第三十話 行きたい場所
昼食を終えた母屋では、食器の片付く音と、まだ席を立とうとしない住人たちの声が入り混じっていた。
「ピピ、それ下げるぞ」
「待って!」
酒菜が手を伸ばした瞬間、ピピが自分の皿を翼で隠した。
「まだ食うのか?」
「まだある!」
「何がだよ」
「ここ!」
ピピが皿の端に残った米粒を指す。
「……一粒じゃねえか」
「食べる!」
「なら早く食え」
「うん!」
器用に身体を傾けながら最後の一粒を口へ運ぶピピを見て、みゆがくすくす笑った。
「そこまで綺麗に食べてもらえたら、ご飯も嬉しいだろうね」
「嬉しい?」
「たぶん」
「じゃあもっと食べる!」
「増やす話じゃないよ」
「え?」
「分かってないね」
みゆが笑う。
いつもの昼だった。
騒がしくて。
誰かが何かを言えば、すぐ別の誰かが口を挟む。
そんな母屋の中で、和真は食後のお茶を飲んでいた。
「のう、和真」
「ん?」
正面に座っていたあおいが、湯呑みを置く。
「どうした?」
「以前話しておった旅行のことじゃ」
「ああ」
和真はすぐに思い出した。
「あおいとの旅行か」
「うむ」
その言葉を聞いた途端。
「旅行!?」
ピピが勢いよく振り返った。
「行くの!?」
「まだ何も決めてないよ」
「僕も行く!」
「いや、今回はあおいと二人」
「ダメ?」
「ダメ」
「なんで?」
「二人で行くって決めたから」
「三人でもいいよ!」
「よくない」
「四人!」
「増やすなって」
「むぅ……」
ピピが分かりやすく頬を膨らませる。
「あおいー」
「駄目じゃ」
「まだ何も言ってない!」
「顔を見れば分かる」
「一緒に行こう!」
「やはりそれではないか」
「えへへ」
「褒めておらぬ」
あおいが呆れたように言う。
酒菜が空いた皿を抱えながら鼻を鳴らした。
「人の旅行にくっついて行こうとすんな」
「楽しいよ?」
「お前がな」
「酒菜も行く?」
「行かねえ」
「なんで?」
「俺まで行ったら二人旅じゃなくなるだろうが」
「じゃあ、みゆ!」
「僕も行かないよ」
「フェンリス!」
「僕も」
「リディア!」
「私も遠慮しておきます」
「……」
ピピが皆を順番に見る。
「誰も行かない!」
「最初からそう言ってんだよ」
酒菜がピピの頭を軽く小突いた。
「痛い!」
「痛くしてねえ」
「痛かった!」
「はいはい」
そんな二人を横目に、和真はあおいへ向き直る。
「それで、行きたいところ決まった?」
「……」
あおいが黙った。
「あれ?」
「……考えた」
「うん」
「かなり考えた」
「うん」
「じゃが……」
「決まってない?」
「うむ」
「だと思った」
「何故分かった」
「その顔」
「顔に出ておったか……」
あおいが自分の頬へ触れる。
「仕方なかろう。旅行に行けと言われても、わらわはどこに何があるのかすら、まだよく知らぬ」
「まあ、それはそうだよな」
「だから和真が決めてもよいぞ」
「それじゃ意味ないって」
「何故じゃ?」
「今回はあおいが行きたいところに行こうって話だっただろ」
「じゃが……」
あおいが少しだけ視線を逸らした。
「わらわは、和真と一緒ならどこでも構わぬ」
「そう言われると一番困る」
「む」
「俺もあおいが楽しめるところに行きたいんだよ」
「……そうか」
「だから探そう」
「うむ」
「二人で?」
みゆが横から顔を出す。
「いや」
和真が辺りを見る。
いつの間にか、ほとんど全員が話を聞いていた。
「もうみんな聞いてるし、候補くらい出してもらうか」
「よし!」
みゆがすぐにスマートフォンを取り出した。
「旅行会議だ」
「僕も!」
ピピも勢いよく近づいてくる。
「お前は見るだけな」
「分かった!」
返事だけはいい。
リディアもノートパソコンを持ってくる。
「まずは、あおいさんが何を見たいかですね」
「何を、と言われてものう……」
「海とか?」
みゆが写真を表示する。
青い海。
白い砂浜。
あおいはしばらく眺めた。
「綺麗じゃな」
「行きたい?」
「……近くにも海はあるのであろう?」
「あるね」
「ならば、わざわざ旅行で行かずともよい」
「なるほど」
「山!」
ピピが言った。
「山ならそこにあるだろ」
和真が窓の外を指す。
「あ」
「お前、何も考えてなかったな」
「考えた!」
「何を?」
「山!」
「それしか考えてないだろ」
「うん!」
和真は思わず笑った。
「温泉はどうです?」
リディアが尋ねる。
「前にも行ったからのう」
「別の温泉もありますよ」
「嫌ではないが……今回は違うことがしたいのう」
「では、動物園とか?」
「動物?」
「色々います」
「狐は?」
「いるところもあります」
「九尾は?」
「いません」
「そうか……」
あおいが少し残念そうな顔をする。
「そこ期待するんだ」
みゆが笑った。
「遊園地!」
またピピが声を上げた。
「遊園地?」
「速いのある!」
「何がじゃ?」
「乗り物!」
「どれくらい速い?」
「すごい!」
「分からぬ」
「ぐるぐるする!」
「嫌じゃ」
「なんで!?」
「怖いではないか!」
「楽しいよ!」
「わらわは遠慮する!」
あおいは即座に首を振った。
「まだ乗ってもいないのに」
「説明だけで十分じゃ」
「じゃあお化け屋敷!」
「それも嫌じゃ!」
「なんで!?」
「何故お主は怖そうなものばかり勧めるのじゃ!」
「楽しい!」
「一人で行け!」
「やだ!」
ピピが即答する。
「一人は怖い!」
「お主も怖いのではないか!」
「怖いよ!」
「なら何故勧めた!」
母屋に笑い声が広がった。
フェンリスも笑っている。
「ピピらしいなぁ」
「フェンリスは?」
「ん?」
「あおいの旅行」
みゆに聞かれ、フェンリスが少し考える。
「そうだな……」
ほんの一瞬。
声が止まった。
旅行。
その言葉に、自分の予定が頭をよぎったのだろう。
けれど、それはほんの短い間だった。
「古い町とかどう?」
フェンリスはいつもの調子で続ける。
「あおい、前に古い神社とか見てた時、結構楽しそうだったし」
「そういえばそうだったね」
みゆが頷く。
「昔の建物が残ってるところとか?」
「昔の建物……」
あおいが少し興味を示した。
「それは気になるのう」
「じゃあ、その辺探してみますか」
リディアが検索を始める。
その隣で。
和真は一度だけフェンリスを見た。
いつも通り笑っている。
けれど。
先ほどの一瞬の間を、和真は見逃してはいなかった。
みゆからは聞いている。
フェンリスに何かあったこと。
自分との旅行にも関係していること。
ただ。
詳しいことは、フェンリス本人が話せるようになるまで待ってほしい。
そう言われている。
だから。
「フェンリス」
「ん?」
一瞬、フェンリスが和真を見る。
「お茶、いる?」
「……あ、うん。いる」
「分かった」
「ありがと」
それだけだった。
和真は何も聞かない。
フェンリスも何も言わない。
少し離れた場所からそれを見ていたみゆも、何も口にしなかった。
「これなんてどうです?」
リディアの声がして、皆の視線が再び画面へ集まる。
「古い宿場町ですね」
「ほう」
あおいが身を乗り出す。
「これは?」
「城下町です」
「城もあるのか?」
「ありますよ」
「大きいのう」
画面を切り替えていく。
金沢。
奈良。
飛騨。
鎌倉。
京都。
様々な場所の写真が並ぶ。
「鹿!」
ピピが画面を指す。
「いっぱい!」
「奈良だね」
みゆが言う。
「食べてよいのか?」
「駄目ですよ」
リディアが即答した。
「まだ何も言っておらぬ」
「今、食べられるか聞こうとしたでしょ」
「……少しだけじゃ」
「やっぱり」
「鹿は食べない!」
ピピが言う。
「かわいい!」
「お主、鶏肉は喜んで食べるではないか」
「鶏は美味しい!」
「基準が分からぬ……」
「僕も!」
「お主自身の基準じゃ!」
また笑いが起きる。
その間にも、リディアは写真を送っていく。
「あ」
突然。
あおいの声が止まった。
「戻してくれ」
「どれです?」
「今のじゃ」
リディアが一枚戻す。
そこに映っていたのは。
紅葉に囲まれた古い寺。
その向こうに見える町並み。
「……」
あおいが画面へ顔を近づける。
「ここは?」
「京都ですね」
「京都……」
あおいがゆっくりと名前を繰り返した。
「昔の都があったところですよ」
「都?」
「はい」
「今も人が住んでおるのか?」
「もちろん」
次の写真。
朱色の鳥居がどこまでも続いている。
「これは?」
「伏見稲荷ですね」
「稲荷……」
あおいの目が明らかに変わった。
「狐がおる」
「狐の像ですね」
「ここは狐に縁があるのか?」
「かなりありますね」
「……」
あおいが画面を食い入るように見る。
「気になる?」
みゆが聞く。
「うむ」
即答だった。
「かなり気になるのう」
「お」
みゆが笑う。
「初めて強めの反応きた」
「他も見せてくれ」
「はい」
リディアが次々に写真を開いていく。
竹林。
川沿いの町。
古い寺院。
神社。
石畳の道。
木造の建物が並ぶ通り。
「……すごいのう」
「そんなに?」
和真が隣から覗き込む。
「古いものが残っておるのに」
「うん」
「今も人が暮らしておるのじゃろう?」
「そうだな」
「昔と今が一緒にあるのじゃな」
「言われてみれば、そうかもな」
あおいは次の写真を見る。
「これは何じゃ?」
「着物ですね」
「着物は知っておる」
「レンタルして、着たまま観光できるんですよ」
「……」
あおいが止まる。
みゆが口元を緩めた。
「着たい?」
「別に」
「ほんと?」
「……」
「あおい?」
「和真も着るなら、着てもよいぞ」
「俺?」
「一人では少し恥ずかしい」
「俺も着物?」
「嫌か?」
「嫌ってわけじゃないけど」
「なら決まりじゃ」
「まだ京都に行くって決まってないぞ」
「行くことになったらの話じゃ!」
「ああ、それなら」
「約束じゃぞ」
「分かったよ」
「うむ」
あおいが嬉しそうに頷く。
「お菓子ある?」
突然ピピが聞いた。
「京都?」
「うん!」
「いっぱいあるよ」
みゆが画像を検索する。
「ほら」
「わあ!」
今度はピピが画面に食いついた。
「これ食べたい!」
「八ツ橋」
「甘い?」
「甘いよ」
「食べる!」
「まだ行かないって」
「お土産!」
「切り替え早いな」
「これも!」
「団子だね」
「これ!」
「抹茶パフェ」
「大きい!」
「食べたいのばっかりじゃねえか」
酒菜が呆れた声を出す。
「酒菜も?」
「俺はいらねえ」
「ほんと?」
「ああ」
「じゃあ僕が食べる!」
「最初から全部お前の話だろうが」
「えへへ」
「褒めてねえ」
「……ほう」
その横で。
今度はあおいまで食べ物の写真を真剣に見ていた。
「こっちもよいのう」
「何が?」
和真が聞く。
「京都じゃ」
「何と比べてるんだよ」
「古い町がある」
「うん」
「神社もある」
「うん」
「狐もおる」
「像な」
「着物も着られる」
「うん」
「食べ物も多い」
「そこ大事なんだな」
「大事じゃ」
あおいが真顔で頷いた。
「かなり大事じゃ」
「そっか」
和真が笑う。
しばらく皆で京都について調べていると。
「いつ行くの?」
ピピが尋ねた。
「そこはまだ決めてないよ」
「明日?」
「無理」
「明後日?」
「だから無理だって」
「なんで?」
「仕事あるから」
「あ」
ピピが和真を見る。
「和真、仕事!」
「忘れてたの?」
「うん!」
「ひどいな」
「休む?」
「まず予定確認しないとな」
「いっぱい休む?」
「いっぱいは無理」
「三日!」
「それは予定次第」
「五日!」
「増えた」
「十日!」
「もっと増えた」
「いっぱい!」
「雑になったな」
ピピは楽しそうに笑っている。
「ならば二泊三日ほどあれば、ゆっくり見て回れるのではないか?」
あおいが期待するように和真を見る。
「まあ、休みが合えばな」
「では二泊じゃな!」
「まだ予定見てないって」
「空いておればよいのであろう?」
「そうだけど」
「ならば、まずは予定を見ればよい!」
「まあ、それはそうだな」
あおいは満足そうに頷いた。
けれど。
その日の夕方。
改めて和真の予定と、京都までの移動、泊まりたい宿の空きを照らし合わせてみると。
「……駄目じゃな」
あおいがテーブルに突っ伏した。
「そんな落ち込む?」
和真が苦笑する。
「二泊できぬ……」
「仕方ないだろ。ここしか予定合わないんだから」
カレンダーには、二人の予定が揃って空いている日が二日だけ。
その前後は和真の仕事があり、候補にしていた宿も連泊できる空きがなかった。
「一泊二日か……」
あおいが名残惜しそうに呟く。
「十分じゃない?」
みゆが隣からカレンダーを見る。
「僕の時も一泊二日だったし」
「そういえば、そうじゃったな」
「私とも一泊二日でしたね」
リディアも頷く。
「二人で出かけるなら、そのくらいが一番予定も合わせやすいと思います」
「そういうものかのう」
「長けりゃいいってもんでもねえだろ」
酒菜が言う。
「一泊して、二日楽しめりゃ十分じゃねえか」
「じゃが京都じゃぞ?」
「京都でもだ」
「見るところがたくさんあるのじゃぞ?」
「なら、今回見られなかったところはまた別の機会に行けばいいだろ」
和真が言う。
「……また?」
「ああ」
「また連れて行ってくれるのか?」
「行きたくなったらな」
「……!」
あおいの表情が一気に明るくなる。
「ならばよい!」
「切り替え早いな」
「次があると分かれば問題ない!」
あおいが機嫌を直す。
「じゃあ」
みゆが笑った。
「今後の二人旅行も、基本は一泊二日くらいになりそうだね」
「僕の時もそうだったし」
「私もですね」
リディアが続ける。
「一泊二日なら、仕事や予定にも合わせやすいですし」
「そうだな」
和真も頷く。
「基本はそのくらいがちょうどいいかもな」
「長い旅行は、特別な時だけでいいんじゃねえか?」
酒菜が何気なく言う。
「特別?」
ピピが首を傾げる。
「なんでもねえよ」
「なんで?」
「気にすんな」
「気になる!」
「気にすんなって」
「むー!」
またピピが酒菜へ食い下がり始める。
その横で。
フェンリスは一瞬だけカレンダーへ視線を落とした。
「……」
けれど、何も言わなかった。
みゆも。
和真も。
そこには触れない。
「では一泊二日じゃな!」
あおいが改めて宣言する。
「うん」
「二日で、行きたいところをできるだけ回るぞ!」
「だから詰め込みすぎるなって」
「伏見稲荷!」
「うん」
「古い町並み!」
「うん」
「着物!」
「分かった」
「甘味!」
「それもな」
「竹林!」
「二日目にする?」
「それがよい!」
そこからは早かった。
リディアが移動時間を調べ。
みゆが観光しやすい順番を見ながら候補を絞り。
和真が宿を確認する。
あおいは横から、
「ここも行きたいのう」
「あれも食べてみたい」
「この店は何じゃ?」
と次々に口を挟んだ。
「一日目は伏見稲荷と、この辺りの古い町並みを中心にするか」
和真が画面を指す。
「着物は?」
「初日に借りる?」
「うむ!」
「歩きやすいのにしろよ」
「わらわに似合うものがよい」
「それは店で選べ」
「和真のもわらわが選ぶ」
「なんで俺のまで」
「約束したじゃろ?」
「着るとは言ったけど、選ばせるとは言ってないぞ」
「同じようなものじゃ」
「違うよ」
「楽しみじゃのう」
「聞いてないな……」
「二日目は竹林の方にしますか?」
リディアが尋ねる。
「そうだな。全部は無理だから、余裕持たせよう」
「お土産!」
ピピが割り込む。
「忘れてないよ」
「甘いの!」
「分かった」
「いっぱい!」
「一箱」
「いっぱい!」
「それでいいの?」
「うん!」
「安上がりだなぁ」
みゆが笑う。
その日のうちに。
行きと帰りの移動手段。
一泊する宿。
大まかな観光場所。
着物を借りる店の候補。
そこまでが決まった。
翌日には宿と移動の予約も終わった。
さらに旅行が近づくにつれて。
あおいの準備は着々と進んでいった。
「これはいるか?」
「いらない」
「では、これは?」
「それもいらない」
「何故じゃ!」
「一泊だぞ?」
あおいの部屋では、開かれた鞄の周りに荷物が山のように並んでいた。
「着替えが三着」
「必要じゃ」
「一泊なのに?」
「何かあるかもしれぬ」
「何があるんだよ」
「分からぬから持って行くのじゃ」
「その考え方だと全部持って行くことになるぞ」
「では全部」
「駄目」
「むぅ」
結局。
着替え。
洗面道具。
必要最低限の小物。
財布。
人間の姿を保つために必要なもの。
それだけに絞られた。
「本当にこれだけでよいのか?」
「一泊なら十分」
「少ないのう」
「旅行じゃなくて引っ越ししようとしてただろ、お前」
「念のためじゃ」
「念のためで布団まで持とうとするな」
「宿の布団が合わぬかもしれぬ」
「そこまで心配すんな」
部屋の入口では、みゆが腹を抱えて笑っていた。
「さすがに布団は要らないって」
「みゆまで笑うでない!」
「だって持って行こうとしてたじゃん!」
「念のためじゃ!」
「京都まで抱えていく気だったの?」
「和真がおる」
「俺に持たせる気だったの!?」
「半分くらいはわらわも持つぞ?」
「半分でも嫌だよ!」
「けちじゃのう」
「普通だ!」
騒ぎながら。
それでも荷造りは終わった。
旅行前日の夜。
母屋の片隅には、和真とあおいの鞄が二つ並んでいた。
「忘れ物ない?」
みゆが尋ねる。
「ない!」
あおいが即答する。
「本当に?」
「……たぶん」
「急に怪しくなった」
「大丈夫じゃ!」
「財布は?」
「ある!」
「着替え」
「ある!」
「予約の確認は?」
「和真が持っておる!」
「人任せだね」
「適材適所じゃ」
「便利な言葉覚えたなぁ」
みゆが笑う。
「朝早いんですから、今日は早めに寝た方がいいですよ」
リディアが言う。
「うむ!」
「寝られる?」
「当然じゃ」
その返事から少しして。
「のう、和真」
「ん?」
「明日は何時に起きる?」
「さっき言っただろ」
「もう一度じゃ」
「……三時半」
「うむ」
少しして。
「のう、和真」
「ん?」
「着物は何色がよいと思う?」
「明日店で決めろよ」
「今から考えておきたいのじゃ」
「寝ろって」
「のう」
「今度は何?」
「楽しみじゃな」
和真は少しだけ黙った。
それから笑う。
「そうだな」
「うむ!」
ようやく満足したらしい。
あおいは自分の部屋へ戻っていった。
「絶対寝られないやつだね」
みゆがその背中を見送る。
「だろうな」
「和真も寝坊しないでよ?」
「分かってるよ」
「せっかくの旅行なんだから」
「ああ」
少し離れたところでは、フェンリスも二人の鞄を眺めていた。
「……明日か」
「うん」
みゆが答える。
「楽しんでくるといいね」
「そうだね」
フェンリスは小さく笑った。
以前より。
少しだけ自然な笑顔だった。
「フェンリス」
「何?」
「……ううん」
みゆは首を振る。
「やっぱり何でもない」
「何それ」
「いいの」
「変なの」
二人が笑う。
和真はその会話を聞きながらも、何も言わなかった。
聞く時は。
フェンリス自身が話してくれた時でいい。
そう決めている。
「和真ー!」
廊下の向こうから、あおいの声が飛んできた。
「どうしたー?」
「やはりお菓子を一つ持って行ってもよいか!?」
「京都行ってから食べろ!」
「朝、腹が減るかもしれぬ!」
「朝飯途中で食うだろ!」
「では二つ!」
「増やすな!」
母屋にまた笑い声が響いた。
行き先は京都。
一泊二日。
宿も。
移動も。
荷物も。
準備はすべて整った。
あとは――。
明日の朝を待つだけだった。




