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転生者救済編 最終話

「はぁっ……はぁっ……くそ、が……っ」


呼吸がうまくできない。

 アイリとツカサから向けられた、あのゴミでも見るような絶対的な拒絶の視線。それがフラッシュバックするたびに、胸の奥を抉られるような激痛が走り、勝手に涙が溢れ出してくる。

 何度拭っても、どうしても止まらなかった。


「ナオキ、様……」


その後ろを、セリアがぴったりと寄り添うように歩いている。

 彼女は口数こそ少ないが、感覚共有リンクを通じて、ナオキの脳髄に『凄まじい殺意』がドロドロと流れ込んできているのが分かった。


(あの愚かな女たち……! 私の、私だけの愛しいご主人様を、こんなにボロボロにして……絶対に許さない、いつか必ずあの綺麗な顔の皮を剥いで……っ!)


セリアの怒りは、ナオキを傷つけたアイリとツカサに向けられていた。

 だが、その殺意の根底にあるのは、ナオキへの常軌を逸した狂信的な愛と、自分だけが彼を癒やしてあげられるという独占欲だ。


「……やめろ、セリア。あいつらに手を出すな」

「ですが、ナオキ様! あんな女たち――」

「あいつらは……間違ってない。俺みたいなのが隣にいる世界の方がイレギュラーだったんだ。あいつらはこの世界で、絶対に幸せになれるんだ」


ナオキは、薄暗い路地裏のレンガ壁に手をつき、ズルズルと崩れ落ちるように座り込んだ。

 もう、セリアの前で魔王としての虚勢を張る気力は完全に喪失していた。


「……セリア。お前も、もう俺のそばから離れろ」

「な……っ!? なにを仰っているんですか! 私はナオキ様の――」

「俺は魔王でもなんでもない。ただの、チートすら持ってない最弱の凡人だ。……あいつらに拒絶されて、泣きじゃくって逃げ出すような、情けない男なんだよ」


ナオキは、両手で顔を覆い、自嘲するように笑った。


「お前みたいなイカれた女なら、俺なんかより、もっと残虐で、もっと強くて、もっと圧倒的な力を持ったチート野郎がいくらでもいるだろ。……そっちに行った方が、お前も退屈しないさ」


それは、ナオキの究極の自己犠牲から出た、彼女を遠ざけようとする言葉だった。

 だが。


パァンッ!!!


薄暗い路地裏に、鋭く乾いた破裂音が響き渡った。


「……え?」


ナオキは頬に走った火の出るような痛みに、思わず顔を上げた。

 目の前には、振り抜いた右手を震わせながら、激しい怒りに肩を上下させているセリアが立っていた。

 いつもナオキに絶対の服従を誓い、すべてを肯定してきた彼女が、初めて主の顔を本気で平手打ちしたのだ。


「……いい加減に、してくださいっ!!」


セリアの瞳からは大粒の涙が溢れ出していたが、その声にはナオキの弱音を真っ向から切り裂くような、強烈な怒気が込められていた。


「しっかりしてください! 一体、何回同じことを言わせるんですか!? 私は、ナオキ様を『捨てない』ことを、私自身の意志で選んでいるんです! 私の覚悟を……私の愛を、馬鹿にしないでくださいッ!!」

「セ、リア……」

「圧倒的な力? 残虐さ? そんな薄っぺらい男なんて、私にとっては欠伸が出るほど退屈です! ナオキ様ほど、他人のために深く思考を巡らせて、どんな絶望的な状況でも冷酷に自分の心を殺して……そして、他人の幸せのためにこんなにも無様に泣ける人なんて、この世界のどこを探したっていないんです!」


セリアは、呆然とするナオキの胸ぐらを両手で強く掴み上げ、その顔を無理やり自分に向けさせた。


「そんなに私を遠ざけたいなら、ええ、私は別の人を選びます!!たしかに探せばほかの人だってみつかるかもしれませんしね!!そうしますとも!!貴方なんていなくても、私はほかの誰かと幸せになりますよ!!!!」

「……っ」

「でも、だったら……貴方はどうなんですか!? 泣いて逃げ出して、私までほかの見ず知らずの誰かに任せて、それで終わりですか!? ナオキ!!!!貴方自身は、本当はどうしたいんですか!!!!」


魂を直接殴りつけるような、セリアの絶叫。

 それが、自己嫌悪の泥沼に沈みかけていたナオキの脳髄を、激しく揺さぶった。


『俺は、どうしたい……?』


答えなんて、最初から決まっていた。

 あいつらに忘れられたままなんて嫌だ。俺抜きの世界でヘラヘラ笑ってるなんて絶対に許せない。泥まみれになろうが、全部、全部俺のモノだ。


「あ……俺は……っ」


ナオキの血走った目から、再びボロボロと涙がこぼれ落ちる。だがそれは、先ほどまでの諦めの涙ではない。泥臭くて、タチの悪い『強欲なエゴ』を取り戻すための涙だった。


「……っ、俺は……セリアと一緒にいたい……っ!取り戻したい……っ! アイリとツカサを、俺の隣に……っ!!」


それは、この平行世界の理を真っ向から否定する、どこまでも強欲な「渇望」。

 その言葉がナオキの口から絞り出された、まさにその瞬間だった。


ピキィィィンッ!!!


ナオキの脳髄に、今まで一度も聞いたことのない、鼓膜を劈くような高位のシステムアナウンスが鳴り響いた。


『『『――条件達成。対象者【ナオキ】の、世界線の理を無視した極限の強欲と、理不尽に対する強烈な精神的渇望を確認』』』

『『『対象者の魂に、新たな特異点が生じました。――ユニークスキル【絶対強奪アブソリュート・スティール】を獲得しました』』』


システムの声は、どこか畏怖を含んだような無機質さで、その力の全貌をナオキの脳内に直接叩き込んでくる。


『『『――権限を開示します。当スキルは、対象が有する能力の中から、貴方が「最も渇望したスキルを一つだけ」、いかなる条件や抵抗も無視して強制的に奪い取ります』』』

『『『奪われた対象は該当スキルを永久に喪失し、貴方はそれを完全に自身のものとして行使可能となります』』』


「……スキルを、一つだけ……奪う力……?」


ナオキは、自分の中に突然ポンッと生まれ落ちた『異質な力』の感覚に、目を見開いて硬直した。

 なんでもかんでも奪えるわけじゃない。たった一つ。

 だが、それはつまり――相手がどれだけ理不尽なチート能力を持っていようが、どれだけ無敵のステータスを誇っていようが、その『一番の核』をピンポイントで引き剥がし、自分の武器にできるという、極悪非道なジョーカーを手に入れたことを意味していた。


「ふふっ……ああ、素晴らしいです、ナオキ様。やはり貴方は、そうやって泥まみれになってすべてを欲しがるお姿が一番素敵です!そのスキルで、世界を支配しましょう!!」


今まで怒りで顔を歪ませていたセリアが、ふっと――まるで大役を終えた舞台女優のように、艶やかで満ち足りた微笑みを浮かべた。

 彼女はナオキの背中に腕を回し、その乱れた髪を優しく撫でる。


「せ、セリア……? お前……」


 すると、パチパチパチ、と。路地裏の入り口から、わざとらしい拍手の音が響いた。


「大成功みたいっすよ、トウヤ! セリアさんのあのビンタからの泣き落とし、マジで真に迫ってて最高だったっす!」

「ああ。ナオキさんの渇望を限界まで引き出した……完璧なプロデュースだったな」


暗がりから姿を現したのは、不敵な笑みを浮かべたトウヤとルカだった。


「お前ら……なんで、ここに」


ナオキは呆然と二人を見つめ、そして自分の腕の中で「てへっ」と小悪魔のように微笑むセリアを見下ろした。


「セリア、お前……まさか、こいつらとグルだったのか!?」

「グルだなんて、人聞きの悪い。……私はただ、トウヤ様たちに裏でこっそり呼び止められて、『ナオキ様をどん底に叩き落としてから引き上げてくれ』と言われただけですよ」


セリアは、ナオキの胸元に顔を擦り付けながら甘く囁く。


「もちろん、先ほどの会話に一切嘘偽りはございません。感覚共有もされておりますので通用しないですから。でも……ナオキ様を一番絶望させて、一番強い欲望を引き出せるのは、この私しかいないでしょう?」

「お、お前らぁ……っ」


「前にバルコニーで言いましたよね。他の転生者相手に、わざと絶望させたりどん底に落としたりしてスキルを進化させるなんて、胸糞悪くて俺は絶対に嫌だって」


トウヤが、ニヤリと――それこそナオキそっくりの、タチの悪い悪戯っぽい笑みを浮かべて一歩前に出た。


「でも、相手がナオキさんなら話は別です。ナオキさんが相手なら、なんの抵抗もなく容赦なく絶望のどん底に突き落とせますからね」


「そうっすよ、師匠! アタシたちを散々振り回しておいて、自分だけ綺麗に身を引こうなんて……そんなワガママ、弟子の私たちが全力でぶっ飛ばすに決まってるっす!」


二人の瞳に宿る、強烈な光。

 それは、ナオキの教えである「システムの特性」を完璧に理解し、あろうことか師匠であるナオキ自身に仕掛けたという、最高の『反逆』の証明だった。


「…………っ、くくっ」


ナオキは、ぽかんと口を開けたままトウヤたちと、腕の中のセリアを交互に見つめ――やがて、肩を揺らして低く笑い出した。


「ふはっ、あーっはっはっはっ!!」


薄暗い路地裏に、ナオキの腹の底からの笑い声が響き渡る。

 涙の跡が残る顔をくしゃくしゃに歪めながら、その口元には、かつての――いや、それ以上に凶悪で、不敵な『魔王』の笑みが完全にそこに戻っていた。


「やりやがったな、お前ら! 俺が教えた理屈を、そのまま俺に適用して盤面を操ろうってのか! どんだけ優秀でタチの悪い弟子に育ってんだよ!」


「ナオキさんが俺たちをそう育てたんでしょ?」


トウヤが胸を張って答える。

 ナオキは痛快そうに腹を抱えて笑い、ゆっくりと立ち上がった。

 もう、彼の目に絶望の濁りはない。セリアの愛と、弟子たちのタチの悪い光に照らされたその背中は、再び世界を裏から牛耳る絶対者のオーラを放っていた。


「……上等だ。お前らの用意した盤面のおかげで、最高のチートスキルが手に入ったぜ。これなら、あの白服のクソ野郎からスキルを奪って世界線ごと奪い返せる」


ナオキは、セリアの腰を強く抱き寄せ、煌びやかな光の射すゼファーの大通りをギラついた目で睨みつけた。


「行くぞ、お前ら。……嫁たちの高すぎるプライドも、チート野郎のスキルも、俺が全部ひっくるめて『強奪』してやる。……『ニューワールド』の始まりだ」

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