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新世界編 ~かつてターニングポイントだった【あの日】~

※第四章第三十話における「並行世界のバッドエンドルート(If展開)」

【回想:別世界線の『あの日』】


「……チッ。来やがったか」


居間でくつろいでいたナオキが、ふいに険しい顔で立ち上がる。

 彼が張り巡らせていた索敵網に、チート同盟の襲撃が引っかかったのだ。すでに家は完全に包囲されようとしていた。

 アイリとツカサも表情を引き締め、急いで迎え撃つ準備を始める。


「大丈夫っすよ、トウヤ君! 師匠!」


いつか来る襲撃に備え、猛特訓を重ねてきたルカが、不安を誤魔化すようにドンッと自信満々に胸を張った。今の彼女では家全体は無理でも、この場にいる全員をすっぽり守ることくらいはできる。


「私の【絶対防御】を最大出力で張るっす! これでどんなチート野郎が来ても、絶対に壊せないっすから!」


そう言ってルカが結界を展開した、その直後だった。


『――おいゴミ共! 無駄な抵抗はやめろ。こっちには面白ぇ「おもちゃ」があんだよ!』


外から下劣な嗤い声と共に、拡声魔法が響き渡る。

 ナオキが舌打ちをし、ツカサが結界越しに外の様子を透視した瞬間――彼女の顔色が変わった。

 結界の外。チート同盟の魔術師たちの足元に、泥だらけになって縛られた、一人の華奢な少女が転がされていた。亜麻色の髪。


「ミヤビ……ッ!?」


ルカの隣で、トウヤが悲鳴のような声を上げた。


「なんだ、あの女……知り合いか?」

「俺の……双子の姉です! なんで、王都の地下牢にいるはずなのに……ッ!!」


ナオキたちが状況を把握するより早く、敵の刃が少女の細い首筋に押し当てられ、ツゥッと赤い血が流れた。


『おい、中にいる裏切り者のネズミ! お前の姉貴を連れてきてやったぞ! さっさとその結界を内側からぶっ壊せ! 3秒数える間にやらなきゃ、まずはこの女の耳から削ぎ落としてやる! 3! 2……!』

「やめろぉぉぉぉッ!!」


トウヤが、頭を抱えて絶叫した。

 ルカは状況が飲み込めず、ただトウヤを真っ直ぐに見つめていた。

 信じていた初めての男の子。ルカの、淡い初恋だった。無条件で自分を信じてくれる彼を、ルカは命に代えても守り抜くつもりだった。


「ト、トウヤ君……?」

「ごめん……。ごめんなさい、ルカちゃん……ッ!」


トウヤが、ボロボロと涙をこぼしながら、震える右手をルカの張った結界へと突き出した。


パリンッ!!!


「え……?」


ガラスが割れるような乾いた音と共に、ルカが命を削って展開した【絶対防御】が、いともたやすく砕け散った。

 家族の命を天秤にかけられた結果。トウヤは、ルカを『裏切った』のだ。


「――チッ!! 伏せろルカ!!」


ナオキの怒号が響く。とっさに水糸の防御を展開するが、それは絶対防御ではない。

 結界が消滅した瞬間、外で待ち構えていた数十人規模の極大魔法を防ぎきることは、できなかった。


「が、あァァァァァァァァッ!!?」


最前線にいたルカとナオキの身体を、灼熱の業火と真空の刃が容赦なく切り刻む。

 ルカの右腕の感覚が吹き飛び、全身が焼け焦げる激痛に視界が真っ白に明滅した。

 絶望と激痛の中、彼女に新たなスキルが覚醒する余地はなかった。ただ、血だまりの中で倒れ伏す。


「ル、ルカちゃ……あぁ、あぁぁぁ……俺、俺は……ッ」


自分のしでかした取り返しのつかない結果に、トウヤが腰を抜かし、崩れ落ちる。


「ルカ!! ――アイリ! ルカに回復魔法を!! ツカサ!! 逃げるぞ!! 時間を稼いでくれ!!」


焼け焦げた瓦礫を跳ね除け、ナオキは血だまりに倒れ伏すルカを抱き起こした。

 だが、その小さな身体はすでに致命的な損傷を受けていた。右腕は吹き飛び、腹部からは止めどなく臓腑と血が溢れ出している。


「ルカちゃん! お願い、なんで……傷が塞がらないのッ!?」


アイリが涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、枯渇しかけている自身の魔力を無理やり絞り出し、温かい光の魔法をルカの傷口へと注ぎ込み続ける。だが、チート同盟の放った呪いが混じった一撃は、アイリの懸命な治癒すらも無慈悲に弾き、ルカの命は指の間からこぼれ落ちていく。


「……ッ、させません!! アイリ、絶対にルカを死なせないで!!」


背後では、普段は常に冷静沈着なツカサが、血を吐くような悲痛な叫び声を上げながら、次々と降り注ぐ敵の追撃をたった一人で防いでいた。彼女の精緻な演算能力をもってしても、圧倒的な物量と理不尽な暴力の前に防壁は次々と砕かれ、ツカサ自身の身体にも無数の傷が刻まれていく。それでも彼女は、ルカたちを守るため、一歩も引かずに魔法陣を展開し続けていた。


「し、しょお……」

「喋るなルカ! 大丈夫だ、アイリが絶対に助ける! !」


ナオキが震える手でルカの血まみれの頬を包み込む。だが、ルカは自分の命がもう長くないことを、誰よりも悟っていた。


「アイリ、さん……。あったかい、光……ありがとう、ございます……。私、あいりさんのおかげで……外の世界を……知りました」

「嫌だ! 嫌だよルカちゃん!! まだ、一緒においしいもの、たくさん食べるって約束したじゃないッ!」


血の泡を吐き出しながら、ルカは次に、背中で必死に自分たちを庇ってくれているツカサへと視線を向けた。


「ツカサ、さん……。いつもみたいに、となりにきて、ほしいっす……。わたしの、ために……ケガしないで……いつも……あったかくて……大好きだったっすよ……」

「バカなことを言わないでください!そんなの、私のほうが……ッ!」


ツカサの眼鏡の奥から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

 そして、ルカはゆっくりと、泥の中でガタガタと震えているトウヤへと視線を移した。自分を裏切った、初恋の少年。


「トウヤ、くん……」

「あ、あぁぁ……ルカちゃん、ごめん、俺、俺……ッ!」

「泣かないで、ほしいっす……。お姉さん、たすけなきゃ……だめ、っすよ……」


裏切られたというのに、恨み言の一つもなかった。ただ、痛みに顔を歪めながらも、不器用に、彼を気遣うように微笑もうとした。

 最後に、ルカは縋るようにナオキを見上げた。大好きな師匠。


「ごめんな……さい、ししょ……。わたし、よわく、て……。もっと、いっしょに……いたかった……っす……」

「ルカ!! 頼む、俺を置いていかないでくれ!!」


血に染まった冷たい手が、ナオキの頬にそっと触れる。


「……あ、りが……と」


そして――その手がパタリと力なく泥の中に落ち、彼女の瞳から完全に光が失われた。


「……あ、ああ……ルカ……? うわああああああああああああッ!!!!」


愛する弟子を理不尽に奪われたナオキの、獣のような悲痛な咆哮が戦場に響き渡る。


「ルカちゃん……? 嘘、やだ、起きてよ……っ! 起きて一緒にご飯食べるんでしょ!? ヒール!! ヒール!! お願い、お願いだからぁぁっ!!」


アイリは魔力が完全に底を尽き、手から光が失われてもなお、虚ろな目でルカの傷口に手を押し当てていた。やがてピクリとも動かなくなった小さな体をきつく抱きしめ、子供のように声を上げて泣き叫ぶ。


「嘘……そんな……。私の、私の計算が……っ。私がもっと早く、あの少年の危険性を完全に排除していれば……っ! ルカ……あぁぁぁぁっ……!」


背後で防壁を展開していたツカサも、膝から泥の中に崩れ落ちた。地面に両手をつき、自身の無力さと甘さを呪って顔をぐしゃぐしゃにして慟哭する。


激しい爆音が響く戦場の中で、三人だけが、世界の終わりに取り残されたように泣き崩れていた。

 ナオキは、冷たくなっていくルカの頬に額を擦り付け、ボロボロと涙をこぼした。


(俺のせいだ……俺が、偉そうな口を叩いて……ッ! これが、その結果かよ……!)


胸を掻き毟られるような、圧倒的な後悔と絶望。

 不器用に笑うようになった顔も。新しい魔法を覚えて得意げにしていた姿も。初めての初恋に、頬を赤らめていた健気な姿も。

 すべてが、理不尽な暴力によって、血にまみれた肉塊に変えられてしまった。


ごめん。ごめん、ルカ。

 ナオキは何度も何度も心の中で謝り続けた。

 だが、どれだけ後悔の涙を流しても、腕の中の小さな命が戻ってくることはない。


なぜ、こんなことになった?

 誰のせいで、俺たちの日常は壊された?


「…………ぁ、…………」


アイリとツカサの悲痛な泣き声が響く中。

 ナオキの獣のような慟哭が、不自然なほど唐突に、ピタリと止んだ。


とめどなく溢れていた涙が止まる。

 悲しみも、後悔も、絶望も。強大すぎる負の感情が限界を超えて極圧縮され、行き場を失った心が『バキリ』と音を立てて壊れた。

 そして、そのひび割れた心の隙間から、ドス黒く冷たい泥のような感情が、ゆっくりと全身を満たしていく。


静かに、ナオキはルカの亡骸をゆっくりと横たえ、立ち上がった。

 全身から立ち昇っていた悲しみの波動は消え失せ、代わりに、大気が凍りつくほどの絶対零度の『殺意』が周囲を支配し始める。


アイリとツカサを背に庇いながら、ナオキは腰を抜かして震えているトウヤに向かって、ゆっくりと一歩、前に出た。

 その瞳には、もはや一切の光がない。悲しみすら抜け落ちた、完全な、無機質な『死神』の目だった。


「ひぃっ……! な、ナオキさん……違うんです、俺は、姉ちゃんを助けたくて……っ!!」


トウヤは這いずって後ずさりしながら、涙と鼻水にまみれて必死に弁明した。

 家族を人質に取られていたこと。ルカを殺すつもりなんてなかったこと。

 だが、ナオキの耳には、そんな悲痛な言い訳は一切届いていなかった。結果として、この男の裏切りが、大切な弟子を死に追いやった。ただ、それだけだ。


「裏切り者は、不要だ」


一切の情を挟まない、氷点下の宣告。

 恐怖に顔を引き攣らせたトウヤの首に、ナオキの放った不可視の水糸が巻き付いた。


「や、やめて……ッ! ナオキさん、待って……ごめんなさ――」


命乞いの言葉を最後まで聞くこともなく。

 ナオキの指先が、冷酷に振り抜かれた。


ズバァッ!!


「トウヤァァァァァァァァァァッ!!」


結界の外から響き渡ったのは、弟の首が宙を舞い、その血飛沫が泥に降り注ぐのを特等席で見せられた、ミヤビの、世界がぶっ壊れたような絶叫だった。

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