第33話 不穏な影
セリーヌはマグリットと並んで歩きながら、抱えてきた絵画を露店の一角に並べていた。色鮮やかな花や、穏やかな田園風景の絵に、通りがかった人々が立ち止まる。
「まぁ、素敵……! この花畑の絵、まるで本当に風に揺れているみたい」
「いくらだい?」
次々と声がかかり、セリーヌは緊張しながらも微笑んで答えた。
こうして自分の手で得た小さな収入が、心の支えになっていた。領地を思えば、一枚一枚が大切だった。
「奥様、今日は特に売れ行きが良いですね」
「えぇ。みんな優しくて……ありがたいわ」
微笑み合う二人。その様子を、通りの影から鋭い眼差しで見つめる男たちがいた。粗野な服装に身を包み、しかし動きには統率がある。彼らはただの浮浪者ではなかった。
「……あの女だな」
「あぁ、間違いない」
短いやり取りの後、三人の男は人混みに溶け込み、少しずつセリーヌたちに近づいていく。
その瞬間だった。
セリーヌが次の絵を渡そうとした途端、不意に背後から腕を掴まれた。
「きゃっ――!」
叫ぶ間もなく、力強く引き寄せられる。
マグリットが驚き声を上げた。
「奥様!? 離して!」
必死に食い下がるも、別の男が彼女を突き飛ばし、石畳に倒れ込ませる。
「奥様っ……!」
マグリットの悲鳴が響いたときには、セリーヌはすでに布で口を塞がれ、狭い路地裏へと引きずり込まれていた。
屋敷に戻ったマグリットの報告を受けたレオンハルトは、執務机を拳で叩いた。
「……セリーヌが攫われた、だと?」
「は、はい……っ。市場で突然現れた男たちに……!」
マグリットは涙で顔を濡らしながら必死に説明する。
クラウスも険しい表情で続けた。
「奥様を狙うなど、ただの誘拐ではありません。狙いはおそらく――」
「ヴァロアだ」
低く吐き捨てるようにレオンハルトが言った。
その声音に、部屋の空気が張り詰める。
「エドモン……奴の仕業か」
「ですが、直接問い詰めても証拠は得られないでしょう」
クラウスの冷静な言葉に、レオンハルトは瞳を閉じ、一瞬だけ感情を抑え込む。
だがすぐに鋭い光を宿し、立ち上がった。
「――革命派。奴らとヴァロアは繋がっている。まずはその証拠を洗い出す。王家に突きつけられるだけの証をな」
「閣下……」
「セリーヌを攫った報い、必ず受けさせてやる」
強く言い切る声には、怒りと焦燥、そして――彼女を取り戻すための決意が宿っていた。
その頃、セリーヌは冷たい石造りの一室に閉じ込められていた。
窓には鉄格子、扉は重々しい錠で閉ざされている。
「ここは……どこ……?」
薄暗い部屋の隅で震えながら、必死に冷静さを保とうとする。
やがて、ゆっくりと扉が開いた。
入ってきたのは、冷ややかな笑みを浮かべた男――ヴァロア侯爵家の嫡男、エドモンだった。
「やあ、公爵夫人」
「……あなたは……」
彼は愉快そうに目を細め、セリーヌを見下ろした。
「これから君には、少しばかり役目を果たしてもらう。レオンハルトを失脚させるための……大事な駒としてな」
ぞっとする声色に、セリーヌは息を呑んだ。
レオンハルトは机に地図や文書を広げ、革命派の活動拠点を洗い出していた。
その横顔は氷のように冷たく、だが内心では焦りと怒りが渦巻いていた。
「セリーヌ……必ず、俺が助け出す」
低く、誰にも聞こえない誓いを呟いた。




