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水の亡国  作者:
第七項: 水櫃へと至る地
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ラニャシャスティアナ by ユスティーファ 01

――ユエル 女王の神殿


「リーンルルゥ……?」


 魔女の小さな呟きは、ユスティーファに大きな驚きをもたらした。リーンルルゥ。廃王クレトスの妻にして、最初の魔女メリルルゥの姉。本人も類稀な術者であり、その力を利用され水櫃を造ろうとした人物。

 その女性が、あどけなく穏やかな笑みを浮かべながら、ゆったりと目の前に佇んでいる。

「なっ……」

 そのあまりの異様さにユスティーファは一瞬怯んだ。彼女の娘リリアーヌと似た、だが決定的に違う微笑み。リリアーヌの様子は空虚で、一目で人外であることが知れた。だがその母は――まるで庭で客人を迎えるかのように自然で、友好的で、若い娘のような微笑みを浮かべ、ユスティーファたちを見つめているのだ。


『ようこそ、水晶の神殿へ。ありがとう、ここへ来てくれて。手間が省けました』


 言って、目を細める。その顔はあまりにも無邪気で、とても子を二人産んでいるとは思えないくらい。悲壮的な表情をしていた分、メリルルゥの方が年嵩に見えるほどだった。

 メリルルゥはドレスを身につけていたが、リーンルルゥはやはりオンドーラの伝統服に似た格好をしていた。前で合わせ、腰帯で留める形の服。袖はゆったりと長く、裾はふわりと床に引き摺るほど長い。布の色は白、まるでリーンルルゥ自体が光っているかのようにほの白い立ち姿。髪は結わずに垂らしており、むき出しの額がやけに幼く見えた。

 膝をついていたクレスランスが素早く立ち上がり、油断なく炎剣を構える。それを見てユスティーファも慌てて立ち上がりかけ、トータが呆然と座り込んでいるのに気付き青年の肩を叩いた。

「早く立て!」

「え……あ、ああ! そっか」

 小さく舌打ちしつつ、無理もない、と眉根を寄せる。眼前の光景はあまりにも神秘的で、ひたすら害がないように見えたから。

 空で瞬く無数の光。女王を飾る混じり気のない水晶の城。ここは、あまりにも、幻想的だった。

「えーーっと。後ろの洞穴ふさいじゃった、ごめん。だからここを進むしかありません」

 魔女のさりげないが重大な告白にも怒る気力が湧かない。これまでの経験から、恐らくリーンルルゥは肉体を失っている。その為杖を腰紐にしまいながら、しかしユスティーファは攻撃の機会を失っていた。女王に敵意が見られないから。

『全員をしまいたいのに、中々捕まらなくて。皆にお願いして手伝って貰ってるのだけど、それでもまだ取りこぼしがあるの。――でもきっと貴方たちでおしまい。さぁ、貴方たちも還りましょう?』

 その一言で――ユスティーファは総毛だった。確かにリーンルルゥに敵意はなかった。あるのはただ、どうしようもない程の狂気だけだった。

「伏せろ!」

 戦士の鋭い警告が響く。なに、と問い返しかけ、ユスティーファの体は誰かに弾き飛ばされた。

「っ!?」

 慌てて顔を上げ、目を見開く。彼女の隣でクレスランスが脇腹を押え呻いていた。

『どうして、貴方たちも抵抗するのかしら……』

 不可解そうな、残念そうな声音。

 白い衣の袖をゆったりと広げ、リーンルルゥが歌うのに合わせ――鳥籠のような水晶の城は、花が咲き誇るように開いていった。

「えっ」

 それでも何が起きたのか分からず、もう一度戦士の様子を見る。クレスランスは歯を食いしばりながら顔を上げると、

「棒のようなものが突然突っ込んできた、気を付けろ!」

 その言葉を理解する間もなく、

 解けた水晶は大気に霧散するように消え、

 次の瞬間凄まじい勢いで<線>が襲ってきたのだった。




――女王の願い


 <キィン、キィン、>


 空間を駆け抜ける光槍とは、明らかに違った。

 まるで不意を打つように、気紛れのように出現し、触れたものを削り取っていく。


 <キンッ、>


 筒状でない、<線>としか言いようのないものが、突然現れては消える。

 光沢のないのっぺりとした見た目、だが圧倒的な速度と質量を以って<それ>は<生える>。

「っ!」

 ぞっと震える予感のままに伏せる。一瞬後に頭上を<線>がよぎる。なんの前触れもなく現れ消えるそれは、ともすれば一撃で死にかねない脅威だった。

――くそっ。

 異常に勘の良いクレスランス、気配探知の弓を持つトータ、魔女として絶大な力を持つリースに比べ、ユスティーファは明らかに不利だった。他の三人が前に出てくれているので、狙って来る<線>の数こそ少ないが、それでも避けるので精一杯なのだ。リーンルルゥの力量の方が上回っているからか、ユスティーファの盾は用を為さなかった。

 クレスランスが積極的にリーンルルゥを狙うことでおとり役を買って出ている。だが脇腹の傷のせいかいつもの精彩を欠き、既に腕や肩など三箇所を負傷していた。

 そのクレスランスとは反対方向で、リースが幾度も魔法行使を試みている。どの防御壁なら確実に守れるか。この<線>はなんの性質で出来ているのか。看破すべく魔女は真剣な顔つきだが、成果は芳しくないようだ。

 顔の横を<キン>、と線が走る。

「…………っ!」

 顔が歪むのが分かる。引き攣った叫びを抑えられない。気付いたトータがするすると線を避け、ユスティーファの隣まで来た。

「伏せて!」

 言われるままにしゃがめば、頭のすぐ上を<線>が過ぎていく。はっとしてトータを見ると、青年は厳しい顔で頷いた。ユスティーファも頷き返し、トータの指示の通りに回避を始める。



 ちょこまかと逃げ回る四人に業を煮やしたのか、リーンルルゥはむっとしたような顔で祭壇へ手を伸ばした。

『色々な性質があればある程良いの。だから、貴方たちも還りましょう? そうして、私たちの制御できる水櫃を造って重ねれば、リリアーヌを掬いあげることが出来るの』

 祭壇が光を放ち始める。眩い光が洪水のように溢れ出し、大量の水となり、地を削るように滑り出した。あっという間に足元をさらわれ、三人は地面に体を打ちつける。

 無防備になった体を、<線>は簡単に貫いた。

「っぐ!?」

 右太ももを押さえ、ユスティーファは小さく呻く。

『貴方たちの性質はとても豊かそうだ。出来るだけ、本来の水櫃に似せなければならない……。でもまだ足りないんです。全然足りないんです。お願い、協力して……』

 女王は悲壮に訴え、そして歌い始めた。何処の国の言葉とも知れぬ、不思議な響きを持った歌。それはこの殺伐とした状況の中で、場違いなほど美しく響き渡った。

 歌は酷く複雑なうねりとなって地下中を駆け巡る。それにかろうじて反応しつつ、おぞましい痛みを発する太ももの傷へ必死に治癒を唱える。

『ろ…くの針を指す先を見よ……』

 傷は徐々に塞がっていく。だが再び地を流れる水に足をとられ、中途半端な塞がりのままユスティーファは回避を求められ――ふいに、その体が浮かんだ。

「大丈夫?!」

 唯一宙に浮かんで水を逃れた魔女。彼女はユスティーファへ手を伸ばし、真剣な形相で叫んでいる。

 その姿を見て、うっかり礼を言いそうになるのを堪えながら、ユスティーファは根性で体勢を立て直した。

「問題ない! それより埒があかない、総力戦で行くぞ!」

 このまま防戦一方では死を待つ他ないだろう。ユスティーファが<線>を避けつつ全員に目配せすると、三人は力強く頷き返してきた。再びリーンルルゥの方を見る。女は棒立ちでありながら、<線>と水の攻守揃った力を行使している。妹の尊敬具合を見るに、近寄れば更に苛烈な攻撃を加えてくるだろう。だがやるしかない、とユスティーファは決意を固め、杖を取り出した。自分が前に行ってもやることはない。ここは補助役に回るべきだ。

「当たってるか微妙だけど、反対性質を見つけた。だから出来るだけわたしが防御するけど、完全じゃないから皆避けてね」

「私はリーンルルゥの動きを阻害する」

「クレス、リーンルルゥに突っ込め。俺が援護する」

「了解だ、トータ殿! 任せろ!」

 なんという雑な作戦なのだろう。だがユスティーファは何故か楽しげな笑みを浮かべながら位置についた。ヤキが回っているのかもしれない。



 右太ももの痛みは相変わらずだ。

 だが無視せざるを得ない。今のユスティーファがすべきことは、全力でリーンルルゥの動きを邪魔すること。

『二の文字を針が指す。善なる者のみが動くことを許す空間を作ろう』

 聖法としては初歩的なもの、魔の動きを阻害する術。だがどの程度の魔に効くかは聖職者次第で、既にリーンルルゥより力が劣ることが分かっている今は、最大限の力を込めてなお微々たるものにしかならないだろう。

 だが、ユスティーファが作るべきは「小さな隙」だけなのだ。それこそが全員が欲する好機。

『二の文字を針が指す! 私の指定した者以外が動くことは許さない!』

 リーンルルゥの足元に小さな揺らぎが現れる。女は不思議そうに目を瞬いた後、小さな手の動きでそれを打ち消した。だがユスティーファは諦めず重ねて詠唱し、遂にリーンルルゥの姿勢を崩すことに成功する。

「はっ!」

 クレスランスの気合の入った叫び声。紅の戦士は炎剣を以って女へ斬りかかる。リーンルルゥは崩れた姿勢のままふわりと腕を回し、生み出された水の塊が戦士に向かって殺到する。炎剣から生み出した炎でそれらを打ち消し、クレスランスはリーンルルゥの懐へ入った。

 そこまで見届け、目の前に半透明な揺らぎが現れたのにぎょっとする。だがすぐに意図を理解し、いつでも<線>に備えられるよう聖法の詠唱を中断した。直後現れた<線>は、魔女の盾が問題なく受け止めた。

「良かった!」

 少女の心底ほっとしたような叫びを聞きながら、この娘は私を恨んではいないのだろうか、と戦闘中にあるまじき疑問が浮かんだ。

――私は聖職者で、彼女は魔女なのに。

 加害者に近い自分と違い、彼女は文句なく被害者なのだ。ユスティーファなら、もっとずっと複雑な心境になる。

――気になる。いや、聞かずにはおれない。

「『巡る針は二の文字を指す。いつまでもいつまでも!』 魔女よ、この戦いが終わったら話したいことがある! 良いな!」

 視線は女王に固定、必死に杖を握り締めながら、ユスティーファは殆ど怒鳴るように宣言する。リースはやや面食らった様子を見せた後、

「分かった」

 とだけ返した。



 戦士に懐に入られたリーンルルゥは、悪鬼のような表情で腕を振り回した。床を這っていた水が戦士と女とを遮るように吹き上がる。だが水はただの水のようで、綺麗に無視したクレスランスはずぶ濡れになりつつも炎剣を薙いだ。手応えはなかったが、リーンルルゥには充分以上に脅威だったようだ。女王は衣をもつれさせながら立ち上がると、

『聖なる水よ! 全ての源たる水よ! 我を守り敵を打ち払いたまえ!』

 リーンルルゥは光の国の姫君だ。だがその彼女は徹頭徹尾水を使う。それも、他の余計な性質に注目していない、ただの水を。よほど水櫃を憎み、そして水櫃を愛していたのだろう。確かに彼女は水の扱いが巧みだったが、それは本来の戦闘能力を濁らせるものだった。

 リーンルルゥの手の動きに従い水が跳ねる。高速で吹き上がる水はクレスランスの鎧を紙のように切るが、肉を斬らせて骨を断つ手法で男は更に踏み込んだ。ふるわれた炎剣の切っ先がリーンルルゥを捉える。水に混じる血を見、苦痛の声を上げたリーンルルゥは、至近距離で<線>を発動させた。体を九の字にして倒れ込む戦士へ更に追い打ちをかけようとし、トータが数本の矢を叩き込み邪魔をする。ユスティーファも聖法で女王の集中を削ぎ、リースが戦士を覆うように盾を作り出した。トータがユスティーファと目を合わせる。意図を把握して首肯し、ユスティーファは走り出した。

 <線>が幾本もユスティーファへ伸びる。その数本をリースが止め、数本がユスティーファをかすり、一本が左腕を貫いた。恥も外聞もなく悲鳴をあげたユスティーファは、しかし一瞬の遅滞なく疾走し続ける。再度<線>が生まれる気配がしたが、トータが女王に矢を射たため消失した。ナイフの投擲圏内に入る。一挙動にナイフを取り出したユスティーファは、腕に捻りを効かせて女王へと投げた。リーンルルゥは水の壁を作り出しナイフを防ぐ。だがその瞬間、転がっていた戦士が跳ね起き、巨大な炎の塊を爆発させた。

「とどめを!」

 息も絶え絶えな男の叫びを聞き、煽りを喰らって吹き飛びかけながらも女王へ剣を走らせる。

――リーンルルゥの切なげな瞳が、ユスティーファを見る。

 その一瞬だけ、この時だけ彼女は正気に返ったのだろうか。そう思わせる目を見て、だがユスティーファは容赦なく剣を叩き込んだ。

――どんなことがあろうと。

 歩みを止めず、主が好きだと言ってくれた精神性を保ちながら、戦い続けると決めたから。




 祭壇に、リーンルルゥの水色の光粒が浮かぶ。

「リーンルルゥの役目は、国中の人間の”水”を集めることだったんだろうね」

 戦いを終え、水晶の神殿が壊れ。ユスティーファとクレスランスはその場に転がって魔女の治療を受けていた。トータは辺りに散らばった矢を拾い集めつつ魔女の話を聞いている。

「人工的な水櫃の材料は国と人だったんだ。リーンルルゥが人の“水”を集め、それを基盤に国――建物や緑、色んな物を取り込むはずだった。でも枯れてたのは都だけ。儀式は中途半端な所で止められたんだね」

 右太ももと左腕。特に酷い怪我の箇所はその二か所だ。幸い順調に塞がっていっているが、微妙な倦怠感と違和感は否めなかった。自分以外の性質を取り込むのだ。元のままの感覚でいられるはずがない。

「人の”水”に干渉する技術はとうの昔に完成していたんだな」

「うん。今も現存するかもしれない。でも行使するだけの実力を持つものはいないだろう。或いは――わたしたちには無理かもしれない。もう水櫃は二つあるから」

 なんとなく、ユスティーファにも分かった。今と昔の術者が違う理由。それはきっと、生まれてくる場所が違ったからだ。ヴィヴィーやリースやユスティーファやアンドラステは――酷く歪な水櫃しか視ることが出来ないのだ。

「そういえば、わたしと話したいことって?」

 痛みを堪えるユスティーファに、リースが透明な表情で問いかけてくる。ユスティーファは一瞬逡巡し、しかし諦めたように息を吐いた。

「大した話じゃない。ただ、貴方は私をどう思っているのだろうと思って」

「すごいいきなりだね。別に嫌いじゃないよ」

「何故? 貴方は聖職者など殺したいはずだ」

 そう言うと、リースは酷く優しい微笑みで首を振った。

「そうすると、わたしも同じになってしまう。わたしは一人一人を見たい。あなただってそうしてくれてる。聖職者だからと言って問答無用に嫌うような”魔女”にはならないよ」

 そうか、とユスティーファは小さく笑んだ。それは是非アンドラステ様にも聞かせてあげて欲しい、と言うとリースは苦々しい顔になる。

「わたし、あの人苦手なんだけど」

「でははっきり、苦手だと言ってやってくれ。聖者としてではなく、アンドラステとして苦手だと」

「ああ、うーん、なるほど。分かった」

 リースは可笑しそうに笑う。つられてユスティーファも笑い、つかの間地下に娘たちの笑い声が響いた。

「あの……私の治療を忘れていないだろうか……」

 地に伏したクレスランスが腹から血を流しながら申し訳なさそうに口を挟む。慌ててリースが魔法行使に戻ったところで、ふいに祭壇が不穏な音を立て始めた。

「まさか崩れる?」

 縁起でもないことをトータが言ったところで、右隅の天井が裂け、光が差し込んできた。

「リーンルルゥの脱出経路かな。あそこから地上へ出られそう」

 わたしが浮かすから、と言うリースに頷き返す。やっとアンドラステ様に会えると考えれば、ほっとする思いだった。

 そのアンドラステも大変な目に遭っているとは、つゆほども知らないユスティーファだったが。

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