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水の亡国  作者:
第七項: 水櫃へと至る地
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ラニャシャスティアナ ドラゴン戦2

――地に墜ちたドラゴン


>ヴィヴィー

 あれだけ脅威だった獣は地に墜ちた。とは言ってもここからが本番だが。

 ヴィヴィーは一挙動に飛び出すと、墜落の衝撃で震えるドラゴンを避け走り出した。土埃が舞い視界が悪いが、まずはあの馬鹿を回収しなければならない。なんとか風を操り続けたが、最後何処に飛んだか分からなくなってしまったのだ。ヴィヴィー程の魔法力では相手を視認しなければ魔法を使えない。何処行ったの、と半分激怒するような顔で見回し、ドラゴンから十数メートル離れた場所に紅い影を見つける。

「クレスランス!」

 叫び、透明な盾で男を包む。一時的に自分の体を強化して飛びつけば、男はあちこち傷だらけで気絶していた。自慢の紅鎧は右半分が酷く溶け、剥き出しの皮膚は火傷で腫れ上がっており、見ているだけで痛々しい。

「ばかばかばかばか」

 頭に深淵を描く。静かなる水櫃はしかしヴィヴィーには遠く、両手の届く範囲に『治癒』がないか必死に探し続けた。焦りで手元が狂い、徒に”水”を波打たせるが、やっとの思いで見つけたそれを大事に抱え上げる。

「大丈夫か? こいつ……」

 遅れて追い付いてきたトータがクレスランスの体を持ち上げた。ヴィヴィーは今更ながらに後ろを振り返り、肝を冷やす。すぐそこでドラゴンが巨体を振り回し荒れ狂っていたのだ。

「あそこ。とりあえず退避」

 研究所の裏にある微妙な物影をトータが指差し、二人は再び走り出した。小柄な狩人に『加護』を与えつつ後を追い、クレスランスに治療を施す。まずは放っておいたら大変なことになりそうな右半身の傷に。次いで『冷却』と組み合わせて肌の火傷を治し、一旦は息をつく。

「なんでこいつあんな馬鹿をやったの? 流石に驚いたわ」

 間近で上がる咆哮と爆風に顔を顰めつつ問えば、トータは軽く肩を竦め首を振った。

「もうクレスだからとしか……」

 確かにそうだ。聞いた私が馬鹿だったわ、と頷きつつ立ち上がる。魔法剣を抜き、静かに息を整えた。

「トータ、よね。ここでクレスランスを見てて。行って来る」

「おう。死ぬなよ」

 魔法や聖法を使えない者があのドラゴンに立ち向かえるはずがない。例外と言えばあの巌のような騎士だけだが。騎士はドラゴンの背にとりついて大剣を振り下ろしていた。全く呆れた膂力だ。



 リースが鳥のように空を舞い、何度かドラゴンを囲む光の輪を出現させる。その度にドラゴンが身を捩り輪を壊すが、幾度目かに固定された輪がドラゴンの顎を縛った。聖職者組みは剣でドラゴンを翻弄しつつ、大剣を振り下ろす騎士に防御を与えていた。時折輪の戒めをこじ開け放たれるブレスがこちらをかすめ、ヴィヴィーは舌打ちしながら大きな盾を構築する。何処まで持つか分からないが、一瞬で壊されることはないはずだ。ブレスが飛んできたらすぐ叫ぶようトータに言い、黒衣の女は一挙動に跳躍する。振り回される尾の付け根に着地し、魔法剣を思い切り突き刺した。

「いっ!」

 予想通り鱗に弾かれ、回転しながらリースの隣に飛び上がる。足元に盾を作ってその場に留まると、リースがほっとしたようにヴィヴィーを見上げた。艶やかな黒髪が額に張り付き、彼女が酷く疲労していることが分かる。

「あの無茶な人は?」

「一応生きてる。さてまぁ、どうしましょうね」

 キルファの大剣がじりじりと鱗を削ってはいるが、ドラゴンの巨体には焼け石に水といった様子。そもそもヴィヴィーたちはドラゴンの弱点など知らない。千年前はドラゴンを使役することは王族の誉れだったようだが、今は数を減らし姿を見ることすら稀なのだ。防御の薄い場所を狙って攻撃しようにも、もうひとつの翼か胴体か足、いずれも攻撃し辛い場所ばかりだ。改めてクレスランスの豪胆さに感心するしかない。

「本当はドラゴンの動きを止めたいんだけど、やっぱり規格外だね。上手くいかない」

 ドラゴンの背で善戦していたキルファが、勢い良く振り落とされ崖際まで弾き飛ばされた。微かに心配の念が湧くが、気にしている場合ではない。ヴィヴィーは高揚を隠さず笑う。

「ブレスを抑えてくれるだけで有り難いわ。あの人たちが気を引いてくれてるんだし、私がやるべきね」

 自らを鼓舞するように言い、小さな剣を握り締める。キルファも俊敏でないとは言わないが、やはり小柄なヴィヴィーやアンドラステらの方が懐に入り易い。失敗は出来ないわ、と音がするほど歯を食い縛り、魔法を発動する。ほのかに紅い光がヴィヴィーの全身を覆い、筋肉や骨を強化していく。リースは何も言わず、ただドラゴンの口を戒めることに力を注いだ。

 戦いの煽りを受け黒衣が翻る。黒絹の髪が背に広がり、短剣の飾り羽がひらりとなびいた。それらの持ち主はただ苛烈な眼差しで眼前の敵を見据え、不敵な微笑みを口元にのせる。

「――さぁ、行くわよ」

 そうして、炎の娘は、炎の体現者へと勝負を挑む。



>ユスティーファ

 やはりというか、翼を落としたからといって楽になる相手ではなかった。今も間一髪で巨大な爪を避けつつ、ユスティーファは暴れ回る獣を睨みつける。魔女がブレスを抑えてるおかげで格段にやり易くなったが、それで簡単に勝てるようになった訳ではない。通常の魔物なら簡単に貫く光槍も、ドラゴンには小石も同然のようだった。かなり力を込めた盾も数秒も持たず瓦解する。なんとかして鱗のない部分を叩きたいが、そこに辿り着くまでが無理難題だった。

 そこへやって来る黒衣の娘。

「こいつの気を引きなさい、あんたらは囮よ囮!」

「なっ――」

 弾丸のように降ってきた娘は空中で回転して風の刃をまき散らす。それらは全て弾かれるが、刃に紛れた魔法使いは一挙動に足元に滑り込み、魔法剣を薙いだ。微かに痛かったようで、ドラゴンは怒りの声を上げて足踏みする。地面を蹴って離脱したヴィヴィーは、何やってんのとばかりにユスティーファを見た。

「あ、あの女……」

 ふつふつと怒りが湧くが、聖職者にあのような曲芸は真似できない。一撃必殺の魔法使い、罠と知略の聖職者。そもそもの戦闘スタイルが違った。ちらとアンドラステを見れば、彼は既にドラゴンの意識がヴィヴィーに向かわぬよう動いていた。ひとつだけ盛大に溜息をつき、改めてドラゴンに相対する。

――私も、あいつは魔法抜きに嫌いだ。

 あの魔女と同じようなことを思いながら――ユスティーファは素早く詠唱を繰り返した。一気に放出する用に幾つもの聖法を溜め、囮役を十全に果たすべくヴィヴィーの反対側に回る。アンドラステが連射出来る聖法が尽きるのを待ち、数本の光槍と光の球を放った。ドラゴンが猛然とこちらを振り向き、一瞬だけひっ、と息をのむ。だが足を止めては死んでしまう。歯を食い縛って用意しておいた防御壁を何重にも展開し、慎重にドラゴンの進行方向を見定めて地を蹴った。

 ドラゴンの背後でヴィヴィーが跳躍する。回転しながら残った翼を何度も切りつける。怒ったドラゴンが翼をはためかせようとするので、ユスティーファは惜しげもなく光槍を放ち意識を引いた。溜めた分がなくなった頃にアンドラステから合図が来る。確認したユスティーファは防御壁を適当に張って後退した。同じことをアンドラステが繰り返す。

 縦横無尽に飛び回る女の紅の軌跡をドラゴンの尾がとらえた。くぐもった悲鳴を上げてヴィヴィーは吹き飛ばされる。既に血塗れになっているドラゴンは、いよいよなりふり構っていない様子で吠えた。リースの光の輪をこじ開け、噴水へ余波がいくのも気にせずブレスを放つ。灼熱の炎を跳躍して避けたユスティーファは、しかし恐ろしい熱波により両足の膝から下を一瞬で溶かされた。

「ひぁっ……」

 想像を絶する痛みに声を出すことすらままならない。受け身をとることも出来ず地面に転がると、蒼白な顔の主人が彼女の体をさらい研究所の方へと退避した。扉のない出口から中に飛び込み、外を確認出来る位置に従者の体を横たえる。

「ユスティーファ、意識を保って」

 口調は冷静ながらも唇をわななかせたアンドラステが、ユスティーファの両足をそっと持ちあげ治癒を施していく。溶けて用無しとなった服は慎重に除去し、痛々しく肉が剥き出しになった足へ労わるように詠唱した。崩れた皮膚が徐々に元の滑らかさを取り戻していくが、視界を明滅させるような痛みは容赦なくユスティーファの正気を奪っていった。

 最後の根性でドラゴンの様子を見ると、ヴィヴィーの姿は見えなかったが、ひとり宙に浮かびドラゴンへ氷の刃を放つ魔女が見えた。

――すまな、……

「アンドラステ、さ、私のことは、良いか、ら……」

 早く、魔女に援護を。消え入るように呟いたユスティーファは、険しい表情のまま気を失った。



>リース、ヴィヴィー

 恐ろしい憤怒を湛えリースを見つめる瞳。まるで矮小な蟻を潰す瞬間を図っているかのように、静かに吐息の音を響かせてこちらを睨む巨大な存在。

 それら全てに押し潰されそうになりながら、しかしリースは微かな笑みを浮かべると深淵へと意識をやった。戦う意志が途絶える訳がない。何故なら自分はここで終わらないからだ。ここが出発点だからだ。このように図体ばかりが大きい獣に、何故屈する必要があるのだろう。

『去ね』

 可憐な唇を綻ばせ命じ――それが嚆矢だったかのように、唸りをあげて巨大な尾がリースを襲う。避けずに盾で受け止めたリースは、ずっと探し続けていた性質を手の平に乗せた。

『貴方の主人は誰か?』

 それは水――様々なものを内包した水――祝福の水へと祈りを込め、氷の矢へ変化させ、リースは一挙動に投げ放った。

 微かに目を見開いたように見えたドラゴンは、まともに氷矢を受けると耳をつんざくような咆哮をあげた。怯む隙を与えず第二矢を放つ。そうしてドラゴンの腹に大穴を開けたリースへ、瀕死の獣は最後のブレスを放とうと口を開けた。

 けれどリースは笑った。笑い、ゆるりと身を翻し、空高く飛んだ。

「滅するのは、わたしではない」

 少女が飛び立ったことでひらけた空間に――紅蓮の炎を纏った女がぼろぼろの黒衣を風になびかせ、全てを切り裂く矢のように飛び込んだ。

「いいっ加減……死になさい!」

 そして死の宣告にしてはあまりに直情的過ぎる言葉を吐き、一挙動にドラゴンの腹へ身を滑り込ませる。手にした魔法剣を、リースの開けた大穴へ突き刺した。

 火、風、水――あらゆる性質を、今この一撃に込める。

「はぁぁっ……!」

 手に入るだけの性質を込めた攻撃は、ドラゴンの内部へ侵入し、混ざり合い、そして大きな爆発を起こした。

 空の覇者たるピューリッハは、炎の娘の手によってその体を砕かれたのだった。



>トータ

 視界を覆うのは血混じりの土埃、そして轟音の名残が聴覚を阻害する。

「終わった……のか……?」

 ドラゴンに立ち向かうことをはなから諦めていたトータは、忠実な者のようにクレスランスの傍に立ちながら弓を握り締めた。何も見えないし、聞こえない。ただ大きな爆発が起こったのが分かっただけで。

――きっと皆大丈夫だよな? 爆発に巻き込まれてなんかいないよな?

 ヴィヴィーの仕掛けた防御壁は十全に機能していた。無傷のトータはゆっくり歩み出し、煙の中目を凝らす。あちこちにドラゴンの死体の破片が落ちている。それらを戦々恐々と避けながら、トータは仲間の魔女と魔法使いの姿を探した。聖職者らが建物の中にいることは分かっている。キルファは途中から姿が見えなかったが、死ぬはずがないと信じていた。だから、行方が分からないのは、その二人だけだった。

 大きく息を吸うのも憚られるような緊張の中、ふとトータは水の流れる音を聞いた。

「え?」

 疑問は確信に変わり、警戒心を漲らせて矢を弓に番える。だが煙が晴れて見えてきた光景は、彼の想像を超えるものだった。

 何処かから落ちてきた雫が、乾いた噴水を潤す。

 小さな雫は何処までも波紋を伸ばし、枯れた儀式場へと水の祝福を与えた。

「あ……」

 まるで、都の水の城と同じように。

 いや、ドラゴンが守っていたのはどちらも同じなのだろう。どちらも儀式場なのだろう。そうしてその守護者を退ければ、水は戻り、『司祭』は戻って来る。

 噴水から伸びる水の帯がレースのような美しい模様を作るのを見ながら――トータは静かに、噴水の傍に現れた司祭服の男へと矢を向けた。

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