それぞれの準備
――深淵の住人
誰もいない大地に、温度のない風が舞い込む。
ラフォンテーンはひとり儀式場への道を歩みながら、頭上の王城を目を細めて見上げた。
儀式場は紅の戦士が戦ったという広間を抜けた先にある。王城の庭に通じており、しばらく歩けば再び石造りの建物が見えてきた。
静かに砂塵が大気を汚す、寂しい地である。だが建物の向こう側からは異様な気配が感じられ、ラフォンテーンは微かに蜂蜜色の目を伏せた。そうすると、常に微笑んだように泰然とした顔は、少しだけ困った風になる。
――ああ、来た。
真実を知る時は、いつもいつも高揚する。忘れたことを思い出すのは、とても甘美で、胸の奥がじんわり暖まるようだった。
そしてその道程に困難があればある程良い。彼は御し難い性質を持つから、一筋縄でいかないことを酷く愛する。
――さぁ、来る。
そうしてラフォンテーンは、自分の後を追う冷たい気配を、ゆっくりと振り返った。
――前に進むための一歩を
わたしたちの力とは共感の魔法だと、わたしは既に知っている。
だから“水”の中をたゆたい踊る時、リースは素直な気持ちで身を任せることにした。気負って共感しようとしても、ろくなものが得られないに違いない。
目を閉じるのはいつもと同じ。けれど今度は水櫃へは行かず、自分の奥底へ手を伸ばしながら、リースは初めて視る『人の“水”』を探った。
――白の剣士は、忠実な剣士。光に焦がれながらも光に疎まれ、けれど闇に堕ちることを良しとしなかった。
その姿にリースはたまらないほどの感情が溢れた。それは感動なのか、共感なのか、畏れなのか、分からない。だが最も心惹かれた部分がそこなのだ。わたしの魔法は、そこから得られるのだろう。
――悲哀の魔女は、優しい魔女。だが崩壊していく国を見て、彼女は思ったのだ。終わりは哀しいもので、どうあがいても終わりに辿り着く人間たちは、まさに悲哀なのだと。
リースはそれを否定し切れない。彼女にとってもそれは真実だからだ。今はその価値観の順位が下がっているだけで、また哀しみに囚われる時が来るかもしれない。
だから、メリルルゥから得る魔法は、その共感からにした。
「どう? なんか分かりそう?」
意志の強さを感じさせる声を聞き、リースはふっと目を開ける。涼やかな細面が、心配そうにリースを覗き込んでいた。
「うん。なんとか」
「そう。二個同時だから心配したんだけど。流石は魔女というべきなのかしら……?」
「どうだろう。確かに、不安な気持ちだ。すごく安定しなくて、無意味に魔法を使いたくなる」
「そっか……」
「ヴィヴィーは?」
問い返された魔法使いは、やや逡巡を見せた後ぽつぽつと話し始めた。
「もっと力が欲しい、って思ったわ……。本当に私らしくないのだけど」
「力を……」
「ええ。元々大人しい性格ではないけど、それよりものぐさな性格が勝ってるのにね。何処かに戦いが好きな気持ちが眠っていたのかしら」
そう語るヴィヴィーの肩は頼りなく、リースは眉を寄せて必死に考える。『友達』を励ます言葉を考えるのは、殆ど初めてのことで、でも面倒ではなかった。
「……“水”を得ると、その“水”の元の主人に影響を受けるのかもしれない。考えれば当たり前の話だけど……人の“水”は強い。それを自分の“水”に近付けて、平気なはずがない」
「そう…ね。じゃあ、あいつらはどうなるのかしら。武器に付与してる組」
「影響は受けるだろう。わたしたちよりも弱いだろうけど。ああでも、あの赤い人は大丈夫だと思う」
「何故?」
リースはちらりと男の紅の剣を見た後、考えながら話すようにゆっくりと言葉を続けた。
「あの剣は、全ての性質を集めた剣だから……。そして力ある者が鍛え直せば、新たな持ち主の性質に塗り替わる。あの剣はとても凄いけど、持ち主に従属する剣なんだよ」
「へぇ……」
あの剣は違う、とひと目見ただけで分かる。およそリースなどでは敵うべくもない技量と力によって鍛えられた剣。それだけのものをこの国の王はかつて持っていたのだ、となんだか複雑な気持ちがこみ上げてくる。
「それじゃあ、あいつは変わらないのかな」
ヴィヴィーはふっと息を吐くと、彼女にしては珍しい苦笑を見せた。リースは友の感情が読めず、どきどきしながら次の台詞を待った。
リースにじっと見られていることに気付いた女は、はっと表情を引き締めると姿勢を正す。
「そうだ、約束。魔法教えてくれるって」
女の不敵な笑みと共に“約束”を思い出したリースは、柔らかく口元を綻ばせながら頷くのだった。
――女王の手となり
魔女だという少女の言葉を信じるならば、同僚は既にこの世にいないとのことだった。
『リボンをつけた金鎧……? それ、あの噴水の……』
千年前の姿を取り戻した水の城の中に、最近ドラゴンに焼かれた同僚の死体はもうない。けれど少女に聞いた鎧の特徴は同僚のもので、信じたくない思いと諦めが半々であった。
『えと、ごめん。もう少し早く言ってあげてれば良かったね……』
初めにこの城に着いた際、魔女に話しかけることは出来なかった。そういう雰囲気であったし、すぐに城を去ってしまったからである。
『いや、問題ない。貴女が気にすることではない』
娘と同じくらい幼い少女に怒りをぶつける気になどなれない。キルファの国は確かに魔法を忌避し体系的にまとめられた聖具を称賛するが、この地においてそんな考えに固執することが利口とは思えなかった。そもそも彼は平民出身であり、聖具はともかく聖法からは遠い所にいた。今は戦いのために使用しているだけで、どちらが優れているかなどは興味の対象外だったのだ。
微笑まれたことに、少女は酷く驚いたようだった。それだけで彼女がどんな暮らしをしてきたか分かる。
その彼女の境遇の元凶が、この国にあるのだという。
キルファの任務は同僚の捜索で、生死を確認すればすぐに帰還せよと命じられている。だがこの国で真実を得ることは、これからのレヴァーンにとって重要なことではないのか。
なにかが変わる。そう思う。
だから、キルファは戦う。そうして国に益をもたらすために。女王の空いた右手をも補うべく、国の転換期にも対応出来る騎士でありたいと願う。
――珍しくこんな気持ちになるのは、この剣のせいだろうか。
キルファは自分を騎士らしい騎士ではないと思っている。戦いに勝ち、女王の敵を排除出来れば十分だと。だが柄にもなくこう思うのは、あの魔犬の“水”を付与した大剣のせいとしか思えなかった。
――憧憬。この魔犬は主人に憧れていた。だからこそ心に主人の忠誠心を映し、自らも体現してみせたのだ。
セオンの狂犬は自分を拾ってくれた女剣士に心酔していた。だからその“水”は女剣士の姿を反映している。鍛冶屋の爺は、そう言っていた。
『お前さんと合わないようで合うの。よし、これでいこう』
そうして鍛冶屋が鍛えてくれた大剣は、前と比べ異様な切れ味を有していた。
『どうじゃ、中々良い出来栄えじゃろう。だがの、気を付けろ。そいつはお前さんが倒れそうになっても力を与える。何処までも忠誠対象に報いるために。しかしその反動はちときつい。調子に乗ってふるい過ぎないことじゃ』
『承知した。自分の限界は見定められるつもりだ』
『どうかの』
そのまま豪快に笑う爺はとてもこの剣を鍛えた人間と同一人物に見えないが、新たに力を手に入れたことには違いない。感謝を告げ、クレスランスとトータの元へ戻る。
「おお、ついに貴殿も……キルファ殿が力を得たらまさに百人力だろうなぁ」
「そーだな……」
同じく弓に“水”を付与してもらったトータはやや浮かない顔をしている。弓の力を測りあぐねている様子だった。
「難しいか」
「ああ。……でも、さっきよりはましだ。なんとなく受け入れやすくなった」
「守人と話をしたからか?」
「たぶん」
まだ幼さの残る顔は何処までも普通で、とても戦いの中に身を置ける人間には見えない。だが彼なりに戦う理由があるのだろう。さしものキルファも、そんな無粋なことを聞くことはしないが。
彼がするのは、ただの確認だけだ。
「いけるか?」
「勿論」
――頑固さは長所、かもしれない
まだまだ考えなくてはならないことはたくさんある。
すぐには魔法を良いようには考えられない。主の言葉を嘘と思わないし、自分でもおかしさに気付き始めているが、それでも染みついたものは中々ぬぐえない。反射的に魔法使いや魔女に噛みついてしまう。なにせ幼い頃から今までそう教えられてきたのだ。ユスティーファの敬愛する両親や兄妹たちが、そう教えてきたのだ。
けれど全く変わらないことがひとつある。わたしは、永久にアンドラステの従者だということ。
自分の中に渦巻く“水”を感じながら、ユスティーファは変わらない真摯な目で主の横に座っていた。
黒騎士から得た“水”は、世界への呪詛に溢れていた。ユスティーファとは殆ど真逆な気性であり、正直とても困惑した。恐怖を感じるほどだった。
だがその呪詛の根源が主への愛であることを知り、ユスティーファはなんとか折り合いをつけることが出来たのだ。
――主を傷付けるものは、全て排そう。
ユスティーファはそこまで極端なことは考えない。出来得る限り、主を理性的に支え、説得を続けたいと思う。
――だがもし主を変えられないと悟ったなら。わたしは、きっと、
そう思えば、ユスティーファは黒騎士の想いを完全には否定しきれなくなった。だから、その“水”を受け入れられた。これがどんな力になるかまだ分からないが、新しい詠唱を考えておかねば、と前向きな気持ちも出てきている。
――わたしは主の何処が好きなのだろう。振り回されてばかりだった。でも……命を賭けた戦いや旅を経て、分かったことがある。あの人は、本当は寂しがりだ。
「アンドラステ様。これが終わったら、また旅に出ましょう。今度は救世の旅ではありません。貴方様のお好きな所へ、心行くまで滞在しましょう。わたくし、貴方様の故郷へ行ってみたいです」
「別に行きたいところなんか、特別ないけど……でも、里帰りね。良いかもね」
前よりも笑顔が減ってしまった姿。
だがユスティーファが話しかけた時だけ苦笑に似た表情が戻り、それだけがユスティーファの救いであった。
――空虚な人形に中身を
言うべきことを言ってしまったら、肩の荷がおりたようなそうでもないような。
ただやる気や根気といったものが抜け落ちてしまい、正直色々なことがどうでも良かった。
アンドラステの戦いは、それが人生だったからだ。戦い以外を教えられてこなかったからだ。
だがそれは欺瞞なのだと打ち明け、何も意味はないのだと吐露し、自分に与えられた役割の空虚さを見せつけた。そうして自分は、何を期待していたのだろう。従者にどうして欲しかったのだろう。
ただ、それでも傍を離れない従者に恐ろしく安堵している。そんな自分を、たまらなく愚かだと思ったが。
王女の“水”は、得た自分にふさわしく複雑なものだった。怒り、憎しみ、哀しみ……様々なものを含んでいながら、どれも突出したものがない。ただその感情たちの底に申し訳なさと寂しさが沈んでいるだけだ。
――自分もそうかもしれない。期待に応えられないことを申し訳なく感じているかもしれない。どうにもならないものを抱え、寂しく思っているのかもしれない……。
「でもユスティーファ、これが終わったら色々なことが変わるかもしれないよ。僕たちだけが生き残れば話は別だけど、他の人たちは絶対に黙っていない。特に魔法使いや魔女は真実を知らしめるために行動するはずだ。あの鳶色の髪の旅人も何かしそうだし。そうなった時、オンドーラはオンドーラのままでいられると思う?」
矢継ぎ早に言葉を紡げば、朱鷺色の目の可愛い従者は目に見えて戸惑った顔をする。家や国、何より聖法への誇りを大事にする彼女には、それはそれは辛いことだろう。
精緻な彫刻像のような美貌を歪ませる彼女に、アンドラステは低く暗欝に囁く。
「もし皆殺しにして真実を隠したいというなら、僕は反対しない。オンドーラに変革をもたらしたいというのなら、僕は止めないよ。君次第だ」
耳にかかる男の吐息に耐えるように、ユスティーファはぐっと顔を俯ける。そんな可愛い従者の姿を見下ろしながら、アンドラステは嗜虐的な笑みを浮かべ目を細めた。選択を従者に任せるのは、これまで迷惑をかけてきた従者を最大限尊重したいと思うからだ。
――しかし。
予想に反して従者はすぐに顔を上げると、いつも通りの険しい目元、いつも通りの毅然とした表情で、簡潔に答えを告げた。
「どちらも選びません」
きっぱり、と。
「え……?」
「わたくしは……わたくしは……アンドラステ様をお選びします。アンドラステ様のお行きになるところへ行きます。ですから……国がどうなろうと、世界がどうなろうと、関係がありません。わたくしは……」
そこで一拍置いて、
「貴方様の、従者ですから」
――天を仰いで、
何処までこの子は馬鹿なのだろうと。何処までこの子は美しくあれば気が済むのだろうと。
アンドラステは射殺すようにユスティーファを見据えながら、鋭く問い返す。
「そんなことは、頼んでいないよ」
「ええ。ご迷惑ならば、去ります。ですが、御身はわたくしがいないと駄目ですから。貴方様は、ひとりでいれば駄目になってしまう方ですから」
良く、分かってるじゃない。
その言葉は、震える唇に邪魔されて音にならなかった。
「アンドラステ様」
唇を噛んで俯くアンドラステを、ユスティーファは優しく抱き締める。
「わたくしは、貴方様が主人で良かったと思っていますから。だって貴方は、ずっとわたしに優しかった。わたしに酷いことはしなかった。ずっと、誠実だった……」
それは彼女が、とても美しかったからだ。綺麗だったからだ。
誰に聞いてもきっと頷いてもらえる。主人の贔屓目は、たぶんに入ってるだろうが。
「だから旅に出ましょう。色々な場所を見ましょう。そして、好きに生きましょう……貴方様が貴方様でいられるように」
心臓を鷲掴みにする言葉。
その強烈な暖かさに、アンドラステはただ頷くことしか出来なかった。
人のために生きられず、自分のために生きるのも苦しいなら。
誰かひとりのために生きてみるのも、良いかもしれない。
そうして素直に言葉を紡いでみるのも、良いのかもしれない……。
――馬鹿だって悩む
クレスランスの旅は、人助けに終始する。
元は人を助けない戦に反抗した旅の目的。だがクレスランスは割と気に入っているし、自分にしっくりあった旅の方針だと思っている。
まさか自分が、世界の命運を左右する事態に遭うとは思っていなかったが。
――人々の笑顔が見たい。だから頑張る。
幾度馬鹿にされたか分からない目的だ。幾度称賛されたか分からない目的だ。だがクレスランスは割とどうでも良かった。結局は自己満足である。人を笑顔にして、自分も喜ぶ。そうしてあてどのない旅を続けるのが、彼の性に合っていただけだ。
――だからこそ悩む。そんな自分が、こんな重要な場に参加して良いのかと。
勿論ここで引き下がるつもりはない。だが馬鹿なりに悩むのだ。自分の分を弁え、果たしてこの役者たちに自分は力不足ではないか、と考えるのだ。
――でも、まぁ、自分は戦うだけだ。皆が死なぬよう、戦うだけだ……。
悩んでも、馬鹿だからすぐに納得する。『答え』に辿り着く。だからクレスランスは迷わない。だからクレスランスは強い。こうして歩いてきた自分を、肯定することが出来るから。
「よし、張り切って行こうじゃないか、トータ殿」
「はいはい……何処からそんな元気湧いてくるんだか」
もう少しその心情を語れば、或いは彼への評価は少し上向きになるかもしれないが。
クレスランスは気にせず、常に前を向いた発言をする。
――変わらぬ心を
戦士へと辛辣な言葉をかけながら、本当に役者不足なのは自分だ、とトータは思う。何故なら彼は弱いし、目的もないし、考えていることは家に帰りたい一択だ。
それでも彼らに付き合おうと思うのは、あの寂しそうな笑みが頭にこびりついて離れないから。
――オーロラの言葉は当たっている。俺は人を見捨てられない。どんなに面倒くさくても、伸ばされた手を振り払うことは出来ない。いつも後悔するけど、それでも変え難い性格だ。
それがこの国の王族に伝わる性質なのだとしても。
トータにとっては、それは単なる自分の性質だ。
だからそれに従って戦おうと思うのだ。あの少女が気になる。自分の使命とやらが気になる。それだけでも戦う理由に十分じゃないかと思う。同じ挑戦者たちの苛烈さにはかなり見劣りするが。
盲目の王子の“水”が付与された弓の弓幹を撫でる。鍛冶屋によれば、王子は自分の心を殺すのに長けていたようだ。だがそれが儀式によって決壊した。
盲目の目により、周囲の気配に敏感であり、周囲の人間に敏感であった。目で見ずとも、分かることがたくさんあった。それは人に深く同情するトータにとっても同じで、だから弓の能力もそのようになったのだと思う。弓を引き、感覚を研ぎ澄ませば、敵が何処にいるか分かる。味方の気配に鈍感なのは、それが王子の最後の矜持だったからだろうか。
「そーいやここに来てから三日くらいか。……森無事かな……」
「中にいると全く外の様子が分からないからな」
「む、気休めにしかならぬが、元気を出してくれ、トータ殿。それでは戦うに戦えない」
「珍しくまともなこと言ったな。ま、俺も気にしても仕方ないと思うし、今は。とりあえず行きますか」
「ああ……魔法使いたちを待とう。戦闘に関しては彼女たちに頼らざるを得ない部分が多い」
騎士の言葉に、トータは噴水の向こうへ翡翠の目を向ける。
揃って黒い装束の二人は、床に座り込んで何事か話し合っていた。
――ものぐさだって立ち上がる
ヴィヴィーは確かにものぐさだったが、秘めた苛烈さは誰にも負けなかった。
なにせ「座って見てるのが我慢ならない」という理由で亡国まで出向いた女である。いつでも舞台で踊れるだけの度胸と技量を持ちながら、それを生かそうともしないまま己のためだけに力をふるってきた。
私と村が平和であればそれで良い。
自分の生存圏を守るのには積極的な女は、しかし今は様々なことを考えている。
――魔女と、魔法と、聖法と……。
ヴィヴィーの師匠は、魔女だった。人間に片目と左の人差し指を奪われた、流浪の魔女だった。
いつだったか、お師匠はこう言っていた。
『ヴィヴィー、強くなるんだよ。わたしのようになってはいけないから』
『ヴィヴィーはずっとこの森で暮らすんだろうね。いつか森の魔女として伝説に残るかもしれないよ。でもまぁ、ヴィヴィーは全く気にしないんだろうけど』
つまるところ、彼女が弟子をとる理由が、それなんだろう。
その時はあまり深く考えなかった。ただ痛々しい師匠の姿だけが印象的で、ヴィヴィーは同族への関心を強めた。師匠が話してくれる魔法使いたちの話はとても興味深く、いつしか彼女は同族たちに深い情を寄せるようになっていた。
――同族たちと話したいと思っていた。まさか叶うとは思わなかったけど。
どうせ自分はずっと森から出ないのだろう。そう思っていたから驚きだ。自分でもこの自分の苛烈さを甘く見ていたらしい。
「物事には様々な性質がある。その中には思いもよらないものも多い。病にも色々な種類があって、単純に怪我を治すのでなければ、それに対抗した性質を持って来ないと治らない」
魔女に魔法を教わりながら、ヴィヴィーはつらつらと自分の状況を振り返る。
「とは言っても、ヴィヴィーが掬える“水”には限りがある。上の方は自然の要素が多いんでしょう?」
「ええ。良く使うのは『火』で、後は『風』や『水』とか……そういうのばっかり。リースの言うような性質はあまり見たことがないわ」
「う……ごめん。そういう意味では、わたしの層の方が汎用性が低いかもしれないんだよね。わたしの層でも『風』は使ったことがあるけど、『水』はとても少ないし、『火』はもっと少ない」
「ああ、責めてる訳じゃないのよ……でも不思議ね。層によってあるものが違うなんて。水櫃は全てを収めたもののはずなのに」
「世界に普遍的に存在するものは上の方なのかもしれない。わたしの層にあるのは……なんていうか、人間的だ」
確かにそうだ、と思う。性質に名を付けたのは、そもそもその名を作りだしたのは人間だ。であるならば、本来的な水櫃と人が思う水櫃には差があるのだろうか。
「考えても埒があかないわ。それより、『水』が少ないなんて、ちょっと不便ね。私が森に住んでた時は、『水』持ってきて生活してたのに」
お風呂や食事の支度片付け洗濯など、ヴィヴィーの生活は魔法によって支えられていた。一番近くの川が全く近くではなく、転移の使えないヴィヴィーでは水汲みは骨が折れたのだ。
そう指摘すると、リースは愛らしい目をしゅんと伏せ、小さく溜息をついた。
「うん。ずっと水櫃に潜っても『水』が得られなくて、何日もお風呂に入れないことがあった。喉も渇いた。魔女と言っても万能じゃない」
「あら……でもこれからは大丈夫よ。私がいるから」
何気なく言った瞬間、リースが驚愕に目を見開く。
「……へっ」
「ああ……ごめん。ええと、貴女が良いなら、私の森に住んでも良いわ。もし旅を続けるというなら、同行してみたい。外の世界を見る丁度良い機会だから。……えーと、嫌だったら、この台詞忘れてね……」
瞠目したまま硬直する少女に、ヴィヴィーは微かに傷付きつつ肩を竦める。だがリースは猛然と首を振るとヴィヴィーの両手を握った。
「も、もも、もしっ、よければ! わたしの旅に……その……えっと……」
あまりに必死過ぎて顔が真っ赤になっている少女。
ヴィヴィーはくすりと微笑み、その手を優しく握り返しながら、ありがとう、と囁くのだった。
――任務
挑戦者たちがそれぞれの準備をしている中、男だけは冷ややかに亡国を見つめていた。
男が用のあるのは『あいつ』だけだ。他は何も興味がない。ただ任務を美しく遂行すること。それだけに関心を持つ。
見張り塔近くの広間を抜け、城の庭へ出る。寂れていながらも王国の壮麗さを思い起こさせる景色に、しかし何も感慨を持たない。目はただ目標を探した。
あの怪物を殺せ。単純かつ明快な任務は、だが男に喜びをもたらした。毛色の珍しい相手と戦えることは、男にとって何者にも代え難い喜びであった。
眇めた目が目標を捕らえる。人を喰ったような笑みを浮かべる立ち姿。なんの前触れもなしに目標へとナイフを投擲しながら、男は左の瓦礫の方へ走った。ナイフは避けられたようだ。そうでなくては面白くない。
目標は何やら丸いものをこちらに投げてくる。事前情報で相手が毒使いであることは知っているので、支給品の聖具の布で鼻と口を覆い、男は煙の中を疾走する。気配を感じた瞬間に右手の剣を突き出し、相手のナイフを受ける。そのまま左手の投擲ナイフで目標の右手を切り裂き、相手が痛みに怯んだ隙に右手の剣で更に腹を切り裂く。思ったより浅い。一度後ろへ退き、三本まとめてナイフを投げる。弾き損ねたナイフが目標の肩に命中。体勢を立て直す余裕を与えず、更に剣と投擲ナイフで交互に男を切り裂いていく。真っ赤な血が面白いほど飛び、化物でも人間のような傷付き方をするのだ、と意識の何処かで感心した。
「質問。何故私を襲う?」
既にかなりの手傷を負わされているだろうに、目標の声は何処までも穏やかだった。これが化物たる所以か、と思いながら、聖職者らにとってお前の存在は都合が悪いらしい、とだけ返す。任務内容をばらしてはならないと言われていないし、目標の反応が気になったのだ。だが目標はふーんと言ったきり何も言わず、男は面白くないものを感じる。折角の最期の戦いなのだ。もう少し元気にすべきだと思う。
目標はそのまま、特に大した活躍を見せぬまま地に伏した。
「…………」
想像していたよりずっとあっけな戦いに、男は不満げに顔を顰める。だがこのままここにいて他の連中に見つかると面倒なので、死体をひと蹴りした後素早く移動を開始する。
彼らがこの亡国を打倒した後に、この国へ派遣された聖者らを殺せば男の任務はおしまい。経過を見守れと言われたが、まさか本当に聖者が方向転換するとは思ってもみなかった。所詮は若造ということだろう。国に盾突いた者は死ぬしかない。それくらい男にも分かる。
いましがた殺した怪物は国に盾突いた訳ではないが、国にとって非常に厄介な者であるらしい。
ともあれ、任務の半分は終えた。後は待つだけだ。
男は暗い海の底のような笑みを浮かべ、愛用の得物の剣腹をうっとりと撫でるのだった。




