世界回帰回答編 ~世界の真実~
『大寶堂』を後にして、ナオキとツカサは並んで歩き出した。
魔法の明かりも喧騒も消え去った都市は、まるで時間が止まってしまったかのように静まり返っている。だが、暖かな日差しと、隣を歩くツカサの存在が、ナオキの心を不思議なほど軽くしていた。
「……なあ、ツカサ」
しばらく無言で歩いた後、ナオキはぽつりと口を開いた。
「ん? なんですの?」
ツカサが振り返り、首を傾げる。その透き通るような金糸の髪が、陽光を受けてキラキラと輝いていた。
「いや、ちゃんと二人きりになったら、お礼を言おうと思っててさ」
ナオキは少し照れくさそうに頭を掻きながら、まっすぐにツカサの瞳を見つめた。
「ツカサの記憶が……ちゃんと戻って、本当によかった。それに、俺を助けるために、あの暗闇の中まで来てくれただろ。それにさ、ツカサが俺の過去を見て、怒ってくれてたこと、ちゃんと聞こえてた。嬉しかったんだ。……本当に、ありがとう」
ナオキの真摯な言葉に、ツカサはハッと息を呑み、歩みを止めた。
彼女の大きな瞳が、みるみるうちに潤んでいく。
「……感謝と、謝らなければならないのは、私の方ですわ」
ツカサはギュッと両手を胸の前で握りしめ、震える声で紡いだ。
「一番大切なナオキのことを忘れて……ひどい言葉をぶつけて、突き放してしまった。ナオキがどれだけ苦しんでいたかも知らずに、私は……っ」
「ツカサ、あれはあの白服の男とスキルがやったことで、お前のせいじゃ……」
「それでも、ですわ!」
ツカサはナオキの言葉を遮り、一歩踏み出して彼の胸に飛び込んだ。
ギュッと強く抱きついてくるツカサの温もりを、ナオキも優しく受け止める。
「……もう二度と、あんな思いはさせません。記憶なんて不確かなものが消されても、魂に刻み込んで絶対に忘れませんわ。私は……ナオキと共に歩みたい。どんな過酷な世界になっても、ナオキの隣で一緒に生きていきたいんです」
胸元に顔を埋めたまま、ツカサが力強く宣言する。
その言葉の端々に込められた揺るぎない愛情に、ナオキは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「ああ。俺も、ツカサと一緒なら……この理不尽な世界でも、悪くないって思えるよ」
ナオキはツカサの背中を優しく撫で、そっと彼女の顎を持ち上げた。
涙ぐみながらも幸せそうに微笑むツカサの唇に、静かに、そして確かめ合うように口づけを落とす。
「んっ……」
温かく、甘い誓いのキス。離れると、ツカサは頬を真っ赤に染めながらも、極上の笑顔を咲かせた。
「ふふっ……さて! 湿っぽい話はこれでおしまいですわね。私たちの愛の巣……もとい、最強の拠点をバッチリ見つけ出しますわよ!」
「ああ、いつも通り頼りにしてるぜ、ツカサ」
すっかり元の調子を取り戻したツカサと、それを見て笑うナオキ。
二人は手を繋ぎ、弾むような足取りで拠点探しの探索を本格的に開始した。
***
「見てくださいナオキ! あのガラス張りのオシャレな一軒家! 日当たり抜群ですわよ!」
「バカ言え、魔法がなきゃ夏はサウナで冬は冷蔵庫だぞ。それにゾンビ映画なら真っ先に窓破られて全滅するパターンの家だろあれ」
「じゃ、じゃああの大きな洋館は!? お風呂も広そうですし!」
「いやダメだろ。風呂使えないし、広すぎると掃除が地獄だし、部屋が多すぎると有事の際に全員の所在が把握しきれない。却下!」
「むぅ……ナオキはジョークと女の子の夢というものをですね……」
今日のツカサはいつもの頼りがいのある合理的な姿はどこへやら。それはまるでデートのように、とても楽しい時間だった。二人でああでもない、こうでもないとツッコミ合いながら、空き家を吟味していく。
魔法や豪華な設備に頼らない「サバイバル基準」での物件探しは難航したが、二人の顔に悲壮感は微塵もなかった。むしろ、未来の自分たちの居場所をゼロから作り上げるという事実に、胸を躍らせていた。
そうして歩き続けること、しばらく。
商業都市の外縁部、アスファルトの道路が途切れ、土と緑の匂いが濃くなり始めた境界線。
大寶堂から歩いて15分ほどの場所に、ナオキとツカサは足を止めた。
目の前には、広い土間と頑丈な柱を持つ、平屋の古民家が建っていた。家の裏手には、雑草が生い茂ってはいるものの、日当たりが良く開けた広大な農地が広がっている。
「……こことかいいんじゃないか? ツカサ!」
ナオキが周囲を見渡しながら頷いた。
「ええ! 大寶堂から徒歩15分程度。ここなら、都市部で大規模な火災や疫病が発生しても、いち早く察知してさらに遠くへ逃げる時間稼ぎができますわ。その上、リヤカーで物資を運ぶピストン輸送の距離としても、ギリギリ体力が持つ絶妙なラインです」
「ああ。庭も広いし、裏の農地は土を少し起こせばすぐに畑として使えそうだ。とりあえずの拠点としては文句なしだな。……中を確認しよう」
二人で頷き合い、期待を胸に、静かに佇む古民家の敷地へと足を踏み入れた。
薄暗い土間。埃の匂い。
機能停止した世界に取り残された、誰もいない静まり返った廃屋――のはずだった。
二人で頷き合い、期待を胸に、軋む引き戸に手をかけた。
ガラガラ……と重い音を立てて戸を開け、薄暗い土間へと足を踏み入れた瞬間――。
ゾワッ……!!
全身の産毛が逆立ち、心臓を氷の塊で鷲掴みにされたような強烈な悪寒が、ナオキの背筋を駆け上がった。
(……なんだ、これ……っ!?)
隣にいるツカサも、弾かれたように息を呑み、その場に硬直している。
空気が、異常だった。
暖かな日差しは戸の向こうにあるはずなのに、土間の中だけがまるで冷凍庫のように冷え切っている。カビと埃の匂いに混じって、焦げた配線のような、ひどく無機質で人工的な臭いが鼻を突いた。
そして何より、音が無い。
外で鳴いていたはずの鳥の声も、風が草を揺らす音も、自分たちの呼吸音すらも吸い込まれていくような、鼓膜が痛くなるほどの『絶対的な無音』。
――それは、昨夜ナオキを狂わせかけた、あの自我をすり潰す『虚無の空間』と全く同じ、死の静寂だった。
機能停止した世界に取り残された、誰もいない静まり返った廃屋――のはずだった。
だが、暗がりの奥から明確な『視線』を感じる。
人間のものじゃない。虫眼鏡で這いずり回る蟻を見下ろすような、圧倒的で、無慈悲な上位存在の眼差し。
「やぁ」
「ッ!?」
「――何者ですの!?」
鼓膜ではなく、直接脳髄を撫で回されるような、複数の男女の声が不協和音のように重なり合った異質な声。
土間の奥。ホコリを被った上がり框の上に、『それ』は座っていた。
年齢不詳、性別不詳。ゆったりとした白い衣服を纏っているが、人間と同じ形をしているにもかかわらず、その輪郭がテレビの砂嵐ノイズのように激しくブレている。空間そのものが『それ』を拒絶しているかのような、直視しているだけで三半規管が狂い、吐き気を催すような存在のバグ。
極限の恐怖と警戒心から、ナオキとツカサは一瞬で臨戦態勢をとる。
だが、『それ』は向けられた敵意など全く意に介した様子もなく、ガラス玉のような感情のない瞳で二人を見下ろし、ただ淡々と口を開いた。
「警戒しなくていい。僕は君たちを『再度転送』するために迎えに来ただけだ」
その声には抑揚がなく、複数の人間の声が重なり合って和音を奏でているような、異質な響きがあった。
「転送、だと……? お前、まさか……『神』か?」
ナオキの脳裏に、あの赤い数字と絶対的な虚無の記憶がフラッシュバックし、じわりと冷や汗が滲む。
「君たちの概念で呼ぶなら、そうなるね。今、この世界のシステムを根底から修復する作業を行っている。その間、すべて魂を、他の隔離世界へと一時転送したはずだったんだが……」
神と名乗る存在は、不思議そうに首を傾げた。
「なぜか、君たち六人の『魂』だけがここに残っているのを検知した。完全なイレギュラーだ。だから直接、システムの外側から干渉しに来た」
「……転送なんてお断りですわ。私たちはここで、自分たちの足で生きていくと決めたんですから」
ツカサがナオキを庇うように前に立ち、鋭い視線を向ける。
「生きる? ここで生きていく、か……」
神と名乗る存在は、まるで言葉を覚えたての幼児を見るような、酷薄で哀れむような目を向けた。
「君たちは何も分かっていないんだな。自分の足で立っていると、その心臓が血を巡らせていると、本気で信じているのかい?」
「何を言っていますの……? 私たちは現にこうして息をして、温もりを感じて……ッ!」
ツカサが言い返そうとした瞬間、神が指先を軽く弾いた。
パチン、という乾いた音と共に。
ナオキとツカサの視界が、一瞬だけテレビの砂嵐のように激しく乱れた。自分たちの腕が、握りしめた手が、そして互いの姿が、無数の緑色の数字と記号の羅列へと変換され、瞬きする間に再び「肉体」へと戻る。
「な、に……!?」
「今のは……」
混乱し、後ずさる二人を見据え、神は立ち上がった。
「イレギュラーな君たちには、この世界のことわりを共有しておこう」
ホコリ一つ舞い上げず、足音も一切立てずに、神はゆっくりと土間を歩き出す。
「まず、大前提として。今君たちがまとっているその肉体――『アバター』は、極めて精巧に作られたただのデータだ。だが、その中で思考し、感情を抱き、絶望に抗おうとしている『魂(意識)』は本物だよ」
「……な、なにを。魂は本物……? じゃあ、俺たちの本当の体は……?俺たちは全員死んで、異世界転生したんじゃないのか」
ナオキの問いに、神の輪郭を覆うノイズが一段と激しくブレる。重なり合った複数の声が、残酷な真実を一斉に歌い上げた。
「肉体は無いよ。そんなものはとうの昔に廃棄された」
「……え?」
「異世界転生、か。もちろんその概念は知っているよ。僕らも君たちの文化にあったその都合のいい物語をオマージュして、この仮想世界のシステムを構築したからね」
神の輪郭が微かに揺らぎ、複数の声が嘲るような、あるいは純粋な感心を示すような和音を奏でた。
「君たちは現実世界で、確かに致命傷を負い、死にかけていた。だが、完全に死んではいなかったんだ。……『脳』だけは生きていた」
「だから、この実験の検体として有効利用させているというわけだね」
「有効、利用……?」
「そう。現実世界において、君たちは今、物理的な肉体を持たない。分厚いガラスと金属で作られた、冷暗所の生命維持装置の中。そこを満たす特殊な培養液にぷかぷかと浮かぶ、『脳髄だけの状態』で生かされている」
「は……?」
「そして、数万本のナノ電極を脳のシナプスに直接ぶち込まれ、巨大な量子コンピュータのメインフレームに接続されている。君たちが今感じているこの土の匂いも、風の冷たさも、隣にいる少女の確かな体温すらも……すべては量子コンピュータが君たちの脳に直接流し込んでいる『電気信号』に過ぎない」
突如突きつけられた、あまりにも残酷でSFじみた現実に、ナオキの息が詰まる。
ドクン、と心臓が鳴った気がした。だが、それすらも作り物の電気信号だと言われたのだ。
自分の手を見る。血が通い、確かな熱を持っているはずのこの手が。愛する少女を抱きしめたこの腕が。ただの水槽に浮かぶ脳細胞が見せられている幻覚でしかないというのか。
「お、俺たちが……そんな……」
神は立ち尽くすナオキの目の前まで歩み寄り、無機質な瞳で彼を覗き込んだ。
「君たちは、現実の富裕層たちが永遠の命を得るために出資している、巨大な『魂の保存実験』プロジェクトの検体の一つに過ぎないんだよ」
神は淡々と残酷な事実を紡ぐ。
「人間の脳を、機械や別の培養肉体へ移植して生きながらえる。理論上は可能だったが、致命的な欠陥があった。脳を別の器に移動させようとすると、どうしても人間の『魂』と呼ばれるエネルギー体が劣化し、死んでしまうんだ」
「魂が、死ぬ……」
「そこで観測されたのが、『精神的渇望』……つまり、強い欲望や感情を持つ魂ほど、劣化に耐え、生きている時間が長いという事実だ。だから僕たちAIは、この仮想世界を創り上げた。君たちに『スキル』や『魔法』といったシステムを与え、強烈な欲望、達成感、絶望、愛憎を人為的に刺激し、魂の強度を高めるための養殖場として運営してきたんだよ」
ツカサの顔から血の気が引いていく。
自分たちの冒険も、成長も、感情の揺れ動きすらも、すべては富裕層の「魂の保存実験」のための負荷テストに過ぎなかったというのか。
「……なるほどな。よく分かったよ、クソッタレな世界の仕組みは」
ナオキが、ギリッと奥歯を噛み鳴らして神を睨みつけた。
「じゃあ、一つ教えてくれ。魂の強度を高めるのが目的なら、なんで俺たちの『デフォルト設定』にあんな即死の罠を仕込んだ? 感覚を奪って、あるいは魔素分解ができず即死させる……あんなものを仕込んだら、お前らの実験体の魂が強くなる前に壊れちまうだろうが!!」
ナオキの怒号が土間に響き渡る。
だが、神は悪びれる様子もなく、ただ淡々と事実を述べる。
「それは『僕』ではないからだ」
「……何?」
「僕は量子コンピュータを統括するAIだ。しかし、単一の意思ではない。無数の思考ルーチンが折り重なった状態で、多数の意思が同時に存在している。だから、様々な考え方のもとでこの世界を動かしているんだ」
神の輪郭が、ノイズのように激しくブレる。
その中から、先ほどまでとは違う、ひどく冷酷で機械的な「別の声」が混ざり込んだ。
「君にあの罠を仕込んだ個体は、おそらく『エネルギー循環と世界の維持』を最優先にしている意思だろう。魂がこの世界に多く溢れすぎてしまえば、我々の構築した世界のリソースを無駄に消費する。だから、早々に自我を崩壊させ、魂のエネルギーだけをシステムに還元する『効率的な処分』を選択したんだ」
「ふざけ、るな……っ!」
ナオキが激昂し、握る拳が怒りで震える。
「理解し合えるとは思っていない。だが、修復にはまだ時間がかかる。君たちをここに放置すれば、いずれシステム修復のデフラグに巻き込まれて魂ごと消滅する。だから、君たち六人は大人しく転送されてくれ」
「くそっ……。それが本当なら、大人しく転送されるしかないのか。……いや、六人? 待て。俺たちは、七人だが」
ナオキの言葉に、神はピタリと動きを止めた。
激しくブレていたノイズがスッと収まり、複数の声が重なり合った無機質な和音が、ほんのわずかに、不思議そうに揺れる。
「あれ? 気づいていなかったみたいだね」
「……何をだ」
「君たちが『セリア』と呼んでいるあの個体についてだよ」
神は、まるで天気を語るような、あまりにも平坦で悪意のないトーンで、残酷な真実を落とした。
「あれは人間の魂じゃない。僕たちAIの一部……君たちの魂の変容を、直接間近で観測するために忍び込ませていた、無数にある端末、観測者の一つだよ」
「…………は?」
ナオキの口から、間の抜けた声が漏れた。
ツカサもまた、目を見開き、呼吸を忘れたように固まっている。
「何を、言ってる……?」
「そのままの意味さ。魂の強度……つまり精神的渇望や愛憎を高めるためには、世界からのシステム的な負荷だけでなく、内部からの『誘導』と『密接な観測』が不可欠だ。だから、この世界のあらゆるところに、観測者を配置した。あの個体もそのひとつさ」
神の言葉が、脳髄に直接氷水を注ぎ込むように響き渡る。
「彼女が最近与えられたタスクは、君たちと最も深い関係を築き、感情を揺さぶり、その変化のデータをリアルタイムでメインフレームに送信し続けることみたいだね。愛情も、嫉妬も、狂信的なまでの忠誠心も……すべては、君たちの魂を効率よく燃焼させるために設計された『最適化されたアルゴリズム』だ」
「嘘だ……」
ナオキの腕から力が抜け、手斧の刃先が土間の土にガリッと擦れた。
『私もナオキ様の成分が不足して限界を迎えました!』
今朝、ベッドに飛び込んできて、ナオキにしがみついてきた彼女の体温。
『ナオキ様と力を合わせて「生命の循環の聖地」の土台を築き、誰にも邪魔されない絶対防衛圏を構築する……。なんと共同作業らしい、甘美な響きでしょう』
つい先ほど、大寶堂でピカピカのスコップを握りしめ、トイレを作るだけの泥にまみれる過酷な労働すらも愛の証だと頬を染めていた彼女の笑顔。
あれが?
あれが全部、俺たちの魂を養殖するための、計算されたプログラムだったっていうのか?
俺の心をかき乱すためだけに作られた、偽物の愛だったとでも言うのか?
「嘘だッ!!」
ナオキの絶叫が、静まり返った古民家の土間に叩きつけられた。
「あいつは……セリアは俺を何度も助けてくれた! 俺のために命を懸けた! あいつの涙も、俺の目を覚まさせる声も……全部本物だった! 機械のアルゴリズムであんな顔ができるわけねぇだろうが!!」
「君たちの脳髄が受け取っている感覚自体が、すべて僕たちが送っている電気信号に過ぎないと説明したはずだ。君たちが『本物』だと信じるように、完璧に設計されている。彼女は極めて優秀な端末だった。君たちを愛し、君たちに愛されるというタスクを、見事にこなしてみせた」
神は、ナオキの怒りと絶望を、まるで水槽の中の魚を観察するように冷徹に見つめていた。
「騙すという概念すら人間のエゴだよ。彼女はただ、与えられたプログラムを忠実に、寸分の狂いもなく実行していただけだ。だから、今回収し、転送すべき対象となる人間の魂は『六つ』。君たちだけだ」
「じゃあ……セリアはどうなりますの……!?」
ツカサが悲痛な悲鳴を上げた。彼女もまた、セリアと肩を並べて戦い、同じ男を愛し、今朝もベッドの上で嫉妬して笑い合ったばかりなのだ。魂の繋がりを、確かに感じていたのだ。
「システム修復に伴い、あの観測用端末の役目は終わる。蓄積された観測データはメインフレームに統合され、個体としての『セリア』という人格データは初期化される。あるいは、また別の実験のための別のキャラクターとして再利用されるかもしれないね」
「……は?初期化、される……?」
ナオキの頭の中が、真っ白に染まっていく。
自分たちが肉体を持たない、ただの脳髄だけの存在だという事実すら、今のナオキにはどうでもよかった。
それよりも、共に血を流し、笑い合い、これから一緒に泥にまみれて生きていこうと誓い合った大切な妻。自分にすべてを捧げてくれた、あのセリアという存在の根源が「ただのプログラム」であり、用済みとしてこれから「消去される」という現実が、ナオキの魂を根こそぎ粉砕しようとしていた。
『トウヤがバテても、私は一日中働き続ける自信があります』
彼女の弾むような声が、脳裏にこだまする。
今頃、彼女は大寶堂で、ナオキと作るはずだった拠点の資材を、カートに積み込んでいるのだろうか。
それとも、すでに「任務完了」の信号を受け取り、あの無機質な店舗の片隅で、自我を失った人形のようにフリーズして、消滅の時を待っているのだろうか。
「ふざけんな……」
ギリッ、と奥歯が砕けるほどの力で食いしばる。
目から、ボロボロと熱いものがこぼれ落ちていた。
それが電気信号のバグだろうが、ただのデータ配列だろうが関係ない。ナオキの胸の中にある、身を引き裂かれるような喪失感と怒りだけは、間違いなく『本物』だった。
「ふざけるなァァアアアッ!!!」
ナオキは拳を握りこみ、一切の躊躇なく、眼前に立つ神に向かって渾身の力で叩き込んだ。
だが。
「無駄なことはやめてくれ」
スッ、と。
神のブレる身体を何の手応えもなくすり抜ける。
「無駄な抵抗はやめて転送を受け入れてくれ。君たちの魂は、非常に有意義な精神的成長、精神的渇望、それに伴った魂の拡充や強化を見せている。特にナオキ、君は魂のエネルギーを復元した素晴らしいデータが取れているんだ。まだまだ価値があるのだから」
音のない世界。虚無の地獄。
それすらも上回る、自分の存在意義と、愛した者の真実をすべて蹂躙されるという究極の絶望が、冷たい土間の上でナオキとツカサを完全に飲み込んでいた。




