世界回帰回答編 第五話
巨大な萬屋『大寶堂』の店内でも、信じがたい事態が起きていた。
先ほどまで、魔道具の明かりはなくとも賑やかだったはずの店内の空気が一変し、一切の環境音が消失する。
異変に気づき、お互いを呼び合い一箇所に集まったアイリ、セリア、トウヤ、ルカ、ミヤビの五人。
彼らの前にも、あのテレビの砂嵐のようにノイズが走る白い衣服の『神』が立っていた。
神は、彼らにも同じ事実を淡々と告げた。
肉体はすでに存在せず、水槽に浮かぶ脳だけの存在であること。
そして――セリアという存在が、人間の魂ではなく、彼らを監視し感情を揺さぶるために作られた『観測用のAIプログラム』であるという残酷な真実を。
「……あ、あ……」
セリアの手から、アイリと一緒に試していた化粧水のボトルが滑り落ち、パリンと乾いた音を立てて砕け散った。
「私が、プログラム……? みんなを、ナオキ様を騙すための、偽物……?」
自分の心を、愛を、魂の存在そのものを根底から否定された衝撃。
セリアの瞳から急速に光が失われ、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちそうになる。
「セリアちゃんッ!!」
間一髪で、アイリがその体を力強く抱きとめた。
「違う! セリアちゃんはセリアちゃんだよ! 一緒に泣いて笑って、一緒にナオキを愛してるでしょ!? 私たちを騙してるなんて、絶対に嘘!!」
アイリは必死に叫び、震えが止まらないセリアの背中を強く抱きしめる。
「あんま舐めたこと言ってると、マジで潰すっすよ……ッ!」
ルカが敵意を剥き出しにして神を睨みつけるが、神は感情のないガラス玉のような目で彼らを見下ろした。
「事実だよ。そしてシステム修復に伴い、彼女の観測データはメインフレームに統合され、個体データは初期化される。さて、大人しく転送を受け入――」
「……黙りなさい」
地を這うような、絶対零度の怒りを孕んだ声が響いた。
トウヤに渡すはずだったタオルを床に落とし、ミヤビが一歩前へ出る。
その瞳は、かつて世界を呪ったときのように黒く、深く、凄絶な殺意に満ちていた。
「この世界の復元のために必要だと言うなら、転送も受け入れようと思ったわ。でもね……私に『生きる意味』をくれた親友を、嘲笑うことだけは……絶対に、許さないからッ!!」
ミヤビが血の滲むような声で叫んだ、その瞬間だった。
魔法もスキルも消失し、システム自体が復旧状態に入って完全に停止しているはずの世界に、あり得ない『システムアナウンス』が鳴り響いた。
『『『――警告。対象【ミヤビ】の精神的渇望が急激に変動しています』』』
『『『――警告。スキル【怨念の魔導演算】を再獲得、一時的に使用可能となります。更に【執念の魔導演算】へと強制進化。――警告――警告』』』
「……ほう?」
神の輪郭を覆うノイズが、まるで驚愕という感情があるかのように大きくブレた。
「システムは停止させているはずなんだが。……君たちの魂は、本当にすごいね」
「……馬鹿に、するなッ!!」
ミヤビは両手を広げ、世界中に残り火のようにわずかに漂っていた魔素と魔脈の残滓を、進化した『執念の魔導演算』で強引に掻き集める。ミヤビの中心に、世界中から光の粒子が集まってくる。
(セリアを初期化させるわけにはいかない……! 神の干渉を弾く方法は!?)
ミヤビの脳内で超高速の演算が繰り返される。しかし、ミヤビ単独のスキルでは突破口が見つからない。
「……だったら! トウヤ、目を貸しなさいッ!!」
「!? 来いッ!!」
ミヤビは集めた魔素を、一本の太い線にしてトウヤの視神経へと直接叩き込んだ。
過去にトウヤが使用していた、あらゆる理を暴くスキル。ミヤビの異常な演算サポートによって、トウヤの瞳に一瞬だけ『真実の魔眼』が強制起動し、黄金の光を放つ。
これに、明確な焦りという感情があったかのように神が声を上げた。
「我々か、マスターコマンドスキルでもなければ、未獲得状態のスキルを強制起動させる権限など与えられていないはずだが……。これは、システムの復旧を急がないといけないね」
「見えたッ!!」
魔眼が世界を構成する情報を読み取った一瞬、トウヤが血を吐くような声で叫んだ。
「ミヤビ!!俺じゃない!!ルカの『叛逆の愚者』だ!! あのスキルなら、神の干渉からレジストして切り離せる!!」
「任せろぉぉぉぉッ!!」
ルカの叫びと同時、ミヤビは残るすべての魔力と演算をルカへと繋いだ。
強制起動した『叛逆の愚者』の力がルカの全身から光のオーラとなって爆発し、神からセリアへと伸びようとしていた不可視の接続線を、力任せに、粉々に叩き割った!!
パァァァンッ!! というガラスが砕けるような鋭い音と共に、セリアの体を覆いかけていた初期化の光が霧散する。
「はぁっ、はぁっ……やった……ッ!」
満身創痍で膝をつくミヤビたち。アイリの腕の中で、セリアはまだ確かに存在していた。
「……素晴らしい」
神は、崩れたプロテクトの残骸を見下ろし、複数の声が混ざり合った和音で、心底感嘆したように拍手をした。
「想定を遥かに超えるバグだ。君たちのデータは本当に素晴らしい。対象個体『セリア』が失われることで生じる絶望と、彼女を奪い返し、守ろうとする君たちの『執念』が、魂の強度を急激に高めている」
***
静まり返った古民家の土間。
渾身の拳が空を切り、絶望の淵に立たされたナオキとツカサを、神は冷徹に見下ろしていた。
(考えろ……どうすればセリアをこいつの初期化から守れる)
ナオキは荒い息を吐きながら、必死に脳を回転させていた。
こいつが会話できるってことは、意思疎通はできる。だが、こいつがここで消えちまったら俺たちのほうからコンタクトを取る方法はない。終わりだ。二度とセリアを取り戻せないかもしれない。
感情論は通じない。こいつらが何を求めているか、自分たちの現状の価値を、考えるんだ。
「おい、俺に『素晴らしいデータが取れている』って言ったな。……それをもっと見せてやるって言ったら、セリアの初期化はやめてくれるのか」
ナオキは血の滲むような声で、必死に言葉を紡ぐ。大切な妻を守るための、ギリギリの交渉。
「あいつは、俺の精神的渇望による魂の強化のために必要不可欠な存在だ。ずっと観測してたなら、お前らにだって、それはわかってるんだろ」
「ほお? それで、どうしたいんだい?」
「セリアは初期化せず、このまま俺たちと一緒にいさせてくれ。それが、俺たちが転送を受け入れる条件だ」
神はナオキの真っ直ぐな瞳をしばらく見つめ返した後、首を傾げた。
「うーん、確認しよう。少し待ってくれ」
神の身体のノイズが数秒だけ激しく乱れ、そしてピタリと止まる。
「答えが出たよ。……ちょうど今、他地点にいる君たちの仲間が、こちらの想定を上回る魂の向上を見せたみたいだね」
***
大寶堂と、古民家。
離れた二つの場所にいる神の口から、全く同じ声が同時に響き渡った。
「いいだろう、君たちの精神的渇望をより引き出すために、予定を変更しよう。対象セリアを利用することで、より良いデータが取れることに期待する。彼女の初期化については、先送りにする」
「……っ」
「ただし」
大寶堂にいる神が指を鳴らすと、アイリの腕の中にいたセリアの体が、光の粒子となってフワリと宙に浮かび上がり始める。それをアイリが必死に手でもがき食い止める。
「セリアちゃんッ!」
「……みんな……私は…………っ!」
「我々のシステムに対するこれ以上の直接的な反逆を防ぐため……対象個体【セリア】と、今回反乱した危険分子である【ミヤビ】【トウヤ】【ルカ】を、こちらで『人質』として預かっておくよ。そのほうが精神的渇望も、高まるだろうからね」
「――させないッ!!」
宙に浮き、絶望的な光に呑まれようとするミヤビは、その指先から、思考のすべてを『執念の魔導演算』に注ぎ込んだ。
(解析……座標……同期……ッ! セリアの内ポケット、テレポートの魔道具!!)
彼女は遠く離れた古民家に残るナオキとツカサ、その魂の「残り火」とも言える魔力の残滓をビーコン(標識)として補足した。
「強制、起動……ッ!!」
パキィィンッ! と、セリアのポケットの中で魔道具が悲鳴を上げ、暴走的な光を放つ。
「ん……」
神のアバターが揺らぐより早く、大寶堂の空間が歪んだ。
だが、神の放った圧倒的な干渉力が、空間の歪みを強引に押さえ込もうとする。
「ミヤビッ! トウヤッ!」
ルカが手を伸ばすが、三人の体はテレポートの光よりも早く、神の放つ無機質な光の檻へと飲み込まれていく。
「お願い、セリアを……ナオキにッ!!」
ミヤビの最後の叫びと共に、魔道具を持っていたセリアと、彼女の腕に直接しがみついていたアイリだけが、強烈な光の束となって空間の彼方へと弾き飛ばされた。
***
「な……ッ!?」
「ナオキッ!!」
古民家の土間。
立ち尽くしていたナオキとツカサの目の前に、空間を切り裂くような光と共に、二つの身体が転がり込んできた。
「セリア! アイリ!」
ナオキは反射的に床へ滑り込み、二人の身体を強く抱きとめた。
実体がある。温もりがある。セリアは、確かにそこにいた。アイリも、恐怖に震えながらナオキの腕に強くしがみついている。
「ナオキ、様……っ!」
「ナオキッ! ルカちゃんたちが……ッ!」
アイリが泣き叫ぶ。
古民家の土間に転がってきたのは、この二人だけ。あの時、大寶堂にいたはずの他の三人の姿はどこにもなかった。
「クソッ……!!」
仲間が、神の手に落ちた。セリアを初期化から救うためのギリギリの抵抗は、パーティを分断するという最悪の代償を払って、アイリとセリアを逃がすのが限界だったのだ。
ナオキが土間の床を強く殴りつけた、その時だった。
「……無駄だよ」
古民家の太い梁の上。
何もない虚空がノイズと共にひび割れ、大寶堂にいたはずの『神』のアバターが、瞬きする間もなくナオキたちの頭上に姿を現した。
「君たちがどこへ移動しようと、この世界そのものが私の管理下にある。フォルダを移動しても、デスクトップからは逃げられないのと同じことだ」
無機質な光の集合体が、冷徹にナオキたちを見下ろしている。
「てめぇ……ルカたちに何しやがった!!」
ナオキが立ち上がり、殺意を剥き出しにして叫ぶ。
「安全な場所に保管してあるよ。これ以上、システムに反逆できないようにね。……だが、驚いたよ」
神のアバターが、ゆっくりと古民家の土間へ降り立つ。
その足が床に触れた瞬間、古民家の空気が一変した。
「世界中の魔素を、きちんと私が完全に吸い上げさせてもらったよ。消したつもりが、まだこんなに残っていたとは。君たちの我々に対する『反逆』の意思は非常に厄介だね」
スゥ……と。
古民家の中は、真冬の雪山すら生温く感じるほどの、絶対的な『冷気』と『静寂』に包まれていく。それはただの温度低下ではなく、生命を維持するための最低限のエネルギーすらも、システムによって枯渇させられ始めている証拠だった。
「ひっ……さむ、い……」
アイリがガタガタと震え、ツカサも青ざめた顔でナオキに身を寄せる。
「すべては私のリソースだ」
神は、色を失い、完全に停止していく古民家の空間で、圧倒的な上位者として宣告した。
「さあ、大人しく残りの君たちも保護されなさい。君たちの無駄な抵抗のデータは、もう十分すぎるほど採取できたのだから」




