転生者救済編 第十一話
数十分後。
荒れ果てたVIPルームのソファから立ち上がったナオキは、乱れた高級スーツのネクタイを締め直し、冷徹な思考の海へと深く潜っていた。
「……あの白服のチート野郎が使った『存在抹消』。あれは単なる記憶操作じゃない。世界線そのものを『俺がいない状態』で再構築する、理不尽極まりない世界の書き換えだ」
ナオキの瞳に、先ほどまでの弱々しい絶望は微塵もない。
あるのは、自分からすべてを奪ったチートに対する、絶対的な殺意と、盤面を支配するための冷酷な知略の光だけだった。
「ナオキ様……っ、あぁ……」
ソファの上で、乱れた衣服から白い肌を覗かせたセリアが、熱い吐息を漏らしながらその背中を見つめている。
弱音を吐き、泣きじゃくっていた主はもういない。自分の狂気的な愛を喰らい、再び『世界を裏から牛耳る魔王』として完璧な冷酷さを取り戻したその姿に、セリアの背筋にゾクゾクと甘い電流が走る。
たまらない。この圧倒的なオーラを放つお方の影として、永遠に支配されていたい。
「……揃ったか。入れ」
ナオキが短い声で命じると、分厚い防音扉が開き、トウヤとルカが静かに部屋へと入ってきた。
二人は、部屋に充満するむせ返るような甘い匂いと、ナオキから放たれる『元の危険な覇気』にハッと息を呑んだ。
「ナオキ、さん……!」
「師匠っ……!」
「待たせたな。トウヤ、お前の目で視た情報を全部吐き出せ。あのクソみたいなスキルの詳細と、解除条件だ」
ナオキがソファに深く腰を下ろす。
トウヤは【真実の魔眼】を強く押さえ、重苦しい口調で報告を始めた。
「結論から言います。……スキル自体を解除することは、絶対に不可能です。これはスキルの域じゃない。世界という器を丸ごと別の『パラレルワールド』にすり替える、ルカのスキルを超える超級チートのマスターコマンドスキルです」
トウヤの言葉に、ルカが悔しそうに拳を握りしめる。
「つまり、元の世界線に戻る手段はない。この世界において、アイリたちが俺を忘れている歴史こそが『100%の正史』としてシステムに固定されているわけだ」
「……はい。だから、アイリさんたちの記憶をスキルで直接修復するアプローチは、どうやってもシステムに弾かれます。最悪、彼女たちの精神が壊れる」
絶望的なシステムの絶対宣告。
だが、ナオキは葉巻の煙をゆっくりと吐き出し、ただ「そうか」とだけ短く応えた。
「でも、諦める必要はありません!」
トウヤが一歩前に出て、力強く宣言する。
「記憶が戻らないなら……俺たちで、もう一度『新しい記憶』を作ればいいんです。ナオキさんとアイリさんたちを意図的に引き合わせて、前の世界の時と同じように、いや、それ以上に強烈な絆を叩き込む。……そうやって魂を刺激し続ければ、パラレルワールドの枠組みを超えて、アイリさんたちの感情がナオキさんを『思い出す(上書きする)』かもしれない!」
「そうっす! 記憶がないなら、もう一回惚れさせればいいだけっすよ! アタシとトウヤが、全力でキューピッドをやるっす!」
スキルが通じないなら、感情と魂の力技でねじ伏せる。
それは、今までナオキが教えてきた「盤面がクソならルールごとひっくり返せ」という教えを体現する、若き共犯者たちの熱いプロデュース計画だった。
――しかし。
「無駄ですよ。そんなこと」
部屋の空気を凍りつかせるような、冷たく、そしてどこまでも傲慢な声が響いた。
ソファの隣でナオキの腕にすり寄っていたセリアが、トウヤとルカを、ゴミでも見るような冷ややかな目で見下ろしていた。
「セリア……?」
「トウヤ様もルカ様も、お花畑な思考ですね。……いいですか? 今のあの女たちは、この世界線で光り輝く『完璧な英雄』であり、『自立したトップアイドル』なんですよ」
セリアの言葉には、隠しきれない優越感と、強烈な毒が混じっていた。
「アイリもツカサも、強烈なエゴと高すぎるプライドの塊です。世界から不要の烙印を押され、泥水に塗れたナオキ様を……今のあの方たちが、すんなりと受け入れると本気で思っているんですか?」
「それは……っ、でも、魂の繋がりが――」
「繋がりなんて、とうに断ち切られています。彼女たちは、今の『ナオキ様のいない完璧な自分たち』を心から愛している。……そんな女たちに、もう一度ナオキ様を押し付けたところで、彼女たちの高いプライドが全力で拒絶するだけです」
セリアは、ナオキの腕をさらに強く抱きしめ、自分の胸を押し当てた。
その瞳には、かつての控えめなメイドの姿はない。「この人の隣は私だけのものだ」という、狂おしいまでの独占欲がギラギラと燃え盛っていた。
「ナオキ様。あんな空っぽのお人形たちのことなんて、もう放っておきましょう? 彼女たちには、光の当たる綺麗な世界を歩かせておけばいいんです」
セリアはナオキの耳元に唇を寄せ、甘く、鼓膜を溶かすような声で囁いた。
「ナオキ様の隣には、何もない私のほうが相応しい。ただナオキ様に依存して、甘えて、支配されて……貴方のためだけに汚れ仕事をする、私という『影』だけがいれば十分でしょう? 私だけが、ナオキ様のすべてを満たして差し上げます……っ」
それは、ある意味でセリアの究極の『エゴ』だった。
完璧な英雄たちを切り捨て、この薄暗い裏社会で、愛する魔王と二人きりで、永遠に刺激的で狂った甘い地獄を貪り続けたい。誰も介入できない、自分だけの絶対的なご主人様にしたいという、狂信者ゆえの独占欲。
トウヤとルカは、セリアから放たれるあまりにも重い『業』に気圧され、言葉を失った。
沈黙が落ちる。
ナオキは、自分にすがりつき、甘い毒を吐き続けるセリアの頭を、大きな手でゆっくりと撫でた。
「……お前の言う通りだ、セリア。あいつらはプライドが高くて、面倒くさくて、今の完璧な自分たちを心底愛してるだろうな」
「はいっ……! ですから、ナオキ様は私と――」
「だが」
ナオキの声が、低く、冷徹に響いた。
「もう一度アイリとツカサと話はしたい。記憶が戻らなくても、そのくらいは試してもいいだろ」
「ナオキさん……ッ!」
「師匠……っ!!」
トウヤとルカの顔が、パッと明るく輝く。
その姿に、セリアは一瞬だけ不満そうに頬を膨らませた。




