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神獣襲撃 逃走・追憶・魔光

「ルナ様…」


 ルナの目の前には最近よく見るようになった女性の顔があった。


「すぐに痛みが消えますから、安心してください」


 その女性がルナの身体に注射器で薬を注入すると、自然と背中を貫通してぶっ刺さっていた剣の痛みすらどこかにすっと空気が抜けるように消え去ってしまった。


「フレイか…」


「はい、ひとりで行ってしまうんですから…もしも、ルナ様に何かあったらもう、ハル様にも私は顔向けできませんでした」


「ありがとう、助かった。それより、もう大丈夫だから、フレイは逃げて…」


 ルナが腹に突き刺さっていた剣を引き抜くと、白魔法で一気に傷口を塞いだ。相当な負荷がかかっているはずだったが、ルナがフレイに手を開いて要求した。


「覚醒剤はあるか?眠気を取り払いたい」


「ダメです。痛みを消しただけで今のルナさんの身体は相当負荷が掛かってます」


「でも、私が、いなきゃ、彼だけじゃ無理だ」


「それでも時間稼ぎにはなります」


「フレイ、お前、酷い…やつだな……」


「ルナ様の方が優しくなっただけです。それにロイヤルガードはホーテン家をお守りするのが務めです。私も隊長も何も間違ってはいません。それじゃあ、行きますよルナ様」


 フレイが自身の双剣に仕込んでいた薬を流し込むために、太ももに剣を突き立てる。そして、薬を注入した後フレイはルナを抱きかかえると、街の壁に向かって勢いよく走り出した。


 逃げた奴を追って、殺せ。


 そのような執拗な叫び声がフレイとルナの背後から聞こえて来ると、数体の神獣たちが二人を追うように駆けだしていた。


「フレイ、私が相手するから、下ろしてくれ」


「ダメです。ルナさんは私が絶対に安全なところまで連れて行きます。それより、ルナさんは自分の治療に集中してください」


 フレイの後ろには、神獣金剛犀(こんごうさい)戦火猪(せんかいのしし)大山羊(おおやぎ)がもう突進して追いかけて来ていた。

 ドーピングしたフレイの足はそれはもう四足の獣のように早かったが、それよりも後ろから迫る神獣たちの加速を考えると、壁までは到底持つ気配がなかった。


 それにぐったりとしたルナを抱きかかえていては、走力もぐっと落ちた。


『なにか策を練らないと、ていうか、なんでこんな神獣がいるんだ…』


 愚痴をこぼしている暇などフレイにはなかった。今はひたすら足を動かすことに集中するべきだった。


 背後から強力な魔力の反応を感じ取る。


 神獣金剛犀の周囲に空中に魔法陣が展開されていた。そしてそこから大量の岩石が大砲のように次から次へと、フレイめがけて降り注いだ。頭上に神経を使いながら、目の前にも降って来ることで、フレイは蛇行して走らなければならず、壁までの距離はさらに遠のき、動きも鈍足になった。

 その一方で、追いかけて来る神獣たちは降り注いだ五、六メートルはある岩石を足で踏み砕き蹴散らして直進して来るので、もう、フレイが街の壁まで逃げ切るのは絶望的だった。そもそも、こんな神獣相手に街の壁など紙きれのようなものではないのかと、思ったが、現段階で逃げ込む場所がそこしかないのだから仕方がなかった。


『こうなったら、もうあのシリーズを打つしかない、でも鎮痛剤さっきルナ様に全部使っちゃったんだよね…』


 思い悩むがすぐに覚悟を決める。


「そんなこと言ってる場合じゃないな」


 フレイが立ち止まり、ルナを片手で支えると、肩のポケットから使い捨ての注入器を取り出し即座に刺して内容物を注入した。


『よし、抑制剤はこれでいい…』


 そして、すぐにフレイは懐から禍々しい青色の注入器を取り出したが、打つのを躊躇してしまった。


『こいつを鎮痛剤無しで打つのはヤバイけど、だけど』


 フレイが手元ですでに気絶してしまったルナの顔を眺める。


「すみません、ルナさん、ほんの少しだけ私に勇気をください…」


 フレイはルナをそっと抱きしめながら自分の心臓に向かって青い液体の薬を注入器で打った。


 直後フレイの意識が一瞬で吹き飛んだ。フレイとルナは一緒にその場に倒れてしまった。


 神獣たちはお構いなしにフレイとルナを踏みつぶそうと足を振り下ろす。


 フレイの顔に影が落ちる。


 *


 気が付けば酷く懐かしい場所にフレイは立っていた。


『あれ、ここは…』


 森の中にひっそりとたたずむ、とんがり頭の尖塔がある孤児院。

 外の物干し竿には白い大きなシーツが風になびいて、みんなの洗濯物が教会から伸びたロープに干されて、シャツやズボンが風に揺れていた。


『知ってる場所だ…』


 フレイは孤児院の正面玄関を開けると、広い一室があった。そこには十人程度が一度に食事ができる大きな縦長のテーブルがあり、いくつも高さの違う木の丸椅子が用意されていた。キッチンと食器棚や足元には貯蔵庫の扉があり、部屋の隅には暖炉もあり、その近くにはいくつか小さな本棚とおもちゃ箱も置いてあったし、やりかけの編み物もあった。


 何もかもが見覚えのある孤児院の中に足を踏み入れる。誰もいない無人の部屋が広がっていたが、ただ、そこには今さっきまで誰かが生活していた後が色濃く残っていた。


『誰か、誰かいないの?』


 フレイが孤児院の奥にあるみんなの個室があるはずの扉を開けようとした時だった。


『フレイお姉ちゃん…』


『帰って来たんだね』


 後ろを振り向くとそこには涙が溢れそうになるほど懐かしい光景が広がっていた。


『セフィーヌ、ソニヤ、あなた達どうして……』


 そこにはフレイが知っている幼いままの姿の孤児院で出会った妹と弟の姿があった。


『あぁ、会いたかった!良かった二人とも生きてたのね…本当に会いたかった……』


 大人の姿のフレイは二人に駆け寄って、血のつながってはいないがとても大切な妹と弟のことを同時にぎゅっと自分の胸の中に抱き寄せた。


『フレイ姉、苦しいよぉ』


『嬉しいけど、痛いよ、フレイ姉』


『ごめん、二人とも…』


 フレイは二人をそっと離し、そして、二人の顔を交互にまじまじと見つめた。クリーム色の髪を綺麗に肩のところで切りそろえたセフィーヌは本当に小さい頃からフレイが羨ましいと思うほど美人さんだったし、天然ものの白いふわふわした髪のソニヤの方はまるで天使のように男の子だけど可愛かった。フレイの髪と違って彼の髪の色はフレイのように不健康な白ではなくもっと艶のある白だった。

 フレイの白髪は被検体の時に不安と絶望が生じてなってしまったため全然意味が違った。


『心配かけてごめんね、私これからは二人と一緒に居られるからさ、また前みたいにみんなで暮らそう?』


 しかし、二人はそのフレイの答えにどこか気まずそうに首を振った。


『どうして…、私と一緒は嫌なの……』


『ううん、違うの、フレイ姉のことは大好きだよ、でも、ここにいる私もソニヤも本物じゃないの』


『どういうこと?』


『ここはね、フレイ姉が創り出した記憶なの、そしてね、私たちの役目は早くあなたを目覚めさせることなの』


『どうして、やだ、目なんか覚ましたくない。またここでセフィーヌやソニヤや、シスターたちとずっと一緒に居たい。離れたくない、いやだよ、もう離れ離れは嫌、独りぼっちは嫌、嫌なの嫌なんだよぉ……』


 膝をついたフレイはその場に泣き崩れてしまった。みっともないとかそんなことはどうでもよかった。フレイはこの場にいる二人のことが大好き過ぎてここからどこにも行きたくなかった。人生の中でも酷く短い時間だが、幸せということを教えてくれたのはこの二人だったから、余計にフレイは二人の元から離れたくなかった。


『フレイ姉、ごめんね、一緒に居られなくて』


 ソニヤがフレイの涙をぬぐう。


『そんなこと言わないでよ…』


『だけどさ、僕たちのことよりも、今、フレイ姉が傍に居たい人がいるでしょ?』


『誰?』


『それはフレイ姉が一番よく分かってはずだよ』


『あ……』


 フレイは自分の置かれている状況を思い出すと、すぐに泣き止んで立ち上がった。


『そうだ、泣いてる場合じゃない…』


 ここがフレイにとって心の拠り所でもあり、辛いところや悲しいことがあるといつも逃げ込むフレイの聖域でもあった。だけどいつだってフレイはこの孤児院の扉を開けて外に出なくてはならなかった。


 いつの日かこの孤児院を旅立った時と同じように。


 その先には絶望しか待っていないけれど。


 それでも、さらにその先には二人が教えてくれた幸せがあるということを再確認するために。


 フレイは再び孤児院の扉を開けるのだった。


『ごめん、また、二人に頼っちゃった…』


『いいよ、また辛くなったら私たちの顔を見に来てね』


 セフィーヌが飛び切りいい笑顔で笑った。


『でも、あんまりここに来すぎてもだめだから』


 ソニヤが意地悪っぽくけれどどこか寂しそうに言った。


『うん、ありがとう、それじゃあ、私行ってくるね』


『いってらっしゃい』と二人が声を掛けて、フレイは孤児院の扉を開けて外に出た。


 *


 目開ける。


「うがああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 すべての痛みがフレイの全身を駆け巡る。常人ならばとっくに死んでいるような激痛に耐えながら、フレイは片手を自身の頭上に上げていた。


 神獣の巨大な踏みつける足をフレイは片手で止めた。


 そして、そのまま押し返し、神獣の足が一瞬浮いた隙をついてフレイはルナを抱きかかえて一瞬で、その場から離脱した。


 信じられないほどフレイの視界は周囲の背景を置き去りにして、あっという間に王都の壁際までたどり着いてしまった。


「があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 叫ばずにはいられない痛みの中、ルナを街の壁の手前で手放すと、フレイはその場に痛みで転げまわった。


 身体の中の臓器や神経に常に灼熱の熱湯を注がれているような、毎秒毎秒襲い掛かる地獄を味わあっていた。


「ああああああああああぁあああああああああああああああぁあぁああああああああああああぁあ!!!」


 何とか壁際までたどり着けたが、壁を上ることはおろか、フレイはルナをその壁の下に運ぶのがやっとで、あとはフレイは痛みに耐えるだけしかできることがなかった。


「ううううううううううううううううううううううううあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い』


 そんな風に痛みに転げまわっていると、状況は振り出しに戻された。


 神獣たちは当然のようにフレイたちの後を追ってきていたので、どれだけフレイが加速して壁に辿り着いても、その後ルナを安全なところまで運んでくれるものがいなければどうしようもなかった。


「だからなんだ?」


 フレイの中で突然痛みよりもまったく別の感情が湧き上がっていた。手放してしまったルナのこともう一度抱きかかえて、しっかりと横に寝かせた。

 そして、フレイは彼女の前に立ち、双剣の片割れを取り出すと、その双剣に黄色い禍々しい薬が入った注入器のカートリッジをセットすると、ためらうことなく、フレイは自身の心臓部にその双剣の片割れを注入した。


「痛みがなんだ?」


 抑制剤と鎮痛剤無しの【イエロー】と呼ばれる薬を注入したことで、フレイの身体には崩壊の兆しが表れる。身体中にヒビが入り、そこから大量の血がフレイの身体から溢れた。致死量の血に対してフレイは、身体に身に着けていた注入器から輸血用の血が入ったものを身体中に差しこんだ。


「てめえら、全員殺してやるよ…」


 一通りの儀式が終わったフレイが、ぼろぼろになったその体で、ゆっくりと神獣たちに向かって血を流した目で睨みつけると、三体の神獣たちの足取りがそこでピタリと止まった。


 フレイが発する透明な圧に、神獣たちがそれ以上進むと危険だということを察知したのだろう。壁を背にしたフレイを前に神獣たちはそれ以上前に進むことを躊躇していた。


『マジで殺してやる…クソ、なんで身体が動かねえんだよ……』


 今のフレイが放つ殺気の純度はもはや神獣たちのそれを遥かに凌駕していた。しかし、もはやフレイの身体は戦える状態ではなく、その場に立っていることがやっとだった。


『持たせるしかねえのか?いや、もはや、もうレッドを打ってこいつらを散らすしかねえ』


 震える手でフレイが最後に小さな注入器を取り出し、その注入器を頭にぶっ刺そうとした時であった。


「よく耐えたわ!」


 誰かの声がした。


 次の瞬間。


 眩しい閃光がフレイの視界を真っ白に染めた。


 空から一本の巨大な光の柱が形成されると、フレイの前に迫って来ていた三体の神獣の金剛犀、戦火猪、大山羊はそれぞれ重傷を負って、その場に目を眩ませて倒れていた。


「やっぱり、さすがは神獣だけあって固いわね、今ので死なないなんて、私の全力だったのに…」


 空からひとりの女性が降りて来ていた。


「あの子だったら簡単に殺せていたんでしょうけど…」


 そこには半分の仮面を付けたとんがり耳のエルフと思しき女性だった。暗い赤毛のロングヘアーで、青い魔導服を着ていた。彼女にはフレイも見覚えがあった。


「ミリアム・ボーンズ…」


 死にそうな声でフレイがそう呟く。


「大丈夫かしら?今、治してあげるから」


 ミリアムがフレイの心臓がある位置の胸に触れると、白い光がフレイの身体を包みこみ、たちまち傷だらけだった身体が元に戻り始めていた。


「それじゃあ、一度みんなで上にいきますから」


 フレイは白魔法の副作用ですぐに気絶してしまった。


 最後に見たのはホーテン家の暗月部隊の隊長ミリアム・ボーンズに抱きかかえられているルナの姿だった。


「ここは任せて、あなたはゆっくり休んでいてください」


 どこかいつもの彼女とは違い、その声はまるで優しさに溢れているような気がした。


『ええ、任せました…』


 返事をしたつもりだったがフレイはとっくに夢の中だった。

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