとか」
和真はホテルの写真を表示した。
豪華な装飾。
大きな窓。
可愛らしい家具が置かれた客室。
「わあああ!」
ピピの目が輝く。
「ここ!」
「待て待て。まだ値段も空き状況も見てないから」
「ここがいい!」
「気持ちは分かったよ」
和真は苦笑しながら、いくつかのホテルを比較し始めた。
交通の便。
宿泊料金。
チェックインの時間。
二日目の移動。
確認することは多かった。
「カズマ、これ!」
その間にも、ピピは次々と写真を指さしている。
「これ、何!?」
「それはホテルのレストランだな」
「おいしいの!?」
「たぶんな」
「食べたい!」
「まだホテルも決まってないって」
みゆが横から覗き込む。
「ピピ、こっちも見てみなよ」
表示されたのは、遊園地で販売されている食べ物の写真だった。
可愛らしい形のパン。
色鮮やかなスイーツ。
食べ歩きにぴったりの軽食。
「わああああ!」
ピピは歓声を上げた。
「これ!」
「うん」
「これも!」
「うん」
「あとこれ!」
「……全部食べるつもりか?」
「うん!」
「絶対お腹いっぱいになるだろ」
「大丈夫!」
ピピは自信満々に胸を張った。
「僕、いっぱい食べられる!」
「知ってるけど、限度があるからな」
「じゃあ、カズマと半分こ!」
「それなら色々食べられそうだな」
「うん!」
嬉しそうに笑うピピ。
和真はその姿を眺めながら、旅行中の食費も少し多めに考えておこうと決めた。
しばらくして、リディアがノートを覗き込んだ。
「移動は電車ですか?」
「ああ、そのつもりだよ」
「でしたら、早朝に出発して、そのままランドへ向かう形ですね」
「そうだな。一日目はなるべく長く遊べるようにしたい」
「二日目は帰宅時間も考えないといけませんね」
「うん。夕方くらいまでは遊べるかな」
「夜まで!」
ピピがすかさず口を挟んだ。
「いや、帰りの時間があるからな」
「夜まで!」
「……考えておくよ」
「やった!」
「まだ決まってないぞ」
そんなやり取りに、酒菜が呆れたように笑った。
「和真、お前、二日間振り回されっぱなしになりそうだな」
「もう覚悟してるよ」
「まあ、楽しんでこい。どうせなら、思いっきり遊ばせてやれ」
「ああ。そのつもりだ」
和真が頷くと、ピピは嬉しそうに隣へ身体を寄せた。
「カズマ!」
「ん?」
「僕、いっぱい遊ぶ!」
「うん」
「いっぱい食べる!」
「ああ」
「いっぱい写真撮る!」
「そうだな」
「あとね!」
「まだあるのか?」
「カズマと、ずっと一緒!」
その言葉に、和真は少しだけ目を細めた。
遊園地が楽しみなのはもちろんだろう。
けれど、ピピにとっては和真と二人きりで出かけること自体が、何より嬉しいのかもしれない。
「そうだな。二日間、いっぱい遊ぼう」
「うん!」
ピピは満面の笑みを浮かべた。
◇
その日の夜。
母屋では夕食の片付けが終わり、皆が思い思いの時間を過ごしていた。
和真はリディアと旅行の予定を確認し、ピピはみゆと一緒に遊園地の動画を見ている。
そんな時だった。
玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー……」
聞こえてきたのは、フェンリスの声だった。
「あ、フェンリス!」
みゆが顔を上げる。
「おかえり。遅かったね」
「うん。ちょっと忙しくてさ」
フェンリスはいつものように笑った。
けれど、その表情には疲れが見えた。
「飯、まだあるぞ」
台所から酒菜が声をかける。
「本当!? 助かる!」
「温め直すから、先に手を洗ってこい」
「はーい!」
フェンリスは返事をして、洗面所へ向かった。
その後ろ姿を、みゆは少し心配そうに見送った。
最近のフェンリスは、以前より明らかに帰りが遅くなっている。
朝も早い。
それなのに、皆の前ではなるべく普段通りに振る舞っていた。
しばらくして戻ってきたフェンリスが、食卓へ腰を下ろす。
「フェンリス、お疲れ」
和真が声をかけた。
「あ、和真! ただいま!」
「最近忙しいみたいだな」
「まあね。仕事にも慣れてきたし、色々任されるようになったんだ」
「でも、朝も早かったんだろ?」
「うん。しばらくはこんな感じかな」
「毎日?」
「いや、週五日だよ」
「週五日?」
和真は少し驚いた顔をした。
「結構働くんだな」
「そう? 僕は平気だよ」
フェンリスは笑ってみせた。
「朝は早いし、帰りも遅くなるけど、ちゃんと休みもあるからさ」
「それならいいけど……無理するなよ」
「分かってるって!」
フェンリスは力こぶを作るような仕草をした。
「僕、体力には自信あるから!」
「それは知ってるよ」
和真は苦笑した。
元々、フェンリスは身体能力が高い。
多少の重労働なら問題なくこなせるだろう。
けれど、朝早くから夜遅くまで働くとなれば、話は別だった。
「休める時はちゃんと休めよ」
「うん!」
そんな二人の会話を聞いていたみゆが、静かに口を開いた。
「フェンリス、明日も早いの?」
「うん。朝からだよ」
「……そっか」
「どうしたの?」
「ううん。何でもない」
みゆは笑った。
「ちゃんとご飯食べてね」
「もちろん!」
フェンリスは嬉しそうに箸を取った。
そこへ、ピピが駆け寄ってくる。
「フェンリス!」
「ん? どうしたの?」
「僕、ディズニー行く!」
「ディズニー?」
「うん!」
ピピは嬉しそうに両手を広げた。
「カズマと二日間!」
「へえ! 決まったんだ!」
「うん!」
「どっちに行くの?」
「ランドとシー!」
「両方!?」
フェンリスは目を丸くした。
「すごいじゃん!」
「うん! お城見て、お船乗って、おいしいの食べる!」
「あはは! 楽しそうだね!」
ピピはさらに嬉しそうに笑った。
「フェンリスにもお土産買う!」
「本当?」
「うん!」
「ありがとう、ピピ」
フェンリスは優しく微笑んだ。
心から嬉しかった。
ピピが旅行を楽しみにしていることも。
自分へのお土産を考えてくれていることも。
けれど――。
「……いいなぁ」
小さな声が漏れた。
「ん?」
和真が顔を上げる。
フェンリスは慌てて笑った。
「あ、いや! 二日間も遊園地なんて、すごいなって!」
「ピピがどうしても二日とも行きたいって言うからさ」
「あはは! ピピらしいね!」
フェンリスは笑った。
いつもと変わらない明るい笑顔だった。
だが、その胸の奥では、別の感情が静かに膨らんでいた。
自分も旅行へ行きたい。
和真と二人で出かけたい。
朝から晩まで一緒にいて、誰にも邪魔されずに過ごしたい。
そんな日を、ずっと楽しみにしていた。
それでも、今は仕事を休むわけにはいかない。
店長が戻ってくるまでは、自分が頑張らなければ。
そう思いながら、フェンリスは目の前の夕食へ箸を伸ばした。
「フェンリス」
不意に、みゆが声をかけた。
「ん?」
「あとで、ちょっと話せる?」
「いいけど……どうしたの?」
「大したことじゃないよ」
みゆはいつものように微笑んだ。
「食べ終わってからでいいから」
「うん。分かった」
フェンリスは小さく頷いた。
その様子を見ていた和真は、二人に何か用事でもあるのだろうと考え、それ以上は気にしなかった。
◇
夜も更けた頃。
ピピの部屋には、まだ小さな明かりが灯っていた。
ベッドの上に座ったピピは、スマートフォンの画面を眺めている。
そこには、昼間に見たディズニーランドの写真が映っていた。
「お城……」
画面を切り替える。
「お船……」
また切り替える。
「おいしいの……」
ピピは嬉しそうに笑った。
何度見ても飽きなかった。
大きなお城。
音楽に合わせて踊るキャラクター。
美しい海の景色。
そして、たくさんのおいしそうな食べ物。
どれも初めて見るものばかりだった。
「……カズマと一緒」
ピピは小さく呟いた。
今日、リディアが作ってくれた新しい装置のおかげで、人間の手を使えるようになった。
和真の手を握った時の感触を、今でもはっきり覚えている。
温かくて、大きな手。
翼で触れるのとは、少し違った。
「……えへへ」
ピピは嬉しそうに笑い、布団へ潜り込んだ。
旅行では、もっといっぱい手をつなごう。
一緒に歩いて、一緒に遊んで、一緒においしいものを食べよう。
夜になったら、同じホテルへ帰る。
そして、朝になったらまた一緒に遊園地へ行く。
「楽しみ……」
そう呟きながら、ピピは目を閉じた。
知らない世界へやってきたばかりの頃。
一人で眠ることが怖かった夜もあった。
けれど今は、帰る場所がある。
自分を迎えてくれる皆がいる。
そして、大好きな和真がいる。
「……カズマ」
ピピは布団の中で小さく笑った。
「早く旅行、行きたいな……」
窓の向こうでは、穏やかな夜風が木々を揺らしていた。
夢の中でも、ピピは和真と手をつないでいた。
二日間の夢の国。
その日を心待ちにしながら、ピピは幸せそうな寝息を立て始めた。
◇
その頃、母屋ではみゆとフェンリスが二人きりになっていた。
食事を終えたフェンリスは、空になった食器を台所へ運ぼうとしていたが、みゆに呼び止められた。
「フェンリス、ちょっといい?」
「うん? さっき言ってた話?」
「そうそう。少しだけ付き合って」
「いいよ」
二人は母屋を出て、庭へ向かった。
夜風は少し冷たく、庭の木々が静かに揺れている。
フェンリスは大きな尻尾をゆっくり動かしながら、みゆの隣を歩いた。
「それで、話って?」
「仕事のこと」
「……仕事?」
「うん。最近、かなり忙しいんでしょ?」
「まあね。でも、僕は平気だよ」
フェンリスは笑って答えた。
しかし、みゆはその笑顔を見ても、いつものように笑い返さなかった。
「週五日で、朝早くから夜遅くまで?」
「うん」
「それって、今までより随分増えてるよね」
「そうだけど……」
「店長さん、まだ戻れそうにないの?」
その言葉に、フェンリスの耳が小さく動いた。
「……うん。もう少しかかるみたい」
「そっか」
みゆはそれ以上、すぐには何も言わなかった。
二人は庭の端にあるベンチへ腰を下ろした。
しばらくして、フェンリスが口を開く。
「お店、今かなり大変なんだ」
「うん」
「ほかの人も頑張ってるんだけど、店長がいないとできない仕事もあってさ。僕もできることは手伝いたいんだよ」
「それは分かるよ」
「それに……」
フェンリスは膝の上で両手を重ねた。
「店長には、すごくお世話になってるから」
この世界へ来て、言葉も生活も分からなかった自分を雇ってくれた。
仕事を教え、失敗しても見捨てず、少しずつできることを増やしてくれた。
今では店の人たちとも親しくなり、働くことが楽しいと思えるようになっていた。
「だから、今度は僕が頑張りたいんだ」
「うん。フェンリスらしいね」
みゆは微笑んだ。
「でも、頑張りすぎるのは違うよ」
「……分かってる」
「本当に?」
「……たぶん」
「それ、ピピの真似?」
「違うよ!」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
けれど、すぐにフェンリスの表情が曇る。
「……正直、ちょっと疲れるけどね」
「うん」
「朝起きるのも早いし、帰ってきたらもう皆がご飯食べ終わってるし……」
「そうだね」
「和真とも、あんまり話せないし」
最後の言葉だけ、少し声が小さくなった。
みゆはフェンリスの横顔を見つめた。
「……寂しい?」
「……うん」
フェンリスは素直に頷いた。
「皆が旅行の話をしてるのを見ると、やっぱり羨ましいよ」
「そっか」
「でも、僕が先に行っていいって言ったんだから。今さらそんなこと言えないだろ?」
「言ってもいいと思うけどね」
「……そうかな」
「うん。寂しいものは寂しいんだし」
みゆはそう言って、フェンリスの肩へ軽く自分の肩を寄せた。
「僕はフェンリスの気持ち、知ってるから」
「……みゆ」
「だから、せめて僕の前では無理して笑わなくてもいいよ」
フェンリスはしばらく黙っていた。
やがて、みゆの肩へそっと頭を預ける。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
「僕、ちゃんと待てるかな」
「待てるよ」
「どうして分かるの?」
「だって、フェンリスだもん」
「……理由になってないよ」
「あはは。そうかも」
みゆは笑った。
「でもね、和真は約束を忘れたりしないよ」
「……うん」
「フェンリスが行けるようになったら、きっと一緒に行ってくれる」
フェンリスは小さく頷いた。
「……その時は、いっぱい甘える」
「いいじゃん」
「誰にも邪魔されたくない」
「うん」
「……みゆにも」
「あはは! 僕まで?」
「当たり前だろ!」
フェンリスが顔を上げると、みゆは楽しそうに笑っていた。
「分かった分かった。その時はちゃんと二人で楽しんできなよ」
「……約束だからね」
「うん、約束」
みゆは小指を差し出した。
フェンリスは少し驚いた顔をした後、笑いながら小指を絡める。
しばらくして、みゆが立ち上がった。
「さて、そろそろ戻ろっか。明日も早いんでしょ?」
「うん」
「今日はちゃんと寝ること。それと、休みの日は仕事のことを忘れて休むんだよ」
「分かったよ」
「あと、つらくなったら誰かに相談すること」
「……みゆって、たまにお姉さんみたいになるよね」
「たまに?」
「うん。たまに」
「そこはいつもって言ってよ」
二人は笑いながら母屋へ戻っていった。
フェンリスの胸の奥には、まだ寂しさが残っていた。
それでも、少しだけ気持ちは軽くなっていた。
◇
翌日の午後。
母屋の居間では、和真がノートパソコンを開き、旅行の予約を進めていた。
「ピピ、ちょっとこっちに来てくれ」
「なにー?」
台所で酒菜の手伝いをしていたピピが顔を上げる。
「ホテルを決めようと思うんだけど、一緒に見るか?」
「見る!」
ピピは嬉しそうに駆け寄ってきた。
今はいつものハーピーの姿だ。
人間化する腕輪は、使い方に慣れるための練習以外では、まだ長時間使用していない。
「ほら、昨日見てたホテル」
「お城!」
「そうそう。でも、ここは少し予算が厳しくてな」
「……高い?」
「結構な」
「じゃあ、無理?」
ピピは少し残念そうに首を傾げた。
和真は別のホテルの写真を表示した。
「でも、こっちもいいと思うんだ」
画面には、綺麗なホテルの外観が映っていた。
明るい色の建物に、可愛らしい装飾が施された玄関。
館内も華やかで、客室には大きなベッドが並んでいる。
「わあ!」
「どうだ?」
「綺麗!」
「遊園地への移動もしやすいし、朝ご飯も食べられるんだ」
「朝ご飯!」
ピピの目が輝いた。
「いっぱい?」
「朝食付きのプランがあるよ」
「食べたい!」
「じゃあ、ここにするか?」
「うん!」
ピピは元気よく頷いた。
和真は宿泊料金や空室を確認し、二人分の予約を進めた。
最後に表示された確認画面を見て、ほっと息を吐く。
「よし。ホテルは取れたぞ」
「やった!」
「次は遊園地のチケットだな」
「チケット?」
「入るために必要なものだよ」
和真はディズニーランドとディズニーシーのチケットを、それぞれの日付で確認した。
予定していた日には、どちらも購入できるチケットが残っている。
「一日目がランド、二日目がシー……よし」
購入手続きを終えると、和真は画面をピピへ向けた。
「これで二日とも入れるぞ」
「本当!?」
「ああ。ちゃんと予約できた」
「やったあああ!」
ピピは嬉しさのあまり翼を広げ、和真へ抱きついた。
「おっと!」
柔らかな羽毛に包まれ、和真は椅子の背もたれへ身体を預けた。
「カズマ! ありがとう!」
「まだ行ってないって」
「でも嬉しい!」
「そっか」
和真は笑いながらピピの頭を撫でた。
「じゃあ、残りは準備だな」
「準備!」
「まずは、人間の姿に慣れないと」
「あっ!」
ピピは思い出したように声を上げた。
「僕、手の練習!」
「そうそう。リディアが練習に付き合ってくれるって言ってたぞ」
「行く!」
ピピは和真から離れると、嬉しそうに部屋を飛び出していった。
「……元気だなぁ」
和真は苦笑しながら、予約内容をもう一度確認した。
◇
「では、始めましょうか」
リディアの部屋では、ピピの新しい人間化装置の確認が行われていた。
机の上には、いくつかの小物が並んでいる。
コップ。
スプーン。
ハンカチ。
そして、小さなボール。
ピピは腕輪を装着し、リディアの指示に従って装置を起動した。
淡い光が身体を包み込み、翼と鉤爪の足が人間の腕と脚へと変化する。
「わあ!」
ピピは何度見ても嬉しそうだった。
「手!」
「はい。今日はこの姿で色々な動作を練習してみましょう」
「うん!」
和真も隣で見守っていた。
「まずはコップを持ってみてください」
「簡単!」
ピピは勢いよくコップへ手を伸ばした。
しかし、指の力加減がまだ分からない。
思ったより強く握ってしまい、コップが少し傾いた。
「あっ!」
「慌てなくて大丈夫ですよ」
リディアが優しく声をかける。
「ゆっくり握ってみましょう」
「……こう?」
「はい。上手です」
ピピは慎重にコップを持ち上げた。
「できた!」
「すごいな、ピピ」
「えへへ!」
次はスプーンだった。
これまで補助腕を使って食事をすることはあったが、人間の指先で道具を扱うのは勝手が違う。
「むずかしい……」
ピピはスプーンを握り直した。
「少し力を抜いて。そう、そのくらいです」
リディアが指の位置を教える。
何度か試すうちに、ピピは少しずつ滑らかに動かせるようになった。
「できた!」
「上達が早いですね」
「僕、すごい!?」
「ええ。とても上手ですよ」
リディアが微笑むと、ピピは得意げに胸を張った。
続いて、ハンカチを畳む練習。
小さなボールをつかむ練習。
指先で物を拾う練習。
最初はぎこちなかったものの、ピピは驚くほど熱心に取り組んだ。
特に小さなボールをつかめた時には、何度も和真へ見せに来た。
「カズマ! 見て!」
「見てるよ」
「もう一回!」
「うん」
「ほら!」
「上手だな」
「えへへ!」
何度褒めても嬉しそうに笑う。
その様子を見ていたリディアが、小さく頷いた。
「指先の動きは問題なさそうですね。次は歩行の確認をしましょう」
「歩く!」
「その前に、靴を履いてみましょうか」
リディアは用意していた靴を差し出した。
人間の足に合わせた、柔らかなスニーカーだった。
「靴!」
「はい。旅行中は長い距離を歩くことになりますから」
ピピは靴を手に取ると、不思議そうに眺めた。
「これ、足に入れるの?」
「そうですよ」
「両方?」
「もちろんです」
ピピは床へ腰を下ろし、片方の靴へ足を入れようとした。
しかし、うまく踵が入らない。
「……入らない!」
「かかとを少し持ち上げてみてください」
「こう?」
「はい。もう少しです」
何度か試した後、ようやく両足に靴を履くことができた。
「できた!」
「じゃあ、立ってみようか」
和真が手を差し出す。
ピピはその手を握り、ゆっくり立ち上がった。
「……わあ」
ピピは足元を見下ろした。
今までとは違う感覚。
靴の底を通して床を踏む感触が伝わってくる。
「カズマ!」
「ん?」
「なんか、変!」
「あはは。慣れてないからな」
「でも、楽しい!」
ピピは一歩踏み出した。
もう一歩。
少しふらつきながらも、和真の手を握って歩き始める。
「上手だぞ」
「本当!?」
「ああ」
和真が頷くと、ピピは嬉しそうに歩く速度を上げた。
「おっと、ゆっくりな」
「大丈夫!」
「転ぶぞ」
「転ばない!」
そう言った直後、足が少しもつれた。
「わっ!」
和真が支えると、ピピは照れくさそうに笑った。
「……たぶん」
「だから言っただろ」
二人は顔を見合わせて笑った。
その後も何度か練習を繰り返し、ピピは部屋の中を問題なく歩けるようになった。
「これなら旅行でも大丈夫そうですね」
リディアが満足そうに頷く。
「ただ、人混みの中では走らないようにしてください。まだ慣れていない身体ですから」
「はーい!」
「それから、変化中は飛べませんからね」
「分かってる!」
「高いところから飛び降りたりもしないでください」
「……はーい」
「ピピ?」
「しない!」
和真は思わず笑った。
「本当に頼むぞ」
「うん!」
練習を終える頃には、ピピはすっかり人間の手を使うことが気に入ったようだった。
部屋を出ようとした和真へ駆け寄り、当然のように手を握る。
「カズマ!」
「ん?」
「お散歩!」
「今から?」
「うん!」
和真はリディアへ目を向けた。
「少し外を歩いても大丈夫かな?」
「敷地内なら問題ありません。慣れるためにもいいと思います」
「分かった。じゃあ、少し歩こうか」
「やった!」
ピピは和真の手を握ったまま、嬉しそうに部屋を出ていった。
◇
数日後。
ピピは人間の姿にも随分慣れてきていた。
最初はぎこちなかった歩き方も、今では普通に歩ける。
スプーンやフォークも扱えるようになり、靴を履くのにも苦労しなくなった。
何より気に入っていたのは、和真と手をつないで歩くことだった。
「カズマ!」
「どうした?」
「こっち!」
ピピは和真の手を引きながら、庭を歩いていた。
「そんなに引っ張るなって」
「えへへ!」
ピピは楽しそうに笑う。
和真はその横顔を見ながら、ふと尋ねた。
「ピピ、人間の姿はどうだ?」
「楽しい!」
「そっか」
「でもね」
「ん?」
「翼も好き!」
ピピは自分の腕を見下ろした。
「飛べないのは、ちょっと寂しい」
「そうだよな」
和真は頷いた。
ピピにとって、翼は身体の一部だ。
空を飛ぶことも、歌うことと同じくらい大切なものなのだろう。
「でも、どっちにもなれるからいいね!」
ピピは嬉しそうに笑った。
「そうだな」
「カズマと手もつなげるし!」
そう言って、ピピは握っていた手に少し力を込めた。
和真も優しく握り返した。
「旅行でも、こうして歩こうな」
「うん!」
ピピは満面の笑みを浮かべた。
◇
旅行まで、あと数日。
夕食後の母屋では、和真とピピが最後の予定確認をしていた。
テーブルの上には、二日間の予定を書き込んだノートが置かれている。
「じゃあ、もう一回確認するぞ」
「うん!」
「一日目は朝早く出発して、ディズニーランド」
「お城!」
「そうそう。着いたらまず、乗りたいアトラクションを回ろう」
「うん!」
「それから、お昼ご飯」
「おいしいの!」
「そうだな」
和真は笑いながら頷いた。
「午後はパレードも見たいんだよな?」
「見る!」
「じゃあ、当日の時間を確認して、見られそうなら行こう」
「うん!」
ピピは嬉しそうに頷いた。
「夜も綺麗なんだよね!」
「ああ。ライトアップもあるし、昼間とは雰囲気が変わると思うよ」
「見たい!」
「体力が残ってたら、夜まで楽しもうな」
「残ってる!」
「まだ行ってないだろ」
「絶対!」
和真は苦笑した。
「それで、夜はホテルに泊まる」
「カズマと一緒!」
「ああ。同じ部屋だよ」
「やった!」
「二日目はディズニーシーだな」
「海!」
「そう。船に乗ったり、色々な景色を見たりしよう」
「お魚!」
「魚ばっかりじゃないけどな」
「おいしいのも!」
「もちろん」
和真は予定を確認しながら、帰りの時間も書き込んだ。
「二日目は夕方まで遊んで、それから帰ろうか」
「夜まで!」
「帰りが遅くなりすぎるからな」
「……もうちょっと!」
「うーん……」
和真は少し考えた。
翌日の予定もある。
あまり遅く帰るのは避けたい。
「じゃあ、最後にもう一つ遊ぶくらいならいいかな」
「やった!」
「ただし、疲れてたら早めに帰るぞ」
「うん!」
ピピは大きく頷いた。
そして、突然何かを思い出したように声を上げる。
「あっ!」
「どうした?」
「お土産!」
「そうだったな」
「みんなに買う!」
「うん。最後にお土産を選ぶ時間も取っておこう」
「フェンリスにも!」
「ああ。きっと喜ぶよ」
ピピは嬉しそうに笑った。
和真はノートを閉じ、テーブルの上へ置いた。
「よし。これで準備は大体終わったな」
「終わり!?」
「ああ。あとは荷物をまとめるくらいだよ」
「じゃあ、明日行く!?」
「まだだって」
「えーっ!」
ピピは不満そうに頬を膨らませた。
「早く行きたい!」
「もう少しの我慢だよ」
「……分かった!」
返事をすると、ピピは和真の隣へ身体を寄せた。
「ねえ、カズマ」
「ん?」
「僕、すっごく楽しみ!」
「うん」
「お城も、お船も、おいしいのも!」
「そうだな」
「でもね!」
ピピは和真の顔を見上げた。
「一番は、カズマと一緒に行くこと!」
その言葉に、和真は優しく微笑んだ。
「俺も楽しみにしてるよ」
「本当!?」
「ああ。本当だよ」
「えへへ!」
ピピは嬉しそうに和真へ抱きついた。
「大好き!」
「はいはい」
和真は笑いながら、ピピの頭を撫でた。
その様子を見ていたみゆが、楽しそうに口を開く。
「和真、二日間頑張ってね」
「……何を?」
「ピピについていくの」
「それはもう覚悟してるよ」
「あはは! だよね!」
みゆが笑うと、ピピは不思議そうに首を傾げた。
「僕、ちゃんとカズマと一緒に歩くよ?」
「うん。そうだね」
「走らない!」
「本当?」
「……たぶん!」
その返事に、居間から笑い声が上がった。
和真も笑いながら、ピピの頭をもう一度撫でた。
こうして、ピピとの旅行準備は無事に整った。
二日間の夢の国。
初めて人間の手で和真と手をつなぎ、初めての景色を一緒に見る。
ピピにとって、それは何より楽しみな二日間になるはずだった。




