神獣襲撃 円環・勧誘・肉龍
王都スタルシア上空。
人々の目には届かない遥か上層には龍たちが渦巻いていた。巨大な龍たちが高速で飛行しながら創る円はさながら天使の輪っかのようだった。その輪っかの中心には、赤いドレスを纏い仮面で素顔を隠した女性が楽しそうにフワフワと浮いていた。
ハルがその禍々しい黒龍たちでできた天使の輪っかの上を足場として、中央のその赤い彼女に目を配らせながらゆっくりと流れに逆らって歩く。そのため、途中、何体かの黒龍たちがハルに向かって大きな口を開けて喰い殺そうと襲い掛かってきたが、ハルは見向きもせずに持っていた刀で斬り刻み、バラバラにしていた。
完全に殺しきったはずの彼女がこうしてハルの前にいるのは想定外だった。
彼女並びに黒龍たちまでの一切合切を細切れにしたはずであった。
しかし、彼女は当然のようにハルの前に姿を現した。それもハルが落下してる間、地上から黒龍の背に乗って再びであった。
ハルはすぐに彼女が乗っていた黒龍に刃を立ててそのまま上層へと昇って行くと、どこからともなく彼女の周りには再び黒龍たちが集い、そして、今、ハルが歩いていた天使の輪っかを形成して、現在に至っていた。
中央にいた仮面の彼女がゆっくりとハルに近づいて来た。
「少しお話ししませんか?」
不用心に近づいて来る彼女を斬り刻んでもよかった。しかし、それで終わるとも思えなかったハルは彼女と言葉を交わすことにした。堂々巡りをするつもりもなかった。
「わかった、少し話そう」
だが、彼女への憎悪が消えたわけでもなかった。彼女にはステラとキャミルの母親を殺した容疑があったからだ。もしそうなら、ここで彼女を生きて返すつもりは一切なかった。
「え、いいのですか!?」
「お前には聞きたいことが山ほどある。死ぬ前にすべて吐き出していけ」
「ハル様、私、とっても嬉しいです。話し合いの場を設けていただけるなんて、フフフ、やっぱり、武力じゃ敵わないんですもの!」
口元の笑みから彼女が心から喜んでいることがうかがえた。演技というには隙の無い感情の表現の仕方であった。
彼女がハルの隣に来るとさも当然のように腕を組んだ。
「触るな、お前自分の立場が分かってやってるのか?」
ハルの鞘を握る音がギィチチと不気味な音を上げる。
「お願いします。こうして、一緒にハル様と散歩しながら話すの好きだったんです…」
透き通った無垢な声がなお一層ハルの嫌悪感を搔き立てた。
「ダメだ、離れろ、お前はまたそうやって俺にあの肉を食わせようとするだろ」
思い出したくもない口移しでねじ込まれた粘りのある肉。今も気持ち悪くて仕方がなかった。
「しません、このお話の間だけは、絶対にそんなことしません」
「おい、二度とあんなことしないと誓えよ」
「あ、そうです。私とのキスは、その…どうでした?」
「殺すぞ」
勝手に殺気がハルの身体中から溢れた。しかし、彼女は特に動じることもない様子で以前ハルの腕にくっ付いて離れようとしなかった。
「離れろ…」
「でしたら!?」
ハルが彼女のことを振り払おうとした時だった。彼女は最後の手段を取るかのように切羽詰まって叫んでいた。
「なんだ?」
彼女が、自らハルの元を離れると覚悟を決めたかのように言った。
「仮面を外します。私の素顔を見せますから、だからどうか今だけは信じてはくれませんか?」
天空の上層の風に吹かれる彼女の血を帯びたような真っ赤な髪がなびく。
彼女はなにやら決意を固めて言っているようだったが、そんなこと知ったことではなかった。
けれど。
『時間の無駄だな…』
ハルはそこで自分がなぜこんな訳の分からない女と、空の上で大切な時間を浪費しているのかと思うと、この掛け合いも馬鹿らしくなっていた。
「わかった、好きにしろ。その代わりお前は俺にすべてを話すんだ……」
「あ、ありがとうございます!」
そう言って彼女が仮面を取り去って、ハルの腕に勢いよく抱き着いた。
ハルが彼女の顔を見たが、特にどこにでもいるような顔だった。まじまじと彼女の顔を見つめているとその視線に気づいた彼女と目があった。
「見覚えありませんか?」
「ないな」
「そんな、酷いです…」
「それより俺の質問に答えろ、お前は何者で何が目的だ?」
「…それを話すなら、少し、歩きましょう……」
ハルはひとつ舌打ちをした。
心地の良い風がハルの真っ黒い髪をなびかせる。
下に目を向ければ白い雲の草原がどこまでも続き、絶え間なく流れていた。上を見上げればどこまでも深い宇宙が広がっていた。その先に何があるのか?科学者たちは星々の住処と言い、魔導士たちは魔法の根源があるといい、聖職者たちは神々がいると言った。そんな未知を孕んだ空の元、ハルと彼女は、龍で出来た天使の輪っかを、終わりの無い散歩道を歩いていた。
「名前はそうですね。適当にステラとでも呼んでください」
「ステラ、お前の目的はなんだ?」
「怒らないのですね?」
「お前と話しているのは時間の無駄だと分かったからな」
「分かりました。それなら私の本当の目的を言いましょう」
仮の名を得たステラと名乗る女性。ハルが彼女と本物のステラが似ても似つかないことは彼女の顔を見れば分かった。彼女はステラではない。それでも、どこか彼女からステラの面影を感じるのは気のせいだろうか?例えば、こうして一緒に腕を組んで、いや、ステラの時ははぐれないように手を繋いであげていたから、全く別の感覚なのだが、この女があの王都で出会った少女と無関係というには、ステラの名前が出て来たのは唐突だった。
「だけど、その前にひとついいですか?」
「さっさと言え」
「ハル様は、今でもライキルのことがお好きなんですか?」
「当たりまえ…だ………ろ…………」
ハルは無意識に時間を止めていた。ハル以外を除いて完全に静止する。天使の輪っかの黒龍も、吹いていた風も、流れていた雲も何もかもが、止まった世界の中でハルは目を大きく見開いたまま傍にいた彼女を凝視した。
すると、彼女がそのハルの視線に合わせるように首を動かす。それはハルに二重の衝撃を与えた。
「お前、本当に誰なんだ?」
「あら?さっき、私、名前、言いませんでしたっけ?」
時間が再び戻って来ると、周りの黒龍たち、風に雲が時を取り戻し動き始めていた。
「フフッ、びっくりしてるあなたの顔も素敵です」
「なあ、教えてくれ、お前は本当に…」
ありえないと思った。彼女がステラならハルの腕の中で死んでいったあの少女は一体誰だったのか?
しかし、その問いに彼女が答えることはなかった。彼女は唐突に話題を切り替えた。そう本題に入ったのだ。
「私の目的は、ドミナスを壊滅させることです」
「ドミナス?」
聞いたことのある名前が彼女の口から出て来た。
「ええ、とっても怖い組織です。みんなが思っている以上に彼等の闇は深いんです。正義なんてくだらない理由を掲げて追っていい組織じゃありません。知っていますか?彼らが今何をしようとしているか?」
「何?」
「あなたを使ってこの世界の全てを手に入れようとしてる。言ってしまえば世界征服…」
「世界征服だと、ハッ、そんなくだらない、まるで子供のおとぎ話……」
ありえないし馬鹿馬鹿しいと思ったハルだったが、ステラがハルの前に立つと真っ正面からふざけた様子を少しも見せずに本気で言った。
「あなたにはできますよね、ハル様……」
「は?」
「あなたのその力があれば私たちを従わせるのは簡単でしょ?」
ステラがハルの手を取ると、彼女はそのまま自身の胸にハルの手を当てさせた。しかし、そこからハルの腕は彼女の胸から身体の中にどんどん飲み込まれるように入っていった。
「おい…」
彼女の身体の中にあった心臓まで手が届くと彼女は言った。
「握って」
そして、彼女に言われた通りハルがその手で彼女の心臓を潰さないようにそっと握った。ステラの身体にはぽっかりと穴が空いて、その中にハルの手は無理やり押し込まれているといった感じで、それでも平然とした顔で彼女は続ける。
「あなたはいつだって、人の命を握る立場にある、そうでしょ?」
「おまえ、人じゃないのか?」
ハルは彼女の心臓から手を離す。すると彼女のぽっかり空いていた穴にぶら下がっていたむき出しの心臓は、みるみる周りの肉に埋もれて見えなくなり、彼女の身体の中にしまい込まれていた。
「いいですか?ハル様、そもそも、四大神獣に戦いを挑んだことがあるのは決してあなただけじゃないんです」
「なんだって…」
彼女の言葉からはハルを驚かせることしか出てこなかった。
「ハルも黒龍を討伐したとき、青い鱗を纏った龍を見なかったですか、とても大きな身体で、とても人間なんかが戦っていいような生命体ではない、化け物を」
「ああ、黒龍を討伐した時、最後にそいつが出て来て俺は倒したけど…」
黒龍たちの中に青龍がいるなどという情報は世間一般には広まってはいなかった。唯一、アスラ帝国の伝承にあるくらいだった。だが、誰もあの青龍の存在はその目で見ないと信じることはないという見解はハルにも当然あった。あれは直接見たものじゃなければ信じられないこの世界には不釣り合いの龍だった。
「そう、ハル様、あなたはできてしまうのです。ひとりでもこの世界を支配することが、ドミナスなんてまどろっこしい組織が無くても、あなたはこの世界をひとりでも手にすることができる。それが彼等を強く惹き付けているんです」
ハルはそこでドロシーという魔法使い、解放祭で出会ったギル、竜の国で会ったクラシャなどドミナスという組織に関わっている者たちの顔がぼんやりと浮かんでいた。
「それじゃあ、ステラ、君もドミナスの一員なのか?」
「いいえ、私は違います、確かにハル様から見れば、そう捉えられるかもしれませんが私は違います」
「じゃあ、ネメシス?」
「酷く詳しいのですね、驚きました…」
意表を突かれたステラが目を丸くしていた。
「ですが、傘下のネメシスでもありません。私は、そうですね…単身と言ってもいいのですが、ハル様には特別に教えてあげます」
彼女の次の言葉は完全にハルの思考を混沌へと導き、ハルの思考は完全に止まってしまっていた。
「私はバーストという組織を束ねています」
「バースト?………バーストってあの四大犯罪組織のバーストか!?」
名前ぐらいはホーテン家で知識を詰め込んでいたので、そういった裏の事情には詳しくなっていたから、知っていた。
「はい、そこの一番偉い人が私です」
もしも彼女が本物のステラだったとして、彼女が四大犯罪組織バーストのトップだとしたら、もう、何が、どうして?わけが分からず、ハルの頭ではもうどうしようもなく理解が追い付かなかった。
「どうなってんだ…」
「まあ、無理もないですよね、混乱させて、ごめんなさい」
ステラが呆然とするハルの気の抜けた頬に触れる。
「ハル様、ここからは勝手なお願いなのですが、ひとつ聞いてくれませんか?」
「なに?」
ハルはただぼうっとした顔でステラのことを見つめる。もうどうにでもなれといった気分だった。
「私と一緒にイゼキアに来てくれませんか?」
ステラが今度は手を差し出して来た。
その手を取るかとらないかはハル次第だった。
「一緒にドミナスを崩壊させるために、私の手を取っていただけないでしょうか?ドミナスはきっとハルさんを何としてでも手に入れるために、身近の人たちにまで危害を加えようとしてきますよ。彼等は手段を選びません。だから、そうなる前に、どうか私と一緒に…」
ハルがその手を取ろうと手を伸ばした。
「そうです、一緒に…」
ハルがステラの手を取った。
「ありがとうございま……あれ?」
ハルに握られたステラの腕は根元から綺麗に切断されていた。彼女の肩から大量の血が溢れ出る。
「お前、勘違いするなよ」
「どうして…」
「たとえお前が正真正銘のステラだったとしても、俺の中で彼女はもうあの時死んだんだよ。それにキャミルの母親を殺したこともまだ、許してねえ、というか、よくもまあさんざんレイドで暴れておいて、俺にそんな口が利けたな」
「なんでわかってくれないんですか…あなたはあの組織に狙われているんですよ?」
「そんなことどうでもいいんだよ、俺は俺の邪魔する奴は誰だろうと皆殺しだ」
風が止む、ハルは切り落とした彼女の腕を無風の空に放り投げた。彼女の腕はまっすぐ雲の下まで落ちていった。
「交渉は決裂ですか…結局、こうなるのですね…」
残念そうに彼女が輪っかの縁から落ちていく自分の腕を見つめていた。
「私と戦うと後悔しますよ」
吹き飛ばしたはずのステラの腕が復活していた。
しかし、彼女が宙に浮いて再び天使の輪っかの中心に向かおうとしていた時にはすでにハルの大太刀によって、バラバラの肉片にされては地上に落ちていった。
決着はあっという間についた。
そう思っていた。
「無駄ですよ」
ハルの背後にステラが立っている。
「たとえあなたでも私は倒せない」
しかし、すでにその背後に現れたステラもハルの時間を超越した剣技によって、バラバラに刻まれている。
そして、もう次の瞬間には、その斬撃は黒い天使の輪っかもバラバラの肉塊にして地上に降り注いでいた。
足場が無くなったハルが落ちる間、空を見上げると、再びそこには黒龍に載っているステラの姿があった。
ステラが何かを吐き出した。それは球状の肉の塊であり、その球体はみるみる大きく膨れ上がると、龍の形を模ったかと思うと、ハルに向かって襲い掛かって来た。
『魔法なのか!?』
ハルが戦っていた黒龍たちの正体が魔法で生み出されたものだと知ると、彼等が彼女に従順なことにも納得がいった。
ハルに襲い掛かってきた龍は完全にその肉の生地で出来ており、黒龍の姿に酷似していたが、ブヨブヨの赤い肉で出来た龍はどうやら不完全体のようだった。
ハルはその龍を斬り刻みながら、足場として利用する。空にいるステラの元にまで龍の背を駆けあがって飛び出した。
ハルの視線の先には、膨れ上がった肉の塊から無数の肉の龍が生成されていた。そして、その龍たちは、ステラの周辺に再びいくつもの龍の塊である黒点つまりは龍で出来た球体を形成していた。
「ハル様、今日は私が勝たせてもらいますよ?」
彼女が不気味に微笑む。
戦いは第二ラウンドに突入した。




