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神獣襲撃 出撃・愛欲・守護

 ルナは屋敷を飛び出していた。飛行魔法の光のリングを三輪まで展開し、赤い光と共に王都スタルシアの街中を低空で駆け抜けていく。街中は警鐘の音が鳴り響きパニックだけが広がり、誰も住民たちを導く者たちがいない状況だった。騎士たちもただひたすら鳴り響く聞き覚えのある危険を知らせる鐘の音にみんなと一緒に街の外に逃げようとするだけで、街の中は大混雑していた。

 それもそのはず、この街中に響きわたる鐘の音が知らせているのは、みんなの記憶に新しい神獣襲撃を知らせる警鐘で間違いなかったからであった。誰もが我先に生き残りたいがために逃げるのは当然であり、それは非常時に指揮系統を失って一般人となった街の見回りの騎士たちも同じだった。誰が神獣が現れて街中で避難誘導をするだろうか?そんなことができるのはよっぽどのお人よしかあるいは命知らずのバカだけだった。誰も彼もが人のために自分の命を差し出すことはできないのだ。


 だからこそルナは、そんな人々を守るために現在街の城壁へと、飛行魔法の三つのリングをフル稼働させて向かっていた。


『ハルは今頃、城にいるから安全なはず、それよりも私は自分ができることをやらなくちゃ…』


 ルナは警鐘が鳴り出撃する前にフレイからすべてを聞いていた。ハルが極秘任務で本当は王城ノヴァ・グローリアに行っていたこと、そして、ルナを連れていかなかったのは、ルナにこれ以上その身を血で汚さないためだとか、正直ハルがそういう思考で動いてくれていたことは非常に嬉しかった。前までならハルが自分のことを利用しようとしていたのは理解していたし、それでルナ自身も大賛成だった。なによりもルナはハルの隣に入れるだけで他のことなどどうでもよく、その結果ハル以外の誰が死のうが生きようが自分さえ彼の隣で一秒でも長く、彼を視界に収め、触れていて、言葉を交わし、愛を育み、存在できていればそれですべてが完結していた。

 しかし、ハルはルナに手を汚させないと言ってくれていたようで、それはある意味で、自分の存在がハルの中で一緒に居るに値したことになったのではないか?という前向きな考えがあった。それは道具から同じ人へと見てくれるようになった証拠なのでは?とフレイから告げられた時は、それはもう緊急事態なのにも関わらず、思わず時を忘れて早くその真意をハルに問いただしたいとすら思っていた。

 ルナからすれば自分の手が血で汚れようがハルが傍に居させてくれればそれで何も問題はないのだが、彼がそれを嫌だというのならばできればこの手を血で染めたくはないという意思も汲み取ることはいくらでもするつもりだった。

 すべては彼の傍にいるために、きっと、ハルという人間に落ちてしまった者は分かるのかもしれない。彼が傍にいない日々がどれだけ不安で、少しでも視界から見えなくなってしまっただけで、まるでこの世のすべてが色褪せ意味のない存在になってしまうのかが、逆に彼がいるとこの世のすべてに意味があるような気がして、その安心感はもう別の誰かでは埋められないほど温かいものだった。

 それは彼の持つ強大な力がそうさせるのか?どうなのだろう、もしも命を救ってもらった恩抜きで彼に出会っていたとしたら、自分は彼にここまで執着しただろうか?彼がもしも一般人だったとしたら?ここまで心動かされただろうか?地位や権力や武勲などは人をよく惹き付ける彼もそれに当てはまると思う。けれどいくら全く別の可能性を想像してみてもルナはどこかでハルと出会った時点で、彼を求めてしまっているのだろうと決めつけていた。これは今彼に夢中になっている自分だからという、先入観が振り払えないからなのだろうが、それほどルナの中でハルという存在は人生そのもので間違いなかった。


 そんな彼に認められたい、見放されたくない。そのためには、ルナも彼の望むような彼の手助けができるような女性になりたかった。


 だから、それがたとえ彼が望まない手を汚すことになったとしてもゆくゆくは彼も納得しもっと好きになってくれることは、彼と一緒に生活してルナも分かって来ていた。彼は優しい、話せばわかってくれる。それが人のためにやったことならなおさらで、自分を犠牲にして誰かを救うことを重ねてきた彼がその行為を認めないわけがなかった。


 例え怒られたとしてもそれはそれで、自分を大切に思ってくれているんだなあと、確認することができるし、それにハルの大好きなこの街を守ることは彼の為にもなる。今までルナはずっとそうして来たのだから、ここでも変らずに街を守るだけだった。


 つまりこのルナの出撃はどう転んでもハルのハートを掴むこと間違いなしだった。


 ルナの目の前に街の壁が広がる。そこから徐々に高度を上げて上へと昇って行くと、街の二十五メートルある外壁の外側の景色を見ることができた。


「…………」


 街を囲む南側の城壁の上にルナが降りたつ。


 そして、その光景にルナの背筋には悪寒のようなものが走った。


 壁の外には多種多様な神獣たちがこちらに向かって歩幅を合わせて進軍していた。そうまさにその規律の取れた動きは軍隊そのものだった。本来ならばそのような雑多な神獣たちが集まれば殺し合いを始めてもおかしくはないはずなのだが、今、街の外にいる神獣たちは一糸乱れぬ姿で、この王都スタルシアに接近していた。


『どういうこと…誰かが操ってるってこと?』


 それならば、ハルとも話した過去の神獣襲撃もまた人の手によって引き起こされた人災であったことがほぼ、ほぼ決まったようなものだった。しかし、実際にことが起こってしまえばこの状況犯人捜しをしている暇などないことが目に見えていた。


 見た限りだと十三種類の神獣たちがおり、その中にはあの四大神獣の白虎の姿もそして、五年前と二年前の二度にわたって、この王都に襲撃を仕掛けて来た神獣王獅子の姿もあった。


「こんな数、私ひとりで…」


 そこでふと横を見ると近くにあった鐘楼の見張り台が熱で溶けて融解していることに気付いた。おそらく高威力の熱か何かがこの鐘楼に向かって放たれたのだろう。これほどまでの高威力、剣聖などに匹敵するものでそれが壁の外にうじゃうじゃ集まっているということはまさに街の危機で間違いないのは明白で、それをひとりで相手をするには、あのルナでさえもあまりにも無謀といえた。


『いや、それよりも…』


 しかし、ルナはすぐに地面を蹴って、壁の外にその身を投げるとすぐに飛行魔法を展開し、発進した。

 そして、当然目指した場所は、壁の外の草原からこちらに向かって来る神獣たちの群れに対してだった。


『私が戦わなくてどうする。他には誰もいない、少しでも被害を減らして、そう、そして…』


 ルナは神獣たちの中にいた神獣王獅子を睨んだ。


「ハルに褒めてもらうんだ」


 気合の入ったルナが神獣たちに距離を詰めながら魔法を唱え自身に有利になる補助魔法を重ねて掛けるとそのまま神獣たちの群れに単身で突っ込んでいった。


 ルナと神獣たちが衝突する直前で、ルナが叫んだ。


「天性魔法!!」


 ルナが腕を振り下ろすと、その直後、平均して高さが三十から四十メートルある神獣たちが上から何かに押しつぶされたように、強制的に伏せを取る体勢を取らされていた。


『効いてる、もう昔の私じゃない』


 一気に五種類ほどの前衛たちを一気に無力化できたルナは続いて、その奥にいた神獣たちにも同じように彼らの足元に、重力の座標を落としていき、地面に這いつくばらせていく。


 ルナの天性魔法は【引力】でありあらゆるものをそのルナの中で設定した座標に引っ張ることができた。前まではその引力は人に限った他者を自分の元に引っ張るだけであったが、自身の内側にあった座標を外に外していくような感覚を掴んだことで、ルナの天性魔法は格段に強力なものへと変貌していた。


 そのため、こうして複数の神獣たちをあっという間に拘束することができた。


 しかし、そこでルナの動きは止まる。というよりかはこれ以上対抗手段が乏しいのが現状だった。手に持っていた双剣を鞘から抜き取り、重力で拘束していた神獣王獅子に向かって魔力を込めた剣で首元を上から下に切り裂いた。それで致命傷をなんとか与えることはできたが、深手を負って大量の血を流すが、それでもその王獅子にはまだ息があり、重力に逆らうように足を前に持ち上げようとしていた。


『こんなんじゃ、全然間に合わない…』


 実際のところルナひとりでこの神獣たちの進軍を止めるにはあまりにも非力すぎた。そもそも、ルナは対人戦に特化した戦闘員でこのような神獣討伐には向いておらず、これらは表舞台で活躍する騎士団たちの役目でもあった。しかし、神獣ともなるとまず一頭で普通の騎士団たちで討伐できるかどうかといった具合に、戦力の差が離れすぎているのにも関わらず、ここにはすでにその神獣たちが約二百体はくだらない程度いるのだから、話にすらならなかった。

 だからこそ剣聖という国家防衛の最後の騎士がいるのだが、いまだこの危機に姿を現さないのはどういうわけなのか問いただしたかった。


 ルナが止めた五種類ほどの神獣たちだったが、残りの神獣たちはルナにお構いなしに街へと進軍を続ける。それどころかどの神獣もルナという存在に見向きもしていなかった。唯一傷つけられた神獣だけがルナの存在に気付き、こちらに敵意を向けていたが、反撃して来る様子は以前なかった。


「なんなの一体…」


 まるで意思のない獣の傀儡であった。


 ルナが自分ひとりでは神獣が街に到達してしまうと分かっていても、あきらめずに重力で神獣たちを拘束して足取りを遅らせ、一体一体丁寧に急所を攻撃して戦力を削っていた。


『反撃してこないのはどうして?好都合だけど、気味が悪い…』


 ルナが街の方に進みすぎた神獣を追おうと、一度重力を切って先頭を歩んでいた神獣たちの方に向かおうとした時だった。


 殺気を背後から感じた。


 神獣たちの重力を解いたことで何者かがルナを排除しようと接近して来る気配。


 ルナが飛行魔法で神獣たちの群れから飛び立ち、殺気のしたすぐ後ろを振り返ろうとしたが、その間もなく。


「なに?うッ!?」


 ルナはとっさに視界の端に見えた黒い影に対して双剣でガードしたが、その勢いに押され、そのまま地面に向かって激しく衝突した。なんとかあらかじめかけておいた防護魔法の類のおかげで落下死は避けられたが、全身の骨が折れたような痛みがルナを襲った。実際には少しどこか折れていたのか、ルナの白魔法が自動的に体を修復し始めていた。


「次から次へとなんなの…って、ヤバッ!!」


 しかし、休んでいる暇もなかった。自身の身体に影が落ちる。ルナはその場から走り出す。進軍する神獣たちの足裏の下敷きになる前にルナはさらに飛行魔法と〈加速〉を組み合わせて、地面の低空を飛んだ。


 直後ルナのいたところに神獣の足が踏み下ろされ地鳴りがした。


 飛んで距離を取り改めて上空に上り、ルナが進軍する神獣たちの方を見ると、そこにいたのは。


「黒騎士…」


 神獣たちの行軍していたその中の一頭の頭の上には、黒い鎧に包まれた剣をもった禍々しい気迫を纏った騎士が立っていた。まるで彼がこの神獣を指揮しているように、彼が進める神獣たちは確実に王都スタルシアに迫っていた。


「確か、ブレイド部隊が出くわして、酷い被害に遭ったって聞いたけど、彼が黒騎士オスカーなの…」


 彼が乗っていた神獣は白虎だった。彼が白虎の上でルナにむかって指を指した。


 すると次の瞬間。


 彼の乗っていた白虎がルナに向かって、白い雷撃を吐き出した。その雷は放射状に広がってはルナの周りに雷の雨を降らせた。


 ルナの顔色はそこで一気に青ざめた。


 それはなによりも神獣が人に手懐けられていること自体が予想を超える事態ということだった。本来ならば神獣ほどの獣となると人間が手懐けるのはほぼ不可能だった。使役魔獣という品種改良に成功した魔獣たちがいるが、彼等が神獣クラスにまで育ったという例は聞いたことがなく、朱鳥のように意思疎通ができる特殊な例を除けば、神獣が人間に友好的であることはルナの常識外だった。


『何か、種がある。だってそうじゃなきゃこんな神獣たちを従えることなんて絶対に無理なはず…』


 しかし、白虎に指示を出したことを見るからに、黒騎士が他の残りの十二種類の神獣たちを従えていることは確定してしまったようなものだった。


『だめだ、ここは一回体勢を立て直して援軍を……』


 ルナが神獣たちと黒騎士に背中を見せて撤退しようとした。


 だが、ルナの背後から甲高い咆哮がしたかと思うと、ルナの身体には影が落ちていた。


「!?」


 眼球だけを上に向けるとそこには巨大な猿の姿があった。身体の高さが約二十メートルはある他の神獣よりは小柄ではあったが、その俊敏な動きはルナが動体視力だけで追うには困難なくらいであり、自身のあらゆる魔法を使って自分自身のすべてを最大限加速させることでようやく追い切れる速さであった。


 神獣天猿(てんえん)


 資料でみたことしかなかったが、その化け物っぷりにはルナにも緊張が走った。


 振るわれた拳を空中でぎりぎりで避けたルナは、体勢を立て直そうとする前に、さらに追加の天猿たちがルナに空から降り注ぎ襲い掛かって来た。

 彼等は地面に着くや否やすぐに大地を蹴り空へと舞い上がり、ルナの周囲を左右と上から囲うように間合いを詰めて来る。そして、ルナと戦っていた一匹の天猿が、その周りを囲っていた他の猿たちを足場や踏み台にすることで、空の空間を立体的に支配し、凄まじい連携でルナに肉薄して来た。

 ルナが天遠の飛び蹴りをかわしたと思ったら、その直後、反対で待ち構えていた猿を踏み台にして、すぐに次の攻撃に切り替えルナの反撃を許さない猛攻。ルナが反撃する余地などなかった。天猿の包囲網の中に入ったルナは無力だった。


「早すぎる…ここは一度もっと加速して抜け出すしかない」


 ルナが天猿の素早い一撃を紙一重でかわしながら、街の壁の方に座標を設定し自身の身体を一気に引っ張りこの場から抜け出すことにした。


 ルナが壁の上空に座標をセットする。壁にセットしては激突の恐れがあった。それほど勢いよく加速しなければ天猿たちの連携攻撃のスピードから逃れることはできなかった。


『よし、飛べ』


 ルナが自身の天性魔法を発動し、その座標まで一気に引っ張られる。その時、上限まで上げた天性魔法の中は他の時間を置き去りにするようにゆっくりと時間が動いてやがて、ルナ以外の周りの景色の時間が止まろうとしていた。


「時間を味方につけているのは、お前だけじゃない」


 ぞわりと背後から恐ろしい声が聞こえたかと思うと、ルナの背中には黒剣が刺さり腹まで貫通していた。


「ゴボッ」


 目を見開いたルナが大きく吐血をすると、時間の流れが戻っていき、ルナが街の壁にセットされた座標も消えてしまった。

 ルナの腹には分厚い剣が突き刺さっていた。なんとか白魔法で止血していたが、致命傷なのには変わりなかった。

 背後で黒騎士が、そのルナが突き刺さったままの黒剣を、彼女ごと地面に投げつけた。ルナは地面に激突し、黒剣によって地面に縫い付けられてしまう。


 そして、ルナのもとに黒騎士が空からゆっくりと降って来た。


 周りの天猿たちも手は出さずにまるで兵隊のようにじっと動きを止めていた。


「弱いな、小娘」


「クソが…死ね……」


 ルナが血反吐を吐きながら弱弱しく返す。


「死ぬのが怖いか?」


「死ね」


 ルナが天性魔法を展開しようと手を伸ばすが、その手を黒騎士の彼に踏みつけられてしまう。


「小娘よ、ひとつ聞かせてくれ、どうして、お前は命を張った?」


「死ね」


 ルナが呪詛のように繰り返す。


「あの壁の向こうに愛する者でもいたのか?」


 黒騎士が街の壁を指し示し、そして、答えを急かすようにルナの手の甲の骨を踏み砕く。


「…………」


 だが、その激痛にルナは声も上げずに耐えて睨みつけることをやめなかった。

 

 その強い意志に黒騎士は辟易した調子で言った。


「無駄だ、どれだけお前がここで抵抗したところで、結末は変らない。お前はここで死ぬんだ。諦めろ、だから最後に聞かせてくれ、お前は何のために戦った?」


 黒騎士の手には二振り目の黒い肉のようなものが、まるで生き物のように生えてくると、それはルナを貫いた剣と遜色ない剣の形となって手に収まった。


「人が戦うには理由がある。それは愛であるほどいい、愛の為なら人は化け物にだって立ち向かえる。さあ、答えて見ろ、お前は何のためにここに来た?」 


 黒騎士が膝をついてルナの顎を人差し指で上に向けさせた。反抗的な目つきが黒騎士に向けられている。


「死ね」


 ルナの答えは一貫して変わることはなかった。

 黒騎士は諦めてその場にゆっくりと立ち上がった。


「小娘よ、来世に期待するのだな、自分の人生がこんな戦場に立つこともなく平穏であることを」


 そう言うと黒騎士は剣の柄を両手で持って、ルナの首の上で振り上げた。


「まあ、その未来にも私がいるのならば意味はないのだがな…」


 ルナは振り下ろされる剣の先を見ながら最後に愛する人のことを想った。


『ハル…できることならあなたにまた会いたい…会ってたくさん話したい、あなたの隣であなたが笑っているところを見たかった……』


 ルナの頭の中にハルの顔が浮かんでは消えていく。一緒に食事をしたり、買い物にいったり、本を読んだり、昼間にだらけたり、訓練もしたし、眠ったりもした。この一か月間彼とずっと一緒だった日々はルナにとってかけがえのないものだった。


 闇の底でずっと燻っていた人間のもとまで落ちて来て、そして、光で照らしてくれたのは紛れもなくルナの人生ではハルただひとりだけだった。


 だから、だからこそ、そんなルナには人生で諦められないことがあった。


 それは愛する人とただ一緒に居られるありきたりな日常。


 そこにはルナの欲望の全てが詰まっていた。


『そうだ、ここ最近はずっとハルに愛してもらえていたんだ。だけど、そうだよね、やっぱりこうやって、離れ離れにならないと日々の大切さって本当に分からないんだ…』


 ルナは自分の欲望に気付く。


『えへへ、そっか私、そうだ、だって私、ハルと……』


 そこでルナの思考が完全に欲望一色に染まった。


 愛と欲。


 愛欲がルナの生存本能をどこまでも飛躍させる。


『体の関係までもったんだぜぇ?』


 思考に押しとどめていた狂気が侵食していく。その狂気の原因は紛れもなく愛する人へ捧げる執着から来るものであった。


『もったいねえよな?ここで死んだらもうハルと一発もできないってわけだ。ふざけてるよな?』


 性欲などという生物として単純な欲望であるが、最も強力なその欲はルナがこの現状を変えるに値するには十分すぎた。


 黒騎士がルナの首元めがけて黒剣を振り下ろす。


「ん?」


 しかし、黒騎士の剣がルナの首を切断することはなかった。


 黒騎士が突き刺そうとした、剣はルナの首元寸前で微動だにせずに止まっていた。やがてゆっくりとルナの首元から剣先が離れて行く。


「小娘、何をした?」


「お前、私とハルの邪魔をする気か?それは正気かぁああああああああああ?」


 言葉は通じない。ルナの絶叫の直後。黒騎士ならびに近くにいた天猿たちもまとめて地面から浮き上がる。


「これは…」


「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!飛んでいけ、空彼方まで、お前らみんな死ね!死ねえ!死ねええ!」


 ルナは重力の座標を遥か上空の自分でも届かないさらに奥に設定した。自身が出力できる以上の限界を超えた力で周りの物体をその天空に設定した重力座標へと引き寄せ始めた。


 それは周りの神獣たちも例外ではなかった。

 神獣たちの足元がフワフワと浮き始めやがてゆっくりと一極に吸い寄せられ始める。


「全部吸い込め!集約し潰れろ!潰れろよ!!!アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」


 壊れた笑い声をあげるルナが、黒剣に貫かれたまま大きく目を見開き、狂ったように天に手を掲げては、周囲のものすべてを見境なく空に送っていた。


 一点に吸い寄せられていく神獣たちが、引力の中心、座標の終極地点にまで引っ張られていく、そして、次に来た神獣や空へと舞い上がった大地の一部や周辺の吸い込まれたものによって、終極地点では次ら次へと、中心が押しつぶされていた。その光景はまさに空に開いた穴とも言えた。すべてがその穴に吸い込まれては、神獣たちですら吸い込まれたものはその強力な引力から脱出することはできず、すりつぶされていった。


「少々見くびっていたようだ、こいつはかなりの、そうだな俺と同じ類の化け物ってやつだ。いかれた性能してやがる…」


 空へと吸い上げられていた黒騎士が彼女のことを認めると、近くにいた首の長い獣に合図をした。すると、その首の長い獣が遥か高みからルナを見つめたかと思うと一度瞬きをした。


「ッ!?」


 するとその瞬間ルナの身体の感覚がぐにゃりと折れ曲がったかのような感覚に襲われ、視界も激しく歪み、立っているのも困難になった。


『気持ち悪い…』


 得体の知れない感覚に、意識が持って行かれそうになるのを何とか保つルナだったが、天性魔法の維持ができなくなり一度強制的に引力は解除されてしまった。


 そうすると空へと吸い上げられていた神獣たちと黒騎士が再びルナのもとに戻って来る。


「終わりだ。もう加減はせん」


 黒騎士がそのまま、剣をルナめがけて突き立てて落下して来る。魔法か何かで速度を上げられた勢いはもはや放たれた矢であった。


 ルナに至っては先ほどの首の長い獣の瞬きによる何かで気分の悪さと立ち眩みが激しく、腹に刺さりっぱなしの剣の治癒の白魔法の副作用で意識が朦朧としていた。


 かわすことはおろか防御魔法を展開することも、できないルナはただその場にフラフラすることしかできずにいた。


 頭がふわふわして見上げることしかできなくなったルナの頭上に黒き剣が迫る。


『あぁ、ハル、ごめんね…』


 ルナにはどうすることもできなかった。


『なんだか、ここまで見たい…』


 ルナはもう目を閉じて最後はハルと最初に会った時のことを考えていた。死の間際ピンチの際にどこからともなく現れた愛しい人のことを。


 ただ、彼女のことで忘れてはいけないことがひとつだけあった。


 ホーテン家。


 レイドを古から守り続けて来た裏の功績者たち。


 そんな彼等が潰えてこなかったのには、彼等のことを命がけで守って来た者たちがいたということを忘れてはいけない。彼等が普段力を発揮しないのは、ホーテン家の人間を絶やさないため、そのために彼等が代わりに犠牲となって、命を繋ぐ。それは何よりホーテン家に遥か古くから存在する部隊の習わしでもあった。そして、その習わしが今も脈々と受け継がれ現在でもその古い考え方が変わることは一切なかった。


 ホーテン家当主【ルナ・ホーテン・イグニカ】。


 彼女の守り手が現れる。


 剣が振り下ろされる直前。彼女の首が飛ぶのをありありと想像できた黒騎士だったが、それは横からひとりの騎士の飛び蹴りが炸裂すると、黒騎士は彼女にとどめをさすことなく横にくの字に折れ曲がって、吹き飛んでいった。


 ルナの眼前には若々しい紫色の髪をなびかせる男が立っていた。彼がゆっくりと膝をついてルナに顔を向けると言った。


「ルナ様、遅くなり申し訳ございません。このスイゼン・キルハイドただいま見参しました」


 そこにはホーテン家ロイヤルガード隊長のスイゼン・キルハイドの姿があった。


「命令だ…黒騎士を殺せ、神獣を操ってる……」


「承知」


 言葉少なく返事をするスイゼンが立ち上がると、ルナをその場に置いて黒騎士の方に歩みを進め始めた。


「ルナ様のこと、任せましたよ」


 スイゼンが誰かに向かってそう言った。

 

 すると後ろからもうひとり、誰かが冬の草原の土を力強く踏む足音が聞こえて来るのだった。

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