八: 魔女 リース 03
彼女にとって人里というものは、巨大な一個の生命体のようであった。
其処此処にある似たような形の建物、階級と組織を構築し増え続ける人間。泣いたり笑ったり、せわしなく働き暮らす人々。そうした営みが街や村に活気をはしらせ、都市や国として成立させる。その流れは淀みなく、だがひとたび異分子が紛れ込めば、みな悪鬼のような顔で追い出しにかかるのだ。毒を飲み吐きだそうとする生き物のように。
勿論リースは、国の一部品となることは出来なかった。
生きる術は”土くれの魔女”が教えてくれた。食べられる薬草、獣の捌き方、最低限の人里の知識。足りない品があれば、ローブやマントで必死に存在を消しながら物を売ったり買ったりした。気を付ければ、リースの気配に違和感を覚えた者も、大して騒ぎ立てはしない。光の国オンドーラから遠い街であればある程、その傾向は顕著だった。オンドーラに近い街だと魔女に懸賞金がかけられているものだが、未だ交通整備が遅れている地域などでは、彼女も多少安心して暮らすことが出来ていたのだった。
時折自分でも訳の分からぬ感情に支配され、隠れることなく小さな村を訪れることがあったが、その全てにおいて彼女は歓迎されなかった。
恐怖と絶望に染まった顔、怒りと敵意が漲った顔、顔、顔。
「魔女が来た。逃げろ!」
「家を焼く気だろう」
「幼い少女のふりをして。浅ましい」
「お願いだ、見逃してくれ」
罵りには睥睨を、的外れな哀願には戸惑いを返し、固い石ころが投げられた時は、ただ耐え忍んだ。
初めの頃は、無邪気に人を信じていた。
育ての親しか人を知らなかったリースは、人への興味のため街へ下りた。降り注ぐ視線をよそ者への好奇と思ったリースは、なんの恐怖もなく食べ物が得られる場所を探したのだ。
「なにを探してるのかい?」
話しかけてくれたのは、親切そうな顔をした男だった。
「お腹がすいたの」
「それじゃあ、私の宿屋に案内しよう」
親切をそのままに受け取るリースは、喜んで男についていく。案内された先は路地裏で、若いリースはそのまま男に襲われかけた。
「魔女は高く売れる、こいつぁ幸運だ。聖職者連中に引き渡す前に、味見してやるぜ」
暗がりの中光る男の目は、まさに獣のものだった。赤いワンピースのボタンを鷲掴む男の手が、この上なく汚らわしく感じられた。リースは感じた恐怖のまま、男を八つ裂きにした。
「……無残な。災いを呼ぶ魔女めが」
赤いワンピースを更に赤く染め、呆然と路地裏でへたり込んでいたリースにかけられる吐き捨てるような声。反射的に顔を上げれば、日の光を背にして背の高い男が立っていた。白の袖がゆったりした服を身につけている。傍には似た服の少年が控えており、同様にリースへ憎しみのこもった目を向けていた。
「だ、れ」
「私はミューディシア、シャールカの緑の都の聖者。災いをもたらす貴様を狩りに来た」
え、と聞き返す間もなく、男は十字の飾りが幾つもついた金の鎖を掲げる。鎖がしゃらりと音を立て、男が何事か呟くのに合わせ光を放ち始めた。
――わたしたち魔女はね、リース。人に嫌われているんだ。
――どうして?
――そういうものなんだよ。だからねリース、わたしが死んだ後は、外に出ず、このまま家で――…。
男の虫けらを見るような目。
それで全てを悟ったリースは、”闇”を喚んだ。
魔女への迫害を知ったリースは、同じ魔女を探しながら旅をした。警戒が必要なことを知った後は、食糧が一番の問題だった。
知識はあっても、物資そのものがなければ意味がない。木の一本すら生えていない道を何日も歩くことなんてざらにある。その度にリースは暖かい食事を夢想しながら、みすぼらしい自分の姿への哀しみと羞恥に震えた。泥の入り込んだ爪。何日も洗ってない髪。血の気のない顔は、幽鬼のようですらある。田舎の村娘と並べても、リースの方が美しいと言われることなどないだろう。だから運良く川を見つけた時などは、一生懸命自分の体を洗うのが常だった。
平和な街や村では、みな何の不安もなさそうに笑っている。その姿は眩く、リースの嫉妬と羨望を煽った。
戦の通り道となった街では、みな恐怖と絶望に喘いでいた。その姿を時に良い気味だと思うこともあったが、すぐに良心が咎め、ひっそりと避難の手助けをすることもあった。
親をなくした子の手を引いて走れば、子は不思議な表情でリースを見上げた。その目に映るのはなんだったのだろう。ただの少女だろうか。だがその無垢な目も、自分の手を引くのが魔女と知れば豹変するだろう。そう想像するだけで、リースは叫びだしたくなった。
リースは人を汚いと思っている。だが同時に、自分のこともおぞましく汚いと知っている。
人に嫉みを抱かずにはいられない。人に怒りを抱かずにはいられない。不幸な人間を見れば何故か安心を感じる。だが良心が疼き、手助けしたくもなる。幸せな人間を見れば、自分と比べずにはいられない。
おぞましく、不可思議な、にんげんそのもの。
そして何より、彼女の手は血まみれだった。生まれた時から、彼女の全身は血で彩られていた。それこそが魔女の証。ああ疑いようもなく、リースは『魔女』なのだ。
つまるところ、彼女が最も恐れていたのは、彼らの言う通り、『リースは迫害されるに足る魔女なのかもしれない』ということ…。
それでも人に希望を抱き続ける彼女は、真正の愚か者なのかもしれない。
――人は恐ろしいものだ。すぐに手のひらを返し、すぐに狂い、すぐに欲望に負け、すぐに…。
――民に平和を誓っておきながら戦を起こす王を見たか。永遠の愛を誓っておきながら子を殺す親を見たか。自らを産んだ親を殺す子を見たか。嫉妬で友を蹴落とす偽の友人を見たか。愛を憎しみに変え恋人を殺す者を見たか。金に狂い幾人もの人生を壊す獣を見たか。憎しみで復讐を繰り返す者を見たか。知りもせず、魔女だからという理由だけで、娘を虐げる人間を見たか。人を恨み続け、そのくせ人に憧憬を抱き、人に交わることの出来ない娘を見たか…………。
――それでも。
リースはぼろぼろのハンカチを握り締める。
『だいじょうぶかい?』
よみがえるのは、たった一人の青年の声だ。他の人にもするような、ただの心配の声。だが誰かと同じように扱われたことは、リースにとって初めてだった。”普通”が、初めてだった。
ふらりと立ち寄った村で、ある青年が旅の少女に親しげに声を掛ける。様子からして、誰にでもそうするような、誠実な青年なのだろう。
初めは邪険にした少女も、次第に感化され小さな笑みを溢すようになる。そうして滞在の最後の日、つまずいてこけた少女に、青年はハンカチを差し出した。
『気にするな、そのハンカチはとっておけ』
差し出されるハンカチ。それをぼうと見上げるわたし。
なんの変哲もない、ただのハンカチだ。そして普通の人間からもらった、唯一の品物でもあった。
その時のリースの心中はどのようだったか。彼女はあまり覚えていない。
だが、怒りと悲しみと諦めに沈んでいたリースの心は、その時確かに、それ以外の感情を覚えたのではないかと思う。
そうして思い出すのだ。わたしにも、そのような心があったのだと。
――ヤクタ 地下
『戦わずして死ぬことはしない』
自らを鼓舞するように唱えた後、リースはゆっくりと立ち上がる。闇よりも黒い小さな手が、彼女の影から何本も立ち昇った。
まだ自分の魔法に変化は見られない。だが少しづつ、視界が鮮明になる気がした。
「物騒だなぁ。何もしないって。正面からだと君に敵わないし」
「急に謙遜か」
「僕は魔狩りの聖者じゃない。…それにね、僕も思うところがあるんだ。今の聖法支配に」
リースは眉を顰め、牽制するように影を操る。翼のように『手』を広げ、いつでも飛びかかれる準備をした。
「……貴方は聖なる力に仕える聖者だよ」
「ところがどっこい、僕は聖なる力ってのに興味がないんだよねぇ……」
聖者は気負った様子なく肩を竦める。その姿は薄っすら光が覆っているようで、なるほど聖者とは確かに神々しいのかもしれない。
「……それならば、話したいことって何?」
「特に決めてないよ。雑談みたいな感じ」
「なにそれ…。そういえば、あなたの従者は」
最も気になっていたことを聞けば、聖者は苦笑して首を傾げた。
「撒いた。ユスティーファは思考が読みやすいから、はぐれようと思えばはぐれられるんだよね」
そういえば、この聖者は水の城でも従者に小言を言われていた。聖者らしくない聖者だと思っていたが、根本的にこの男は面倒な奴なのだろう。
「……わたしの目的は、悲哀の魔女に会うこと」
「その目的の邪魔はしないよ。鎖の破壊はさせてもらうけど」
「世界の救済はするのか」
「そうしないとユスティーファがうるさいからね」
従者を蔑ろにする発言をしたかと思えば、今度は従者に配慮した発言をする。本当に読めない男である。
リースは深く溜息をついた後、『黒い手』を影に戻した。ただしいつでも反撃できるよう、『手』たちを影で待機させておく。
「……塔の屋上を目指す。そこに鎖があり、魔女がいるはずだから」
「分かった。道中仲良くしよう」
こうしてリースは、世界で最も親しくしてはならない敵と散策することになったのだった。
――ヤクタ 五階
塔には全部で八つの階がある。
その全てを丁寧に見て回るつもりはないが、ツェゼェラとの会話で亡国の歴史が気になるのも事実だ。魔女メリルルゥの正体。廃王クレトスの生前の姿。――ヤクタには王族が記した書物があるというが、それを読まないことには真実へ辿り着くのが難しいのではないかと思う。
塔の中心を貫く螺旋階段を上りつつ、リースは前を行く聖者へと告げた。
「…読みたい本があるから探す。ついてくるなら勝手にして」
「なんの本? 手伝うけど」
「王族の記した本……かな……分からない」
「分からない本を探してるの?」
からかうような聖者の声が降ってくる。見上げれば、朝の海のような目は細められ、形の良い唇は楽しそうに横に引かれていた。全く憎たらしい程整った顔だ。リースは眦を吊り上げて返した。
「うるさい。大きな口を叩くな」
「おお怖い。まぁ、僕は四階まで見たけどさ、特に目ぼしいものはなかったよ。五階行ってみようか」
古キッカ語が得意だという聖者が言うのならそうなのだろう。嘘をついていない限り。だが確かめる術もなく、リースは素直に頷くのだった。
塔の五階は、講義のための場のようであった。前方の壁に巨大な黒板が備え付けられており、数十の長机が部屋一杯に並べられている。
「大講義室? 一階のより広いね……」
「うわぁ。イェンティアの講義室思い出すな…。あそこの方が広かったけど」
懐かしげに腕を組む聖者。イェンティア、とリースは反芻する。
「…うん、イェンティア。オンドーラの月の都」
聖者は飄々と微笑むと、階段近くの長机に行儀悪く座った。だがその様にすら気品が感じられる辺り、非常にむかつく男である。
そして――次に聖者が言ったのは、半分予想出来て、半分不意打ちのようなことだった。
「君の、生まれ故郷、だよね」
気付かれないように息を吐き、聖者を睨みつける。やはり知っていたか、という思いと共に。
「…知っていたの」
「そりゃあ、有名だし。聖なる地で生まれた魔女。その醜聞を埋めるように、僕はイェンティアへ呼ばれた。君の父親の一族とユスティーファの一族は親戚らしいね。あ、ちなみに僕はオンドーラの辺境の村で生まれたよ。聖なる力とか魔女とか、そういうのとは無関係の村だった」
「……貴族ではないの?」
リースは目を瞠った。聖者というのは、血からして尊いものだと、そう言われているから。
「うん。ユスティーファの伯父の養子になったから、今は貴族なんだけど。アンドラステは世襲名――まぁ血は繋がってないけど――前の代の聖者の名前だった」
「……本名じゃないのか。どうりで聖者には似た名前が多いと…」
「え、突っ込む所そこ?」
聖者の嘆き声を無視し、リースは目を伏せる。尊い貴族に生まれた呪われた娘。辺境の平民に生まれた聖なる男。何故だか、無性に腹が立ってくる取り合わせだ。
――逆ならば、どうなっていたか。
それでもリースは処刑されていただろうか。それとも公にせず、庇ってくれた者がいただろうか。
詮のない妄想だ。しかし、幸せを夢想することはやめられない。どれだけ空虚な想いをしても。
「……幸運だな、聖者として生まれることが出来たのは。イェンティアでの暮らしはさぞ幸福だったことだろう。名誉と誇りに満ちた時間だっただろう。石を投げられることも、罵りを受けることも、飢えることも、騙されることもなかっただろう!」
だから詰るような言葉を止められない。どれだけ意地の悪い顔をやめたいと思っても、幸せな者を見たり、幸せそうな声を聞いたりするだけで、胸が張り裂けるような思いに駆られるのだ。それを愚かしいとも分かっていたが、抑えられるだけの幸せな記憶をリースは持たなかった。
しかし、聖者はうーんと腕を頭の後ろに回すと、長い足を組んで思案し始める。
「確かに飢えることはなかったけど…。十歳近くまで普通の人間として育ったし…。雰囲気が違うからか色々評判にはなったけど、都まで届くのに時間がかかったみたいだね、十歳まで平民として暮らせたのは。だから、僕は自分が聖者だっていう自覚が薄い」
「それでも、救世の旅はしたんだろう」
「まぁね、十代の頃は何回か外と家を行き来して。二十を過ぎてからは、もう三年くらい旅を続けてるかな」
オンドーラはね、と聖者は話を続けた。
「アクリアルの生き残りの貴族が建てた国なんだ。彼らは『贖罪の証』と称してオンドーラを聖なる国になるよう発展させた。……表向きね」
最後に付け加え、聖者はゆったりと微笑む。
「だから聖者や聖職者を育て、旅に出させる。蔓延る戦に傷付く人々を癒すため。災いをもたらす魔を狩るため。でも、その中枢にいた僕は知っている。オンドーラはそんなに清い国じゃない。手足となる聖職者や位の高くない官吏たちは愚直に使命を信じているけど、頂点にいる王はそれらが欺瞞だって良く知ってる。千年前の真実が知れたら、聖法支配はあり得なくなるからね」
――千年前。
アクリアルは、『魔女』により狂気に陥った王が滅ぼした。国交のあった周辺国を巻き込んで消失したため詳細は分からないが、『聖なる力』によりその企みは阻止された。…それが、オンドーラの発表する正式見解である。
――なんという嘘。
「……知ってるんだね」
低く、低くそう呟く。終わりの魔女から聞いたことを思い出しながら、憎しみを込めて。
「そうだね。というか普通聖者の地位にいる者にも知らされないんだけどさ、ほら、僕は好奇心旺盛だから」
「知っているのに、放逐されているの? あなたが喋ったらまずいのでは?」
「その辺は向こうさんも良く了承済みのようで、ご丁寧に枷を与えてくれたわけだ」
「枷?」
その問いには答えず、聖者はひょいと立ち上がり伸びをする。リースは眉を顰めたが、これ以上の詮索は無駄そうなので小さく首を振った。気付いた聖者が微笑みを深くする。
「それじゃあ、六階に行こう」




