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第2話 輿入れの日


 嫁入りの朝は、思いのほか静かだった。

 アルヴァン伯爵家の小さな中庭には馬車が待ち、簡素ながらも白い花が飾られている。だが、それを見て胸が高鳴ることはなかった。


 セリーヌは一人で支度を整え、姿見の前に立った。

 純白のドレスに身を包み、淡い金色の髪を結い上げた自分の姿がそこに映る。

 侍女は付けずに嫁入りする。母の死後、家に仕えていた者たちも次々に辞めてしまい、今は最低限の使用人しか残っていない。公爵家に自分を守る者はいない。それでも、気丈に振る舞わねばならなかった。


「セリーヌ……」


 扉の向こうから兄エドモンの声がした。

 入ってきた兄は、妹の晴れ姿を見て一瞬言葉を失う。誇らしさと、どうしようもない悔しさが入り混じった複雑な表情だった。


「……すまない」

 それが最初の言葉だった。

 王宮に勤める兄は、この縁談に反対することもできたはずだ。だが現実には、アルヴァン家を救うためには政略結婚しか残されていなかった。


「謝らないでください、お兄様。これは私が選んだことです」

「……強いな、セリーヌは」


 兄の目が潤んだように見えた。

 セリーヌは微笑んで、母の形見のペンダントにそっと触れる。

「私はアルヴァン家の娘ですもの。どんな場所に嫁いでも、恥じぬように生きてみせます」


 その言葉を胸に刻み、彼女は馬車へと乗り込んだ。



 王都の大通りを抜け、公爵家の屋敷へと向かう道のり。

 外を眺めれば、華やかな街並みが広がる。だがセリーヌの心は重く沈んでいた。

 かつて婚約を交わした子爵家の長男――彼が自分を見限った日のことがよぎる。

 「愛している」と囁いていた唇が、容易く「婚約を解消する」と告げたあの日。

 ――だからもう、期待はしない。結婚に愛など求めない。


 そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥はちくりと痛むのだった。



 やがて馬車は、グレイヴ公爵家の門前に到着した。

 高くそびえる黒鉄の門。広大な敷地。荘厳な建物は王宮に並ぶほどの威容を誇っていた。

 出迎えに並んだ使用人たちの視線が、一斉にセリーヌに注がれる。

 その多くが好奇心と警戒心に満ちていた。


 馬車の扉が開かれると、一人の初老の執事が歩み出てきた。

「……お待ちしておりました、セリーヌ様。私は執事のクラウスと申します。以後、よろしくお願いいたします」


 穏やかな声に、セリーヌは小さく安堵した。

 しかし、次の瞬間。玄関口に現れた男性の姿を見て、全身が緊張で固まった。


 ――レオンハルト・フォン・グレイヴ。

 黒髪に鋭い灰色の瞳。整った容貌ながら、纏う雰囲気は氷のように冷たい。

 彼は一瞥しただけで、花嫁に言葉をかけようともしない。


 その沈黙は、歓迎の意を示すどころか「不要な存在」と告げているようだった。

 セリーヌは静かにドレスの裾を持ち上げ、深々と一礼した。


「本日より、あなた様の妻となりますセリーヌ・ド・アルヴァンです。どうぞよろしくお願いいたします」


 顔を上げても、返ってきたのは無表情なまなざし。

 彼はただ背を向けて、無言で屋敷の奥へと歩み去ってしまった。


 新しい生活の始まりは、冷たい沈黙の中で幕を開けた。

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