約束の時
ハルが作った簡単な朝食を美味しそうに食べながら、ルナは昨日からハルに勧められた本の話をしていた。
「ハル、あの教えてくれた本、凄い良かった」
「本当?それは良かった」
勧めた本はジョン・ゼルドの『雨を待つ』だった。彼女とここ最近ずっと一緒に暮らしていて分かったことは、彼女がやはり一番年上でハルなんかよりもずっと大人であるということだった。歳もひとつしか変わらないはずなのだが、彼女の私生活での言動や物の考え方は、ハルも見習いたいほどだった。そんな大人な彼女に『雨を待つ』はぴったりの選択だと思った。ビターな恋愛ではあったが、そこが彼女の興味を引き付けたようで、普段、激アマな指向で愛に突っ走る彼女にとって、その本は新しい扉となったのか、彼女は食事中、自分が読んだところまで、楽しそうに自分の考えも踏まえて話していた。そして必要以上に、主人公と恋人は絶対に幸せになるよね?と心配していたが、ハルはその問いには何も答えず言葉を濁し続けるばかりで、彼女はその返答にモヤモヤした感情を抱いていた。
「先を知ったら面白くないんじゃない?」
「だって、だって読んでてもう二人には幸せになって欲しいって思ったんだもん」
彼女は頬を膨らませてモヤモヤした気持ちに腹を立てていた。
「最後が悲劇だったら私、もう、読めないよ…」
どっぷりと感情移入してしまっていたルナにハルはある事実を告げる。
「まあ、どうだろう、それちゃんとした書店で買った本じゃないから、俺の知ってる結末じゃないかもしれないだよね。模本ってやつ」
ルナが読んでいた『雨を待つ』は、ハルが王都にいた頃、たまに通っていた骨董屋で格安で買った【模本】だった。
模本はもちろん原本となる本を書き写したものなのだが、中には模写した者がその原本の最後が気に入らず書き換えたりなど、同じ本の題名でも少しだけ中身や結末が違うものなどが紛れ込む時があった。正式な書店で買う本にそんなことは一切ないのだが、ハルのように本をそのような書店以外の場所で買うと、稀にそのようなことがあった。
ただ、それはそれで、模本の面白いところでもあった。同じ本であるのにも関わらず結末が違う。終わりが変れば、物語の性質は大きく異なる。見たかった終わりに自分で変える。それは一種の芸術でもあり、中には原本よりも模本の方が人気が出てしまった作品もあることをハルは知っていた。
「そ、そうなの?で、この物語の結末の本当はどっちなの?」
「それは読んでからのお楽しみ、終わったら俺にもルナが読んだその本の結末を教えてね?」
ハルはそうやって誰かに模本を渡して結末を聞くのが好きだったりもした。
そして、ハルは黄色いふんわりとした卵料理を乗っけたほどよい焼き加減のパンを美味しそうに頬張った。
「ハルがそういうなら仕方ないけど……、あ、そうだ、フレイ、あなたはこの本の結末知ってたりする?」
二人の会話に静かに耳を澄まして聞き入っていた彼女に話が振られると、一瞬固まった後、ゆっくりと息を吐いて答えた。
「いえ、私は、そういった物語は読まないので」
「フレイは、どんな本を読むの?」
ハルが矢継ぎ早に尋ねる。
「そうですね、薬とか毒にまつわるものが載った本とかですかね?そういった専門書なら、たまに目を通してますけど、本自体あまり読まないですね」
「そっか、でも、専門書かいいね」
フレイがそういった本を読んでいるところはどこか様になっており、ありありと想像することができた。
「フレイにも今度おすすめの本買ってきてあげるよ」
「そんないいですよ、模本でも結構高いはずです。そのような高価なもの受け取れませんよ」
「まぁまぁ、そう遠慮しないで、近いうちに面白い物語を見つけてきてあげるよ」
ハルがこうも金に余裕があるのは久しぶりだった。前まではこのルナのお家であったホーテン家に寄生することでしか、ろくに生活する手段がなかったが、日頃の行いが功を奏し、ある人物から多額の報奨金を手にすることができたのだ。
だからハルは今ちょっとしたリッチだった。
だからこそ、ルナにもささやかではあるがお返しができると思っていた。
「そうだ、ルナ、今日ちょっと用事があるから出かけてくるよ」
「え、じゃあ、私も一緒に…」
「ごめん、またワイトの資料室なんだ…」
「またですか…ハルはあそこが好きですね…」
「ごめん。だからルナは今日ここで本の続きでも読んでて、明日は…ほら、ザイード卿との約束もあるでしょ?」
彼女はそこで重要な約束を思い出したかのように口をあけてハッとした顔をしていた。
「あ、そっか、すっかり忘れてた。最近、なんだかずっと平和だったので、フフッ」
ハルはそんな彼女を見て優しく微笑む。
「わかった。じゃあ、今日は大人しくしてる。ハルも早くその用事とやらを済ませて帰ってきてね?待ってるから」
「わかったよ」
それから、朝食を終えると、ハルはルナと一緒に食器を洗い、ひとり出かける準備をした。
部屋を出る時、ハルはルナに言ってくると告げた。すると彼女は「待って、待って」と慌てて部屋の玄関の前までハルを迎えに来てくれた。
「ハル、その…」
「なに?」
もじもじと恥ずかしそうにしていたルナだったが、覚悟を決めた表情をしてハルを見上げると、彼女は力強い声でいった。
「私、いってらっしゃいのチューしたいです」
「そっか、じゃあ、お願いしていい?」
ハルが少し屈んで前のめりにルナの前に頬を差し出した。
「い、いってらっしゃい」
ルナがハルの頬にキスをする。
「いってきます」
ハルもすぐにルナの頬にキスを返した。
嬉しそうに顔を赤くするルナに手を振りハルは部屋の扉を出ていった。
部屋にひとり残ったルナが愛おしそうにキスされた頬をさすっていた。
「ハル…」
***
部屋を出たハルは屋敷のエントランス出た。そして、屋敷の玄関の扉を開いて外に出た。
冷たい冬空がどこまでも深く晴れ渡っており、この季節に出かけるには天気の良い一日のようだった。
外の玄関の横にはフレイが立っていた。
「ハルさん…」
彼女が黒のローブをそっと手渡してきた。
「ありがとう、フレイ」
ハルは黒衣に身を纏うとそこには完全に異質な闇が顕現した。
「ルナのことは任せた」
「はい、この命に懸けても…」
フレイが頭を深々と下げる。
だが、そこまでフレイに頼んだ用件は重くなく、気負いしてもらうつもりはなかった。彼女には普段通りいてもらえばよかった。
「ここは安全だから、それより、ルナを外に出さないように気を引いてくれ」
「わかりました」
「じゃあ、行ってくる」
ハルはそれだけ言うとフレイの目の前から姿を消した。
***
そして、ハルが次に現れた場所がレイド王国王城ノヴァ・グローリア敷地内、シャーリー家領地であった。
白い壁の豪奢な屋敷の前には、整然と白衣を纏った兵士たちが揃っていた。
その兵士たちの前には、白馬にのった白騎士が静かに待機している姿があった。
そして、その白馬の騎士の前にハルが現れると、その並んでいた兵士たちに動揺が走り全員が武器を抜こうとした。
「止めろ、お前たち、彼は味方だ」
白馬の騎士が彼等を止めた。
「ザイード卿、約束を果たしに参上しました」
「ああ、よく来てくれたな、お前たち彼にあれを持って来なさい」
その白馬の騎士は、レイド王国三大貴族のひとりザイード・シャーリー・ブレイドそのひとだった。
「これだけですか?他の者たちは?」
ハルの目の前には二十名程度の兵士しかいなかった。
「ここにいるのは私の秘密の精鋭部隊だ。他の者たちは別のところで待機させている」
「そうでしたか」
そこでザイード卿がハルにやはり言いたかったことを言ってきた。
「ルナ様はやはり、連れて来なかったのだな?」
「ええ、その分、私が貢献します」
「ああ、頼んだぞ、君には期待している。なんせ私の信用しているスワンが君のことをいたく気に入っているようだからな」
「おまかせください…」
そこで二十名いた兵士の中に、目をやると、スワンの姿もあった。そして、クロウも今日は白いローブに身を包んでいた。
「お持ちしました」
そこでハルとザイード卿の後ろの屋敷の扉から、二人の女性が大きな刀を運んで来た。
「保管していた君の刀だ」
「ありがとうございます」
ハルが二人が掛かりでもつ重たい刀の鞘から、片手で軽々とその白刃を冷たい空気に触れさせた。
大太刀【皮剥ぎ】は、どんな無茶にもついて来てくれるハルの愛刀の二振りの内のひとつだった。刀身が約二メートルはあり、およそ人間が扱うような武器ではなかったが、ハルにはそれくらい規格外のものがちょうど良かった。
この皮剝ぎに加えて、【首落とし】という刀もあったのだが、ハルは現在その片割れの刀を失くしており捜索中ではあった。しかし、それでもハルの実力は少しも衰えることはなかった。それに新たな天性魔法との相性を試すのにもまずは一本でも十分だった。
「それでは行くとするか、皆の者出陣だ!!!」
「ハッ!!!」
ザイード卿の掛け声に応えるように彼らは力強く返答し、門に向かって走り始めた。
シャーリー家の門番が門が開くと、次々と門前に用意されていた馬に兵士たちが乗り込み、その間にザイード卿が先頭に躍り出る。
白馬の騎士の後を、騎乗した白いローブの兵士たちが追う。
ハルはそんな彼らが門を出た後、地面を踏み込むとそのまま空へと飛び上がった。
彼等の遥か上空を飛び、目指す目的地を先に目にする。
そこはザイード卿と同じ規模を有する、王城の壁の中の敷地内にそびえたつ巨大な屋敷だった。
「進め、兵士たちよ!!!」
地上ではザイード卿が白馬を巧みに御しては、兵士たちを奮い立たせていた。
彼の瞳には溢れんばかりの闘志が燃えていた。




