外伝2 初めての夫婦喧嘩?
新婚生活が始まってから、数日。
セリーヌはまだ広すぎる屋敷に慣れきれず、毎朝の散歩で少しずつ部屋や庭園を覚えようと努めていた。
そんなある日、彼女は花壇の世話を手伝おうと、袖を捲りあげていた。
「ここを少し掘って、新しい苗を植えるのですね」
しゃがみこんで土に触れると、不思議と心が落ち着く。実家で母と一緒に庭を整えていた頃を思い出し、懐かしさで胸が満たされた。
だが――その背後に影が落ちる。
「……何をしている」
振り返ると、鋭い声とともに立っていたのはレオンハルトだった。
彼は眉をひそめ、土で汚れた彼女の手を取る。
「お前がすることではない。手を傷つけたらどうするつもりだ」
「えっ……ですが、少しくらいなら――」
「駄目だ」
きっぱりとした声音に、セリーヌの胸はずきりと痛む。
――守ってくれているのは分かる。でも、まるで自分が何もできない存在のように扱われているようで……。
「私は、公爵夫人だからといって、ただ贅沢に過ごしたいわけではありません」
思わず声を強めると、レオンハルトの目が細くなる。
「お前は大切に守られるべき存在だ。それを理解していないのか」
「いいえ! 私は守られるだけでは嫌なんです。自分でできることはしたい。役に立ちたいんです」
言い終えると、胸が熱くなり、涙がにじみそうになった。
レオンハルトはしばし黙り込んだが、やがて低く言った。
「……役に立ちたい、か。お前は、私の傍にいるだけで十分だ」
「それでは……私はただの飾りの妻だというのですか?」
感情が溢れてしまった。
レオンハルトの瞳に一瞬、驚きが浮かぶ。だが、彼はすぐに視線を逸らした。
「そんなつもりは――」
「でも、そう聞こえます!」
胸が締めつけられる。
初めての口論。セリーヌは涙を堪えきれず、踵を返してその場を走り去った。
セリーヌは自室の窓辺に座り、庭を眺めていた。
――私は、間違っていただろうか。
夫の想いを拒絶してしまったのではないか。胸が痛んで仕方がなかった。
やがて扉が静かに開き、重い足音が近づく。
「……セリーヌ」
振り返れば、レオンハルトが立っていた。
彼はしばし言葉を探すように沈黙したが、やがて不器用に口を開いた。
「……先ほどは、言い過ぎた。お前を傷つけるつもりはなかった」
「……私こそ。大声を出してしまって……」
互いに視線を逸らし、気まずい沈黙が流れる。
やがてレオンハルトが深く息を吐いた。
「私は……失うことを恐れている」
その言葉に、セリーヌははっとする。
「お前を守りたいと思うあまり、必要以上に手を出してしまった。もし再び危険な目に遭ったらと思うと……理性を失うほどに怖いのだ」
低い声に宿る震え。それは、彼の心の奥底からこぼれた本音だった。
セリーヌは胸が熱くなり、そっと彼の手に触れた。
「……私は弱くありません。確かに、公爵夫人として至らないところも多いです。でも、自分で歩みたいんです。あなたの隣に立つために」
レオンハルトはその瞳を見つめ、やがてゆっくり頷いた。
「……分かった。だが約束してくれ。困難に直面したときは、一人で抱え込まずに私を頼ると」
「はい……約束します」
その瞬間、二人の距離はふっと縮まった。
互いの気持ちを理解し合えた喜びが胸に満ちる。
翌朝。
セリーヌは昨日の続きとばかりに、庭の花壇へ向かった。そこにはすでに、袖を捲り、土を掘り返しているレオンハルトの姿があった。
「レオンハルト様……?」
「昨日の続きだ。お前一人には任せられん」
不器用に笑うその姿に、セリーヌは思わず吹き出してしまった。
二人並んで土を掘り、苗を植える。太陽の下で過ごすひとときが、かけがえのない時間に思えた。
――きっとこれからも、喧嘩することはあるだろう。
けれど、その度に理解を深め、絆は強くなっていくに違いない。
セリーヌはそう確信しながら、土の香りに包まれて微笑んだ。




