水の城、語らい
――脱出
隠された霊廟――灰色の隔離院の出口は、守人の言う通り森へと続いていた。
後ろを振り返れば上って来た長い階段が見える。出口は灰色の石を積み重ねて隠されており、内側から何度か蹴れば日の光が差し込んだ。隙間から這い出れば、朧火舞う王女の森だ。
「だー、生きて帰れた…」
「余裕とはいかなかったが、全員無事で良かった! この調子で他の鎖も壊してしまおう」
「もうそんな話か。はええな」
疲れを見せないランスに脱力していると、軽い拍手が聞こえてくる。麦穂色のマントの男が、出口近くの木にもたれ掛っていた。
「お疲れ様、と言うべきだな。薬が入用なら、取引に応じるよ。一応薬士だ」
誰だ? と目を丸くするが、そういえば水の城にこんな奴がいた気がする。一瞬目を見合わせ合うトータたちに、男が食えない笑みを見せた。
「おっと、警戒しないで欲しい。私はラフォンテーン、魔法使いヴィヴィーと共に朧火の森へ挑んだ。鎖は砕いたよ」
「ヴィー殿とか。それは失礼をした、私はクレスランスだ。彼はトータで、」
「キルファだ。こっちは水の城側と反対だと思うが、ここで何をしている?」
騎士の顔は世間話をするように穏やかだが、警戒は消していない。基本的に亡国へ挑む者たちは敵同士ではないが、完全に味方同士ともいかないからだ。
ラフォンテーンは蜂蜜色の目を細め、口の端を上げる。
「薬草の採集と、単純に霊廟が気になったからだ。こっちからの方が近いはずだから。最も、そこの出口には封印が施されていて、君たちが守護者を倒した後解けたんだがね」
「え、じゃあ何で来たんだよ」
「君たちが守護者を倒すのに期待していた」
一瞬おいおい、と突っ込みかけるが、待てよと首を傾げる。守護者を倒すのが目的だろうに、その後に中に入るとは何事か。
「中で何をするんだ?」
「誰かと話を出来ないかと思ってね。私は薬士だが、歴史収集家でもある。興味があるんだ、単純にね」
トータは奇妙な感覚に顔を顰めた。別に悪い奴じゃなさそうだが、何となくしっくりこない。彼が嘘をついているという訳でなく、食えない微笑みが気になるのだろう。甘く整った顔にその笑みは良く似合っていたが、同時にある種の胡散臭さを見る者に抱かせていた。
「それなら、アルレに話を聞けるのではないかな。中は骸骨だらけだが」
「アルレ、か。分かった」
笑みを深める男が、ふとトータを見る。男は僅かに目を瞠ると、ふむ、と思案するように手を顎に当てた。何だよと内心汗を流していると、「君はトータだったね」と歩み寄ってくる。
「そ、そうだけど…なにか?」
「何処の出身かい?」
「……シャールカ」
「なるほど。気分を害さないで欲しいな。だが、その目の色は遺伝かい」
――翡翠の目。
瞬間、祖父に聞いたベルアウローラの伝承を思い出す。
守人の不思議な微笑。黄金像の翡翠の双眸。王子の見せた闇の記憶。
「…家族全員、この色だ。けど、それだけだよ」
「そうか。先祖の色も分かるか?」
「……多分、同じ色だと思う」
全てを見透かすような蜂蜜色の目。そんな色をした目を初めて見ることに気付き、震えに似た何かが体中を駆け巡る。
「尋問のような聞き方になってすまなかったな。だが最後に言っておこう。『王女の眼の色も、翡翠色だったよ』」
ランスとキルファが訝しげにトータを見るのが分かる。トータは苛立たしげにラフォンテーンを見据え、ふんと鼻を鳴らした。
「何を言われようが、俺は知らん」
「それで良いと思うよ。ただ、守人の話を良く聞いておあげ。ずっと待っていたのだから」
うるせえ、と何となく言い返し、行くぞとランスたちをせっつく。ランスは非常に質問したそうな顔をしていたが、空気を読んだ騎士が無言で先導してくれた。
三人の背を、旅人は不思議な微笑で見送った。
――水の城、トータ
そうして帰ったトータを、守人は嬉しそうに出迎えた。
城内にいるのは聖職者たちに傭兵風の男、鍛冶屋、噴水の縁に座る守人だけ。魔法使いや魔女の姿はない。
『ご無事でなによりです。お怪我はありませんでしたか』
「それなり。薬は塗ったけど」
『そうですか。大事ないなら安心です。……霊廟は、どうでしたか?』
意図をぼかした、婉曲な表現。トータはただ肩を竦めると、守人の隣に腰掛ける。
「分かんないことだらけなんだけど」
『そうだと思います』
「なんだよそれ」
苦笑交じりの文句に、守人は優しく目を細めた。
『これからあなたに押しつけられることは、運命ではありません。運命などありません。選んで進むだけなのですから。…そう、あなたがしなければならないことは、言わばただの後始末です』
「なんか…ぞんざいな言い方だな」
『世界は人が思うより素敵じゃない。でも、やり方次第ではとても素敵なものになると思っています。ですから、トータ。翡翠の目を持つ者よ。どうか…』
守人は――オーロラは一旦言葉を切り、水色の目でトータを見る。空を反射する水面のような目に、複雑そうな顔をしたトータが映り込む。守人は儚げな表情を可憐な笑みへ綻ばせた。
『選び、進んで下さい。人はそう出来るのだと、証明するために』
――霊廟
両膝をつき、ひたすら祈り続ける女の前に、麦穂色のマントが翻る。女は溜息をつき、仕方なさそうに顔を上げた。
「まだ客人が来るとは」
「おや、時期が悪かったかい?」
「わたくしの仕事は終わりました。導いた英雄はつつがなく仕事を終え、わたくしの主は眠りにつくことが出来たのです」
アルレは憤りつつも、渋々といった様子で立ち上がった。
「それは悪かったね。でも私は、『視』なくちゃならないんだ。これが最後の戦いとしたら、それを繰り返さぬよう記録する者が必要なのでは?」
「詭弁です。記録され、重要とされた歴史ほど繰り返される。それならばいっそ隠した方がましですわ」
「良く分かってるね。実際に繰り返されてるからかな」
嫌悪を隠さなかったアルレの目が、大きく見開かれる。「貴方は…」ドレスを握り締めていたことに気付き、両手を緩めてドレスの前で組み直した。
「そう…そうですか。何百年ぶりでしょう。貴方のような方が、表舞台に現れたのは」
「私はいつだって脇役を心がけているが」
「嘘おっしゃい。深淵の怪物が脇役などで我慢できるはずがない。……しかし、今回揃った役者なら…充分かもしれない。終わらせられるかもしれない」
アルレは細く溜息をついた。
令嬢然とした姿が崩れ、疲れ切った女の顔が現れる。
ラフォンテーンはゆったりと微笑み、女の前で片膝をついた。
「……」
意図をきちんと理解したアルレは、白い手をラフォンテーンへ差し出す。ラフォンテーンがその手をとると、アルレの手は水のように透け、蒼の光粒を散らした。
「貴方は、わたくしから何を読み取るのでしょうね。この何もない女の中から」
変化したのはラフォンテーンが触った部分だけで、アルレ自体は人の姿のままである。ラフォンテーンはしばらく目を伏せていたが、ふいにアルレの手を離し、にこやかに礼を言った。
「有難う。……あそこの玉座は、貴方の主のものか?」
「そうですわ。王とお会いになる時だけ、あそこに座ってらした。この霊廟の『王』として」
「そうか。それじゃあ、邪魔したね」
来た時と同じように気軽な様子で去る男。アルレは顔を顰めながらも、その背に祈らずにはいられなかったのだった。
――水の城、キルファ
狩人は物憂げな顔で考え事をしていた。無理もない。詳細は分からないが――この亡国にとって、彼が重要な役割をするだろうことは既に幾度も示唆されている。
同僚を探すこと、あわよくば水の檻を壊すこと。ただそれだけが目的であったのに、随分複雑な状況になったものだ。
「守人よ、この国の魔法使いは随分珍しい術を使うな」
『そうでしょうか』
「ああ。聖法も魔法も用いる魔法使いなど、初めて見た」
噴水の水を見上げたまま、キルファは静かに呟く。その隣に立ち、守人は特に動揺した風もなく頷いた。
『流石レヴァーンの御仁。”水”を手繰る心得はなくとも、見分けがつきますか』
「多少は。理由は分からなかったが」
『…ふむ。では少し、情報を開示しましょう。……かつては魔法と聖法の別はなく、あるのは”水”を手繰る業だけであった。それが分かたれたのは、女王の水櫃への干渉と、誤った歴史のため…』
守人は突然、物語を紡ぐように語り始める。
『確かにあなた方が言うように、魔法と聖法とを明確に区別する方法はあります。ですが同一のものと捉えることも出来るのです』
「認識の問題か?」
『みたいなものです。全く違うだろう、という反論もあるでしょうがね』
守人の言葉は、雲を掴もうとするように分かり辛い。キルファはしばらく眉根に皺を寄せていたが、やがて首を振って袋を取り出した。
「それはそうとして」
キルファは袋の口を開け、三つの光粒を見下ろす。持って帰ったは良いが、どうすれば良いのか。
『守護者たちの”水”ですね。……あなた方は”水”を手繰る者ではありませんが、直接の功労者に褒美を差し上げたいものです。ユトさん、お願い出来ますか?』
敷布にあぐらをかいていた鍛冶屋は顔を上げ、守人へと豪快に笑った。
「嬢ちゃんに言われちゃあ断れねぇの。武具を強化する、で良いかの?」
『それで構いません。さぁ、誰がその”水”を得ますか?』
キルファはクレスランスとトータを呼び寄せ、どうしたいかを問う。ランスは「今のところは」と首を振るが、トータは迷っている様子だった。
「鍛冶屋、確認だが、武具を強化するだけで、俺たちの体には影響はないのか?」
「直接の影響はないが、武具を手に取ることにより何らかの変化はあるかもしれんの。お前たち次第じゃ」
「ふむ。とは言うものの、俺は既に聖具を持っているからな。トータの弓はどうだ? 見た所、矢にしか特殊な効果は付与されていないが」
「え…ああ、うん。自分で手入れしたいからな。聖具は専門職じゃないと出来ないからさ」
「鍛冶屋は弓も売っているようだし、頼んでみてはどうだ? 自分の使い慣れた弓は温存して」
「そうそう、別に悪いものじゃないよー。武具に使うならなおさら、君たちは人のまんまでいられる」
会話を遮る若い男の声。アンドラステ様! という金切り声が続いて響いた。
いつの間にかキルファたちの背後へ来ていた聖者は、ゆったりと腕を組むと微笑んだ。眦を吊り上げた従者が追いかけてくる。
「……人のまんま?」
「そう。僕たちは自分の中に”水”を取り込んだけど、君らはそれが出来ないからね」
「取り込んだ?」
「あ、そっか君らいなかったっけ。僕たちは森の鎖を壊してきたんだ。魔法使いと旅人と一緒に」
ラフォンテーンの言葉を思い出し、なるほどと頷く。それでどうするの? と問われ、トータはしばらく悩んだ後に「じゃあ、折角だから」と鍛冶屋に自分の弓を差し出した。
「良いかの? 元の弓ではなくなるが」
「いい。何かあれば、また作るし」
「了解じゃ。……良い弓じゃな。黒檀の弓幹、ドラゴンの髭の弦。後で手入れの仕方も教えてやろう」
「王に貰ったものだから、丁重に扱ってくれよ。でも助かる。ありがとう」
トータはやっと表情を和らげ、微かに笑った。その笑顔にほっとし、残った二つの光粒を見て思案する。セオンの狂犬と、シルファーナのものだ。
「私はウンディーネの扱いだけで手いっぱいだから…。それは騎士に譲ろう」
「とは言っても、俺も特に困っていないからな…」
経過を見守っていたアンドラステが、ふいに手を上げて「提案。次僕たち図書館に行くから、それ譲ってくれないかな。代わりに図書館で得たものは渡そう」と言い出した。
「そうか、それならその方が良いな。俺は休憩をとるつもりだから」
『分かりました。先に弓の付与を行いますので、少し待っていて下さい』
守人はそう言い、狩人と鍛冶屋の元へ向かう。とりあえず袋ごと光粒をアンドラステに渡していると、クレスランスが思い出したように口を開いた。
「先程ヴィー殿は森にいたと言っていたが…今は何処にいるのだろうか? 魔女の姿も見えない」
「多分図書館だよ。行って少ししか経ってないけどね」
「図書館か。ありがとう。貴殿らは図書館に行くのだろう? 会ったらヴィー殿によろしく伝えてくれ」
「りょーかい」
にこにこ朗らかに会話する主に、聖職者は少し諦めたような目を向けていた。随分生真面目そうな女だが、それだけに苦労も多いのだろう。
「ま、図書館には魔女に会いに行くんだけどさ」
「は?!」
そう思った矢先、女は激しく動揺した声を出す。
「また貴方様はわたくしに相談なさらずに…!」
「図書館に行くのは反対じゃないんじゃ?」
「それとこれとは話が違います! 本当にアンドラステ様は身勝手が過ぎますよ! 大体…」
女の説教は果てしなく続いていく。あっけにとられるキルファたちに、アンドラステはこっそりと片目を瞑ってみせた。飄々とした奴だと呆れつつ、この説教はいつ終わるのだろう、と詮のないことを考えるのだった。




