第36話 囚われの友
重苦しい空気が漂うヴァロア侯爵家の奥の一室。
窓は分厚い布で覆われ、蝋燭の炎だけが揺らめいている。椅子に縛られたままのセリーヌは、必死に縛られた手首を動かしながらも、無力さを噛みしめていた。
扉の向こうに足音が近づく。
――エドモンだろうか。
そう思って息を詰めると、開いた扉から現れたのは、彼女が予想していなかった人物だった。
「セリーヌ様……!」
息を切らし、必死の表情で飛び込んできたのはカトリーヌだった。淡いブルーのドレスの裾を乱しながら、彼女は真っ直ぐにセリーヌへ駆け寄る。
「カトリーヌ様……どうして……」
「わたくし、昨夜見たのです。兄様が怪しい者たちと袋を運び込むところを……」
カトリーヌの瞳は震えていた。
恐怖に押し潰されそうになりながらも、彼女はセリーヌを見捨てることができなかったのだ。
「大丈夫です、今わたくしが……」
縄を解こうとするその手を、冷たい声が遮った。
「――何をしている?」
扉が再び大きく開かれる。姿を現したのは、やはりエドモンだった。
薄い笑みを浮かべた兄の姿に、カトリーヌの顔から血の気が引いていく。
「兄様……っ!」
「やはり来たか。窓から覗いていた時点で気づいていたんだが……妹とはいえ、迂闊だな。」
エドモンはゆっくりと部屋に入ると、カトリーヌの肩を掴んで力強く引き離した。カトリーヌは抵抗するが、男の腕力に抗えない。
「兄様! どうしてこんなことを!? セリーヌ様は何も悪くありません!」
「悪いのは彼女ではなく――彼女の夫だ。」
冷徹な声に、セリーヌの胸が痛む。
エドモンの視線は、彼女を突き刺すように鋭かった。
「レオンハルト・グレイヴ。奴がいる限り、我がヴァロア家の栄光は戻らぬ。だからこそ、弱点を突く必要がある。」
「だからといって……! 罪のない方を巻き込むなんて……」
カトリーヌの必死の訴えも、兄には届かない。
むしろ、その真っ直ぐな瞳が彼の癇に障った。
「……ならばお前も同罪だな。妹だからといって、甘く見逃すわけにはいかない。」
「え……?」
次の瞬間、背後から現れた使用人がカトリーヌの両腕を押さえつける。彼女は必死に抵抗するも、あっという間に縄で縛られてしまった。
「やめて! カトリーヌ様を巻き込まないで!」
セリーヌが叫ぶ。だがエドモンは、冷笑を浮かべて二人を見下ろすばかりだ。
「妹もまた、グレイヴに靡くようでは困る。ならば、ここで一緒におとなしくしてもらおう。」
「兄様っ……どうしてこんなにも変わってしまったのですか……!」
カトリーヌの瞳から涙が零れ落ちる。幼い頃は優しかった兄。彼女を守ってくれると信じていた兄。その面影は、今や冷たい野心に塗り潰されていた。
「変わったのではない。――気づいただけだ。我らヴァロアが、グレイヴに押し潰されている現実にな。」
エドモンの声には激情が混じっていた。
数代前、王の信を得て公爵にまで上り詰めたグレイヴ家。その栄光が、ヴァロア家の威光を削り続けた。
幼い頃からその現実を突きつけられてきたエドモンにとって、レオンハルトは憎悪の象徴に他ならなかった。
「……でも、それでも!」
カトリーヌは涙を拭い、必死に言葉を絞り出す。
「セリーヌ様は何もしていません! 彼女は優しくて……とても、素敵な方です。だから……彼女を傷つけるのはやめて!」
その叫びは真っ直ぐで、セリーヌの胸を強く打った。
――友と呼んでくれるの?
この状況で、それほどまでに庇ってくれるの?
しかし、エドモンは冷ややかに吐き捨てる。
「愚かだな、カトリーヌ。情に流されるから女は政に向かぬと言われるのだ。……まあいい。お前もここで“おとなしく”しているといい。」
そう言って、彼は手を振り、使用人に命じた。
二人は並んで椅子に縛り付けられる。蝋燭の炎が揺らめく中、セリーヌは隣のカトリーヌの手にそっと自分の指先を触れさせた。わずかなぬくもりが伝わる。
「……ごめんなさい、セリーヌ様。わたくし、あなたを助けるつもりが……」
「いいえ。来てくれただけで、心強いです。」
小さな声で交わされる言葉。二人の間に芽生えた絆は、縛り付けられても消えることはなかった。
だが、状況は最悪だ。
窓は塞がれ、扉の外には見張りが立つ。助けは望めない。
エドモンは勝ち誇ったように二人を見下ろし、薄い笑みを浮かべた。
「さあ、グレイヴよ。どう出る? 激情に駆られるか、それとも冷酷に妻を見捨てるか――どちらにしても、奴の破滅は近い。」
その声が、重苦しい部屋に響き渡った。




