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第四十八話

帝国が崩壊し、俺とルカが付き合い始めてから数ヶ月。

瓦礫の山だった王都は、活気に満ちた復興の槌音に包まれていた。


「おおおっ! さすが光の勇者様だ!」

「ルカ様がいれば、あっという間に街が元通りになるぞ!」


街の大人たちが歓声を上げ、ルカを褒めちぎる。

ルカは「えへへ、任せるっす!」と屈託のない笑顔で応え、額の汗を拭った。誰の目から見ても、彼女は復興のシンボルであり、非の打ち所のない完璧な『光の勇者』そのものだった。


――しかし。

少し離れた場所でその様子を見守っていた俺の額には、じっとりと嫌な冷や汗が浮かんでいた。


「あ、トウヤ!」


俺の姿を認めた瞬間、ルカの顔がパッと輝いた。

そして、周囲に何十人もの作業員がいるにも関わらず、彼女は躊躇うことなく俺の胸に正面からドンッ!と飛びつき、その首に腕を回して力いっぱい抱きついてきたのだ。


「うわっ!? ちょっ、ルカ!?」

「えへへ……トウヤの匂いっす。トウヤ、トウヤー……すぅー、はぁー……んんっ、落ち着くっす……」


ルカは俺の胸元に顔をぐりぐりと押し付け、深く、熱い呼吸を繰り返す。

付き合い始めた当初は、手を繋ぐだけで茹でダコのように真っ赤になって照れまくっていた彼女だ。こんな人前で、しかも周囲の目を一切気にせずに甘え倒してくるなんて、以前のルカからは絶対に考えられない行動だった。


「お、おいおい、勇者様たち、アツアツだなあ!」

「若けぇってのはいいこった!」


街の大人たちは微笑ましそうにからかってくるが、俺の表情は強張っていた。

腕の中にいるルカの体温が、異常なほどに高いのだ。まるで、内側で高熱の炉が燃え盛っているかのように、彼女の吐息も、肌の熱さも、すべてが健常の範囲を逸脱している。


(魔力リソースの使いすぎによる、熱暴走……。理性のタガが外れて、原始的な『欲望』が肥大化し始めているんだ……!)


ナオキさんたちから聞かされていた【魔薬】の症状。

それが、目に見える形で確実にルカを蝕み始めていた。

最初は「少し甘えん坊になったな」程度だった。しかし、ここ数週間で彼女の『俺に対する依存心』と『独占欲』は、異常なレベルにまで跳ね上がっている。


「ルカ、みんな見てるから。ほら、水飲んで……」

「んーん、いらないっす。トウヤにぎゅーってされてれば、それで体力全回復するっす。……もっと、強く抱きしめてほしいっす……んっ」


ルカが潤んだ瞳で見上げ、甘ったるい吐息を漏らしたその時だった。


「あ、あのっ! トウヤ様! いつもルカ様のサポート、お疲れ様ですっ。これ、差し入れの冷たい果実水なんですけど……よかったら!」


復興を手伝っていた街の若い娘が、頬をぽっと赤らめながら、俺に水筒を差し出してきた。

勇者を支える者への、純粋な憧れと好意。


――ピキッ。


直後、俺の背筋が凍りついた。

抱きついていたルカの身体から、甘い熱がスッと消え失せ、代わりにぞっとするような『ドス黒い殺気』が膨れ上がったのだ。


「……私のトウヤに、何の用っすか?」


地を這うような、恐ろしく冷たい声。

ルカの足元の分厚い石畳が、彼女の無意識の踏み込みだけで蜘蛛の巣状にメキメキと砕け散った。


「ひぃっ!?」


街の娘が、ルカの瞳を見て悲鳴を上げる。

その瞳には、いつもの底抜けの優しさは微塵もない。自分のテリトリーに踏み込んできた外敵を、今すぐ物理的に肉片に変えてやろうとする、剥き出しの『破壊衝動と独占欲』だけが宿っていた。


「気安く声かけないでほしいっす。この人は私のっす。次近づいたら、その首を――」

「ルカ!! ストップ!!」


俺は咄嗟にルカの頭を両手で抱え込み、自分の胸の中に強引に押し付けた。そして、震える街の娘に向かって必死に頭を下げる。


「ご、ごめん! 今のは冗談ね!! 差し入れありがとう!」

「は、はいぃっ!!」


逃げるように去っていく娘。


「……っ、どうして止めるんすか、トウヤ! あの女、トウヤのことイヤらしい目で見てたっす! 私のなのに! 殺す、あんなメス、私がミンチにしてやるっす!!」

「ルカ! 落ち着け! 俺はどこにも行かない、君だけのものだ! だから、お願いだ……っ!」


俺は、腕の中でギリギリと暴れるルカの背中を、必死に、力強く撫で続けた。

ほんの少し気を抜けば、彼女は本当に街の人間をその手で殺しかねない。光の勇者が、ただの嫉妬で人を殺したとなれば、彼女がこれまで命懸けで守ってきたものがすべて水泡に帰してしまう。


「はぁっ、はぁっ……トウヤ、トウヤぁ……っ」

「大丈夫だ。俺はここにいる。君だけを見てるよ、ルカ」

「う、あぁぁぁんっ……トウヤが、他の女と喋るの、嫌だぁ……っ! 頭の中が、ぐちゃぐちゃになるっす……っ!」


周囲からは「勇者様、疲れが溜まってるのかな」と同情の声が上がるように、俺は必死に取り繕いながら、泣きじゃくるルカをなだめ続けた。


昼間の、誰もが憧れる英雄の姿。

しかしその実態は、限界を超えたチートの代償(魔薬)によって理性をすり減らし、俺のストッパーがなければ一瞬で狂気に呑まれてしまう、危うすぎるガラス細工のような状態だった。


(俺が、守るんだ。ルカの誇りも、心も、全部……っ!)


俺は、高熱を発してしがみついてくる愛しい少女の頭に頬をすり寄せながら、誰にも気づかれないように奥歯を強く噛み締めたのだった。


そして、夜。

日が落ち、復興の喧騒が静まり返った屋敷の一室で、本当の地獄が始まる。


「ハァッ……ハァッ……トウヤ……ッ、あついっ、あついよぉ……ッ!」


分厚い遮光カーテンが引かれた、暗く密室となった寝室。

ベッドの上で、ルカは理性という名の枷を完全に外した獣のように、俺の身体に馬乗りになっていた。


昼間の「光の勇者」としての眩しい輝きは、そこには微塵もない。シーツは無残に乱れ、ルカの衣服ははだけ、汗と異常な魔力の発熱によって、部屋中がむせ返るような甘く重たい匂いで満たされている。


「ルカ、大丈夫だ。俺はここにいるから。ゆっくり深呼吸して……っ」

「だめっ! たりない、トウヤの匂い……体温が、もっと……もっと中までほしいっす……ッ!」


ガハッ、と俺の口から苦悶の息が漏れた。

ルカの筋力で肩を床に縫い付けられ、骨が悲鳴を上げる。今の彼女には手加減という概念が抜け落ちていた。ただ己の内に渦巻く途方もない熱(魔力リソースの暴走)を冷ますために、冷たくて安心できる俺という『精神安定剤アース』を貪り食おうとしているのだ。


「んんっ、ちゅ、はぁっ、トウヤ……トウヤぁっ……!」


ルカの熱い唇が、俺の首筋や鎖骨に、貪欲に、何度も何度も打ち付けるように落とされる。

キスのやり方も分からないまま、ただ本能のままに皮膚を吸い上げ、噛みつき、自分の所有物であるというマーキングを必死に刻み込んでいく。


「痛っ……っ、ルカ……」

「トウヤの……っ。だれにも、わたさないっ。私だけを見て……私の中だけを、いっぱいに、して……ッ!」


ボロボロと大粒の涙をこぼしながら、ルカは泣き叫ぶように腰を擦り付けてくる。

彼女の瞳は熱に浮かされ、完全に焦点が合っていなかった。純粋な少女の初恋は、魔薬の副作用によってドロドロの依存と過剰な情欲へと変質させられ、彼女自身の精神を内側から焼き焦がしている。


少しでも俺が引き剥がそうとすれば、「見捨てないで」と赤子のように泣き叫び、暴れ狂う。彼女の規格外の力で本気で暴れられれば、この部屋ごと屋敷が半壊しかねない。

だから、俺は抵抗を諦め、自分の身を削って彼女の暴走する欲望のすべてを受け止めるしかなかった。


「……あぁ。俺は君のものだ。全部、ルカにあげるから……泣かないで、ルカ……っ」


俺は激痛に耐えながら、自分の上に覆い被さる獣と化した少女の背中に腕を回し、力強く抱きしめ返した。

ガブッ、とルカの犬歯が俺の肩口に食い込み、血が滲む。

痛みに顔を歪めながらも、俺は彼女の汗ばんだ髪を優しく撫で続けた。


(くそっ……! 理不尽すぎるだろ……!)


俺は暗闇の中で、血の滲むような怒りを噛み殺していた。

ルカに対する怒りではない。こんなにも優しくて、誰かのためにボロボロになって戦い続けた女の子を、ただ力を使ったというだけで『欲望の化け物』に貶める、この世界のふざけたシステムに対する強烈な憎悪だ。


毎夜毎夜、ルカの暴走を自分一人の身体で受け止める俺の全身は、すでにドス黒いアザと噛み傷だらけだった。

昼間は長袖を着て、首元まで隠して必死に誤魔化している。


誰にも言えない。もし、光の勇者が夜な夜な情欲と狂気に塗れた獣になっていると知られれば、彼女が命懸けで守ってきた平和の象徴シンボルが崩れ去ってしまう。

何より、正気を取り戻した時のルカ自身が、その事実に耐えられずに完全に壊れてしまうだろう。


「はぁっ、トウヤ……すきっ、大好きっす……だから、どこにも、いかないで……っ!」

「行かない……っ。ずっと、隣にいる……」


熱にうなされ、泣きじゃくりながら俺の身体にすがりつくルカ。

俺は彼女の涙を舐めとりながら、自分の無力さに絶望していた。


あんなにも愛しているのに。彼女の背負うものを半分持つと誓ったのに。ただの人間である自分には、チートの代償で壊れていく彼女の熱を、これ以上吸い上げてやれるだけの『容量キャパシティ』がまるでない。


(このままじゃ、ルカの心が完全に焼き切れる。俺の身体が壊れるのが先か、ルカが完全な獣に堕ちるのが先か……)


痛みに耐え続ける俺の意識も、限界ギリギリのところで点滅していた。

ルカがようやく泣き疲れて、俺の胸に顔を埋めたまま気絶するように眠りについたのは、窓の外がうっすらと白み始めた頃だった。


「……ごめんな、ルカ。俺の力が、足りなくて……」


アザだらけの重い腕でルカの小さな背中を抱きしめたまま、俺は天井を見上げて静かに涙をこぼした。

もはや、自分たちの愛と気力だけで乗り切れる次元はとうに超えている。


男としてのプライドなんて、とっくの昔にすり減って消え去っていた。彼女を救えるなら、悪魔に魂を売ってでもいい。


(……ナオキさん)


俺は、理不尽な世界を圧倒的な知略でぶっ壊してくれた、自分たちとは対極にいる人の顔を思い浮かべた。本当は頼らないで、自分の力でなんとかしたかった。でももう、そんなことは言っていられない。


明日。明日、必ずあそこへ行こう。そして、地面に額を擦りつけてでも、ルカを救う方法を乞うんだ。そう何度も思い、足を運べずにいた。


でも、明日こそは本当に。もう自分のプライドにこだわっている場合じゃない。

愛する少女の穏やかな寝顔を守るため、俺は冷たい絶望の中で、ただ一人、悲壮な決意を固めていたのだった。


*****


翌日。

俺は、ルカが復興委員会の会議で数時間だけ席を外す隙を見計らい、屋敷の奥深く――ナオキさんたちが生活拠点としている別棟へと重い足取りで向かった。


長袖の厚手の服を着込み、首元にはストールをきつく巻いている。ルカに付けられた無数の噛み傷や、暴れられた際にできた赤黒いアザを隠すためだ。だが、その足取りの覚束なさと、目の下にできた濃い隈、そして何より全身から漂う「死に体」のような凄惨な疲労感は、隠しようがなかった。


(俺のせいだ。俺が不甲斐ないから、ルカをあんなに苦しませてる……っ)


重い木製の扉の前に立ち、俺はギュッと拳を握りしめた。

自分の力で彼女を支えたい。その誓いを自分の手で折る屈辱よりも、ルカが完全に獣に堕ちて壊れてしまう恐怖の方が、今は何万倍も大きかった。


「……ナオキさん」


震える手で扉を押し開ける。

部屋の中は、昼間だというのに薄暗く、ひんやりとした空気が漂っていた。

大きなマホガニーのデスクの向こう側で、ナオキさんは分厚い書類――いや、得体の知れない古代の図面のようなものから顔を上げ、静かに俺を見据えた。傍らには、膨大な魔力光のホログラムを展開しながら高速で演算を続けるツカサさんの姿がある。


俺は一歩部屋に踏み込むと、そのまま糸が切れたように膝から崩れ落ちた。


「……っ」

冷たい大理石の床に額を擦り付ける。

男としてのちっぽけなプライドも、見栄も、すべてをかなぐり捨てた土下座だった。


「ナオキさん……っ、お願いだ! ルカを、ルカを助けてくれ……っ!」


絞り出すような声が、静かな部屋に響き渡る。


「あいつの……チートの代償が、もう限界なんだ! 昼間は無理して笑ってるけど、夜になると理性が飛んで……あいつ自身が、あいつの魔力で内側から壊されそうになってる! 俺じゃ……俺の力じゃ、あいつを救ってやれない……っ!」


床に顔を押し付けたまま、俺はボロボロと涙をこぼした。

悔しかった。情けなかった。自分は結局、彼女の隣で笑っているだけの、無力な子供のままだったのだと。


だから、どんな対価を要求されてもいい。自分を実験台にされてもいい。ナオキさんたちの持つ悪魔のような頭脳と規格外の力で、ルカを救ってほしかった。

どれほど冷たい言葉で罵倒されるか。「お前が隣に立つと言ったんだろう」と呆れられるか。俺はギュッと目を閉じて、その残酷な宣告を待った。


しかし――。


「……よく頑張ったな、トウヤ。お前の男気は見せてもらったぞ」


頭上から降ってきたのは、冷酷な嘲笑でも、見下すような声でもなかった。

どこか呆れたような、やれやれと息を吐き出す、それでいて暖かいナオキさんの声。


「立ちなさい、トウヤ」


いつの間にか演算を止めたツカサさんが、冷たい光を放つ眼鏡を押し上げながら、淡々と告げた。


「ルカの【叛逆の愚者】が、システムの規定リソースを大きく超過していることは、私の演算で弾き出されていました。放置すれば、ルカの精神は遠からず『魔薬』の熱暴走で完全に崩壊し、ただの欲望の獣になることもわかっていました」

「なっ……じゃあ、今回も最初から知ってて……!?」


驚愕に見開かれた俺の瞳に、ナオキさんが鼻で笑う。


「当たり前だ。あいつがどれだけ規格外のスキルを獲得したか、俺たちが一番驚かされたんだぞ。その反作用についても当然対策を考えていた……だが、ルカの誇りを守るために一人で泥を被ろうとしていたお前の男気に免じて、手出しは控えてやってたんだ。また裏で勝手に余計なことをして拒絶されるのは俺たちもトラウマなんでな」

「ナオキさん……」

「もっとも、その間、ただ指をくわえて待っていたわけじゃない」


ナオキさんが指を鳴らすと、部屋の奥の影から、静かにメイド服姿のセリアさんが進み出てきた。

その手には、厳重に封印が施された、旧帝国の最高機密レベルの水晶メモリが握られている。


「セリアが旧帝国の地下書庫から引きずり出してきたデータと、ツカサの演算を照合して、ついさっきようやく『正解』が出たところだ」


ナオキさんは立ち上がり、デスクに広げられた広大な古代地図の一点を、俺に見せつけるように指差した。


「神聖グリニア帝国のさらに奥地。システムが作られた時代から存在する『廃棄区画ダンジョン』……そこに、チートの副作用である『魔薬』を物理的に外部へ逃がすアーティファクト、【神の排熱弁】が眠っている」


それは、俺の想像を絶する事実だった。

自分が一人で絶望し、プライドと恐怖の間で板挟みになって夜を明かしていた間。この大人たちは、ルカの危機をとうに察知し、解決のためのカードを裏で着々と揃えていたのだ。「さすがです」としか、言葉が出なかった。


「俺たちがルカを放っておくわけねぇだろ。あの馬鹿正直な勇者は、俺たちにとっても大事な『娘』みたいなもんだからな」

ナオキさんはふっと口角を上げると、デスクに手をついて俺を見下ろした。


「だが、すぐには助けてやれない。俺たちがそのダンジョンを攻略してアーティファクトを持ち帰るまで、ルカの熱は、お前ら二人で【感覚共有ライン】を繋いで、並列処理で何とか凌げ」

「っ……! 俺とルカで、感覚共有を……!?」

「ああ。悪いが、俺たちのネットワークには繋いではやれない。俺たちも最近セリアを加えたことで全体の容量キャパシティは広げたが、ルカの【叛逆の愚者】が抱え込んでいるバグの質量はデカすぎる。今の俺たちの回線に組み込めば、大人四人の処理能力をもってしてもシステムが共倒れでクラッシュする危険があるんだ。こう見えて俺とアイリとツカサのスキルは強力になってきてるからな」


ナオキさんの深く、暗い瞳が、ボロボロになった俺の顔を真っ直ぐに睨みつける。

そこには、同情など微塵もない。ただ、一人の男として、愛する女を救う覚悟があるのかを問う、強烈な圧があった。


「だから、お前がやるしかないんだよ。トウヤ。お前が【感覚共有】のスキルを覚えて、ルカの熱の『防波堤』になれ」

「……ッ」

「ルカの隣に立つんだろ? スキルは精神的渇望で獲得できる仕組みなんだ。だったら、お前ほどそれを求めてるやつはいないだろ、あいつを獣の底から引きずり戻してこい」


その言葉に、俺の全身から震えが消えた。

情けなさで流していた涙が、熱い炎となって瞳の奥で力強く燃え上がる。


「……はいっ!!」


自分は、なんて恵まれているのだろう。

こんなにも歪で悪辣な、けれど誰よりも頼りになる大人たちが、厳しい試練を与えつつも、確実に自分たちの背中を押してくれている。


俺は痛む身体に鞭を打ち、真っ直ぐに前を向いて、深く、深く頭を下げたのだった。


その夜。

いつもなら、日が落ちると同時に理性のタガが外れ、ルカが獣のように俺を求めて泣き叫ぶ時間がやってきた。


「はぁっ、はぁっ……あつい、トウヤ……どこ……っ、トウヤぁ……ッ!」


ベッドの上で、ルカは荒い息を吐きながらシーツを掻き毟っていた。

瞳孔は開き、その眼差しにはすでに知性の光がない。規格外のチートスキル【叛逆の愚者】が生み出す莫大な魔力リソースの熱――『魔薬』の副作用が、彼女の脳を焼き焦がし、本能と情欲だけの化け物に変えようとしていた。


だが、今夜の俺は、ただ痛みに耐えて彼女を抱きしめるだけの「無力な少年」ではなかった。


「ルカ、俺はここだ」


俺は静かにベッドに腰を下ろすと、暴れようとするルカの熱い身体を真正面から抱きとめた。

ガブッ、とルカの犬歯が俺の肩口に食い込む。血が滲む激痛が走るが、俺は顔をしかめるだけで、決して彼女を突き放さなかった。


(ナオキさんたちは、俺たちを信じて背中を任せてくれた。……絶対に、俺がルカを引きずり戻す!)


俺は、ルカの背中に回した手に己の全神経と魔力を集中させた。大人組が、狂気と快楽の底で繋がり合うために使っていた異端の魔法。それを、今度は愛する少女を救うための『防波堤』として紡ぎ出す。

その時、スキル獲得のアナウンスが脳内に響いた。ようやく来た。あとはこれを、教えの通りに繋ぐだけだ。


「――【感覚共有ライン】、接続リンク……ッ!!」


俺が叫んだ瞬間。

俺とルカの胸の奥深くを、目に見えない太い魔力のパスが激しいスパークを伴って貫通した。


「ガ、アァァァァッ……!?」


繋がった瞬間、俺の脳髄を、文字通り焼き切れるような凄まじい『熱』が襲った。

これが、ルカが一人で耐え続けていた熱。理不尽を弾き返す強大なスキルの代償。あまりの質量と情報量に、視界が真っ白に明滅し、鼻血がツーッと伝い落ちる。


もしここで俺がこの熱に屈すれば、二人揃ってただの欲望の獣に成り下がってしまう。


(負けるか……っ! 俺は、ルカの隣に立つんだッ!!)


俺は歯を食いしばり、己の精神力のすべてを振り絞って、ルカの脳内を荒れ狂うマグマのような熱を、自分の容量キャパシティのほうへと強引に引きずり込んだ。

そして同時に、俺自身の『ルカをただ純粋に愛し、守りたい』という、どこまでも澄み切った冷たい清水のような感情を、ラインを通じてルカの心へと流し込んでいく。


「あ……、ぁ……?」


ルカの喉から、獣のような唸り声とは違う、戸惑いの声が漏れた。

彼女の脳内で暴れ狂っていた破壊衝動と情欲の熱が、急速に引いていく。代わりに流れ込んでくるのは、自分を力強く抱きしめてくれている俺の、少し早くなった心音と、不器用で真っ直ぐな愛情だった。


『……ルカ。もう一人で抱え込まなくていい。俺が全部、一緒に持つから』


言葉ではなく、魂に直接響く俺の温かい意志。

それが、ルカの脳を覆っていた分厚い魔薬の靄を、朝日のように綺麗に晴らしていった。


「トウ、ヤ……?」


ルカの瞳に、本来の澄んだ知性の光がスッと戻る。

彼女は瞬きを繰り返し、自分が今、何をしているのかをゆっくりと理解し始めた。


自分の腕の中にいる俺。

俺の首筋や肩には、無残な噛み傷とドス黒いアザが無数に刻まれている。そして今も、肩口には自分の歯が突き立てられ、血が滲んでいた。

すべて、自分が理性を失って傷つけた痕だ。


「あっ……! ぁぁっ……!」


ルカは弾かれたように俺から身を離し、ガタガタと震える両手で口元を覆った。


「私、私……なんてことを……っ! トウヤを、こんなにボロボロにして……っ!」

「ルカ」

「ごめんなさい、ごめんなさい……っ! 私、自分が怖かった……夜になると頭がぐちゃぐちゃになって、トウヤを壊したくてたまらなくなって……っ。私、光の勇者なんかじゃない、ただの、化け物っす……!」


自分が犯した罪の重さと恐怖に耐えきれず、ルカはベッドの端に丸まって、子供のようにボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。

その姿は、魔王や帝国兵の前に立っていた無敵の勇者ではなく、ただの弱くて脆い、等身大の女の子だった。


俺は鼻血を手の甲で乱暴に拭うと、泣きじゃくるルカの隣に移動し、今度はとても優しく、彼女の小さな背中を包み込むように抱きしめた。


「化け物なんかじゃないよ。君は誰よりも優しくて、だから一人で全部背負いすぎたんだ」

「でもっ、トウヤにこんなひどい傷を……っ」

「痛かったけど、嬉しかったよ」


俺の口から出た予想外の言葉に、ルカが涙に濡れた顔を上げる。


「ずっと、君に守られてばかりだったから。君が苦しい時に、俺の身体が少しでも君の熱を和らげる役に立ってたなら、こんな傷、名誉の負傷みたいなもんだ」

「トウヤの、バカ……っ」


感覚共有のラインを通じて、俺の言葉に嘘や強がりが一切ないことが、ルカの心に痛いほど伝わってくる。

俺の心にあるのは、ルカへの底知れない慈愛と、ついに彼女の痛みを「半分背負う」ことができたという、静かな誇りだけだった。


「ナオキさんたちがね、今、ルカのその熱を完全に治すために、神代のダンジョンに向かってくれてる」

「バカ師匠たちが……?」

「ああ。だから、大人たちが帰ってくるまで、俺が感覚共有でルカの防波堤になる。もう二度と、君を一人で熱に浮かされたりさせない」


俺はルカの頬に手を添え、親指でそっと涙を拭った。


「俺は、君の隣に立つ男だからな」


その少しだけ背伸びをした、けれど誰よりも頼もしい言葉に、ルカの胸の奥がキュンと甘く鳴った。

魔薬による暴力的な情欲ではない。彼を心から愛おしいと思う、本物の、温かい恋心。

それが感覚共有を通じて俺にも伝わり、俺もまた、照れくさそうに、けれど嬉しそうに目を細めた。


「……本当、私の彼氏は、世界一かっこいいっすね」

「だろ?」


ルカは自分からそっと身を乗り出し、俺の唇に、触れるだけの優しく柔らかいキスを落とした。

獣のように貪り食うキスじゃない。互いの体温と愛情を確かめ合うような、純粋で静かなキス。


「……今日はもう、痛いことしないっす。ただ、朝まで手を繋いでてほしいっす」

「うん。ずっと繋いでる」


二人はベッドに横たわり、互いの指をしっかりと絡め合わせた。

感覚共有のラインを通じて、穏やかで規則正しい心音が二人の間で心地よくループし、完全に鎮火したルカの脳を優しく微睡みへと誘っていく。


(ありがとう、ナオキさん、……。あとは、お願いします)


ようやく正気を取り戻し、心からの安堵に包まれたルカは、俺の温もりの中で、深く、平和な眠りにつく――はずだった。


「……」

「……ルカ?」


繋いだ手から伝わってくるルカの鼓動が、トクトクと少しずつ早くなっていく。

目を閉じていたルカが、もぞもぞとシーツの中で身じろぎをし、やがてパチリと潤んだ瞳を開けて俺を見上げた。その顔は、魔薬の熱とは違う、年相応の女の子らしい初々しい朱に染まっている。


「とうや? その、やっぱり、今のまともな状態で、初めてを、その、やりなおしたいっす」

「えっ……!?」


予想外の言葉に、俺の顔が一瞬で爆発したように赤くなった。


「い、いや、でもルカ、疲れてるだろ!? 何日も魔薬のせいで寝てないし……っ」

「……」


ルカは身を起こし、はだけていた衣服をそっと肩から滑り落とした。

月明かりに照らし出されたその裸身は、息を呑むほどに美しかった。


汗ばんでぺったりとうなじに張り付いた赤茶色のショートボブ。小柄ながらも無駄な脂肪が一切なく、うっすらと縦に筋の入った引き締まった腹筋が、艶めかしく光っている。それでいて、華奢な鎖骨の下で主張する小ぶりながらもツンと上を向いた形の良い胸は、若々しい弾力に満ちていた。

戦士としての健康的なスポーティさと、女子高生らしい無防備な色気。その奇跡のようなアンバランスさが、シーツの上で存分に弾けている。


「……獣みたいにトウヤを襲って、無理やりしたの、心残りっす。私、ちゃんと好きな人と、心から愛し合って……女の子として、抱かれたいっす」


恥ずかしそうに胸元を隠しながら、それでも真っ直ぐに俺を見つめるルカ。

その健気でいじらしい願いを、どうして拒むことができるだろうか。


「……分かった。俺も、ルカにちゃんと触れたい」


俺が優しく手を伸ばし、ルカの華奢な肩を引き寄せた。

二人の胸の奥では、俺が紡ぎ出した【感覚共有ライン】が、温かく、静かに繋がったままだ。


肌と肌が触れ合った瞬間。

俺の脳内に、ルカの『恥ずかしいけれど、たまらなく嬉しい』という甘い感情が、春の陽だまりのように流れ込んできた。


「あっ……んっ……」

俺の大きな手が、ルカの背中から腰へと、労るように滑る。


その不器用で誠実な感触が、感覚共有を通じてルカ自身にも『トウヤが自分をどれほど大切に想って触れているか』という生々しい愛情のフィードバックとなって還ってくる。


大人たち(ナオキさんたち)の感覚共有が、理性を焼き切るドロドロの劇薬だとするなら。

今、ルカと俺の間でループしているこの感覚は、どこまでも澄み切った、純度100%の『初恋』の増幅器だった。


「ルカ……すげぇ、綺麗だ……」

「はうっ……ト、トウヤのドキドキが、直接伝わってきて……私まで、頭が沸騰しそうっす……っ」


俺が、ルカの形の良い胸にそっと触れる。

「ひゃんっ!」

ルカの口から、可愛らしい悲鳴が漏れた。魔薬に侵されていた時の獣のような嬌声ではなく、大好きな男の子に初めて触れられた、純粋な少女の反応。


その初々しい反応に俺の胸が激しく高鳴り、それがまたラインを通じてルカの腰を甘く痺れさせる。


「んちゅ……っ、ぁ、んんっ……」


二人の唇が重なる。

俺の唇の温かさ、少しだけ不器用な舌の動き。ルカはそれらを己の口内で直接味わいながら、同時に俺の脳が感じている『ルカの唇、すげぇ柔らかくて甘い』という感動を、自分の心で共有していた。


「はぁっ、トウヤ……トウヤぁっ……。すごく、幸せっす……。さっきまでの、頭がおかしくなるような熱じゃなくて……心の奥から、ポカポカして、満たされていくっす……っ」

「俺もだ、ルカ。……君の気持ちが、全部俺の中に入ってくる。俺、本当に君の隣にいられるんだな……っ」


それは、ただの肉体的な交わりではなかった。

互いの不安も、恐怖も、そしてそれを遥かに凌駕するほどの巨大な愛情も。すべてを包み隠さず分かち合い、一つの魂として溶け合っていく、真の意味での『初めての夜』。


「……愛してるよ、ルカ」

「私もっす、トウヤ……っ。世界で一番、大好きっす……っ!」


月明かりの下、俺たち二人の若き勇者たちは、感覚共有という魔法を『互いを思いやるための究極の繋がり』として使いこなし、朝まで何度も、甘く優しい愛の言葉と体温を交わし続けたのだった。

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