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水の亡国  作者:
第六項: 魔女の図書館
26/46

九: 聖者 アンドラステ in ヤクタ

僕の名前はウィル。なんの変哲もない、何処にでもある名前だ。





――ヤクタ 二階


「――アンドラステ様!」

 背後から聞こえてきた声に、男は苦笑しつつ振り返った。

 視線の先には従者の姿。美しい顔を紅潮させ、小走りにアンドラステに駆け寄ってくる。

「いい加減になさって下さい! 御身が傷付かれることなどあってはならぬのですよ! それにここには魔女や魔法使いもいるはず。いくらアンドラステ様といえど、単独行動は慎んで頂きたく…!」

「あれ、僕は信用出来ない?」

 間断なく放たれる矢のような従者の言葉は、放っておけば一時間も二時間も続きそうだ。だが心持ち哀しそうな顔をして問えば、従者は泡を食ったような勢いで首を振った。

「そういうつもりでは…! そうではなく、警戒なさって欲しいと申し上げているのです! わたくしも微力なれど、御身をお助けしたいのです…!」

 可愛いなぁ、という気持ちと、馬鹿だなぁ、という気持ちが同時に湧き起こる。手を伸ばして金糸のような髪を梳いてやれば、引き締められた目元が幼い頃のような垂れ目に戻った。しかしすぐに眦を吊り上げると、猛然と抗議を始めるのだった。

「誤魔化そうとしてもそうはいきませんよ。今度は御身を見失わぬよう、しっかり気を配っておきます。貴方様には尊き使命があり、わたくしはそのための従者なのですから」

 いつものように締め括ると、ユスティーファは一人頷いて探索に戻った。推測からすれば鎖の守護者は屋上なのだが、二人はオンドーラ王より『出来るだけ資料を他の者の手に渡さず持ち帰れ』との厳命を受けているのだ。その命令を忠実に守るため、ユスティーファはあちこち見て回ろうとしている。だからこそ簡単に()くことが出来るのだが。

――さっきの魔女、何処行ったかな……。

 上に行ったのは間違いない。アンドラステが用のあるのはあの魔女だ。ユスティーファは問答無用で敵視しているから、とりあえずまた()かなければならないだろう。

「三階行こっか。二階には何もないみたいだし」

「分かりました。それでは」

 ユスティーファは何も気付いていない風で頷き、短い青の杖を握り直す。

 三階は本棚が所狭しと並んだ探索し甲斐のある階で、アンドラステはひっそり含みのある笑みを浮かべるのだった。





――月の都 イェンティア


――茶番だ。

 すくなくともアンドラステにはそう見える。

 誰も彼もが生きるのに必死な中、栄誉を守る為だけに駆けずり回ることの、なんと愚かしいことだろう。

 豪華な食事や溢れるほどの賛辞にどっぷり浸かり、いやらしく笑いながらも、ひどく恐れるのだ。それが終わる時を。そうして、欺瞞に欺瞞を塗り重ねる。

 その欺瞞のひとつが、アンドラステだった。

「もとの名を捨てよ。お前はこれより『アンドラステ』を継ぐのだ」

 深淵の影響を受けた者として存在感を持ちながらも、しがない聖具職人の息子として暮らせていた少年は、突然王都イェンティアへと召喚された。類稀な力を持つ聖者として。

「御身は月の祝福を受ける者です。この月の国オンドーラより影響を受けた、類稀な御方」

 もちろん驚いた。何度も逃げ出す機会を窺った。だが幼い少年に逃亡の力はなく、また引き換えに貧しい親への援助を提案されては逃げ出す理由もなかった。


 アンドラステが引き取られたのは、オンドーラでも有数の名家、ライティンナ家であった。代々多くの聖者を輩出しており、古くからオンドーラ王族に仕えてきた由緒ある家。

「これから貴方が聖なる神の奇跡を学ばれる場所です。最大限の援助をしましょう」

 その家の人間は、皆が一様に穏やかな笑みを浮かべており、三分に一回は神に祈らねば気がすまないような人間たちであった。

 王都イェンティアには聖職者のための学校、教会があり、その住人の多くも聖職に携わっているが、絹織物などの繊維業や染め物の職人なども有名である。つまり、中々活気に溢れた街であった。

 聖職者たちは基本的に王に仕えるという姿勢をとっている。聖者はアンドラステのように周りに見出されて王都へ導かれるが、聖職者は本人の自己申告や聖具に触れるのをきっかけに自分の力を自覚するらしい。そのため、自分が時折視る深淵の光景の意味を知らずに死んでいく者も少なからずいるという。僕もそうでありたかった、とアンドラステは今でも時々思う。

 力ある聖職者は必ず王宮に出仕し、そうでない聖職者らは街の教会に所属して大陸中に派遣される。アンドラステは聖者として認められたので、ゆくゆくは王宮へ行くことになるだろう、とライティンナの主はそう言った。

 そうして数年を聖法の習得に費やすことになる。

 『聖具』と呼ばれるものを渡される前は、聖法のせの字も知らなかった。時折まどろむように静かなる水櫃の幻影を視ることはあったが、それが何を意味するのかは分からなかった。初めて与えられた聖具は複雑な模様の彫られた首飾り。それを手にし、その中に込められた性質に触れ、ようやく水櫃の中身がなんなのかを理解できた。

 聖具は水櫃に通ずるものだという。聖具を介し“水”を引き寄せ、奇跡の糧とする。ただ聖法自体は解析された性質の『解』に従って発動するため、顕現の仕方に大差はないらしい。勿論能力差というものはあって、深淵との相性が良ければ引き寄せることの出来る“水”の量が多いし、聖者なら受けた『祝福』によりある性質の聖法が飛び抜けて得意になる。



 王都イェンティアにある学校に通いながら、養子となった貴族の家に住まい、聖法や地理、歴史、武芸を習得していく。

 ライティンナ家には他に四人の息子と二人の娘らがおり、いずれも高い能力を持つ聖職者であった。特に長男はイェンティア以外の国でも有名な聖職者であり、もう二十になる彼は、アンドラステが来なければ間違いなく家督を継ぐ者になっていただろう。だというのに表面上は穏やかにアンドラステへ接する様を見て、アンドラステは嫌悪を抱いた。

 聖職者たちは、慈愛の皮を被った、空虚と偽りの塊だったのだ。

 一度だけ「聖なる任務をどう思うのか?」と兄をしつこく追及してみたことがあったが、最後の方は皮の下に隠した高慢さと醜さを見てとることが出来た。

『気狂いのようなことを言うな。わたしたちの任務は神より賜ったもの……。そう、わたしたちは人の上に立ち、導いてやらねばならんのだよ。あの薄汚く、仕方のない人間たちをな!』

 そう、『聖』職者は、薄っぺらかった。中には心底任務に心酔していた者もいたが、その情熱も狂信でありアンドラステに恐怖を感じさせるものであった。

『聖法は人を救うもの。わたしたちが、世を救わねばならぬのです』

決して声を荒げず、穏やかな微笑みを浮かべ、毎日を神に捧げ生きる。それを恐ろしいと言わずしてなんと言おう。

 聖法は特段好きだと思えなかったが、王都イェンティアの景色はアンドラステにある種の安寧をもたらした。美しく整然とした街並み、だが造りものめいてはおらず、人々が楽しげに道を行き来している。家々は色彩豊かに飾られ、月の都の異名の由来として、街の中央にある噴水に真円を描く月が映り込む。それは少年が元いた村と似通った空気を持っており、郷愁の心を満たすことが出来たのだ。



 ある日少年は、聖職者連中への意趣返しに王の書庫へ忍び込むことを画策した。

 もちろん、自分が処罰の対象になる可能性は低い、と見込んでのことである。アンドラステになった少年は皮肉なことに、当代のどの聖者よりも力が強く、オンドーラとしても手をかけて育てたい至高の価値を持つ少年だったのだ。

 いずれは王に仕える者として、王宮への出入りは許可されている。


 そうして少年は真実を知った。

 聖法が、『聖』なるものと呼ばれることになった、その起因。


――自分が聖者と呼び慕われることの、なんと空虚なことか。

 ただの平民が貴族となり(かしず)き敬われる。それだけでも阿呆らしいことなのに、その中身が更に嘘に満ち溢れたものだったとは。

「だが実際に、聖職者は人を救い世を救っている」

 その代償に狩られる『魔』は本来何の罪もなかった者たちだ。

「贖罪だよ。あの過ちを二度と繰り返さないために、私たちは水櫃を管理し、野放しになる『魔』を狩らねばならないのだ」

 褐色の髪に蒼の目を持つ、アクリアル王族の末裔だというオンドーラ王。白布を何枚も重ねた聖職衣を纏い、長い髪を後ろで結い上げ、完璧な笑顔で玉座に座している。

 元凶が、何をほざくのだろう。

「……君には長期の謹慎を言い渡す。外部との接触を禁ずる。……考えが変わっていることを、祈っているよ」

 馬鹿が。主君たる王を睥睨し、アンドラステはただ唇を引き結んだ。

 両親から引き離されても耐えられたのは、見知らぬ人の中で『聖者』として振舞うのにも耐えられたのは、ひとえにそれが『正しい』と信じていたからだ。

 そうしなければならないのだと、信じ込まされたからだ。

 だが本当は自身の存在が欺瞞のひとつなのだと知らされ。

 憤り、戸惑い、奮起しようとし、

――自分にそれを正す力があるとは思えなかった。

 アンドラステは謹慎を大人しく受け入れ、自室の寝台で小さく縮こまった。十五になったといっても、聖法だけが取り柄の、ただの無力な少年に過ぎなかったのだ。

――その少年に、幼い少女が引き合わされる。

 眩しい、光であった。



『お前が生涯仕えることになる貴い御方だ、ユスティーファ』

 その光は、真正のものであった。アンドラステのように上辺だけ取り繕ったものではなく、心の内から輝いているもの。だがその光は眩し過ぎた。アンドラステは密かに(おのの)いた。

 かの聖女と同じ朱鷺(とき)色の目を真摯に向け、両手を胸の前で交差し、少女は感動に打ち震えるように片膝を折る。

『御身の手足となる娘です。どうぞ、なんなりとご命令を』

 それは枷であった。アンドラステを縛りつけるための、尊く、苛烈な鎖。



 まだ十歳だという娘は忠実だが恐ろしく頑固で、おおよそ少年が知っている聖職者とは少し違っていた。

「おはようございますアンドラステ様、本をたくさん持って参りました! 貴方様の御好みを存じ上げないのでわたくしの選書となってしまいましたが、御希望がありましたら明日までに用意致します!」

 紹介された翌日突然部屋を訪問してきた少女は、山のような本を抱えて満面の笑みを浮かべていた。アンドラステの謹慎を(おもんぱか)ってのことらしい。彼の謹慎についてどう聞いているのかと問えば、王宮の入ってはならない場所に入り、大目玉を喰らったのでしょうと返される。

「全く無茶をなさいます。わたくしには尊き方の御考えは分かりかねますが、多少自由な主人の方がやり甲斐があると父上もおっしゃっていました」

 そう言う少女の顔は楽しげで、与えられた役目に心から誇りを感じているのだろう。

 ユスティーファはアンドラステが養子となった家の主の弟の娘らしい。これまで養子の彼は好きにさせてもらっており、引け目を感じたのもあって家のことに関与してこなかったのだが、いよいよ本格的に『聖者』として生きよという言外の命令が感じられた。

「……従者なんていらないんだけど」

 辟易して溜息をつけば、

「やはり自由な御方だ。普通の聖者は十に満たない時から従者を持つと聞きます。問題ありません、御身が立派な聖者となりますよう、精一杯お仕え致します所存です」

「いやだから、嫌なんだけど…」

「ですが御身は聖者です。これから旅をなさる時、おひとりでは不便なことが多々あると思います。わたくしをお使い下さい、我が主よ」

 腰まで伸ばした金糸の髪は陽に燦々(さんさん)と輝き、不思議な色合いの目は透き通るようで、はにかむような表情は純真無垢そのもの。今はまだひたむきなだけだが、これから健気さにも盲信にも変わる可能性のある危うさだった。

 とてもではないが、自分と合う人間には思えない。

 アンドラステは少女を冷淡に扱った。諦めの悪い少女に見えたが、これから少年が自立する日まで、彼女を従者として扱いたいとは思わなかったのである。


 予想の通りユスティーファは根気強くアンドラステに喰らいついた。挨拶を無視されようが、自分の聖者像を否定されようが、性格をけなされようが、どこまでもついてきた。

「君さ、ほんとうざいよね。直せないの、その気性」

「生憎ですが、既に染みついております。そこはアンドラステ様に我慢して頂くしか」

 そう言うユスティーファの表情は淡々としていながらも悪びれた様子がなく、こいつ分かってやってるなと別の意味で感心することになったのである。


 謹慎を言い渡されて二週間。段々部屋に居座る少女の存在に慣れてきた時、少女が熱を出す出来事があった。その頃少女はライティンナ家に移住してきており、三階にあるアンドラステの部屋の隣室に居を構えていた。屋敷の三階だけ自由に出入りを許されていた少年は、当然熱を出した従者を見舞うことが出来る。

 アンドラステは迷った。彼は確かに彼女の主人だが、見舞う義理など何処にもない。

だが――なんとなく、そう本当になんとなく、誰もいない自分の部屋が寂しく感じられて、そして突然見舞ってみたら少女がどんな顔をするのか気になって――数冊の本と、簡単なスープを持ってユスティーファの部屋を訪れることにしたのである。



「あ……アンドラステ様?!」

 素知らぬ顔をして現れた主人を見て、ユスティーファは泡を喰ったように驚いた。そのまま体を起こしかけるのを押し留め、アンドラステは何食わぬ顔で寝台脇の椅子に座る。スープは寝台に備え付けの棚に置いた。

「スープ。飲めるようになったら飲めば」

「あ…あ…ありがとうございます……」

 ユスティーファは病人らしくおでこに濡れタオルを乗せており、垂れ目がちな目がますます頼りなくなっているのも相まって、ただの何も出来ない少女に見えた。透き通るような肌が薔薇色に染まっている。アンドラステは窓際の飾り棚に本を置くと、そのまま読書の体勢に入った。ユスティーファはしばらく目を瞬かせていたが、主が何も言わないのを見るとまた大人しく布団に顔を潜らせた。

 何時間経ったか。

 アンドラステはふと、窓の外に目を遣った。太陽は既に高く昇っており、中央広場の市場は人であふれ値引きだの何だので賑わっている。アンドラステは故郷の市場を思いだした。あの村のはもっとみすぼらしかったが、楽しげな人々の顔や白熱した議論は変わらなかったのだ。

「……懐かしそうな顔をなさるんですね。市場に何か思い出でも?」

 突然問われ、目を丸くして振り向く。いつのまにか目を覚ましていたユスティーファが、寝起きで涙目になった目でアンドラステを見上げていた。

「……懐かしそう?」

「はい、アンドラステ様は外を御覧になる時、必ずそのような顔をなさいます。何を考えていらっしゃるのかは分かりませんが、懐かしそうだ、との印象を受けました。……間違っていましたか?」

 ふと少女は不安げに肩を縮こめる。アンドラステはいや、と首を振ると、少女の幼い顔をじっと見つめた。

 王都に来てから、アンドラステの感情など、誰も気遣わなかった。

 月の祝福を受けた聖者。救世を志すのが当たり前で、それ以外はあり得ない。誰もがそう思っていたし、それに沿って接してきた。

――この子は、『アンドラステ』を理解したがってる。

 何ともいえない熱さが、じんわりと胸に沁み込み、ゆっくりと全身へ往き渡っていった。

「ええと、スープをありがとうございます。まさか貴方様がお見舞いに来て下さるとは思いもしませんでした。光栄です。……む、美味しい」

 いそいそと起き上がり、おぼつかない手つきでスープを口に運ぶ少女。その姿は相変わらず高潔そのものだったが、前のような恐怖はもう感じなかった。

「……ユスティーファ。君は、僕の従者なんだよね?」

「……げほっ」

 突然スープを詰まらせた少女に驚くが、なんのことはない。アンドラステが彼女の名を呼んだのはこれが初めてだったのだ。

「なっ、名前……あ、いえ、そうです、従者です。御身にお仕えする従者です」

 その答えを聞き、アンドラステは満足げに微笑む。唐突に態度を和らげた少年にユスティーファは訝しげだったが、内心の喜びが綻んだ口元に現れていた。

「それじゃ、僕に何処までも従う訳だ……」

「勿論でございます、主よ! それが従者のつとめです!」

 いきなり饒舌になった主人。それに浮かれて、ユスティーファはアンドラステの不穏な口ぶりに気付かない……。



 その数日後、謹慎中の聖者が従者を伴って脱走した。うろたえたライティンナ家により密かに捜索がされるが、当の聖者は市場にて買い食いをしていた。その隣にいた従者は涙目ながらも従順に付き従っていたらしい。

 翌日、聖者は王に呼び出され、心の内を問いただされるが、聖者は何も答えなかったという。





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