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転生者救済編 第十三話

バタンッ!! と、重い扉が閉まる音が、スイートルームにひどく虚しく響き渡った。


あとに残されたのは、重苦しい静寂だけ。

 完全にナオキを論破し、自分たちの力とプライドを誇示したはずのアイリとツカサだったが、その顔に勝利の優越感は微塵もなかった。


「な、なによ、あいつ……。急に泣き出したりして……気持ち悪い……っ」


アイリは自分の両腕をさすりながら、震える声で吐き捨てた。

 だが、その声はひどく上擦っている。ナオキのあの血走った涙と、子供のように顔を歪めた慟哭が、網膜に焼き付いて離れない。拒絶したはずなのに、胸の奥の「空白」が、ギリギリと締め付けられるように痛むのだ。


「ええ……本当に、見苦しい男ですわ。自分の思い通りにならないからと泣き落としなど……三流のすることです」


ツカサも冷たく同意したが、ティーカップを持ち上げようとした彼女の指先は、カチャカチャと微かに震えていた。


そんな強がる大人二人を背に、トウヤとルカは、ナオキが消えていった扉をじっと見つめたまま、立ち尽くしていた。


「……トウヤ。私、師匠が泣いてるの……初めて見たっす」

「あぁ……俺もだ」


トウヤは、ギリッと奥歯を噛み締めた。

 どんな絶望的な状況でも、どんなに強大なチート能力者を前にしても、ナオキは決して余裕を崩さなかった。傷だらけになりながらも、いつもタチの悪い、意地悪な笑みを浮かべて「盤面をひっくり返す」男だった。

 その絶対的な存在が、あんなにもボロボロに心を折られ、逃げるように去っていった。


「アイリさん。ツカサさん」


トウヤは、ゆっくりと振り返り、ベッドの上に座る二人を真っ直ぐに見据えた。

 その目――【真実の魔眼】が、静かな怒りと悲しみを帯びて淡く光っている。


「……なによ、トウヤ君。私たちに文句でもあるの?」

「アイリさんは、『自分の力だけでトップアイドルになった』と言いましたね。ツカサさんは、『誰にも頼らず知略で勝ち上がった』と」


トウヤの静かな問いかけに、二人は「ええ、そうよ」「事実ですわ」と胸を張る。

 だが、トウヤは悲しげに首を横に振った。


「違う。……あなたたちが一点の曇りもなく、誰よりも美しく光り輝けたのは、ナオキさんが裏で、すべての『泥汚れ』を被ってくれていたからです」


「なっ……」

「何を馬鹿な……」


「思い出してくれとは言いません。どうせシステムに弾かれる。……でも、俺たちが見てきた『ナオキさん』の話だけは、聞いてください」


トウヤの言葉を引き継ぐように、ルカが一歩前に出た。


「あの人は……師匠は、いつだって最悪で、タチの悪い大人だったっす」


ルカの脳裏に、あの『白亜の王城』での決戦が蘇る。


「私が、皇帝やバルガス将軍っていう絶対的な『理不尽』の前に手も足も出なくて、絶望してた時。……師匠は、私を助けるどころか、私を裏切って敵の味方につくフリをしたっす」

「え……? 裏切った?」

「そうっす。私に憎まれて、私に殺意を向けられる、最悪の『悪役』を自ら演じたんすよ。……私の【叛逆の愚者】を、限界突破させるための『的』になるために」


アイリとツカサが、息を呑む。

 自らの命を危険に晒し、愛する教え子から憎悪を向けられる痛みを呑み込んでまで、彼女の力を引き出そうとした狂気の沙汰。


「そのあとの特務機関のユリウスのときだってそうっす」

 トウヤが頷き、静かに言葉を繋ぐ。

「ユリウスさんが仕掛けた、全奴隷への『一度だけの解放』を問う罠。あれを打ち破れたのも、ルカの力じゃない。ナオキさんが戦略で、裏で奴隷の方たちの心を繋いで、システムアナウンスを見た奴隷の方たちがたった一度のチャンスをつかみ取って、自由に生きていけるように……見えない盤面を、整えてくれていたからです」


トウヤは、拳を強く握りしめた。


「光の当たる場所や、英雄としての名声は全部俺たちに譲って……自分は常に陰に隠れて、一番タチの悪くて、一番しんどい役回りを引き受けてくれた。それが、ナオキさんなんです」


ルカも、ポロポロと涙をこぼしながら頷いた。


「今の師匠も同じっす……自分が表に出たら、二人の輝きが濁るって気づいたから……。だから、あんな風に泣きながら、大切な人の前から消えたんすよ……っ!」


『俺がこれ以上、あいつらの世界を汚せるわけないだろ……っ!!』


先ほどのナオキの痛切な叫びが、部屋にいた全員の胸に蘇る。

 それは、どうしようもない劣等感と、彼女たちを心底愛しているからこその「自己犠牲」だった。

 自分という泥汚れがない方が、この女たちは幸せになれる。そう思い込んでしまったからこそ、魔王は自ら玉座を降りたのだ。


「……っ」


アイリは胸の服をギュッと握りしめ、顔を伏せた。

 ツカサもまた、ギリッと唇を噛み締め、何も言い返すことができない。

 記憶はない。実感もない。なのに、トウヤとルカが語るその「不器用で、タチが悪くて、誰よりも優しい男」の姿が、なぜか彼女たちの魂の奥にある空白のパズルピースと、恐ろしいほどにピタリと噛み合ってしまうのだ。


「……アイリさん、ツカサさん。あなたたちは、今の『完璧な自分たち』を愛して、誇りに思って生きていけばいい。俺はそれを否定しません」


トウヤは、涙を拭い、ひどく冷たく、そして力強い決意を込めた瞳で二人を見た。


「でも、俺とルカは違います。俺たちは、あの人に救われた。あの人の悪知恵と背中があったから、理不尽に立ち向かえた。……だから、今度は俺たちの番だ」


「トウヤ……」


「ナオキさんが『自分はいらない』って諦めるなら、俺たちが無理やりにでも、あの人を表舞台に引きずり出します。アイリさんたちが拒絶するなら……俺たちだけで、あの人を、もう一度世界の頂点に立たせてみせる」


それは、トウヤとルカの『反逆』の宣言だった。

 かつてナオキに守られていた子供たちは、一人で泥を被ろうとする師匠の「エゴ」すらもぶっ壊す決意を固めたのだ。


「行くぞ、ルカ。……ナオキさんを迎えに行く。今度は、俺たちが『プロデューサー』になる番だ」

「はいっす、トウヤ! 師匠をあんな風に泣かせたまま終わるなんて、絶対に許さないっす!」


二人は、呆然と座り込むアイリとツカサに一瞥もくれることなく、背を向けてスイートルームを出ていった。


再び、静寂が降りる。

 部屋に取り残されたのは、完璧で美しいトップアイドルと、天才コンサルタント。

 だが、二人の顔は青ざめ、その心には、決して埋まることのない『焦燥感』と『得体の知れない喪失感』が、どす黒く渦巻いていた。


「……なによ、これ……っ」


アイリは、ポロリと自分の目から零れ落ちた涙に気づき、震える手で頬に触れた。


「私、泣く理由なんてないのに……っ。あんな一般人、知らないのに……なんで、こんなに胸が……痛いの……っ」


ツカサもまた、自らの腕を強く抱きしめ、荒い呼吸を繰り返していた。


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