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水の亡国  作者:
第七項: 水櫃へと至る地
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ラニャシャスティアナ 司祭戦2

>キルファ

 この亡国内に現れるのは単純な敵ばかりではない。肉体を失い”水”だけとなり彷徨う者たち。森では賢者、図書館では魔女がいたというが……それならば他の過去の挑戦者がいるのも道理だ。こちらに敵対するか味方するかは分からないが。

 少なくとも、鋼鉄の騎士は司祭を敵と見なしたようだった。

「多分死んだ場所か気に入った場所に居つくと思うから。あの騎士はここで死んだんじゃないかな。司祭にやられて」

 全身ぼろぼろのアンドラステが盛大に息を吐きながら言う。キルファは頷き、傷だらけの手で大剣を握り締めた。

 際限なく増え続ける木偶人形たち。相性を考えトータの戦力を一とすると、ヴィヴィーは三でリースは十。木偶人形がたかだか三十であれば全く問題ない戦力差だが、相手は倒しても倒しても簡単に甦って来るやつらだ。それも、どんどん同時に出現する量を増やしている。その袋小路の状況を五分まで戻してくれるのが騎士の存在だろう。

 キルファは鋼鉄の騎士を知っている。というよりも、鋼鉄の騎士の伝承は非常に有名だ。全ての悪を切り裂く者として、子供たちの英雄的存在である彼は、騎士を目指す者たち全員が指針とすべき、とまで言われていた人物だ。実のところ、キルファも密かに憧れていた。とは言え今はそんなことを考えている場合ではないだろう。

 キルファは密かに安堵の息をつき、猛然と突き込まれた拳を紙一重でかわした。

 恐ろしい無表情で独特の体術を行使してくる司祭。恐らくは王のための術士であった彼は、謀反の誘いをかけられ承諾した。どのような思いがあったかは分からないが、王の強力な戦士たちに対抗するため、そして文字通り『アクリアルを掌握するため』に、彼らは儀式を執り行ったのだ。新たなる水櫃はウンディーネに代わる『王家の象徴』である。特殊な大地であるアクリアルに穴を開け全ての民と全ての大地を取り込み行われた悪辣なる所業。固定のための起点となったのはメリルルゥの体だろう。同じ血を持つリーンルルゥが制御をつとめ、次に力の強かった司祭が取り纏めた。――そんな予想がつく。

「おぞましいな」

 だが、人間とはそんなものだ。後は何処まで踏ん張れるかなのだ。



 戦う者としての戦闘様式は重装かつ重い一撃による必殺攻撃、通常ならば多少身を削りつつ確実な勝利を獲りにいくところだ。だが対する司祭は同じだけの重い攻撃をいとも簡単に繰り出し、なおかつ手数が多い。必然的に防戦一方となっていく。アンドラステやクレスランスが何度も剣で斬りかかるが、驚嘆に値する司祭の強靭さは剣をも跳ね返すようだった。白銀の切っ先も、紅の材質の分からぬ鋭利な刃も、司祭の皮膚を貫通することが敵わない。ずっと囮をつとめている自分の鎧もそろそろ限界に近付いてきている。

「おいクレス、お前あの技出来ないのか? 炎ぶつけるやつ!」

 遠くからトータが叫ぶ。キルファたちが首を傾げると、クレスランスは司祭の蹴りを避けながら何故か照れ笑いで言った。

「それがさっき使ってしまったのだ。今は炎を纏わせるので精一杯だよ」

 どうやら彼には何か隠し技があるようだが、残念なことに今は使えないらしい。

「だーーーーーーっ!!!」

 炎を渦巻かせて手当たり次第に敵を屠っていたヴィヴィーが、突然苛立ちを全身であらわすかのように吠えた。こちらに攻撃が及ばぬよう一応配慮してくれていたのか、絶叫に合わせて炎の範囲が拡大する。真っ先に反応したアンドラステが獣もかくやという速さで退避し、クレスランスはのんびり笑った後猫のように体を翻し、これを好機と見たキルファは司祭の回避を邪魔しにかかった。溢れる炎がキルファをも飲み込みかけるが、玲瓏な呟きと共にキルファを包む小さな結界が出現する。気配で聖職者の復帰を悟っていたキルファは、そちらの方を見ずに心の中で礼を言った。

 初めて司祭の目が見開かれる。キルファの大剣により退路を塞がれた司祭の体は、あっという間に紅蓮の炎の海に消えて行った。それを確認したヴィヴィーは、愉悦の微笑みを浮かべ炎の温度を上げていく。

 炎から逃れ再び姿を現した司祭は、微かに焦げる全身に怒気をのぼらせてキルファを睨みつけた。特徴のないのが特徴な顔が無機質な怒りを湛えて引き攣る。

 キルファは防御の姿勢で大剣を構え、司祭は再度剣腹に拳を叩き込むが――司祭は拳を開くと手の平を剣に当てた。キルファは一瞬虚をつかれて目を瞬く。だが次の瞬間、不可思議な泥が剣を伝って流れてきて、それは鎧をなぞると皮膚に浸透し――。



>ユスティーファ

 呪いだ、とひと目見て分かった。

 理性を重んじる者を蝕む『泥』。それは精神を浸食し人を狂気へと導く。元から狂気の領域に住む人間ならさしたる影響はないだろう。その泥は、人のあらゆる『負』の要素を詰め込み、『正』を塗り潰そうとするもの。例えばキルファのような者になら――計り知れない威力がもたらされる、そんなものだった。

「いけない、逃げなさい!」

 言いながら聖法を発動する。魔から身を守るものと祝福を何重にもキルファにかけて――ぜえぜえと息を荒くするまでにかけても、呪いは祓れなかった。すんなりと皮膚の下へ浸透し、キルファは一度体を跳ねさせると、動きを止めて沈黙した。ユスティーファの頬を汗が流れる。だが司祭の拳にアンドラステが嫌な音を立てて吹っ飛ぶのを見て、一旦キルファへの対処を止めて主の方へ走り寄った。何故か足が酷く痛むが、気にしてはいられない。

「アンドラステ様!」

「いって……何でここにいるの! まだ君は戦って良い状態じゃない!」

 痛みに顰められた目が驚きに見開かれる。だがユスティーファは首を振った。自分だけ寝ていられるものか。

『針よ六を指せ、その刻は癒しの刻……』

 祈るように両手を額の前で組み、静かに息を整えていく。集中してみてみれば、あばらが何本か折れているようだった。これ位ならばすぐ治せると安堵するが、クレスランスを殴り倒した司祭がこちらに向かって来ており、慌てて治癒の詠唱を防御のものに変えた。三重に張ってからアンドラステに肩を貸して移動しようとする。だが、到底間に合わない。

 自分とアンドラステを対象に祝福を唱えるか、司祭に掴みかかってアンドラステの退避の時間を作るか――判断を下しかけた瞬間、それは聞こえてきた。

 獣の咆哮と言えば良いのだろうか。

 狂ったような雄叫びは、とてもその男のものには思わなかったが。

 厳めしい顔は理性をかなぐり捨てた狂気に吠え、声は戦いを求める狂戦士の色に染まっていて、全身が衝動を抑えられぬかのように震えわなないている。

 キルファはおぞましい目つきで司祭を見ると、いっそ清々しい程の無策さで疾走を開始した。



>トータ

 狂った騎士の動きは、全てをかなぐり捨てた獣のようであった。

「おっさん、なにやってんだよ……」

 狙いは正確に矢を射ながら、トータは舌打ち混じりの悪態をつく。

 騎士が被った泥は、霊廟でトータが王子に浴びせられたものと同じだ。けれどあの時はトータの知らない内に解決してしまった。もしそうならなかったら、自分もあのようになっていたのか?

 いや、と思い直す。そうはならないだろう。何故なら騎士は、『強い』。

「がああぁああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああっ」

 駆け抜ける足は意思を宿さず、無我夢中で振り抜かれる大剣は光を反射する白銀――不自然なまでに美しい銀だった。持ち主の狂乱に反比例するように、それは美しく美しく輝く。大剣が司祭をとらえる。先程のように腕で受け止めようとした司祭は、あっけなく斬り飛ばされた腕を見てぽかんと口を開けた。

 異様に切れ味を増した剣をふるう騎士は、人間じゃないもののように哄笑して、全身から血が噴き出すのにも構わず戦い続けた。

「なっ……」

「呪いのせいね。キルファの武器は力を与える代わりに反動がくるから。箍が外れてるんでしょうよ。あぁ、迷惑」

 いつの間にか近くにいたヴィヴィーが肩を竦める。トータは顔を歪めた。

「止める方法はないのか?」

「魔法で呪いを消すことは出来るけど、私には無理ね。触れないといけないし、リースも無理。遠くから魔法で撃った方が良いんじゃないかしら」

「馬鹿言うなよ!」

「じゃあ貴方が鎮めてくれるの? リースが呪いを解けるように」

 そう言われては、黙るしかなかった。

 トータは紅蓮の熱風を受けながら、キルファの狂乱を見守る。腕を、足を、胴を切断された司祭は、やがて白い光粒となった。

 それでも狂戦士は敵を求める。もうキルファの全身は自分の血で真っ赤であった。

「グゥゥゥウッ」

「キルファ殿、落ち着きたまえ!」

 果敢にもクレスランスがキルファへと飛びかかる。紅の剣は大剣を受け止めたが――キルファの馬鹿力に負け、塵のように吹き飛ばされた。紅の鎧に大きな罅が入る。リースとヴィヴィーが同時に魔法行使の準備に入った。

「ま、待っ」

 慌てて止めようとするが、声に力が入らなかった。音がするほど歯を食い縛り、状況を見守ろうとして、狂戦士の向こう側――アンドラステとユスティーファが大きく頷き合って走り出すのが見える。トータははっとして弓を構えた。クレスランスを狙うキルファの足を射る。

 凄まじい速度でキルファはこっちを向くが、その背にアンドラステが光槍を放った。こちらを向いたままのキルファが大剣の腹で防ぐ。もう一度光槍を放とうとするアンドラステをキルファは薙ごうとするが、復帰してきたクレスランスが大上段で斬撃を見舞った。キルファが再び大剣で振り払おうとする。すかさずトータは矢を続けざまに射た。

 その背後から、鋼鉄のシルエットが悠然と姿を現す。

 男は臆することなくキルファへ盾を突き出し、重量のある一撃を難なく受け止めた。後方に飛んで大剣を振り回そうとするキルファへ追いすがり、自分以外を狙わせないように動く。

 数秒の間にキルファの前方へ回ったユスティーファが、手の中の小さな何かをキルファへと振り翳した。液体のような物が男の顔へとかかる。突然キルファは悶えるように叫び出して――唐突に後ろへと倒れた。

「お、おっさん?」

 息を呑んで騎士へと走り寄る。しゃがみ込んでキルファへ手をかざす聖職者は、治癒の聖法を唱えているようだった。

「心配するな。呪い消しの薬をかけたのだ」

「良かった……」

 地面に倒れ伏すキルファの全身は血塗れだ。だが先程までの狂った色は何処にもない。そのことに安堵して、トータは盛大に息を吐いてその場に座り込んだ。

「呪い消しの薬? 相当強い呪いだったけど、それを打ち消す薬を作れるって、あんた相当腕の良い薬師なのね」

 ヴィヴィーが眉を顰めながらやって来る。ユスティーファは首を振った。

「ラフォンテーン……あの旅人が私にくれたのだ」

「ああ、あいつ……」

 リースが妙に納得した様子で何度も頷く。治療を終えたらしいユスティーファは、持っていた布でキルファの顔を拭うと小さく微笑んだ。次いで脇によけていた小瓶をとり、微かに残った中身を見て、くっと唇を引き結ぶ。全員を見回して、ヴィヴィーの左手の傷に目を止めた。

「魔法使いよ。手を出せ。……左手だ」

「ユスティーファ!」

「良いのです、主よ。わたくしの傷は時間が経てば動きに支障ないものだから」

 目を丸くして手を出すヴィヴィーへ、ユスティーファは小瓶の残りを全てかけた。甘やかな香りが一瞬風に混じったかと思うと、ヴィヴィーの爛れた手が元通りになってしまっている。

「あっ………………。ありが……とう……?」

 さしものヴィヴィーも切れ長の目を白黒させて礼らしきものを口にした。ユスティーファはただ小さく首を振って立ち上がり、ふと噴水の方へ視線をやって目を丸くする。トータもそれにならい、はっとした。――美しい様相を保ったままの噴水。溢れるような水に歩み寄る鋼鉄の騎士の姿。

「あっ……あの……」

 リースがしどろもどろと話しかけた。だが鋼鉄の騎士は魔女を一瞥すると、何事もなかったかのように水へ足を浸す。騎士の体は水に触れた所から小さな光粒に解けていった。

「……」

 息を呑んでその光景を見守る面々。やがて元のように噴水へ鋼鉄の騎士が消えてしまうと、それぞれ複雑そうな顔で顔を見合わせる。

「な、なんだったんだ。お助け人みたいな……」

「そういう性格なのかな。だいぶ不思議だけど、なんとなく納得もいくような……」

 いやいかねぇよ、とリースへ首を振りつつトータは息をつくのだった。



>リースとアンドラステ

「はじまった」

 リースはひとつ呟き、空を見上げた。宙に浮かぶ王城を。

 儀式場から生えていた鎖はゆるりと解け、しめやかな空気の中それは起こる。

 全てを拒むような、全てを誘うような情景に沈む王城から、清冽な音と共に光の階段が降りて来る。透き通るような階段はハイロリアの中心まで来ると、しんと静まりただ登る者を待った。

「親切なもんだね」

「そうだね。……あ、そうだ」

 リースは急に思い立ち聖者と向かい合った。全身ぼろぼろの聖者はかったるそうに少女を見返す。

「わたし、貴方のこと苦手」

「……」

 微妙な沈黙が落ちた。近くで二人の女が吹きだすのが聞こえた。

「それは……どうも」

「言いたかっただけ。じゃあ行こう。――クレスランス、キルファを持つの手伝うよ」

 なんとなく言う場面がおかしかった自覚はあるが、後の祭りだ。リースは飄々と戦士の元へ行くとふわりと騎士の巨体を浮かばせた。クレスランスが両手を騎士の体の下に差し入れて支える。

――ここまで来たんだな。

 リースは軽く目を閉じ、肺の中の息を吐き出した。距離だけではない長い旅が、様々に頭の中で思い起こされた。

 体の中で渦巻く二つの”水”。わたしはそれを使う。使って、本当の人外になる。

 そうしても、自分は人間だと、胸を張って言える気がした。そう思えるようになった。

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