新世界編 第一話 ~アイリの過去~
【アイリ視点】
煌びやかなスポットライト。何万本もの色とりどりのサイリウムが揺れる、熱狂の海。
割れんばかりの歓声。
それが、前世の私――トップアイドルグループのメンバーとしてステージに立っていた私の、日常の風景だった。
(……でも、違う。これは『私』に向けられた熱狂じゃない)
ステージ上で誰よりもアイドルスマイルを振りまきながら、私の心の中はいつも、ヒリヒリとした焦燥感と、冷たい劣等感で焼け焦げそうになっていた。
グループの立ち上げから参加した一期生。それが、浅倉愛莉という私の肩書きだった。
最初は客席がスッカスカの小さなライブハウスから始まり、雨の日も風の日も手渡しでビラ配りをして、泥水のような下積みを経験した。
けれど、私たちのグループが国民的なトップアイドルへと上り詰めた理由は、私たち一期生の地道な努力によるもの……では決してなかった。
二期生、三期生、そして四期生。
後から次々と入ってきた、圧倒的なビジュアル、生まれ持った歌唱力、そして爆発的な個性を持った『新人たち』。
彼女たちが加入した途端、グループの知名度はそれまでの苦労が嘘のように跳ね上がった。SNSのフォロワー数は一晩で桁が変わり、テレビのゴールデンタイムの冠番組が決まり、ドームツアーが当たり前になった。
世間が熱狂していたのは、時代が求めていたのは、いつだって才能に溢れた新しい彼女たちの方だった。
私という存在は、トップアイドルグループという巨大な神輿に乗せてもらい、後輩たちが稼ぎ出した爆発的な人気の『おこぼれ』を啜って生き延びているだけの、ただの「初期からいるだけの先輩」に過ぎなかった。
握手会の列の長さ。グッズの売り上げ。センターポジションの選抜発表。
残酷なほど明確な数字と歓声の差が、私に「お前は脇役だ」「お前の時代は終わった」と容赦なく突きつけてくる。
(冗談じゃない……ッ! 私は、脇役なんかで終わるつもりないッ!)
心の中で何度血の涙を流しても、私は決して引き下がらなかった。
私の中にあるのは、誰よりも目立ちたい、誰よりも愛されたいという、強烈で、醜いほどの『エゴ』だった。
天才じゃないなら。持って生まれた才能が彼女たちに劣るなら。
力技で、全部奪い取ってやるしかない。
私は血の滲むような努力をした。
後輩たちのダンスや歌の癖、ウケているトークの間の取り方、ファンへの視線の投げ方。売れているアイドルのありとあらゆる要素を徹底的に分析し、鏡の前で過呼吸になって倒れるまで真似て、自分の技術に昇華させた。
それだけじゃない。
番組のプロデューサーやスポンサーの偉い人たちの好みを徹底的にリサーチして、完璧なタイミングと笑顔で媚びを売った。テレビ局の裏方スタッフ全員の顔と名前、誕生日まで暗記して、手書きのメッセージカードを添えた差し入れを配って回った。
ファンの顔と名前、SNSのアカウント名までノートに書き出して徹夜で覚え、握手会では誰よりもファンを「愛している」という熱烈な愛嬌を振りまいて、一度捕まえたファンは絶対に逃がさなかった。
なりふり構わず、使えるものは自分のプライドすらも切り売りして。
泥まみれになりながら、私は執念で「選抜の最前列」にしがみつき続けた。
『愛莉ちゃんって、本当にプロ意識高いよね』
『一期生の意地を見せてるよな。やっぱり愛莉がいないと締まらない』
周囲の大人たちはそう言って私を評価し、私は必死の営業と血を吐くような努力の甲斐あって、なんとかグループのトップ層の一角というポジションを死守し続けていた。
だが、そんな私の泥臭い生存戦略を、心底面白く思わない人間たちがいた。
他でもない、生まれ持った才能だけで軽々とトップに君臨している、爆発的な人気を持つ後輩の『新人たち』だ。
『……愛莉先輩って、ほんと必死だよね。痛々しいっていうか、そこまでして目立ちたいの?』
『ていうか、あの先輩さえいなければ、ウチらの同期がフロントに立てるのに。もう一期生のおばさんの時代じゃないでしょ』
楽屋の裏で、意図的に私に聞こえるように囁かれる嘲笑。
圧倒的な才能を持つ彼女たちからすれば、エゴと媚びだけで自分たちの視界をうろつき、必死にポジションにしがみつく私は、目障りで滑稽な『老害』でしかなかったのだ。
そして、彼女たちの『愛莉潰し』は、私の想像以上に巧妙で、悪辣だった。
圧倒的な人気と数字を持つ新人たちに、もはや運営の社員たちも逆らえなくなっていた。私が寝る間を惜しんで企画書を書き、プロデューサーに直談判して通した冠企画。それが、いざ発表される直前になって、全く同じコンセプトでスケールアップした『新人メインの特別番組』にすり替えられた。
「ごめんね愛莉。上がどうしてもあの子たちを推したいって言うんだよ」
プロデューサーの申し訳なさそうな、けれど決定を覆す気のない視線。
それだけじゃない。グループ全員が参加するはずの大型キャンペーンや、雑誌の表紙撮影から、私一人だけが理由もなく外されるようになった。
だが、私はそんなことでは折れなかった。
干されるなら、自分で居場所を作ればいい。私は自腹でスタジオを押さえ、自ら動画配信の企画を立ち上げた。後輩たちの力を借りず、私を慕ってくれる同期やファンだけを巻き込んで、絶対に這い上がってやる。そうやって牙を剥き、必死に反撃の狼煙を上げたのだ。
――しかし、それこそが彼女たちの狙いだった。
私の立ち上げた単独企画が軌道に乗り始めた矢先。グループで一番人気の新人が、突如としてSNSで涙ながらの生配信を行ったのだ。
『愛莉先輩の企画……私も本当は、ずっと出たかったんです。でも、私だけ呼ばれなくて……私、先輩に何か嫌われるようなこと、しちゃったのかな……』
巧妙な嘘だった。私は彼女に出演オファーを出していたが、彼女のマネージャー経由で「スケジュールが合わない」と冷たく断られていたのだ。
しかし、そんな真実など、熱狂する大衆の前では何の意味も持たなかった。新人側が意図的に切り取った「私が彼女を冷たくあしらっているように見える」数秒のバックステージの動画が、瞬く間に拡散された。
『一期生の老害ババアが、人気トップの新人様をいじめてハブにしてる!』
『才能がないからって嫉妬で見苦しい。さっさと引退しろ!』
大炎上だった。
私のSNSアカウントには、一秒に何百件という殺害予告と誹謗中傷が殺到した。テレビ局には抗議の電話が鳴り響き、私のレギュラー番組はすべて降板。スポンサーは一斉に手を引いた。
私が自分のプライドを切り売りし、血を吐くような努力と営業で、何年もかけて必死に積み上げきた『トップアイドルの座』は。
天才たちの仕掛けた、たった一つの悪意ある嘘によって、砂上の楼閣のようにあっけなく崩れ去ってしまったのだ。
それでも。
それでも私は、諦めなかった。
私から『アイドル』を取ったら、何も残らない。泥水でも這いずり回って、一人ずつ誤解を解いて、もう一度ゼロからファンを獲得し直せばいい。私は絶対に、こんなところで終わる女じゃない。
事務所から謹慎を言い渡された私は、自宅マンションからの個人配信で、自分の言葉で直接思いを伝えようとした。
かつて私が手書きのメッセージカードを渡し、顔と名前を覚え、「愛している」と直接伝え、熱烈に愛してくれた古参のファンたち。彼らなら、きっと私の本当の姿を信じてくれるはずだ。
だが、新人たちと、彼女たちを推す運営社員の悪意は、私の想像を絶していた。
私を完全に業界から抹殺するため、彼らは匿名掲示板に、私の自宅の住所やプライベートの情報をあることないこと書き込んでリークしたのだ。
深夜。配信の準備を終えた私は、喉を潤す飲み物を買いに、近くのコンビニへ向かおうとマンションのエントランスを出た。
オートロックの堅牢なセキュリティに守られた空間から、不用意に身を乗り出してしまった、その時だった。
マンションの敷地を出てすぐの、暗い電柱の死角から、ヌッと一つの影が飛び出してきた。
「――この、嘘つきのクソ女ァッ!!」
怒声と共に現れたのは、他でもない。私が、最も愛し、最も熱心に応援してくれていたはずの、『古参ファン』の一人だった。
彼の目は、信じていたアイドルに裏切られたという勝手な憎悪と、掲示板の悪意ある嘘を完全に信じ込み、可憐な新人ちゃんを守るという歪んだ正義感で、完全に血走っていた。
彼は、セキュリティの固いマンションには入れず、私が外に出てくるのを、冷たい夜風の中でずっと待ち伏せしていたのだ。
「新人をいじめるな! 俺たちを騙しやがって!!」
「えっ……なんで、ここが……ま、待って、違うの――」
私が弁解の言葉を口にするより早く。
男の手に握られていた冷たい刃物が、私の腹部に深々と突き刺さった。
熱い。痛い。
崩れ落ちる私の耳に、男の狂ったような罵声が遠く聞こえる。
(ああ……嘘でしょ)
冷たいアスファルトの上で、血の海に沈みながら、私は自分の人生を呪った。
努力なんて、意味がなかった。
エゴを剥き出しにして、必死に大人たちに媚びて、泥まみれになってしがみついてきた結果が、これだ。
私が与えた「愛」は、いとも簡単に裏返り、私自身を殺す刃となった。
誰かに頼るから、こんなことになる。
誰かの評価に依存し、誰かの愛情を乞うから、こんな惨めで、滑稽な最期を迎えるのだ。
(もし、次があるなら……最初から圧倒的な才能で……)
薄れゆく意識の中で、私は強く、強く世界を呪った。
(次こそは、誰にも依存しない。誰の力も借りない。誰の評価にも媚びない)
(自分自身の力だけで……絶対に、完璧な光の頂点に立ってやる……!)
それが、前世の私――トップアイドル、浅倉愛莉の惨めで無様な最期だった。
*****
「私、泣く理由なんてないのに……っ。あんな一般人、知らないのに……なんで、こんなに胸が……痛いの……っ」
自分の口から、しゃくり上げるような無様な声が漏れた。
トップアイドルとして常に笑顔と完璧な姿を保ってきた私が、メイクが崩れるのも構わずに、ただの迷子のように顔をくしゃくしゃにして泣き崩れているのだ。
『あなたたちが一点の曇りもなく、誰よりも美しく光り輝けたのは、ナオキさんが裏で、すべての「泥汚れ」を被ってくれていたからです』
トウヤ君の突きつけた言葉が、私の頭の中でガンガンと反響している。
(泥汚れを、被る……?)
前世の私は、トップアイドルの座にしがみつくために、自分から進んで泥を被りに行った。
その結果が、あの裏切りと、理不尽な死だった。
誰かに依存して、誰かの評価に怯えるから殺されるんだ。
だからこの世界では、もう誰にも頼らないと決めた。圧倒的な自分の才能とエゴだけで、誰にも触れられない光の頂点に立ってやる。そうすれば、もう二度と傷つくことはない。
私はそれを実現したはずだった。この世界で、私は完璧なトップアイドルとして、すべてを自分の力で手に入れたと信じていた。
でも、違ったのだ。
私が一人で立っていると勘違いできたのは。
愛に怯えることなく、心から安心してステージで無邪気に笑えていたのは。
あの人が……ナオキが、私の代わりにすべての『泥』を引き受けてくれていたから。
理不尽な敵の悪意も、世間の汚い部分も、全部彼が裏で食い止めて、私には綺麗な『光』だけを浴びていられるように。
『俺みたいな凡人が、大事な時間を取って悪かったな』
彼が最後に残した、あの空っぽの声と、血走った涙。
前世のファンは、私が少しでも彼らの理想から外れれば、裏切られたと激昂し、容赦なく私を殺した。大衆の愛なんて、ただの無責任な消費でしかない。
でも、あの人は違った気がする。
私の醜いエゴも、高すぎるプライドも、強がりも全部知った上で。その私の醜いプライドに「救われた」と。そして、隣にいながらも自ら裏方に徹し、泥沼の底から私を、ただ祈るように愛してくれていた。そんな気がしてならないのだ。
彼が流したあの涙は、私への失望じゃない。
「完璧に輝くアイリたちの世界に、自分のような泥汚れは相応しくない」という、どこまでも不器用で、痛いほどの純粋な自己犠牲だった。
「あ……ぁぁ……っ」
視界が涙で歪む。
彼を追い出した瞬間、私の立っている『完璧なステージ』が、ひどく冷たくて、空虚なガラスの箱に変わってしまった。
何万人の歓声も、何百万人のフォロワーも、今の私には何の温もりも与えてくれない。
前世で死ぬ間際に呪った「孤独」。
本当は、凍えるほど寒くて寂しいだけの地獄だったじゃないか。
私が本当に欲しかったのは、無責任に私を消費する大衆の歓声なんかじゃない。
私がどんなに我儘でも、どんなに醜いエゴを剥き出しにしても、絶対に私を見捨てず、泥だらけの手で私を抱きしめてくれる、あの『絶対的な安全地帯』だけだったのに。
――いや、【それも違う】。
本当は、わかっていた。
前世で私を殺したあのファンだって、最初から憎悪に塗れていたわけじゃない。きっと勘違いと思い込みが暴走しただけで、本当に私のことを想い、純粋に愛してくれていた時期があった。かつて私のステージの最前列で、心からの笑顔を見せてくれていた人だったではないか。
ほかのファンのみんなだってそうだ。ただ私を消耗品として消費するだけの、愛のない人たちばかりではなかった。
身勝手な情欲や見返りだけでなく、ただ見守り、応援して、純粋な愛情を向けてくれる人たちがいたのだ。
その忘れていた温もりを思い出させてくれて。気付かせてくれて。
私の醜いエゴすらも肯定してくれた。
そうだ。彼は、誰よりも優しい人だった。
私はずっと、自分のことばかりだった。自分がのし上がること、輝くことしか見えていなかった。
もしも私に、ほんの少しでも……彼の持つあの『純粋な自己犠牲の優しさ』があったなら。才能ある後輩たちとも、あんな結末を迎えずに、手を取り合って仲良くなれたのだろうか。
そんな彼の優しさに憧れて、敬意を抱き、そして深く愛していた。
だから一緒にいて、あんなにも心地よかったのだ。心の底から安心できたのだ。
私にないものを彼が持っていて。
彼にないものを私が持っていたから。
私たちは、互いの欠落を埋め合わせるように……最初から、二人で一つの形だったのだ。
「ツカサ、ちゃん……っ」
私は、床に這いつくばるようにして崩れ落ちたツカサちゃんにすがりつき、その震える手を強く握りしめた。
彼女もまた、完璧なキャリアウーマンの仮面を砕き散らし、私と同じように嗚咽を漏らしている。
「アイリ……私たち、取り返しのつかないことを……っ」
記憶は曖昧だ。
でも、魂が、全身の細胞が、叫んでいる。
私たちは、この世界で一番自分たちを愛してくれていた人を、自分たちのくだらないプライドのせいで、永遠に手の届かない暗闇へ突き落としてしまったのだと。
「……ナオキ……っ……あぁぁぁっ……!」
私は、ツカサちゃんと抱き合いながら、メイクがドロドロに溶けるのも構わずに、ただ子供のように声を上げて泣き叫んだ。
自分たちの手で追い出してしまった、とても優しい『大切な夫』の名を、何度も、何度も呼びながら。




