ラニャシャスティアナ 司祭戦1
死力を尽くして戦え、骨を埋めるなら戦場だ。
美しい水の鎖が広がる。
それは古都の泉と同じに見えて、しかし清冽さにおいて致命的に異なった。
ここにあるのは、溢れるような力と、おぞましい妄執だけだ。
――ラニャシャスティアナ<いにしえの儀式場>
>ヴィヴィー
飛び起きた時、女は研究所とは真反対の場所に転がっていた。
起きて、怪我よりも何よりも、頭上を覆う水の揺らぎに顔を顰める。ハイロリアの水の城より少し広く、しかし中央には同じように噴水と誰かの影があった。
無言で自分の体を見下ろし、記憶にある以上の怪我がないことを確認する。捨て身の攻撃は凄まじい爆発をもたらしたが、リースが守ってくれたのかな、と周囲を見渡せば、小柄な魔女は弓を引く狩人の横で静かに浮かんでいた。
「…………」
痛む箇所に手を這わせ、急いで治癒を施していく。左手の爛れとドラゴンの尾を喰らった腹の傷は如何ともし難かったし、強化魔法の反動で全身に倦怠感があったが、戦意には問題ない。とりあえず魔法剣は鞘に戻し、生み出した水で口の中をゆすいだ。砂まみれの水を吐き出し、ぼろぼろの袖でぐいっと口を拭う。
「あれは、ラニャシャスティアナの司祭か?」
ヴィヴィーは隣の騎士に顔を向け、小さく肩を竦めた。
「知らないわ。まぁ味方ではなさそうね」
「ふむ、まぁ、そうだな」
大剣にもたれかかって立つ騎士は、ヴィヴィーに負けず劣らずの負傷具合だ。それでも綻びのない大剣が頼もしいような不気味なような、ヴィヴィーはともかく全身の動きを確かめてゆっくりと中央へ近付いた。
噴水の傍に佇む男は、複雑に布を重ね合わせた不思議な服を着ていた。少し考えて、聖職者組の服に似ていることに気付く。だからと言って何ということもない。
敵はぶちのめす、それだけだ。
>アンドラステ
床に座り込み気絶したユスティーファの体を抱え、アンドラステは人を射殺すような目で司祭服の男を見据えていた。
年の頃は四十代ほどか。これといった特徴のない男である。強いて言えば、目が死んでいる。
褐色の髪に、透き通った蒼の目。オンドーラ王族の特徴であり、リーンルルゥらが生まれた国の特徴。
ねじ曲がった歴史の元凶が、目の前にいた。
「う……」
腕の中の従者が微かに身じろぎする。その様子にやや安心し、だが足の傷を見て顔を曇らせた。ドラゴンの炎は強力に浸食してくる炎だった。一旦建物から出て水の城から喚び出した聖具を使っても、完全には治癒出来ない傷であった。ユスティーファの白く滑らかだった足。それが今は、所々が茶色に変色してしまっている。
「ごめん……ごめんね」
細い体を一度強く抱き締め、外から見えない位置にユスティーファを横たえ、強力な防御壁を施す。建物から一歩出て、今持っているものより一回り大きな剣を喚び出した。音がするほど柄を握り締め、中央の面々へとにじり寄る。
全員の視線を受ける司祭服の男は、無機質な無表情のまま噴水へと手を浸した。満ち満ちる美しい”水”が男へと吸い込まれていく。アンドラステは低く唸り、警告の言葉を口にした。
「気を付けて。あいつ、無手で充分のようだ」
「そんな感じみたいだね。一番苦手かも」
リースが応え、空中で構えをとる。トータは綺麗な姿勢で弓を引き絞り続け、ヴィヴィーたちは司祭の背後から攻撃を加えるようだった。
魔女とトータが同時に首を傾げる。疑問に思う間もなく、それらは現れた。
「ちっ……」
空高く吹き上がる噴水。雨のように降り注ぐ水滴は、地面に落ちるとふいに人の姿をかたどった。人の形の染みは次々と浮き上がり、亡霊のようにぼやけた色のままゆらゆら揺れる。木偶人形のようなものを生み出す”水”を取り込む司祭は、奇妙な呻き声を漏らしながらぶるぶる震え、やがてその体を変貌させた。強靭に、狂気的に。
『るる……ぅああ……』
見た目にさしたる変化はない。だが先程まで頼りない印象の風貌だった男は、みるみるうちに凶暴な戦士のような空気を漂わせ、格闘の構えをとって裂けるように笑うのだった。
>リース
瞬時に周囲に波紋を散らし、帰ってきた反応を見てリースは顔を顰めた。三十。多い。適材適所を考えて、すぐに適任を選出する。
「あの司祭の相手はアンドラステとキルファが良いと思う。雑魚は任せて」
言うが早いか、奇妙に手を揺らしながらやってきた木偶人形を光線で薙いだ。人形は煙が散るように掻き消えるが、すぐに収束すると再び元の姿を取り戻した。リースは眉を顰める。噴水を見て、そこで呻く男を見て、リースはああ、と息を漏らした。これが彼らの作った水櫃の入り口。だからこの人形は、出来そこないの人間なのだ。
恐らくほぼ無尽蔵に湧く人形たちを叩いても意味がない。早く司祭を倒してと視線で伝えれば、アンドラステは汗のにじむ顔でそれでも不敵に笑って肩を竦めた。
「力を求めた人間が、力に溺れてちゃ世話ないよね」
司祭の体がゆっくり傾ぎ――次の瞬間猛然とトータに向かって走った。トータがぎょっとした様子で飛び退る。割り込んだアンドラステが盾を構築して足止めしようとするが、司祭は頓着せず体当たりをしかけ盾をぶち破った。げ、とアンドラステが顔を引き攣らせる。低く腰を落とした司祭は、そのままの勢いでアンドラステにぶつかった。
「がっ!?」
ぶつかられただけ――それだけで、小柄とも言えない男の体は数メートル吹っ飛ばされた。
「うぇっ」
真っ青になったトータが全力で逃げる。跳躍してきたキルファが大剣で薙ぐが、厄介な俊敏さで避けた司祭は無造作に腕を振った。剣の腹で受け止めるキルファの足がたたらを踏む。あの大男ですら力負けするのかとリースは目を剥く。大きな溜息をついて起き上がったアンドラステが、低く詠唱を繰り返してキルファへ加護を与えた。
後ろに気配を感じてはっと振り返る。大量の人形が見えやば、と魔法を起動しようとするが、それより早く明るい炎がリースを中心に渦巻いた。
「油断してたの? 死ぬわよ」
炎は一瞬大きく煌めき、唐突に消え去る。それで人形は全て焼き尽くされてしまった。苛烈な瞳でリースを見る女へ頷き、右手に光の剣を生み出す。こうも味方との距離が近いと大きな魔法は使い辛い。一体一体地道に倒して行くしかないだろう。
同じく魔法剣に炎を纏わせたヴィヴィーが、はっとしたように目を見開いた。
「何をやっているトータ殿! 不甲斐ないぞ!」
「お前みたいな化物と一緒にするな! 俺はしがない一般市民だ!」
リースたちと反対側、木偶人形がやや少ない方向で二人の男が騒ぎながら走っている。良かった生きてたんだと思いつつも、その漫才でもしているかのような雰囲気は異質だ。流石だなぁとある意味感心しつつ、リースは剣を薙ぐ。その瞬間だけ剣身は伸ばされて人形たちを刈り取っていく。
キルファたちは――アンドラステが攻撃、キルファが相手を引き付ける役割のようだった。木偶人形が彼らに近付くのを見て剣をふるい、アンドラステの攻撃を阻害されないようにするが、それでも戦況は芳しくない。司祭は全身を武器にし、ひとつ拳を突き出すだけで騎士の巨体をふっ飛ばさんばかりなのだ。それを見てとったらしいクレスランスが司祭へと肉薄する。トータはそれについて行かず、木偶人形へと矢を射る作業に入った。
――わたしとヴィヴィーとトータが人形。キルファとクレスランスとアンドラステが司祭。あれ、ユスティーファは?
はたともう一人の仲間を思い出し、儀式場全体に波紋を広げる。それでも女の姿を見つけられず、リースは微かな焦燥感に顔を顰めた。ここにいないとすれば、建物に戻ったか、崖から落ちてしまったかなのだが。
そんなことを考えていたら、わっと溢れ出してきた木偶人形に体のバランスを崩した。風の刃を吹き上げて吹き飛ばそうとするが、すり抜けてきた一体に後ろから羽交い締めにされる。新たな糧を得に深淵へ意識をやった一瞬に、リースの両肩の関節がぽきん、と外された。
「ぐっ」
小柄な体が震え、膝から崩れ落ちる。それでも意識を保って背後の敵へ氷の矢を放つが、恐ろしい痛みは魔法への集中を阻害した。気付いたトータが矢を放ち周囲の敵を牽制してくれるが、回復を優先したものか攻撃を優先したものか、経験の乏しいリースは刹那迷ってしまう。それは戦いにおいては致命的な隙であったが、
「えっ」
大地を震わすような斬撃が、リースへと迫った敵を屠った。
舞い上がる粉塵の中から、いかめしい顔が徐々に明らかになっていく。
その背を見てリースは瞠目した。一度も会ったことのない姿――けれど確かに見たことのある姿。
素晴らしい偉躯を鋼鉄の鎧に包み、鈍器のような剣を携えた男。足甲の部分は水のように揺らめいていたが、すぐに固い鋼鉄となった。
かりそめの水櫃より甦りし男は、少女の記憶通りの無愛想さで剣を振り上げる。
「鋼鉄の騎士――」
リースは座り込み、呆然と男の通称を呼ぶのだった。




