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世界回帰回答編 第三話

カーテンの隙間から差し込む朝の光が、スイートルームの寝室を白く染め上げていた。


人の歩みは聞こえない、静まり返った都市の朝。

けれど、ナオキの胸の中は、これまでにないほどの深く温かな安らぎで満たされていた。


(……よく、眠れたな。またアイリに助けられた)


ゆっくりと重い瞼を開ける。

視界に真っ先に飛び込んできたのは、自分の胸にすっぽりと顔を埋め、スースーと規則正しい寝息を立てているアイリのつむじだった。


昨夜の凄絶なトラウマのフラッシュバック。そこから自分を強引に引きずり出し、文字通り心と体を尽くして虚無を愛で塗り潰してくれた彼女。

あんな風に誰かに歌ってもらって寝た記憶が、ナオキにも遠い記憶としてたしかに存在していた。

その暖かい歌声を思い出し、昨夜の出来事が夢ではなかったことを再確認する。


ナオキは、自分にすがりつくように回されたアイリの細い腕を、愛おしそうにそっと撫でた。

恐怖は、もうない。ただ、彼女が与えてくれた体温だけが、命綱のようにナオキの魂を現実に繋ぎ止めていた。


「……んぅ……ナオキぃ……」

アイリが寝言を漏らしながら、さらにナオキの胸へとすり寄ってくる。


その無防備で可愛らしい姿に、ナオキが自然と口元を緩めた、その直後だった。


――バンッ!!!!


突然、寝室の重厚なドアが爆発したかのような勢いで蹴り開けられた。


「んっ」

「んひゃっ!?」


アイリが驚いて目覚める。

けたたましい足音と共に部屋に乱入してきたのは、ネグリジェ姿のツカサとセリアだった。

二人はナオキとアイリが眠るキングサイズのベッドへと容赦なくダイブしてきた。


「ぐふぅっ!?」

「きゃあっ!?」


みぞおちにツカサの頭突きをくらい、足の上にセリアがのしかかる。

ナオキは朝一番の不意打ちにカエルが潰れたような声を上げ、アイリは驚いてガバッと身を起こした。


「い、痛ぇ……! お前ら、朝っぱらから何事だ!?」

ナオキが涙目で咳き込みながら抗議する。


「な、何事じゃありませんわ!」

ツカサはナオキの胸ぐら……ではなく、首に巻き付くように抱きつきながら、涙目になって抗議した。

「……真っ暗で、静かで……すっごく怖くて寂しかったんですのよ!?」


「そうです! 私もナオキ様の成分が不足して限界を迎えました! だからツカサと結託して、朝駆けを決行したのです!」

セリアもまた、ナオキの腰にコアラのようにしがみつきながら、切実な表情で訴えかける。


強烈な喪失感と孤独感。

それはトラウマに怯えたナオキだけでなく、彼女たちにとっても同じだったのだ。


「お、おう……そうか。悪かったな、気が回らなくて……って、ちょっと待て、苦しい!」

二人の乙女の突撃に押し潰され、ナオキは息も絶え絶えになる。


そんなドタバタ劇の最中。

ツカサの鼻が、ふんと小さく動いた。

そして、隣でシーツを胸元まで引き上げ、なぜか顔を真っ赤にして視線を逸らしているアイリの姿に気づく。


「……アイリ。あなた、もしかして……服、着てませんわね?」

ツカサの声が、地を這うような低音へと変化した。


「それに、この部屋の匂い……。そしてナオキ様の首筋に残る、その赤黒い痕……」

セリアの目が、暗殺者モードのハイライトの消えた瞳にスッと切り替わる。


「あ、あははは……お、おはよう、二人とも。早いねー、朝ごはんどうする?」

アイリが滝のような冷や汗を流しながら、わざとらしく視線を泳がせた。


「……」


シーツが乱れ、枕が飛び交い、キャーキャーと騒ぎ立てる三人。

その中心で、ナオキは呆然と天井を見上げていた。


昨夜、あれほどまでに恐ろしかった静寂と暗闇は、跡形もなく消え去っている。

代わりにそこにあるのは、自分を求めて本気で嫉妬し、怒り、笑い合う、このやかましくも愛おしい現実の騒音だった。


「……ははっ」


ナオキの口から、自然と笑いがこぼれた。

空っぽだった器に、彼女たちの感情がドクドクと注ぎ込まれていくのがわかる。


「ちょっと、ナオキ! 何笑ってますの! 」

ツカサが頬を膨らませてナオキを睨む。


「あぁ、悪い。……でも、なんか、いい朝だなと思って」

ナオキはゆっくりと身を起こすと、騒ぐ三人の頭を順番にポンポンと撫でた。


窓の外を見ると、機能停止した商業都市のビル群が、朝日に照らされて静かに佇んでいる。


「さて……。トウヤ達も待ってるし、まずは物資の調達と、拠点探しだな」


生き残るための、そして自分たちの夢の畑を作るための、過酷なサバイバルの第一歩。

けれど、背後で騒ぐ彼女たちの声を聞いている限り、その道のりは決して孤独なものにはならないだろう。


ナオキは決意を新たに、大きく伸びをして、騒がしい一日への準備を始めた。



*****



 まるで現代のホームセンターのような外観と内装をしている、商業都市最大の萬屋よろずや『大寶堂』の前に、ナオキたちは巨大な店内カートをそれぞれ持ち、集合していた。


「よし、全員聞け。さっきツカサと作戦会議をした結果、物資調達の班分けや担当はあえて決めないことにした。全員が全員、自分のものをとりあえず一週間分程度確保するスタイルで行こうと思う」


「とはいえ、メモは用意しましたわ。それをもとに、皆さん自分の忘れ物がないように、ご注意くださいませ。見落としがあったら、皆さんからも共有してくださいまし」

ツカサが注意喚起をし、メモを配っていく。


「にく!肉を入れるっすよ!!」

「ルカ、保存がきくものをカートに入れろよー」

「子供じゃないっすからそのくらいわかってるっす!!」

「ほんとかよ」


ナオキのからかいにルカが頬を膨らませる横で、ミヤビが配られたメモに目を落としながら優しく補足した。


「私たちは当面、水と火がなくても食べられる缶詰やレトルト食品、それに栄養失調を防ぐためのビタミン系のゼリー飲料や野菜ジュース、サプリメントが必須になるようね。自分が食べる分はしっかり確保しないと。……ルカちゃん、お肉の缶詰もたくさんあるから安心して」

「やったっす! ミヤビさん、頼りになるっす!」


「それと、高品質ポーションの残りはもちろん回収しますが、ケガよりも病気にならない環境づくりが最優先ですわ」

ツカサが扇子を口元に当てながら、全員の顔を見渡す。

「メモにも書きましたが、水を使わずに体を清潔に保てる『ドライシャンプー』や『ボディシート』、『除菌ウェットティッシュ』。それから女性陣は、生理用品、絶対に見落とさないように」


「うんうん! あと、このメモにある、食品用のサランラップとアルミホイルって、 お皿に巻けば洗うお水を節約できるし、怪我したときの応急処置や防寒にも使えるって、昔テレビ番組で教わったよ!」

「アイリ、大正解だ。よく知ってたな」

ナオキが感心したように頷くと、アイリは「えへへ」と嬉しそうに胸を張った。


「衣類に関しては、各自のサイズで実用性重視ですわね。作業着コーナーで、頑丈で動きやすい作業着や、風を通さないマウンテンパーカーや雨を通さないカッパ、分厚い靴下、そして軽いスニーカーと長靴、安全靴を揃えてください。あ、下着の替えも大量に必要ですわ」


ツカサの指示に全員が頷く中、ナオキがメモの最後の一項を指差した。


「……次に『防衛』と『インフラ』だな。これは大変だから、俺とトウヤだけで担当する。トウヤ、俺と一緒に一番ハードな資材を揃えるぞ」

ナオキがトウヤの肩を叩くと、トウヤは「望むところです!」と力強く頷いた。


「魔法の結界が張れない以上、物理的な『鉄柵』や『有刺鉄線』、罠に使う『ワイヤー』や『鳴子』用の鈴が拠点の周りに必要になる。が、いったんは街に近い安全なところを仮拠点にしようと思ってるから、今日はいいだろう。……急ぎなのは、水洗トイレが死んだ今、排泄物の処理だ。微生物で分解する『バイオトイレ』を作る」


ナオキは配られたメモの「インフラ」の欄を指さしながら、全員に念を押した。


「やっぱりプライバシーも衛生面も大事だから、トイレは最初から『一人一棟』作る。ただし、でかいのを建てるのは時間がかかりすぎるから、人が一人しゃがめるだけの『極小サイズの個室』だ。農業用直管パイプと屋根のアーチパイプを4セット分だけ使って、ビニールを張り、その上をブルーシートや遮光シートで囲うだけの簡単なビニールハウスにする。それならすぐできるし、穴が満杯になったら骨組みごと持ち上げて、次の穴へ簡単に移動できるからな」


そこまで説明し、ナオキは女性陣へ視線を向けた。


「建築資材やスコップとかの必要なもんは俺とトウヤで運ぶから、みんなはトイレ本体になる『簡易便座』と、あとは消石灰や『おがくず』を各自のカートに乗せておいてくれ。土台にする重いコンクリートブロックは、後で俺とトウヤで回収して回るから載せなくていいぞ。現地にあるかもしれんしな」


「了解です! ナオキさんと二人で、今日中に七人分のトイレを作ってみせますよ!」

トウヤが気合十分に拳を握ると、その背後からスッと、冷ややかで、しかし熱を帯びた影が忍び寄った。


「……ナオキ様。その重労働、私もお手伝いいたしますわ」

セリアが、いつの間に用意したのか、鋭く研ぎ澄まされた短剣……ではなく、ピカピカのスコップを手に微笑んでいた。


「セリアもか? 重いものを往復するのは、かなりの重労働だぞ」

「ふふっ……。ナオキ様と力を合わせて『生命の循環の聖地』の土台を築き、誰にも邪魔されない絶対防衛圏を構築する……。なんと共同作業らしい、甘美な響きでしょう。トウヤがバテても、私は一日中働き続ける自信があります!」


「いやセリアさん、ただのトイレだからね」


ナオキは呆れ半分、頼もしさ半分で鋭くツッコミを入れた後、パンッと大きく手を叩いて気合を入れ直した。


「いろいろ言ったけど、別に一回で全部持っていく必要もないからな! 無理せず楽しんでいこう!!……よし、散開! 徹底的に回収しろ!」


「「「おおーっ!!」」」


ナオキの号令と共に、それぞれの使命とサバイバル知識を頭に叩き込んだ最強のパーティメンバーたちは、巨大な店舗の奥へと、文字通り「獲物」を狩るような鋭い足取りで散っていった。


「おっと、ちょっと待ってくれトウヤ、みんなが物資を集めている間に、俺とツカサで先に拠点を探してくる。このまま真っ直ぐ郊外に抜けたあたりで、良さそうな開けた農地付きの空き家を見つけたらすぐに戻るから、すまんがビニールハウスの資材はそこの玄関あたりにまとめておいてくれ」


「了解です!任せてください!」


頼もしいトウヤの返事を聞き届け、ナオキはツカサと共に一足先に『大寶堂』を後にした。

残されたメンバーたちは、広大な店舗の中でそれぞれの「欲望」と「生存戦略」に従ってカートを走らせていた。



***



「よしっ! ナオキさんに任された資材、ガンガン集めるぞー!」


資材館に駆け込んだトウヤは、目を輝かせながら農業用パイプを肩に担ぎ上げていた。

ナオキから男手として頼りにされたことが純粋に嬉しい。鼻歌交じりにジョイント金具、ブルーシート、ビニールに留め具、そしてスコップを次々とカートに放り込み、正面玄関のレジ裏の広いスペースに手際よく物資の山を築いていく。


「あとは……おおっ、この工具セットかっこいい……」


サバイバルというよりも、秘密基地作りにワクワクしている少年のように、トウヤの足取りは羽が生えたように軽かった。


***


そんなトウヤがせっせと働く姿を、日用品コーナーの物陰からこっそりと見つめている影が二つあった。


「可愛いトウヤ、張り切ってるわね。力仕事ばかりで大変だろうから……汗拭き用の肌触りのいいタオルと、頑丈な革手袋でもプレゼントしようかしら」


ミヤビが、カートに大量のレトルト食品を積み込みながら、手に取ったアウトドア用のタオルを愛おしそうに見つめていた。その時。


「ちょっと待つっす!! ミヤビさん、抜け駆けはズルいっす!!」


隣から、ルカが猛烈な勢いでカートを押して突っ込んできた。

カートの中には、ナオキに「肉ばっか入れるな」と注意されたにもかかわらず、高級な牛肉の大和煮缶詰やスパムが山のように積まれている。


「あら、ルカちゃん。抜け駆けだなんて人聞きが悪いわ。私はただ、パーティの要として頑張ってくれるトウヤに、ささやかなねぎらいを……」

「くっ……お姉さんの余裕ってやつっすね……! なら、あたしはトウヤの疲れを癒やすために、……プロテインをプレゼントするっす!!」


ルカはミヤビに対抗心を燃やし、ものすごい形相でスポーツ用品コーナーへダッシュしていった。

ミヤビは「あらあら」と上品に微笑みながら、そんなルカの背中を見送るのだった。


***


一方、化粧品・薬局コーナー。

アイリは、棚にズラリと並んだ商品から、真剣な顔で選別していた。


「ナオキとツカサちゃんのも入れといてあげよっか。ええっと、洗顔シートに、ドライシャンプーに……あ、リップクリームも乾燥するから必須だよね」


「……あの、アイリ」


背後から控えめに声をかけられ、アイリが振り返ると、そこにはカートの端をギュッと握りしめたセリアが立っていた。

彼女のカートには、重そうな消石灰の袋がドサドサと積まれているが、その表情はどこか居心地が悪そうだ。


「どうしたの、セリアちゃん? 何か見つからない?」

「いえ、その……」


セリアはモジモジと視線をさまよわせた後、意を決したようにアイリを真っ直ぐに見つめた。


「私も、その……お化粧、というものを、してみたいのですが。メイドとして最低限の知識はあっても、自分を『綺麗に見せる』ための作法は、まったく分からなくて……。アイリはいつも可愛らしいですし、もしよければ、その、教えてほしいな、なんて」


その健気な申し出に、アイリは目を丸くした後、パァッと花が咲くような笑顔を見せた。


「なんだ、そんなこと! セリアちゃんは元がめちゃくちゃ整ってるから、そのままでもすっごく可愛いよ! すっぴんでこの美しさは反則だもん!」

「そ、そうでしょうか……」


「でもね!」

アイリはアイドルとしてのプロの顔になり、人差し指をビシッと立てた。


「これからお外で作業するなら、紫外線対策とスキンケアは死活問題だよ! 日焼け止めと化粧水、それに保湿クリームは絶対にあったほうがいい! 一緒に、セリアちゃんのお肌に合うやつ選ぼう!」

「はいっ……! よろしくお願いします!アイリ!」


アイリに手を引かれ、セリアの張り詰めた表情が、年相応の女の子の柔らかい笑顔へと変わっていく。


機能停止した都市の巨大な萬屋の中で、彼らはそれぞれに「明日を生きるための準備」を、これ以上ないほど賑やかに、そして楽しげに進めていた。

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