世界回帰回答編 第二話
賑やかだった宴が終わり、ルカとミヤビが疲れて眠りについた後のバルコニー。
アイリ、ツカサ、セリアの三人は、ランタンの僅かな灯りを頼りに、残った食器や機材の片付けをしながら静かに言葉を交わしていた。
「……正直、すっごくびっくりした」
布巾で皿を拭きながら、アイリがポツリと呟く。
「ええ。私もですわ。まさかナオキの口から、『農業をやりたい』という言葉が出るなんて」
ツカサが汚れを落としたトングを箱にしまいながら、深く同意した。
彼女たちはナオキの『前世の記憶』を共有している。
家族のために泥水にまみれて働き、ようやく農園を大成功させた途端に、すべてを奪われて追い出されたという絶望の過去。ナオキにとって『農業』は、二度と思い出したくもない、呪いのようなトラウマになっているとばかり思っていたのだ。
「でも、ナオキ様はとても楽しそうに笑っておられました」
セリアが、空になったグラスを丁寧に拭き上げながら言う。
「……うん。きっと、農業そのものが嫌いだったわけじゃないんだよね。ナオキは、自分が育てた野菜や、土をいじることが好きだった。トラウマになってるとしたら、それを『誰かに奪われたこと』なんだと思う」
アイリの言葉に、ツカサが真剣な表情で頷いた。
「だからこそ、自分のため……いえ、心から信頼できる『私たち』と一緒に、もう一度あの時の情熱を取り戻したい。悲しい記憶を、私たちとの楽しい記憶で上書きしたい……そういうことなのでしょうね」
「だとしたら、私たちがやるべきことは一つですね」
セリアがフッと微笑み、アイリとツカサも顔を見合わせてニッと笑った。
三人の乙女たちは、まだ見ぬ畑での生活に向けて、固い決意の結束を結んでいた。
――そして。三人はスッと表情を引き締め、互いに鋭い視線を交錯させた。
「……よし。農園の話はこれで終わり。それじゃあ、今日の『本題』に入ろっか」
アイリが、ゴクリと喉を鳴らして右手をスッと胸の前に構える。
「ええ。……じゃんけん、ですわね?」
ツカサも優雅な微笑みを保ったまま、臨戦態勢に入った。
「ふふっ。私、運だけは強いですよ。ナオキ様の記念すべき一番手、絶対に譲りません」
セリアが暗殺者のような気配を漂わせながら、静かに右手を握り込む。
かくして、愛する男の夢を支えるという崇高な結束は開始一分で一旦脇に置かれ、血で血を洗う熾烈なじゃんけん大会が幕を開けたのだった。
***
一方その頃。
ホテルの大浴場から、男たちの悲鳴が上がっていた。
「さっっっっむ!! 死ぬ! 心臓止まりますよこれ!!」
「アホ、動くな! 動くと余計に冷たい水が肌に触れるんだよ! じっと耐えろ!」
魔法が消え、給湯システムが完全に沈黙した大浴場。
ナオキとトウヤは、容赦なく降り注ぐ氷水のような冷水シャワーを浴びて、ガチガチと歯の根を鳴らして震えていた。
数分後。
烏の行水で飛び出した二人は、バスタオルで念入りに体を拭き、服を着込んで足早に脱衣所を後にした。
星明りのみの、薄暗く静まり返ったホテルのロビー。
ソファに腰を下ろした二人は、ようやく一息ついて真面目な顔を向き合わせた。
「……ナオキさん。これ、マジで笑い事じゃないですね」
「ああ。今はまだ屋上の貯水槽に水が残ってるからなのか、『水風呂』として使えたが……時間の問題だ。ポンプが止まってる以上、水はそのうち完全に枯渇する」
ナオキは手元に置いた未開封のミネラルウォーターのペットボトルを見つめた。
どういう原理なのか、今のところ蛇口から水は出るものの、浄水施設がどうなっているか分からない以上、水道水は衛生面を考慮して飲用を避けていた。
「水が出なくなるってことは……一番ヤバいのは『トイレ』ですかね」
トウヤが顔を青ざめさせる。
「正解だろうな。ホテルから道へ繋がる下水は、魔法のポンプのようなもので強制的に排出してる可能性が高い。それが止まれば流せなくなるどころか、最悪の場合、下の階から汚物が逆流してくるぞ。数日後には、このホテル全体が悲惨なことになってるかもな」
「うげっ……想像しただけで吐きそうです」
「それに、この街そのものも危険だ。魔法で動いていた魔道具やインフラ設備が、魔力供給を絶たれて暴走したり、ショートして火災を起こしたりするリスクもある。この商業都市は、物資の回収には好都合だが、住むメリットはないな」
ナオキは暗いロビーの窓枠から、機能停止した無機質な街並みを見下ろした。
「だから、農業なんだ。食料を自給自足するためだけじゃない。水洗トイレや都市のインフラに頼らなくていい、自然の水源(川や井戸)があって、安全に下水処理(ぼっとん便所や堆肥化)ができる場所。……そして、たまに物資を取りにこれる場所。すべての条件を満たすこの商業都市の郊外に、俺たちだけの『拠点』を作る必要がある」
「なるほど……! 単なるスローライフへの憧れじゃなくて、生き残るための超現実的なサバイバル戦略だったんですね」
トウヤが感銘を受けたように大きく頷く。
「いや、あの三人には『俺のやりたいことだ』って感じで思われてるだろし、実際俺もそう思ってるよ。……まあ、明日から忙しくなるぞトウヤ。付き合ってくれ」
「はい! まずは明日、店で物資の調達と、拠点探しですね!」
冷水シャワーで冷え切った体とは裏腹に。
暗闇のロビーで打ち合わせをする男たちの目には、これから始まる過酷な、しかし自由なサバイバルへの確かな熱が宿っていた。
*****
ロビーでの密談を終え、ナオキは割り当てられたスイートルームの寝室へと戻った。
大きなベッドに腰を下ろし、ふう、と息を吐き出した直後。
ガチャリ、と控えめな音を立ててドアが開いた。
「ナオキ。起きてる?」
「アイリ? どうしたんだ、こんな時間に」
薄手で肌触りの良さそうなネグリジェ姿のアイリが、少し照れくさそうにモジモジしながら部屋に入ってくる。
「あのね、さっきツカサちゃんとセリアちゃんと話し合って、決めたの。……今日から毎晩、私たちが交代でナオキと一緒に寝るねって」
「え?」
「だって、魔法が消えて、私たちを繋いでいた『感覚共有ライン』もなくなっちゃったでしょ。今まではナオキが何を考えてるか、どんな気持ちでいるか、言葉にしなくても伝わってきたけど……これからはそうはいかないから」
アイリはベッドに近づき、ナオキの隣にちょこんと腰を下ろした。
「だから、せめて夜寝る時くらいは、こうして肌をくっつけて、ナオキの熱を直接感じたいなって。……嫌、だった?」
上目遣いで不安そうに聞いてくるアイリに、ナオキは苦笑してその頭を撫でた。
「嫌なわけないだろ。むしろ大歓迎だ。……ありがとな、アイリ」
「えへへ……よかった」
アイリの嬉しそうな笑顔に癒されながら、ナオキは部屋の明かりを消し、二人でベッドへと潜り込んだ。
本当に色々なことがあった。そしてこれからのサバイバル。心身ともに疲労はピークのはずだった。
ナオキは目を閉じ、眠りにつこうとした。
――その、瞬間だった。
(……あれ?)
瞼の裏の暗闇が、突如として反転した。
音のない世界。匂いのない世界。上下左右の感覚すら消え失せる、あの絶対的な虚無の暗闇に場面が移り変わる。
脳裏に、血のように赤いデジタル数字がフラッシュバックする。
発狂し、自我をすり潰され、よだれを垂れ流すだけの廃人へと成り果てた、あの地獄の記憶。
(違う。あれは終わったんだ。俺は助かったんだ。……でも、もし今のこの現実が、あの暗闇の中で狂った脳が見せている『幻覚』だったら……?)
「っ……、はぁっ、はぁっ……!」
ナオキは跳ね起きようとしたが、体が強張って動かない。
呼吸が浅くなり、酸素が肺に入ってこない。
BBQの時は、みんなの騒がしい声と美味しい匂いがあったから、無意識に蓋ができていただけだったのだ。暗闇の中では、魂の奥底まで削り取られた強烈なトラウマが、容赦なく牙を剥く。
「ナオキ……っ!? どうしたの、震えてる……汗、すごいよ!?」
隣で異変に気付いたアイリが、ガバッと身を起こした。
「あ、いり……。たすけ……すうじ………誰も、いない……っ」
歯の根が合わず、焦点の合わない目で虚空を見つめ、自分の腕を掻きむしろうとするナオキ。
その様子を見た瞬間、アイリは息を呑んだ。
彼女は、魂のダイブですべてを見ている。ナオキが、自分たちを救うためにあの無の地獄を過ごし、自我が完全に崩壊するまで狂い続けたことを。
「ナオキ!! 大丈夫、大丈夫だから!!」
アイリは暗闇の中で、自らのネグリジェを躊躇いなく脱ぎ捨て、素肌のまま、ナオキの震える体を力強く抱きしめた。
自身の柔らかな胸にナオキの顔を押し当て、その背中に腕を回す。
「数字なんてない! 真っ暗な空間もない! ここはホテルで、ベッドの上! 私はナオキが命がけで助け出してくれた、本物のアイリだよ!!」
「……あ、……」
「聞いて! 私の声、聞こえるでしょ!? ナオキが守ってくれたアイリだよ!!」
石鹸の甘い香り。ナオキを抱きしめる腕の確かな重み。そして、密着した素肌から伝わってくる、焼け付くような体温。
それらの圧倒的な『生』の感覚が、ナオキの意識を虚無の底から強引に引きずり戻した。
「はぁっ……、ぁ……、アイ、リ……」
「うん、うん……。ここにいる。ずっとここにいるよ、ナオキ」
アイリが慈しむようにナオキの頭を撫で、冷や汗をかいた背中をさする。
その極上の優しさと温もりに、ナオキはすがるようにアイリの体を強く抱きしめ返した。
「……アイ、リ……」
「戻らせないよ。絶対に」
アイリは、ナオキの頬を両手で包み込み、暗闇の中でその瞳を真っ直ぐに見つめた。
「あの橋の上で、誓ったでしょ。私たちが、ナオキに愛を与える最初の人になるって」
アイリの親指が、ナオキの目尻に浮かんだ涙の粒を優しく拭い去る。
暗闇の中でも、彼女の真っ直ぐで力強い眼差しだけは、不思議とナオキの網膜に鮮烈に焼き付いて見えた。
「ナオキは今まで、ずっと一人で背負ってきたよね。自分の感情を殺して……空っぽの器になってまで、周りを満たそうとしてきた。あの神の罠の中でも、私たちのために、永遠みたいな時間をたった一人で耐え抜いてくれた」
「……っ」
「でもね、もうそんな自己犠牲はしなくていいの。ナオキが自分のために生きるのが下手くそなら、私がナオキの『我儘』になってあげる。ナオキが自分を愛せないなら、私がナオキの分まで、ナオキのことを死ぬほど愛してあげるから」
暗闇に怯えるナオキの唇に、アイリはそっと、自らの唇を重ねた。
それは欲望を貪るようなキスではなく、ただ純粋に体温と『生』を分け与えるような、優しくて甘い、深い口づけだった。
「ナオキが安心するまで、私がナオキの中を、愛でいっぱいに満たしてあげる」
アイリは慈愛に満ちた微笑みを浮かべると、強張っているナオキの体を優しく仰向けに寝かせ、自らが上に乗るようにして彼の体をすっぽりと包み込んだ。
「んっ……ぁ、ナオキ……大丈夫だよ……っ」
甘い吐息が、静寂に包まれた寝室に漏れる。
ナオキは自分から動くことすらできず、ただ震える腕でアイリの背中にしがみつき、完全に彼女にされるがままになっていた。
アイリは、虚無の恐怖に怯えるナオキを安心させるように、ゆっくりと、深く、自らの熱い奥底へ彼を導き入れていく。そして、彼の中にある絶望の残滓をすべて溶かしてしまおうと、柔らかくしなやかな体でナオキをきつく抱き込む。
「よしよし……ナオキ、あついね……っ。私の中に、ちゃんとナオキがいるよ……っ」
「アイリ……っ、あ、アイリ……!」
子供のように名前を呼ぶたびに、アイリは「ここにいるよ」と何度も彼の髪を撫で、鼓膜が痺れるような声で応えてくれる。
アイリは、自分にすがりつくナオキの姿に、胸が締め付けられるような愛おしさを感じていた。
(ああ……嬉しい。私、今すごく、嬉しい……)
いつもは冷静で、誰よりも頼りになって、絶対に弱音を吐かない彼が。今、こんなにも無防備に、震える手で自分を求めてくれている。あの地獄のような孤独を耐え抜いた彼が、自分の温もりだけを命綱にして現実に繋がろうとしている。
その事実が、アイリの女性としての本能と、彼を守りたいという深い母性を同時に、そして強烈に満たしていくのだ。
「ナオキ……見て。目を開けて、私を見て……っ」
アイリは腰をゆっくりと沈め込みながら、ナオキの頬を両手で優しく包み込んだ。
促されるままに、怯えたように薄く開かれたナオキの瞳。
(ナオキ……まだ、あそこにいるんだね)
アイリは、ナオキの恐怖の深さを改めて実感した。あの無限の虚無の空間で、自我を削り取られながら過ごした長い長い時間。そのトラウマは、アイリの温もりだけでは容易に消し去れないほど、彼の魂に深く刻み込まれていた。
ナオキの男としての本能もまた、恐怖によって完全に凍りついていた。アイリの柔らかな裸身を目の前にしても、彼女の甘い匂いを嗅いでも、彼の中に性欲など微塵も湧いてこない。ただ、恐怖に震え、アイリという光に守られていたいと願う、傷ついた子供の精神状態のままだ。
アイリは、ナオキの首筋に熱く、甘い息を吐きかけた。そして、意図的に、ちゅっ、と皮膚を吸い上げ、軽く歯を立てる。
「……っ!」
ナオキの体が一瞬、大きく跳ねた。それは、恐怖とは異なる、生々しい感覚だった。
「ナオキ。感じた?」
アイリは、ナオキの耳元で囁き、彼の頬を両手で包み込んだ。
瞼を震わせながら、ゆっくりと開かれたナオキの瞳。その奥には、まだ恐怖の残滓が漂っているが、アイリの姿を捉えた瞬間、確かな安堵の色が浮かんだ。
「真っ暗じゃないよ。ほら、私がここにいる」
アイリは慈愛に満ちた微笑みを浮かべると、ナオキの強張っている下腹部へと、ゆっくりと手を伸ばした。
恐怖で完全に沈黙していた、ナオキの男の象徴。アイリの柔らかな手のひらがそこに触れた瞬間、ナオキの体は再びビクッと震えた。
「……っ、アイ、リ……?」
声が震える。何をされているのか、理解できない。ただ、アイリの手の温かさと、そこから伝わってくる優しい刺激に、戸惑っている。
アイリは、ナオキの戸惑いを無視するように、優しく、そして丁寧に、彼の凍りついた本能を解きほぐし始めた。
恐怖で縮こまっていたナオキの体が、アイリの手の動きに合わせて、ゆっくりと、しかし確実に熱を帯び始める。アイリの手の温もり、彼女の指先が描くリズム、そして肌と肌が触れ合うかすかな摩擦音。それらの感覚だけが、ナオキの世界を徐々に満たしていく。
ドクン、ドクン、と、ナオキの鼓動が速くなる。それは、恐怖によるものではなく、アイリの奉仕によって目覚め始めた、男としての本能によるものだ。
ナオキの呼吸が荒くなる。彼の体はまだアイリにされるがままの状態だが、その瞳には、恐怖ではなく、アイリに対する熱い欲望が宿り始めていた。
アイリは、ナオキの体の変化を敏感に感じ取っていた。彼の中にある恐怖が、少しずつ、女性としての自分の愛と、男としての彼の本能によって、上書きされていく。その過程が、アイリの心を満たし、彼女自身もまた、ナオキを救っているという喜びに深く感じていくのだ。
「……よしよし、ナオキ。だいぶ、あたたかくなったね。こわいものは、全部食べてあげるからね」
アイリは甘く囁くと、ゆっくりと体を下にずらし、ナオキの足元へと顔を近づけた。
そして、恐怖から解き放たれつつある彼をすっぽりと包み込むように、自らの柔らかな唇を開き、その熱い奥底へと深く咥え込んだ。
「……ッ!! あ、いり……ッ!?」
ナオキの口から、これまでとは全く違う、ひっくり返るような声が漏れた。
暗闇の中で視覚を奪われているからこそ、下半身を包み込む『圧倒的な熱』と『濡れた感触』が、脳髄が焼き切れるほど鮮烈に伝わってくる。
チュッ、ジュプッ……。
静まり返った寝室に、アイリの舌が絡みつく、ひわいで、けれど慈愛に満ちた水音が響き渡る。
彼女の温かい口内が、ナオキを縛り付けていた恐怖の残滓を、彼が震えるほどの快感と共に文字通り『食べて』溶かしていく。
「んっ……ちゅ……、れろ……」
「あ、ああ……っ、すごい……アイリ、あつい……っ」
ナオキはされるがままにシーツを握りしめ、喉の奥で荒い息を繰り返した。
アイリの懸命な奉仕。自分を喜ばせよう、現実に引き戻そうと必死に口を動かしてくれる彼女の健気な愛が、凍りついていたナオキの血液を沸騰させていく。
「ぷはっ……ん、ふふっ。ナオキ、すっごく熱くて、大きくなったよ。……もう、入れても、いい?」
アイリは顔を上げ、唇を艶やかに光らせながら、ナオキの瞳を覗き込んだ。
そこにあるのは、物理的な快楽によって雄としての機能は完全に目覚めているものの、その瞳は潤み、ただアイリという唯一の光にすがりつく、怯えた子供のままだった。
「……あ、アイリ……っ」
ナオキは肯定の言葉すら紡げず、ただ震える手でアイリの肩を掴み、すがるように彼女の名前を呼んだ。
「うん……っ。大丈夫、ずっと一緒だよ……っ」
アイリはナオキの胸の上に再び覆い被さると、自らの蜜で濡れそぼった柔らかな奥底を、完全に熱を取り戻したナオキへとゆっくりと沈め込んだ。
「んぁっ……! あ、ああっ……ナオキ、はいるよ……っ」
「あ……っ、アイリ……ッ!」
最も深い場所で、二人の体が完全に一つに結びつく。
アイリは、ナオキの頭を自らの豊かな胸に抱き寄せ、ゆっくりと腰を揺らし始めた。
ナオキは自分から腰を振ることは一切せず、ただアイリの細い腰にすがるように両手を回し、完全に彼女にされるがまま、その動きに身を委ねている。
「アイリ……っ、あ、アイリ……っ」
ナオキはただ甘えた声でアイリの名前を連呼しながら、彼女の柔らかな胸に顔を擦り付け、チュッチュッと赤子のように吸い付いている。
最初は、彼を恐怖から救い出すための、純粋な母性に溢れた奉仕のつもりだった。
だが、アイリの女性としての本能は、彼と繋がり、その情けない声を聞いた瞬間から、別の強烈な感情に塗り潰されようとしていた。
(ナオキが……あの絶対的に強くて、一人で何でもできちゃうナオキが、今、私にしか縋れないで、こんなにトロトロな顔で甘えてる……っ)
その凄まじいギャップ。
誰にも頼らず、たった一人で世界とシステムに抗い続けた男が、今は完全に自分に支配され、自分なしでは生きていけない赤子のように身を委ねている。
その事実が、アイリの脳髄をガンガンと痺れさせ、庇護欲という名のどす黒い独占欲と、猛烈なメスとしての興奮へとすり替わっていく。
「あぁっ……! ぁあっ……! ナオキ……っ、ナオキィッ……!」
彼を安心させるという目的すら忘れ、アイリの腰の動きは次第に激しく、貪欲なものへと変わっていった。ナオキがビクビクと震えながら自分にすがりついてくる感触が、たまらなく愛おしく、そして堪らなくエロい。
「あっ、あぁっ……! な、ナオキ、すごい……っ! さっきより、ずっと奥まで……っ!」
「アイリ……っ! ああ……アイリ……っ」
彼の中から吐き出される言葉は、ただひたすらに自分の名前だけ。
アイリの脳内で、理性のタガが完全に弾け飛んだ。
(だめ、私……っ。ナオキを慰めてあげるはずなのに……こんなの、かわいすぎて……私の方が、おかしくなりそう……ッ!)
バチン、バチンと、激しく肌が打ち付けられる音が寝室に響き渡る。
アイリは汗ばんだ髪を振り乱し、ナオキの体を押し潰すように密着しながら、狂ったように腰を打ち付けた。彼が甘えるように抱きついてくればくるほど、アイリの下腹部から湧き上がる熱は限界を超えて沸騰していく。
「い、いく……っ、ナオキ、私、もう……おかしくなりそう……っ!」
「あ、アイリ……っ! アイリィッ……!」
限界を悟ったアイリがシーツを強く握りしめる。ナオキもまた、完全に彼女の動きによる快感だけに導かれ、息を詰まらせながら最も深い場所へと自らの熱を跳ね上げた。
「あっ、あぁぁぁっ……! ナオキ、大好き……っ! ずっと、私がいなきゃダメになって……っ!!」
「アイリ……ッ!! ああぁッ……!」
アイリのどす黒い独占欲が混ざった絶叫と共に、最も熱く、深い奥底へと、ナオキの生命の奔流が勢いよく解き放たれた。
アイリもまた、目の前が真っ白になるほどの凄絶な絶頂を迎え、ガクガクと小刻みに震えながら、ナオキの体の上へと崩れ落ちたのだった。
*****
「……まだ、怖いんだね、ナオキ」
アイリは、ナオキの髪を、まるで壊れ物を扱うように指先で優しく梳いた。
彼が背負ってきた、あまりにも長くて孤独な夜。誰からも愛されず、ただ利用され、最後には捨てられた前世の絶望。そして、あの暗闇の空間で彼が失ってしまった「自分を愛する心」。
アイリは、ナオキの耳元に唇を寄せた。
魔法がなくても、感覚共有がなくても、心臓の鼓動が重なるこの距離なら、歌はきっと魂に届く。
「聴いて、ナオキ。……これはね、君に救われた、私のわがままな歌だよ」
アイリは、静かに、囁くような旋律を紡ぎ出した。
それはどこかの国の伝承でも、流行りの歌でもない。ナオキの過去を見て、彼の痛みを知ったアイリが、今、この瞬間のために心で作り上げた曲だった。
『……泥にまみれた、傷だらけの手。
誰かのために、笑うのをやめて。
からの器に、涙が降っても。
私がすべて、飲み干すからね……』
アイリの歌声は、夜の静寂に溶け込むように柔らかく、ゆりかごのような一定のリズムを持っていた。
ナオキの背中を叩くアイリの手のひらが、彼の心臓の鼓動を優しく整えていく。
『……暗く凍える、無音の闇も。
赤い数字が、刻んだ傷も。
君が立ち止まる、あの橋の上。
私の愛で、口づけしよう……』
歌詞のひとつひとつが、ナオキの魂の傷口を優しく塞いでいく。
アイリは、「アイドル」というエゴの中で生きていた。けれど、ナオキの優しさに触れ、救われたからこそ、今の自分がいる。だから今度は、自分が彼の「欲」になり、「生きる意味」になりたい。その決意が、メロディに宿っていた。
『……ねえ、おやすみよ、愛しい人よ。
もう『いい子』には、ならなくていい。
明日目覚めて、朝日が射したら。
二人で土を、耕しにゆこう……』
ナオキの強張っていた指先から、ようやく力が抜けた。
アイリの豊満な胸に顔を埋めたまま、彼は小さく、安堵のため息を漏らす。
『……土から芽吹く、光を数え。
君が育てた、命を食べよう。
夢見るように、目を閉じていい。
君の心は、私が守る……』
アイリの歌声が、ふわりと消える。
最後にナオキの額へそっと落とされたキスは、どんな魔法よりも強力な魔法となって、彼を深い眠りへと誘った。
「…………」
ナオキの口元が、わずかに緩んでいる。
あの虚無でも、絶望の橋の上でもない。アイリという温かい光に包まれた、ただの幸せな夢の中へ、彼はようやく旅立つことができた。
アイリはナオキの寝息を確認すると、自分もまた、彼の温もりに顔を寄せて目を閉じる。
「おやすみ、ナオキ。……明日も、明後日も。私たちが、君の我儘になってあげるからね」
明日から始まる、泥にまみれた、けれど誰よりも自分たちのために生きる世界。
その第一歩を前に、ナオキはアイリの腕の中で、暗闇を抜け出し本当の休息を手に入れたのだった。




