第17話 すれ違う思い
一日の始まりは、柔らかな陽射しとともに訪れた。
セリーヌは寝台から身を起こし、いつものように自ら着替えを整える。
マルグリットが心配そうに支度を手伝おうとするのを、彼女はにこやかに制した。
「ありがとう、でも大丈夫よ。伯爵家では、ずっと一人でやっていたから」
「……はい、でも無理はなさらないでくださいね」
マルグリットはそう言いながらも、主の控えめな強さを誇らしく思っていた。
朝食を済ませた後、セリーヌは執事クラウスに声をかけた。
「クラウス、実は……絵の道具を新しく買い揃えたいのです。
領地から持ってきたものはほとんど使い切ってしまいましたので」
クラウスはうなずき、控えめに答えた。
「かしこまりました。では、馬車を手配いたします」
そのやり取りを、廊下を通りかかったレオンハルトが耳にした。
一瞬足を止め、無意識のうちに口を開く。
「……私も行こう」
唐突な言葉に、セリーヌは瞬きをした。
彼が街へ出かける姿など、ほとんど見たことがない。
「えっと……街にご用事がおありですか?」
「……いや」
「……」
小声の短い否定に、セリーヌは聞こえず小首を傾げた。
(公爵様はちょうど街にお出かけの用事があるのね。)
彼女の中では勝手に結論が出ていた。
しかし、レオンハルトの心中はまったく違う。
――ただ、彼女と一緒に行きたい。それだけだった。
街へ向かう馬車の中。
セリーヌは窓の外に広がる景色を眺めながら、少し緊張気味に口を開いた。
「街に行かれるのは久しぶりですか?」
「……そうだな」
「今日は、ご用事のついでにご一緒くださるのですね」
そう言って微笑むセリーヌの言葉に、レオンハルトは小さく眉を動かした。
(……ついで、か)
わざわざ否定するほどのことでもない。
だが、その一言が思いのほか胸に刺さった。
彼は何気ないふりをして窓の外に視線を向ける。
けれど、横顔にかすかな不満と、どうしようもない苛立ちがにじんでいた。
一方のセリーヌは、彼の無言を「やはり街での用事のことを考えているのだろう」と解釈していた。
(公爵様にとって私は、契約で結ばれた妻。ただのお飾り。……そうよね)
そう思うと、ほんの少し胸が締めつけられる。
だがその感情を自覚することなく、彼女はただ静かに微笑んだ。
街に到着すると、鮮やかな色彩と人々の活気が二人を迎えた。
絵具や筆を扱う店に足を踏み入れると、店主はセリーヌを見るなり顔をほころばせた。
「まあ、こんなにお美しい方が絵をお描きになるとは!」
店主の言葉に、セリーヌは頬を染める。
レオンハルトは無言のまま傍らに立っていたが、わずかに目元を和らげていた。
(……本当に楽しそうだな)
セリーヌが道具を手に取り、迷いながらも嬉しそうに選んでいく姿を、彼はじっと見つめ続けていた。
だがその想いは、当の本人にはまるで届かない。
セリーヌの胸の内では――
(街に出てきたついでに、一緒にいてくださってるけど、用事はいいのかな)
互いの気持ちは、ほんのわずかな距離を隔てて、すれ違い続けていた。




