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新世界編 第三話

「……アイリ、ツカサ。入るぞ」

 ナオキが強引にスイートルームの重厚な扉を開け放つと。

 そこには、静寂だけが広がっていた。


「……あれ? アイリさんたち、いないっすよ?」

 ルカが部屋の中を見回して首を傾げる。

 先ほどまで二人が座っていたソファには誰もいない。ただ、カーペットの上にはアイリの高級なドレスの装飾品が落ちており、ティーカップが不自然に傾いてテーブルに置かれていた。


「あの女達、逃げたんでしょうか。ナオキ様が戻ってくると察知して」

 セリアが冷たく言い放つが、ナオキは眉をひそめた。

「いや……違う。空気が、おかしい」

 部屋の中に、肌がヒリヒリするような、異常なまでの高密度の魔力残滓が漂っていた。空間そのものが、何か巨大な力によって無理やりねじ曲げられたような、焦げたような匂いがする。


「……ナオキさん、すみません……ッ」

 ふいに。部屋の奥に進み出ていたトウヤが、血の気を失った真っ青な顔で、ポツリと呟いた。

 彼の【真実の魔眼】が淡い金色の光を放ち、空間に焼き付いた不可視の『ログ』を正確に読み取っている。だが、その声はひどく震え、今にも泣き出しそうだった。


「どういうことだ、トウヤ。あいつら、どこに行った?」

「どこにもいません。……この世界の、どこにも」

「は……?」

 トウヤは、魔眼を光らせたまま、信じられないものを見るような、それでいて酷く絶望した表情を浮かべた。


「俺の目には、この部屋で起きたシステムのログがはっきりと見えています。……アイリさんとツカサさんは、魂のデータごとこの世界から消滅しました」

「なっ……どういうことっすかトウヤ!?元の世界に戻ったってことっすか!?」

「いや、そうじゃない。ツカサさんの【完璧な魔導演算】と、アイリさんの魔力を掛け合わせて……この世界の魂や記憶を管理している大元の、『白い部屋』に、直接乗り込んだみたいです。ナオキさんの記憶を、取り戻すために」


「――ッ!!」

 ナオキの心臓が、大きく跳ねた。


「……そう、か。二人は無事なのか?」

「……はい、今のところは、ですが」

「どうやら、行きの魔力と記憶を取り戻す魔力で限界のようです。帰り道は、ナオキさんの迎えを待っているみたいです」

 トウヤは重々しく頷くと、そのまま崩れ落ちるように両膝を突き、ナオキの前に深く、深く土下座をした。


「……すみません、ナオキさん。すべて、俺の責任です」

「トウヤ……?」

 突然の土下座に、ナオキが目を丸くする。

 トウヤは、絞り出すような震える声で、自らの『罪』を告白し始めた。


「俺は、三人が話し合いをする前に、あえてアイリさんたちに『ナオキさんがどれだけ二人のために頑張っていたか』という詳細を、話していませんでした。……ナオキさんを完全に絶望させて、極限の精神的渇望を引き出し、新しいスキルを目覚めさせるために」

 それは、ナオキの教えを忠実に守った、冷徹でタチの悪い『プロデュース』だった。

 結果として、ナオキは【絶対強奪】という規格外のチートを手に入れた。トウヤの目論見は、完璧に成功したはずだった。


「でも……ナオキさんが泣いて部屋を飛び出した後なら話していいと思い、いえ、どうしても話したくなってしまい、俺は、アイリさんたちにナオキさんの真実を語ってしまいました。……二人に、ナオキさんを拒絶したことの重さを突きつけるかのように」

「……」


「……私もっす」

 トウヤの言葉に続くように。

 今まで呆然としていたルカが、ギリッと唇を噛み締め、トウヤの隣に並んでドサリと土下座をした。


「ルカ……?」

「師匠のあんな顔初めて見て....ツカサさんと、アイリさんを追い詰めてしまいました……ッ!」

「俺たちの浅はかな行動が、記憶のない二人を深く傷つけ、混乱させ、絶望させてしまった。俺たちのタチの悪いやり方が……アイリさんたちを極端な行動に走らせて……っ!」


トウヤとルカの声には、激しい後悔と自己嫌悪が滲んでいた。

 師匠のやり方を真似て盤面をコントロールしたつもりが、取り返しのつかない悲劇を招いてしまった。その罪悪感に押し潰されそうになりながら、二人の弟子は床に額を擦り付けて震えていた。


静寂が、部屋を包み込む。

 セリアも、かける言葉を見つけられないまま、ただ立ち尽くしていた。




*****



「……バカ野郎。いつまで額擦り付けてんだ、顔を上げろ」


頭上から降ってきたのは、怒声ではなく、呆れたような、それでいてどこか優しい師匠の声だった。


「トウヤとルカのせいではねえだろ。記憶を取り戻そうとしたのは、あの二人の意思だ。……それに、二人の記憶は元に戻るし、俺たちを信じて迎えを待ってるって話だろ? なら、お前らのプロデュースは『大成功』じゃねえか」


「師匠……っ」

「ナオキさん……」


涙目で顔を上げた二人にニヤリと笑いかけると、ナオキは腕を組み、スイートルームの窓越しにゼファーの風景を睨みつけた。


「今の問題は、過去のタラレバじゃねえ。どうやってその『白い部屋』の次元の壁を越え、二人を迎えに行くか、だ」


ナオキは鋭い視線を見据えたまま、思考を切り替えるように言った。


「もともとこの旅の俺たちの計画は、ツカサの【魔導演算】を使って魔脈から神のシステムにバックドアを作り、そこから俺が直接干渉して『悪意ある転生のデフォルト設定』を全部弾き落とすってものだった。……だが、そのツカサ本人が白い部屋に引きこもっちまった以上、白い部屋にアクセスする方法がない」


「じゃ、じゃあ……師匠のその新しい【絶対強奪】で、ツカサさんと同じような高度演算スキルを持ってるヤツから、能力を奪えばいいんじゃないっすか……?」


ルカが鼻をすすりながら提案すると、ナオキは頷きかけたが――その時、まだ目元を赤く腫らしたトウヤの目、【真実の魔眼】がスッと細められた。


「……ダメだ、ルカ。俺の魔眼で覗いてみたけど、ツカサさんの【完璧な魔導演算】と同等、あるいはそれに代わる演算スキルを持つ者はこの世界に存在しない」

「えっ、一人もいないんすか?」

「うん。ツカサさんのスキルは、前世からの魂とこの世界の魔力が結びついた、完全に規格外のスキルみたいです。……代用品なんて、どこにもありません」


その報告を聞いて、ナオキは舌打ちするどころか、どこか誇らしげに鼻で笑った。


「当然だ。俺の嫁の頭脳の代わりが、そう簡単に見つかってたまるかよ」


ナオキは不敵に笑うと、トウヤに向き直った。


「なら、どうする? お前のその便利な目は、アイリとツカサを迎えに行くための『最高確率のルート』をどう弾き出してる?」


トウヤはゴクリと喉を鳴らし、涙の痕を乱暴に袖で拭うと、魔眼に映る無数の可能性の糸を読み解きながら、静かに、だが熱を帯びた声で語り始めた。


「……一つだけ、あります。ナオキさんがさっき言ってた通り、まずはあの白服のチート野郎から【世界線再構築パラレルワールド】のマスターコマンドスキルを強奪すること。そこまでは同じです。……それを使って、遠いパラレルワールドへ跳べば、ツカサさんのように『システムの鍵をハッキングする』ことができる未知の能力者が見つかるかもしれません。俺の目には、そう情報が流れてきています」


「なるほどな。頭脳は外の世界から調達するってわけか。だが、この世界に連れてきたら、そいつは何のスキルもない凡人に戻っちまうんじゃないのか?」


「いえ……白服の男がもっていた、どす黒い光を放つ手のひらサイズの『歪な水晶』を覚えていますか?」

「ああ……俺たちと対峙した時、いけ好かないツラで弄んでたアレか。それがどうした?」


「あの水晶は、持ち主を失って『神の白い空間』へ還元されようとする『スキルや魔力』などを、その途中で強制的に吸収し、自分のものとして使えるようにする規格外の魔道具です。あの男は最初、俺たち全員を消去して、その力をあの水晶で丸ごと回収するつもりだったんです。……どうやら失敗し、割れてしまったみたいですが。

そういったアーティファクトで極大の魔力を貯めておけば、その魔力を使って一時的にではありますが記憶を回復させ、スキルを使ってもらうことは可能です。もちろん、白い部屋への行きと帰りの魔力もそれで補えます」


「……つまり、その水晶だかアーティファクトを、どっかで手に入れる必要があるのか」


「はい。ですが、俺たちが探すべきはこれと『似て非なるもの』です。転生者と戦って魔力を奪うのはリスクが高すぎます。だから、この世界そのもの……大地や大気中の『魔脈』から直接、無尽蔵の魔力を吸い上げて貯蔵できるアーティファクトを見つけるんです。俺の目には、その存在と座標がはっきりと見えています」


「なるほど、他のチート野郎に構う必要はねえってことか。それなら安心だ。もうあんな、世界ごと書き換えるようなチートをくらっちまうのはごめんだからな。……素晴らしい作戦だ、トウヤ」


ナオキは口角を歪め、獰猛な笑みを浮かべた。

 だが、トウヤの表情はまだ強張ったままだ。


「……でも、問題がもう一つあります。ナオキさん、急がないとマズいです」

「なんだ?」

「俺の魔眼に、カウントダウンが見えるんです。……『白い部屋』に侵入したアイリさんとツカサさんを、白い部屋の防壁が異物として検知して、自動排除ツールが作動しています。二人の魂が完全に消滅させられるまで……残り、あと『三時間』しかありません」


三時間。

 三時間で、神の部屋に行き来できるだけの魔力を集め、高度な演算ができロックを開けられる転生者を見つけ、あの真っ白な空間に殴り込まなければ、二人は永遠に消滅する。


ルカが息を呑み、絶句する。

 ナオキも必死に焦る思考を高速で巡らせていた、その時だった。


「……ッ!! どうしてあのバカ女二人は、ナオキ様に相談もせず勝手に動くのですか!! 迷惑極まりない!!」


セリアが、声を荒げて激怒した。

 だが、口で思い切り罵倒しながらも、彼女の体は誰よりも早く部屋の扉へと向かって駆け出していた。


「すぐに車を回します! 最高速度でアーティファクトを探しに――」

「いや、待てセリア! 今回はワールドツアーのライブ会場入りじゃねえんだぞ。お前らはテレポートで探しに行け。俺やツカサの超視力がなければ行ったことのある場所にしか飛べないが、それでも近くまではいけるはずだ。セリア、お前に預けてたペンダントはあるな。それだ」


ナオキが静止すると、セリアは弾かれたように振り返り、震える手でメイド服の内ポケットからペンダントを取り出した。ギリッと唇を噛み締め、深く俯く彼女の肩が微かに震えている。


――三人の妻たちの間には、俺には図り切れない強い絆があるように思う。

 セリアは憎まれ口を叩いたが、二人のことを心底心配している。その不器用な感情が、繋がった感覚共有ラインを通じて、俺に痛いほど伝わってきていた。


「……申し訳ありません、ナオキ様。私としたことが、酷く取り乱して……」

「気にするな。俺だって内心、テレポートで白い部屋に行けないか想像してるくらいには焦ってる。まあ、防壁とやらで無理なんだろうな」


ナオキはセリアの頭をポンと叩いて落ち着かせる。


「よし。セリア、トウヤ、ルカ。お前らはそれで動け。くれぐれも安全にな。チート転生者とは直接戦うなよ。また世界に直接干渉されるようなスキルを使われたら厄介だ」


「わかりました。……ではナオキさんは」


「ああ、俺の新しい【絶対強奪】に、有効射程の限界は『ない』。わざわざあのいけ好かない白服野郎まで出向く必要もねえ。……俺はこの場で白服からパラレルワールドのスキルを奪い、このまま行ってくる」


ナオキは窓越しに風景を睨みつけながら、静かに、だが確かな決意を持って拳を握り込んだ。


『『『――【絶対強奪】により、スキル【世界線再構築】の所有権強制移行が完了しました』』』


脳内に響く無機質なシステムアナウンスと共に、ナオキの腕に莫大なマスターコマンドと呼ばれる権限の力が宿る。


「師匠、私も行くっす! 私のバフがあれば――」

「ダメだ。お前らは置いていく」


ナオキの冷酷なまでの拒絶に、ルカが言葉を失う。


「俺は一度、この世界から『消去』された人間だ。だからこそ、記憶や記録、歴史の改変に影響されず、この元の世界に自分を保ったまま戻ってこられる可能性が高い。今回はスキル使用者本人だしな。……だが、お前らは違う」


ナオキは、真剣な眼差しで三人の弟子たちを見据えた。


「トウヤの目がある近しい世界線ならまだしも、今回行くのはお前らの能力が一切存在しないほど遠い世界線だろう。そんな場所に同行すれば、お前らの記憶も、俺たちと過ごした関係性も、二度と元には戻らなくなるかもしれない」


「トウヤ、ルカ、セリア。お前らはこの世界に残って、アーティファクトを手に入れろ。そして俺が戻ってくるまでに、魔力エネルギーを限界までかき集めておけ」


「……わかりました、任せてください、ナオキさんっ」

「……三時間か。トウヤ、具体的にはあと何分何秒だ?」


「え……? あ、はい! 俺の魔眼で見える残りの猶予は……『二時間五十六分、四十二秒』です」


「上等だ」


ナオキはコートのポケットから、くすんだ真鍮製のストップウォッチのような形をした魔道具を取り出した。

 親指でカチカチと魔力式のダイアルを回し、「二時間五十五分」でセットする。そして、迷いなく頭頂部のリューズを押し込んだ。


カチッ。

 チク、タク、と。嫁たちの命のカウントダウンを刻む冷たい秒針の音が、静かな空間に落ちる。


「……必ず『鍵』になってくれる人を見つけてこの世界に戻る。俺がこの世界に戻ったら、お前らのほうから合流してくれ。テレポートと「叛逆の愚者」の速度なら、一瞬だろ。じゃあ、いってくる」


「はい!」

「わかったっす!」


ナオキは腕に全魔力を集束させた。

 脳内に「ツカサと同等以上の演算能力」という検索条件を叩き込み、空間を力任せに引き裂く。


ガラスが砕け散るような轟音と共に、ナオキはただ一人、パラレルワールドの深淵へと身を投じた。


――はずだった。


「セ、セリアさん!?」

「ちょっと、何してんすかセリア!!」


背後で、トウヤとルカの驚愕の叫び声が響いた。

 空間の亀裂が修復され、完全に閉ざされようとするそのコンマ一秒の隙間。そこに、黒と白のメイド服の裾を翻し、一切の躊躇なく飛び込んできた影があった。


「なっ……! 馬鹿野郎、セリア! 来るなッ!!」


次元の渦の中で、凄まじい重力と摩擦に肉体を削られながらナオキが叫ぶ。

 ここから先は、彼らとの関係性も、思い出も、システムによって完全に消去されてしまうかもしれない「深淵」だ。


だが、手を伸ばしてナオキのコートを強く掴んだセリアは、……狂気的な、それでいて最高に美しい笑みを浮かべていた。


「 ……ふふっ、優秀なメイドは、主人の行き先が地獄であろうと、決して一人にはさせないものです。……さあ、参りましょう。ナオキ様」


「セリア、お前な……ッ!」


ナオキが止める間もなく、強烈な閃光が二人の意識を白く塗り潰す。

 最強の魔王と、狂信のメイド。二人は血に染まった手を強く繋いだまま、パラレルワールドの彼方へと消え去った。

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