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第四十五話

大浴場から上がったルカは、風通しの良いバルコニーで、一人大きく深呼吸をしていた。


「はぁぁぁ……っ、疲れたっす……」


大理石の冷たい手すりに体重を預け、夕闇が迫る王都の街並みを見下ろす。 街のあちこちで復興の松明が灯り始め、人々が新しい明日へ向かって力強く歩み出している光景。それは紛れもなく自分たちが命懸けで勝ち取った平和の証であり、誇らしい景色だった。 だが、その「光の勇者」として常に人々の希望であり続けなければならない重圧に、ルカの精神力は限界ギリギリまですり減っていた。


「……お疲れ様、ルカちゃん」


不意に背後からかけられた温かい声。 振り返ると、そこには少しだけ息を切らし、真っ直ぐな瞳をしたトウヤが立っていた。彼の手には、よく冷えた果実水が注がれたグラスが二つ握られている。


「あ、トウヤ。お疲れ様っす。……ありがとうっす」


差し出されたグラスを受け取り、冷たい水を一口飲む。渇いていた喉に爽やかな甘さが広がり、ルカはほうっと息をついた。


「今日はいろいろあって、すっごく疲れたっす……」

「あはは、そうだね。でも、街の人たちはみんな、ルカちゃんのおかげで本当に嬉しそうだったよ」


ルカがふぅと息を吐く隣に、トウヤは静かに並んで立った。 二人の間に、心地よい夜風が吹き抜ける。


「……ルカちゃん」


ポツリと、トウヤがグラスを両手で包み込むように持ちながら、横顔を向けたまま口を開いた。 いつもなら照れて視線を逸らしてしまう彼が、今は逃げることなく、ルカの瞳を真っ直ぐに見つめている。その真剣すぎる眼差しに、ルカは思わずドキリとして言葉を詰まらせた。


「俺……ずっと、ルカちゃんに言わなきゃいけないことがあったんだ」


「えっ……? 言わなきゃいけない、こと?」


トウヤは一度だけ小さく深呼吸をすると、ぽつり、ぽつりと、自分の奥底にある想いを言葉にし始めた。


「前世の俺は……頭が悪くて、思いついたことはすぐ口にして、後先考えずに何でも行動してしまう……ただの馬鹿な男だった。周りに迷惑ばかりかけて、結局何も成し遂げられないまま終わった、ちっぽけな存在で」

「トウヤ……?」


「でも、ルカちゃんは違った。俺と同じように不器用で、真っ直ぐで、後先考えずに突っ走るのに……その真っ直ぐさで、絶対に不可能だってみんなが諦めていた夢みたいなことを、本当に全部叶えてみせた」


理不尽に立ち向かい、ボロボロになりながらも決して膝を折らなかった少女。 前世の自分が抱いていた「こうありたい」という理想を、何倍も純粋な形で体現し、世界を救ってしまった彼女の背中を、トウヤはずっと一番近くで追いかけてきた。


「あんなに安全で、ルカちゃんを大切に思っていて、大事に守ってくれる人たちのそばから離れて……俺なんかのために力を貸してくれて、一緒に歩いてくれて。……本当に、ありがとう」


それは、帝国から逃げ出し、絶望していたトウヤを救い上げてくれたルカへの、彼自身の心からの感謝だった。


「俺は弱くて、どうしようもなく力不足で……ルカちゃんの【叛逆の愚者】みたいに、理不尽を弾き返すような絶対的な力もない。ルカちゃんが傷つくのを、ただ後ろで見ていることしかできなかった自分が、本当に不甲斐なくて、悔しかった」


トウヤは、持っていたグラスをバルコニーのテーブルに置くと、ルカへと一歩近づいた。 ルカの心臓が、早鐘のようにドクンと大きく跳ねる。魔物と対峙した時ですら揺らがなかった彼女の心が、目の前の少年の言葉一つで、ぐらぐらと激しく揺さぶられていた。


「でも、だからこそ……俺は強くなる。ルカちゃんの隣に並び立てるくらい、絶対に強い男になるから。ルカちゃんが理不尽に押しつぶされそうな時、一人で背負い込んで泣きそうな時……世界中の誰よりも、どんな時も側にいて、隣で、その痛みを一緒に背負って、守りたいんだ!」


夕闇の中、トウヤの真っ直ぐな瞳がルカを射抜く。


「ルカちゃん。……いや、ルカ。君が好きだ。俺と、付き合ってください!」


静寂。 風の音すら遠ざかり、ルカの耳には自分の激しい心音だけが響いていた。


誰かの差し金でも、ナオキからアドバイスを受けたからでもない。 ただひたすらに彼女を見つめ続け、自分自身の弱さと向き合い、それでも彼女の隣に立つことを選んだ少年の、剥き出しの想い。


前世から引き継いだ未熟さを乗り越え、愛する少女を守り抜くという誓いを立てたこの瞬間こそが、トウヤという一人の少年にとっての『初めての恋』であり、彼が男として踏み出した『初めての確かな成長』だった。


どんな巨大な権力にも弾き返されないルカの反逆の意志だが、トウヤのその飾り気のない、不器用で真っ直ぐな想いだけは、いとも容易く彼女の心の最も柔らかい部分をダイレクトに打ち抜いていた。


「~~~~っ!!」


ルカの顔が、夕焼けよりも赤く、文字通り沸騰するように一瞬で染まり上がった。


「ば、ばっ、ばかっ! トウヤのバカ!! ななな、何言ってんすか!!」


パニックに陥ったルカは、掴まれた肩から逃れるようにバッと後ずさり、両手で顔を覆い隠した。普段の勇ましさなど微塵もない、ただの年相応の、初恋に慌てふためく少女の反応だった。


「ご、ごめん! 急すぎたよね……嫌だった……!?」


「嫌とか、そういうんじゃないっす!! 心の準備とか、あるじゃないすか!!」


バルコニーにルカの悲鳴のような照れ隠しの絶叫が響き渡る。 しかし、彼女は顔を覆った指の隙間から、困ったようにオロオロしているトウヤの顔をそっと盗み見た。 必死で、不器用で、自分と同じように真っ赤な顔をしている彼。


昔はちょっと頼りなかった彼が、いつの間にか自分と同じ目線で、こんなにも力強く自分のことを求めてくれている。自分の泥臭いところも全部見た上で「守りたい」と言ってくれた。その事実が、たまらなく嬉しくて、胸の奥がくすぐったくて仕方がなかった。


「……本当、バカっすよ。私みたいなの選ぶなんて」


ルカはゆっくりと両手を下ろすと、まだ真っ赤な顔のまま、わざとらしくそっぽを向いた。


「私、可愛げないっすよ。後先考えずに突っ走るし、女子力ゼロだし、大食いだし、すぐ怒るし。……勇者なんて呼ばれてるけど、中身はただのガサツなガキっすよ。後悔しても知らないっすからね」


「後悔なんて絶対しない!」


トウヤが食い気味に、秒で即答する。


「ガサツでも、大食いでも、すぐ怒っても……その全部が、俺の好きになったルカだから」


その淀みない言葉に、ついにルカの強がりは完全に底を突いた。


「……っ、もう! 勝手にしろっす!!」


ルカは涙目で自暴自棄に叫ぶと、ズンズンと歩み寄り、トウヤの胸にゴンッ!と頭突きをするような勢いで顔を埋めた。


「うわっ!?」


「……私の隣、すっごく疲れるっすからね。覚悟しておくっすよ」


トウヤの胸に顔を押し付けたまま、くぐもった声で呟くルカ。その小さな手は、トウヤの服の裾をギュッと力強く握りしめていた。 彼女からの不器用すぎる「YES」のサイン。


トウヤは目を丸くした後、嬉しさに顔をくしゃくしゃに歪め、恐る恐る、けれどしっかりと、腕の中に飛び込んできた愛しい少女の背中に腕を回した。


「うん。……よろしく、ルカ」


暮れなずむ王都の空の下。 理不尽に抗い続けた少女と、彼女を一番近くで守り抜くと誓った少年の、不器用で、けれど誰よりも真っ直ぐな初恋が、確かな熱を持って実を結んだ瞬間だった。


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