第31話 バルコニーに潜む影
セリーヌはレオンハルトに導かれ、舞踏の輪に加わっていた。緊張で足が思うように動かず、ついレオンハルトの足を踏んでしまったが――彼は眉ひとつ動かさず、むしろ優しい眼差しで彼女を包み込む。
「大丈夫だ、気にするな」
低く囁かれる声は、彼女の鼓動をさらに早めた。
なんとか踊り終えると、二人のもとには次々と招待客が挨拶に訪れた。
公爵令嬢エリザベートは微笑みを浮かべ、侯爵令嬢カトリーヌは相変わらずツンとしながらも「まぁ、思ったより悪くありませんわね」と素直じゃない言葉を残し、伯爵令嬢ソフィアは無邪気に「セリーヌ様、今度一緒に刺繍をしましょう!」と誘ってくる。
セリーヌは一人ひとりに丁寧に応じ、気づけば彼女の周りには笑顔が集まっていた。
一段落し、慣れない場での応対に心身は疲れ切ったため、バルコニーへと出た。
夜風がひやりと頬を撫でる。
煌びやかな王宮の大広間から一歩外へ出ただけで、まるで別世界のような静寂が広がっていた。
セリーヌは石造りの欄干に手を置き、月明かりに照らされた庭園を見下ろした。
王宮の豪奢な雰囲気、次々と押し寄せる貴族たちの視線と挨拶。必死に笑顔を保ってはいるが、胸の奥に小さな緊張が積み重なっていた。
静けさに安堵して深く息を吐いたその時――。
「なるほど。これが噂の没落令嬢か」
背後から、冷ややかな声が響いた。
セリーヌは振り返り、そこに立つ男を見て瞳を見開く。
深紅のマントを羽織り、整った顔立ちに自信と傲慢を刻んだ男。
「……どなたでしょうか」
セリーヌが丁寧に問いかけると、彼は唇の端をわずかに持ち上げた。
「これは失礼。ヴァロア侯爵家の嫡男、エドモンだ。……あなたの夫、レオンハルト・グレイヴとは因縁浅からぬ仲でね」
その名に、セリーヌは息を呑んだ。
レオンハルトから聞いたことはないが、彼の政敵の存在を感じさせる言葉。
「……その因縁とやらに、わたくしを巻き込むおつもりですか?」
気丈に問い返すセリーヌの姿に、エドモンの瞳がわずかに細められる。
「思ったよりも、怯えないのだな。伯爵家で細々と暮らしていた娘なら、すぐにうつむくと思っていたが」
「夫の顔に泥を塗るわけにはいきませんから」
セリーヌの毅然とした声に、彼は一瞬、驚いたように眉を上げた。
やがて、口元に薄笑いを浮かべる。
「……なるほど。噂よりは骨がある。だが、覚えておけ。あなたの夫は、いつまでも安泰ではない」
その声音には、ただの敵意だけではない、政治の渦を渡り歩く者の鋭い冷たさがあった。
セリーヌは視線を逸らさず、静かに言葉を返した。
「どれほどの敵がいようとも、わたくしはあの方を信じています」
短い沈黙のあと、エドモンは低く笑った。
「……ふん。愚かだと思ったが――どうやら、案外そうでもないらしい」
月明かりの下、彼は翻るマントを残して踵を返す。
「また会おう、公爵夫人。あなたの覚悟が本物かどうか……いずれわかるだろう」
去っていく背中を見送りながら、セリーヌの胸は緊張で早鐘を打っていた。
(あの人……何を企んでいるの……?)
その時、大広間からレオンハルトの声が響く。
「セリーヌ!」
彼女は慌てて振り返り、心の動揺を隠すように微笑んだ。
――だが、彼女の知らぬところで、ヴァロア家の陰はすでに動き出していた。




