世界回帰回答編 第一話
※三話分を前章へ移動しました。変更前の最速読みの方は未読・既読にご注意ください。
「――っ、はぁっ!!」
ホテルの一室。
ベッドの上で、ナオキが大きく息を吸い込み、跳ね起きるように上半身を起こした。
焦点の合っていなかった瞳には、確かな知性の光と、戸惑い、そして強い生命力が宿っている。
「「ナオキ……っ!!」」
「ナオキ様ぁっ!」
アイリとツカサが左右からナオキの首に抱きつき、セリアがその胸に顔を埋めて号泣した。
「ん、お前ら……。なんでベッド……? つーか、俺、あの暗闇で発狂した後に、過去で本物のアイリたちに会って……ん、今これ現実だよな?」
「ばかっ! この大ばか!!」
アイリがボロボロと涙を流しながら、ナオキの胸をポカポカと叩く。
「全部見たんだからね! ナオキが一人で何年もあんなとこで耐えてたのも! 昔、一人で全部背負い込んでたのも! ……もう絶対に離さない! 私たちで、一生幸せにしてやるんだから!」
「……っ、アイリ」
「覚悟なさいませ、ナオキ。あなたはもう、私たちなしでは生きられないようにして差し上げますわ」
「ナオキ様……ご無事で、本当に……っ」
三人の温もりと涙に包まれ、ナオキは数秒だけ呆然とした後。
ふと、憑き物が落ちたような、これまで見せたことのない心底安堵したような、柔らかい笑みを浮かべた。
「……ああ。ただいま。ありがとな……ツカサ、セリア、アイリ」
ナオキが三人の背中に腕を回し、強く抱きしめ返したその時。
『……プシューッ。ガコンッ』
部屋の隅から、気の抜けたような機械音が鳴り響いた。
「え?」
涙を拭いながら、トウヤが音のした方を振り返る。
そこにあったのは、高級ホテルの備え付けである大型の『魔道冷蔵庫』だった。そこから漏れ出していた冷気が、完全に停止している。
「あー……」
ミヤビが、空中に演算ウィンドウを出そうと指を振るが、何も起きない。
「やっぱり。完全に『魔法』も『スキル』もこの世界から消滅したみたいね。『ステータス』と『耐性』は気休め程度に残ってるみたいだけど。私の能力も使えないし、魔力で動いてた魔道具インフラもほとんど全部停止したわ」
「ってことは……」
ルカが、ハッとして冷蔵庫を指さした。
「ホテルの最高級の霜降りワイバーン肉とか、新鮮な深海魚とか……全部腐っちゃうってことっすか!?」
「……そういうことだね」
トウヤが真顔で頷く。
「いやいやいや! それは世界の崩壊より大問題っすよ! 魔法が使えないなら、凍らせて保存もできないっす!」
「なら、答えは一つしかねえだろ」
直樹が、三人の頭をポンと撫で、ベッドからゆっくりと立ち上がろうとする。
「まだ混乱しててよくわかんねえが、冷蔵庫が使えねえなら、ぱーっと、全部、今すぐ胃袋に収めるしかねえな」
「賛成!!」
アイリが満面の笑みでガッツポーズをした。
「魔法がなくても、物資はお店にあるもんね! よーし、セリアちゃん、ルカちゃん、トウヤ君! 準備手伝って!」
「承知いたしました。……フフッ、腕が鳴りますね」
セリアが、いつものメイドの顔――だが、かつてなく嬉しそうな顔で一礼した。
* * *
人間が消え去り、静寂に包まれた街を見下ろす、ホテルの広大なバルコニー。
そこでは今、男二人がかりで原始的な格闘が繰り広げられていた。
「ふぅーっ、ふぅーっ! ……けほっ、げほっ! だ、駄目だ。すぐ火が消えちゃうっすよ、ナオキさん」
白く目に沁みる煙をまともに浴び、顔を煤だらけにしたトウヤが涙目で咳き込んでいる。
魔法が使えなくなった今、頼れるのはアナログな物理法則だけだ。この世界の残り魔素と、ナオキの残り火のような生活魔法を振り絞って、かろうじて魔導ライターが点火しただけまだマシだった。
あとはルカとトウヤが近場の安全な森で調達してきた木材で火を起こそうとしていたのだが、酸素不足と木材の湿気で燻り、不完全燃焼の煙ばかりが上がっていた。
「トウヤ、息の吹き方が強すぎる。それに拾ってきたばかりの木をそのまま積んでも火は移らないし、密集しすぎてて風の通り道がないんだよ。貸してみろ」
ナオキがトウヤの隣にしゃがみ込み、無造作に積まれていた木材を一旦崩す。そして、手近なナイフを使い、太い木片から乾いた中心部分を鉛筆ほどの細さの焚き付けとして削り出し、さらに着火剤代わりになる薄いカンナ屑のような木屑を手際よく作り始めた。
「いいか、火ってのは生き物と同じだ。最初は細い木屑や紙で小さな火種を作って、下から優しく空気を吸わせてやりながら、割り箸くらいの細い木に燃え移らせる。それがしっかり燃え出してから、少しずつ太い薪へと炎を育てていくんだ」
前世で農家として土に塗れ、果樹の剪定枝の野焼きなどで日常的に火を扱っていたナオキの手つきは、迷いがなく鮮やかだった。
着火しやすい木屑をふんわりと中心に置き、その周囲に細く割った木を、空気の通り道ができるよう井桁状に組んでいく。魔導ライターの火を木屑の中心に落とし、両手で風除けを作りながら、赤熱した火種に向かって、長く、細く、そっと息を吹きかける。
細い煙がひとすじ立ち上り――直後、チロチロと揺れていた小さな火種が、パチパチと心地よい乾いた音を立てて細木を舐め始めた。
十分な酸素を取り込んだ炎は目に沁みる煙を消し去り、確かな熱を持ったオレンジ色の明かりとなって、バルコニーの夜闇を力強く照らし出した。
「おおおお! すげえ! 一気に火が大きくなった! さすがナオキさん、サバイバル知識も完璧っすね!」
「昔、仕事で散々やってたからな。剪定した果樹の枝を燃やすのなんて日常茶飯事だったし。……よし、これで炭にも火が移るはずだ。上出来だろ」
炎の熱気に照らされながら、ナオキが立ち上がってポンポンと手の汚れを払う。トウヤとパチンッと、小気味よいハイタッチを交わした。男同士の、ちょっとした達成感の共有だ。
「よしっ、二人とも火起こしご苦労! トウヤ君、お肉と海鮮焼くよ!」
「はい、アイリさん! 俺が最高の焼き加減にしますよ!」
「おっと、炭で焼くからもうちょい待ってろよー」
トングで肉を掴み、今まさに網へ乗せようとしていたアイリとトウヤが、ピタッと動きを止めた。
「えーっ!? なんで!? もうこんなに立派な火がついてるじゃん!」
「そうですよ! 今すぐこの最高級霜降り肉をジュワッとやりたいです!」
「お前らな……トウヤ、なんで俺が、『炭と一緒に、もし市販の薪が売ってなかったらホテルの家具じゃなく森で自然の木を拾ってこい』って指示したと思ってるんだ?」
ナオキが呆れたようにため息をつくと、アイリとトウヤはパチパチと燃える炎の中を覗き込んだ。
「えっと、ホテルの家具の木材とかだとニスや防腐剤の有毒ガスが出て、炭もお肉もヤバいことになるから……でしたっけ?」
「正解だ。異世界のニスは違うかもしれんがな。だが、安全な自然の木だからって、この燃え盛ってる『炎』で直接肉を焼くのは素人のやることだ。炎の高さをよく見てみろ」
ナオキが指差すと、二人は網の近くで勢いよく立ち上るオレンジ色の炎を見つめた。炎は不安定に揺らめき、木材からはまだ煤を含んだ煙が上がっている。
「今この上に、脂のたっぷり乗った最高級の霜降り肉を置いたらどうなると思う? 滴り落ちた脂に引火してキャンプファイヤー状態だ。外側だけ一瞬で黒焦げになって、中は生焼け。おまけに煙で煤臭くなって、せっかくの肉が台無しになるぞ」
「「うげっ……!?」」
アイリとトウヤは最悪のビジョンを想像して青ざめ、持っていた肉をスッと手元に引っ込めた。
「だ、だから炭なんですね……!」
「そういうこと。木材はあくまで炭に火をつけるための起爆剤だ。木が燃え尽きて煙が消え、炭全体に火が回って芯が赤く熱を持った状態……『熾火おきび』になるまで待つ。炎じゃなく、炭の遠赤外線による安定した熱でじっくり焼くのが、肉の旨味を逃がさない最高の焼き方だ」
「おおお……! ナオキさんのバーベキュー知識、説得力がハンパないです!」
「さっすがナオキ! やっぱり頼りになる〜!」
アイリが尊敬の眼差しを向け、トウヤが感心したように頷く。
「……なるほど。理にかなっていますわ。不格好な炎よりも、静かに熱を秘めた炭火の方が、美しい高級食材を扱うには相応しいですわね」
「流石はナオキ様。では、炭が仕上がるまでの間に、私とツカサで冷蔵庫から救出した野菜などを切り分けておきましょう」
「ええ、任せなさい」
ツカサとセリアも手際よく前菜の準備を進め、バルコニーにはパチパチとはぜる心地よい炭の音だけが響く。
***
やがて。
ナオキの言葉通り、木材の煙が完全に消え、網の下には赤々と静かな熱を放つ美しい『熾火』が出来上がった。
「よし。これで完璧だ。アイリ、トウヤ、焼いていいぞ」
「「よっしゃああああっ!!」」
待ちわびていた二人が、歓喜の声を上げて網の上に一斉に肉を並べる。
――ジュウウウッ!!
暴力的なまでに食欲をそそる音と共に、肉の脂が炭に落ち、香ばしい極上の匂いがバルコニー全体に立ち込めた。
「トウヤ!! はい、これ一番いいお肉っす! あーん!」
「あ、あーん!!って!!ルカさあ、本当は自分が食べたいだけでしょ!?」
「バレたっすか! じゃあ半分こっす!」
ルカがトウヤの口に巨大な肉の塊を押し込み、自分も猛然と肉に噛み付く。
「ちょっとルカちゃん! 最初にあーんするのは私たちでしょ!」
アイリが対抗するように、綺麗に焼けたシーフードをナオキの口元へ運ぶ。
「はい、ナオキ、あーん! ……んふふ、これが私たちの記憶完全復活の証だよ!」
「いや、待て。まだあの空間のトラウマでそんなには食欲が。ゆっくりだな……むぐっ」
「アイリ、抜け駆けはずるいですわ。ナオキ、私からはこの新鮮なフルーツを。……魔法が使えなくなったということは、これからは『私がナオキを物理的に温めてあげる』必要がありますわね。夜が楽しみですわ」
ツカサがナオキの腕に豊満な胸を押し当てながら、妖艶に微笑む。
「……アイリ、ツカサ。お戯れはその辺に。さあナオキ様、このお水をどうぞ。まだ残っていた氷で冷やしております。すっきりしますよ」
セリアが二人の間をスッとすり抜け、恭しくグラスを差し出した。
「あー、助かるよセリア。水が心に沁みる。俺はゆっくり食べるさ」
ナオキがグラスを受け取って喉を鳴らすと、アイリが恨めしそうに頬を膨らませた。
「むむむむむむ」
「私としたことがっ。セリアに後れを取るなど……!」
ツカサも悔しげに視線を鋭くする。
「なんかセリアちゃん、一人だけナオキと仲良くなってない?」
「当然です。私はナオキ様と二度も修羅場を乗り越えてきましたから。……特にミヤビは、本気で殺そうとしてきて大変だったんですからね」
セリアがこれ見よがしに胸を張ると、少し離れた席から声が上がった。
「そ、その話は悪かったですって……」
気まずそうに視線を逸らすミヤビ。
「むうううううううっ」
アイリがさらに唸り声を上げる。
「ふんっ。その程度のアドバンテージなど、私とナオキの絆の前では無意味ですわ」
ツカサが負けじとナオキの腕を強く抱き込んだ。
「……お前らなぁ。あの空間の俺の妄想でも、そんなに喧嘩してなかったぞ」
ナオキは呆れたように息を吐きながらも、その口元はどうしようもなく緩んでいた。
一方、少し離れたテーブルの端では。
「トウヤ……」
「ミヤビ姉ちゃん……」
ミヤビが、トウヤの隣にちょこんと座った。
トウヤが真っ直ぐに目を見つめると、ミヤビは照れ隠しのように、トウヤの口に焼けた肉を放り込んだ。
「……ほら、冷める前に食べなさい」
「すとおおおおおおおっぷ!! なんでそっち、妙にいやらしい雰囲気になってるんすか!! おかしいでしょ!!」
ルカがトングを片手に乱入してきて、甘い空気を全力でぶち壊す。
そんな仲間たちの騒がしい姿を眺めながら、ナオキは手元のミネラルウォーターが入ったコップを見つめた。
チート能力もなくなった。魔法も消えた。
物資は残っているが、これからは人間が消えたこの世界で、原始的なサバイバルを強いられることになる。決して楽な道ではない。
だが、彼の中に、『絶望』や『虚無』は微塵もなかった。
「……ナオキ?」
アイリが、不安そうにナオキの顔を覗き込む。
「大丈夫だよ。あの空間のことを思い出しても、絶望や恐怖は驚くほどないみたいだ。トラウマって言ったけど、大丈夫そうだな」
「ほんとに?」
「ああ。これから証明するさ。そのためにも、まずはこのアイリの焼いてくれた肉をもらうか……ん?いや、やっぱり……」
「うん! ナオキ、これ食べて! 私が心を込めて焼いた最高級霜降り肉!」
アイリがドヤ顔で差し出してきた皿を見て、ナオキは無言で眉間を揉んだ。
「アイリ。それは肉じゃない。ただの消し炭だ」
「えっ!? 違うよ、ウェルダンだよ! いつものキッチンが使えないから、火加減が難しくて……っ」
「逆にここまで炭素化させる方が難しいわ。昔の俺なら気を使って食ってたかもしれないが、今の俺は『自分のために生きるエゴイスト』だからな。腹を壊すものは絶対に食わん!」
「くっ、まさかここでエゴイスト宣言が裏目に出るなんて……! いつものキッチンなら私料理上手いのにいいいいいい」
アイリが崩れ落ちる横から、ツカサが優雅に皿を差し出してきた。
「アイリの言う通り、火の調整などという野蛮な作業は不器用な凡人がやること。ナオキ、こちらは私が包丁で美しく切り分けた、深海魚のカルパッチョですわ」
「ツカサ。その魚、まだビチビチ動いてるぞ」
「新鮮な証拠ですわ。さあ、遠慮なく私の愛を受け止めて」
「魔法で解毒も寄生虫処理もできない状態で、得体の知れない異世界の深海魚の踊り食いとか自殺行為だろ!日本じゃねえんだぞ! 俺の毒耐性も消えてるかも知れねえし、エゴ以前に命に関わるわ!」
「あら、毒があれば私が吸い出してあげようと思いましたのに。物理的に」
「どさくさに紛れて変なことしようとするな」
ナオキがすげなく二人の皿を押し返すと、スッと横から完璧なタイミングでフォークが差し出された。
「ナオキ様。こちら、適度な焼き加減で仕上げたステーキです。備蓄にあった岩塩と、柑橘系の果汁のみでさっぱりと味付けしております」
「おお、さすがセリア。美味そうだな、もらうぞ」
ナオキが口を開けようとした、その瞬間。
「あむっ!」
横から飛んできた影が、フォークに刺さったステーキを丸ごと強奪していった。
「もぐもぐ……! 美味いっす! さすがセリアの肉焼きスキルは魔法がなくてもカンストしてるっすね!」
「お前なぁ……ルカ、俺の肉だぞそれ」
「早い者勝ちっす! これからは魔法無効のサバイバル時代! 油断したししょーが悪いっすよ!」
「ルカ! あなたという人は、またナオキ様の食事を……っ! 吐き出しなさい!」
「無理っす! もう胃袋の中っす!」
セリアがルカの首根っこを掴んでガクガクと揺らし始め、テーブルの端が大騒ぎになる。
その光景を横目に、ナオキが自分で肉を焼こうとトングを手に取った時だった。
「……ミヤビ姉ちゃん、口の端にタレ、ついてる」
「えっ、嘘。どこかしら……」
「ここ。……はい、取れた」
「……もう。トウヤったら、そういうところ変に手慣れてるんだから」
網の向こう側で、トウヤがミヤビの口元を指で拭い、ミヤビが少し頬を染めて微笑み合っている。
完全なる二人だけの世界。周囲の騒音など一切届いていない。
「…………」
「…………」
「…………」
ナオキとアイリ、そしてツカサは、トングを持ったまま静かに三人で顔を見合わせた。
「なあ。あそこだけ妙に甘ったるい空間になってるんだが」
「うん。なんか、見てるこっちが恥ずかしくなってくるね……」
「私たちも負けていられませんわ! ナオキ、あのように口元を拭ってさしあげますから、早く顔にタレをつけてくださいな!」
「わざとつけるバカがいるか」
ナオキが的確にツッコミを入れた直後、セリアの拘束から抜け出したルカが、網の向こうの二人へ向かって絶叫した。
「すとおおおおおおおっぷ!! なんでそっち、生き残りサバイバル中なのに月9ドラマみたいな雰囲気出してるんすか!! おかしいでしょ!! お肉焦げてるっすよ!!」
「わわっ、本当だ! ごめんなさい!」
「トウヤのバカ、見惚れてるからでしょ!」
「姉ちゃんが可愛いからつい……っ!」
「あーもう! 私には全然言ってくれないのに!!!トウヤ許さないっすからねえええええ!!」
ルカがトウヤの頭にチョップを見舞い、ミヤビが慌てて焦げそうな肉を網から下ろそうとするが、慣れないトングの扱いに悪戦苦闘している。
アイリとツカサは「どうすればセリアよりナオキに好感度を稼げるか」という謎の会議を始め、セリアはナオキの分の肉を死守するためにルカとトングでチャンバラを始めてしまった。
「おいおい、火のそばで暴れるなよ」
呆れ声で注意しながらも、ナオキは手元のコップの水を一口飲み、夜空を見上げた。
(前世なら、こんな時どうしてたかな)
きっと、アイリの炭火肉も、ツカサの生魚も、笑顔を取り繕って無理やり胃に押し込んで。
ルカに肉を取られれば「いいよいいよ」と笑って自分の分を譲り、誰にも波風を立てないように、ただ「いい人」を完璧に演じきっていたはずだ。
でも、今は違う。
不味いものは不味いと言い、ルカには文句を言い、アイリやツカサの好意を正面から受け止めて、的確にさばくことができる。
(そんなことから始めれば、いいのだろうか。……いや、その程度はこっちに来てから、ずっとやってたな)
思い返せば、みんなに会えてからというもの、ずっと自分のやりたいようにやらせてもらっていた。
(アイリ、これで合ってるか? 俺は、お前らに、恩返しできてるか?)
そこまで考えて、ナオキは小さく自嘲するように笑った。
(……いや、それも違うのか。俺は、『自分のために』生きるんだったな。難しいよ。アイリやルカみたいに、自分を貫くのは、なかなか難しい。何からしたらいいのか、わからないんだ。でも)
「ナオキー! もう網焼きのお料理は諦めた! 私自身がナオキのデザートになる!」
「私はメインディッシュですわ! さあ、私を召し上がれ!」
「お前ら、服を脱ごうとするな! 外だぞここ!」
「ナオキ様、二人は私が斬っておきますので、その間にこちらのお肉を!」
「お前はまず短剣をしまえ!!」
魔法もチートもない、ただの人間たちの騒がしすぎる食卓。
呆れ声で怒鳴りながらも、ナオキの口元は、どうしようもなく幸せそうに緩みっぱなしだった。
(んー、十分幸せなんだけどな。欲、か。自分がしたいこと)
「あー……みんな。突然なんだけど」
ナオキがふと声を上げると。
服を脱ぎかけていたアイリとツカサ、短剣を構えていたセリア、そして取っ組み合いをしていたルカたちの動きが、まるで動画を一時停止したようにピタッと止まった。
全員の視線が、コップを持ったままのナオキに集中する。
「なんか食材とか今後困りそうだし、農業とかやってみない?」
「「「……のう、ぎょう?」」」
妻たちの声が、見事にハモった。
「ああ。冷蔵庫がダメになったからって、缶詰や保存食ばっかってのもなあ。楽しく幸せに生きていくためには、自給自足の基盤がいるだろ?」
「え、ええっと……つまり、土を耕して、お野菜を育てる、あの農業、ですわよね……?」
ツカサが、はだけた胸元を押さえながら目をパチクリとさせる。
「そういうこと。俺、前世でちょっとかじってたから、知識と経験はあるんだ。この街の近くの安全そうな手頃な土地を見つけて、みんなで畑を作って、種を撒いてさ。……大変だけど、自分たちの手で育てたメシを食うのも、悪くないと思わないか?」
それは、ナオキがこっちの世界に来て初めて口にした、明確な『彼自身のやりたいこと(エゴ)』だった。
前世で彼からすべてを奪った、呪いのような農業の記憶。それを今度は、誰かの犠牲になるためではなく、自分がこの愛すべき騒がしい連中と一緒に生き抜くために、もう一度やり直したいというささやかな願い。
「……っ!」
アイリが、パッと顔を輝かせた。
「やる! 私、やるよナオキ! ナオキと一緒に泥んこになって、美味しいトマトとか作る!」
「アイリだけには任せられませんわ! ナオキ、私もやります! この美貌に麦わら帽子がどれほど似合うか、証明してみせますわ!」
「ふふっ。ナオキ様、私のサバイバルスキルが活きる時が来たようですね」
「私もセリアほどじゃないけど、温室育ちじゃないので、そういうのは慣れてると思います」
「スローライフですね!! ナオキさん!! 俺、漫画で読んで憧れてたんで、すぐに店へ戻って、最高級のクワを取ってきます!!」
「ししょー!! 畑でお肉って栽培できるっすか!?」
「ルカ、お前はまず生物の授業からやり直しだ」
ナオキの「欲」に、一瞬の迷いもなく全力で乗っかってくるみんな。
呆れながらも、ナオキは心底楽しそうに笑い声を上げた。




