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006

処刑間際まで追い詰められたあの日。

夜闇に紛れて最前線の地方都市に逃げ込み、領主に願い出て民衆の前で真実を告げた。

自分は“聖女”ではない事、自分には何の力も無い事――そして、私の本当の目的を。


民衆は呆気に取られて、頭を下げた私を罵る声さえ上がらなかった。

だけど、一人の戦士が豪快に笑い、私の勇気を褒めた。

たった一人で無気力な民を現実と戦わせようとする気概が、力ではなく何なのかと。

自分には出来なかったし、他の誰もがやれなかったと。

あんたが願う世界は、自分達が願う世界でもあると。

追従するように躊躇いがちに声が上がり、やがて聖女を讃える大きな声となった。


私を労わるような、激励のような戦士達の声に、何故だか肩が震えた。

涙こそ見せなかったが、今にも零れ落ちそうな程に潤んだ瞳で、彼等の声援に笑顔が溢れた。




そして。

その日からまた、聖女と呼ばれるようになった。




* * *




一枚鏡の前で、一張羅とも言える空色の衣装に包まれた自分を眺めていると、ふと何処か違和感を覚えた。

内心で首を傾げながら飾り紐や帯を触り、違和感の原因に気付くと、目を吊り上げて声を尖らす。


「ちょっと何この帯紐。こんなに緩く締めてたら気合い入らないじゃない」


腰の紐一本で気合いの入りようが違うのだから、いつも通りに結んで欲しい。

衣装は全て着せ終えたと言わんばかりに、そそくさと天幕から退室しようとしていた従者を睨み付けると、ばつの悪そうな顔をして男は足を止めた。


「……これ以上締めたら苦しいはずですが。お勧め出来ませんよ」

「良いから早く締めて。終わったらすぐいつものに着替えるから問題ないの」


ぐい、と従者の手を引っ張って帯紐に触れさせると、嫌々ながら帯紐をちょっとだけキツく結び直してくれた。

日常で着ている服は問題無いのだが、この一張羅はどうにも飾り紐や帯の結びが複雑過ぎて自分では着用出来ない為、最低限自分で出来るところまでは自分でするが、仕上げはこの従者に丸投げしている。

だが、この男は自分が気合を入れる為にキツく帯を締めたりすると、さり気なく緩めてしまったりするのだ。

油断も隙もあったものではなかった。


こんな程度なら幾らキツくしたところで倒れたりしないのに、言っても聞かない私を良く知る心配性の従者は、密やかに気を配るのだ。

締め直したにも関わらずいつもよりほんの少しだけ緩い帯に、従者の気遣いを感じてこれ以上締めろとは言えずに唇を尖らせた。

そんな私を横目で見やると、大仰な溜息と嘆くような情けない声音でからかいの言葉を発した。


「あの時はあんなに可愛らしく泣いてたのになあ…なんでこんなにふてぶてしく…」

「うるさいうるさいうるさい!イメージ傷付くような事言わないで!」


思い出したくない醜態の事で顔が赤く染まるのを見せまいと従者の男の膝裏を蹴ると、うわあと情けない声と共に男は崩れ落ちた。

私は、勝ち気で威風堂々としていて臆する事の無い“聖女”でなくてはならないのだ。

民衆と共に戦場に立つと決めた時、役を演じるのではなくそういう人間になるのだと決意した。

だから、あんなにもただの女の子みたく弱音を吐きながら泣きわめいた事なんて誰にも知られたくないのに、それくらい印象が変わったって構わないと従者は事あるごとにバラそうとしていた。


「それで、今日の作戦で片が付くのよね?この場所は」

「いたた……一斉に潰すので恐らく繁殖する暇もないかと」

「そ。じゃあ気合入れて頑張らなきゃ」


従者の言葉を聞いて、気合を込めるように自分の頬を両手で叩く。

ここで私が無様な様子を見せれば士気が落ちてしまうかもしれない。

緊張に震えそうになる身体をいなすように、丹田に力を込めた。


聖戦は、以前のように聖女の全面的なバックアップのある作戦は取れなくなった。

魔獣に制圧されてしまっていた旧市街を完全に取り戻し、王都からの視察が来た段階でようやく結界が張りなおされる。

聖女リィーナの頃であれば一週間もかからずに取り返せただろう旧市街でも、今の状況では一月も二月もかかるし、それ以上に多くの人が傷つく。


それでも誰もが希望を喪わない。

誰もが生きる事を諦めない。

だからこそ私は誰かの折れかけた心を支えようと、理想の世界を実現する為に声を張り上げる。

ホンモノの私にはそれしか出来ないけれど、それが微々たる力でしかない事を知っているけれど、いつかそれが里菜の笑顔に繋がるのだと信じている。


国土奪還の過程で里菜や神殿側からのコンタクトは一切ないから、きっと私は本当に死んだ事になっているんだと思う。

聖女と呼ばれる人間がいるという報告はあるのだろうけれど、未だに聖戦の最前線であるこの場に私を捕まえに来る人間は居ない。

来たら来たで追い払ってやると盛んに叫ぶ戦士達に苦笑いを浮かべながら、従者の男はそう教えてくれた。


「いつも通りにやってくだされば大丈夫ですよ。キリエ様の言葉は皆の心にきっと届きますから」


何の気負いも無しに発されたと分かる軽い口調が、緊張を強いられた私の身体から力を抜いて行く。

……私を逃がした事で王都を追われる形になってしまったこの従者の事は、今でもよく分からない。

どうやら私を逃がしたのはこの男の独断だったらしく、協力者は多少居たけれどたった一人で偽の聖女を庇う罪を背負ってしまった。

神殿騎士の職を辞めてしまって良かったのかと聞いたら、男は晴れやかに笑いながら仕えるべき聖女を見つけたからこれで良いのだと言った。

私を支える事がきっと今の聖女を支える事にもなるだろうから、と。

そう言って、私と共に生きる道を選んだ。


「……当たり前よ。私を一体誰だと思ってるの?」


私が罪を背負わせてしまった事は申し訳なかったし、何でそんな無茶をしたんだと未だに怒る事もある。

だけど、本当は。

たった一人でも、本来の自分を知ってくれる人が居るのが嬉しい。

自分に対して、怒ったり褒めたり、隣に立ってくれる人が居るのが嬉しい。

彼がいるからこそ胸を張って歩いて行ける。

何の力もない癖に強気でふてぶてしい、でも二度と折れる事のない聖女として。


「ですね。行ってらっしゃいませ、キリエ様」


時間が来たのか、天幕の外から私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

地面に座り込みながらもにこやかに笑って送り出してくれる従者に、ちょっとだけ笑いかけながら。



「いつもありがと。――行ってきます!」



くるりと背を向けて告げると、天幕の布を払い、夢を叶える為に軽やかに脚を一歩踏み出した。





* * *





神に愛された容貌と、民に切望された神力を持つ“聖女リィーナ”は死んだ。


だけど、王都では相変わらず稀代の聖女が絶対の結界を張っている。

そして、そこから遠く離れた最前線の戦場には、かつての聖女の面影を残した少女が一人居る。

彼女は神様に愛される力を持っている訳でも、民衆を守れる力を持っている訳でもない。

かつての少女のように歌って踊れる訳でも、煌びやかな衣装を着て演技が出来る訳でもない。

出来る事と言えば、恐怖に震える人や悲しみに暮れる人を勇気付けるだけ。

それでも、彼女は民衆に親しみを持って“戦場の聖女”と呼ばれる。

優しくて、強がりで、どこか恥ずかしがりやな、笑顔がよく似合う戦場の華として。


今日も割れんばかりの雄叫びに応えて、聖女のよく通る透明な声が戦場の明けの空に響く。

どこまでも、どこまでも、歌声のように。

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