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水の亡国  作者:
第五項: 灰の城
16/46

六: 騎士 キルファ 03

――捨て犬と拾い主


 シルファーナの剣筋は、洗練されていながらも何処か荒々しさを感じさせるものだった。

 鋭く突き込まれた切っ先を軽く身を捻って避ける。かすった剣先がキルファの髪を削り、先端を凍らせた。

 剣を引いた女は不自然に身を伏せ、キルファは顔を顰めて後ろへ転がる。咆哮が響き、シルファーナの後ろから巨大な魔犬が跳躍。キルファが先程までいた空間に恐ろしい重量を以って飛びつく。

「ヴィン、戻りなさい」

 なおも突進しようとする魔犬を、シルファーナは冷静な声で止めた。

 キルファは大剣を握り直し、盾を床に捨てる。左手に持ったままでは動きに阻害が出るのだ。この女剣士だけならまだしも、魔犬が厄介である。

 シルファーナは凛と笑み、翼のように刺突剣を掲げた。

 キルファは口の端だけ上げ、両手で握った大剣を肩に背負う。

 両者踏み込むのは同時。刺突剣は青の残像の尾を引き、大剣は唸りを上げて敵を両断せんとする。

 強襲を受けたシルファーナは舞うように身を反転させ、足払いをかけてきた。前転して体勢を直したキルファは大剣を横に薙ぐ。シルファーナは後ろへの回転跳びで回避し、無防備になった主人の前に魔犬が立ち塞がる。魔犬が鋭い爪で殴りつけてき、大剣で受け流しきれなかった爪がキルファの肩を削った。痛みに顔を顰め、軽く手で押さえる。



 はたと魔犬の目が紅いことに気付き、キルファは目を瞠った。

「これは、セオンの狂犬か…!」

「ああ、知っているのか。その子はセオンの狂犬、ここに捨てられていた犬さ。小さい頃は子犬のように可愛らしいから、誰かが無責任に飼おうとしたんだろうな」

 セオンの狂犬とは、西の地方で何度か猛威を奮った人喰い犬だ。森の伐採で住処を追われた彼らは、人里を襲って腹を満たした。本来は気性の穏やかな生き物で、図体から想像するほどの危険はないらしいが、伐採の激しい西では凶暴化する例が後を絶たないと言う。

「多分、討伐から逃れようとしてこの国まで来たんだろう。犬を見た陛下は心配なさったが、殿下はわたしを信頼して下さっていたので、ここまで育てることが出来た。…ふふ、人間は酷いよな。自分たちと少しでも違うものを、自分たちがいらないものを、手に余るからと言って排除する。自分で殺す勇気もないくせにな」

 後半は、犬ではなく自分に向けているのだろう。シルファーナは自嘲気味に仮面に手をやると、つるりとした表面を指で撫でた。その下には、きっと彼女の哀しみの元凶があるのだろう。だが敢えて訊ねる気にもなれず、キルファはただ淡々と剣を構え直した。シルファーナが嬉しそうに頷く。

「ありがとう、何も訊かないでくれて。だが見逃しはしないぞ。わたしはそのためにいるのだから」

 女は微笑み、再び刺突剣に手をかざした。放たれる冷気が一層激しくなる。その横に牙を剥き出しにした忠犬が並んだ。

 技量戦士と魔犬。対するは大剣を携えた男ひとり。戦力差に苦笑しかけた男の耳に、苦虫を噛み潰したような青年の声が響く。

「なにこれ。絶対来ない方が良かった、俺」

 目を丸くして振り向けば――あの狩人の青年が、大層嫌そうな顔をして立っていたのだ。




 増援か、というシルファーナの警戒の声。

 キルファは肩を竦め、「嫌なら帰っても良いぞ」と退却を勧める。

「そうは言ってもさ。ここで帰ったら俺悪者じゃん。おっさん死んだら気分悪いし。…そいつら倒すの?」

 青年は大変嫌そうに、渋々といったように、だがきっちりと背中の矢筒から黒矢を取り出す。「それなら、後ろから援護してくれ」とキルファは苦笑した。

「あいよ。多分少ししたらクレスも来るから。馬鹿だけど戦力になる」

 底抜けに明るい笑顔を思い出し、酷い言いようだ、とも擁護できないのがやや心苦しい。頷く代わりにキルファは「そういえば、貴方の名は。俺はキルファだ」と問い、

「……トータ」

 翡翠の目で応えた青年は、ぴんと背を伸ばし、流れるように弓を引いた。




 再び戦いの幕が切って落とされた。

 唸りを上げて魔犬が飛びかかってくる。突進をぎりぎりまで引き付け、横に転がりながら大剣を振り抜いた。切っ先が魔犬の前足にかすり、怒りの咆哮が上がる。シルファーナが援護に向かってくるが、魔犬の左前足に黒矢が射られ、俊敏に方向転換した。やべ、という狩人の声が聞こえる。

 トータが近接武器を持っているか知らないが、早めに救援してやった方が良いだろう。

足を射られた犬は弱々しく体を引きずりながら、それでも戦う意志を緩めない。その姿に憐憫の情が湧くが、キルファは首を振った。こちらが見逃しても、彼らはこちらを見逃しはしないだろう。

 前足を満足に動かせない魔犬は、右前足を軸に体を回転させ、重く後ろ足を叩きつけてくる。キルファは低く地面に伏せ、起き上がりに短剣を投擲した。短剣は魔犬の右後足に命中し、更にバランスが崩れる。

 獣の本性を剥き出しにした魔犬は、もはやなりふり構わない様子だ。体格に任せてキルファに飛びついてくる。予想外の行動に回避が遅れ、キルファは巨体にのしかかられた。肺が圧迫され、ぐうと潰れた声で呻く。

「く、そ…」

 魔犬の爪が鎧の隙間を縫い、全身に食い込む。

「おっさん!」

 トータの悲鳴が聞こえるが、応えている余裕はない。

 押し潰されそうな息苦しさに耐えながら、キルファは魔犬を見た。血のように紅い眼に、必死の形相の自分が映っている。

 脳裏に、不安そうな顔の女王の姿が浮かぶ。事あるごとに説教を繰り返す、年頃の一人娘も。

 キルファはそっと右手を動かし、小さなナイフを取り出した。なんの変哲もない銀のナイフだ。ただ柄の部分に不器用な文字が施されている。娘がくれた小さなお守り。押さえられた腕を曲げ、それをなんとか口に咥え、キルファは凄絶に笑った。

――悪いな。守りたいものがあるのは、こっちも同じなんだ。

 魔犬が咆哮を上げ、騎士の首を刈りとりに顔を近付ける。同じようにキルファも頭突きをかますように顔を上げ――魔犬の眼に、銀のナイフを思い切り突き刺したのだった。




 狂犬と騒がれた犬にしては弱々しい、細く長い叫び声。

 狩人と剣舞を演じていた女剣士はそれを聞くと、猛然と後ろを振り返った。美しく可憐な唇が、小さく愛犬の名を呼ぶ。

 その隙を見逃さず、狩人は短剣を突き込む。だが女剣士は無表情に振り返ると、軽く短剣をいなし、壮絶たる勢いで斬撃を開始した。

 一合、二合と打ち合う内に、段々と狩人の反応が遅れ始める。服が切り裂かれる回数が増え、ついには血が飛び散り始めた。傷口は出来た端から凍りつき、鋭い痛みを発する。

 そしてがんと短剣を弾き飛ばされ、何も守るものが無くなり、狩人が死を覚悟した瞬間――冷気を吹き飛ばす炎が、突然二人の間に割り込んだ。

「すまない! 遅れてしまった!」

 騎士と約束した跳ね橋に行く途中。魔法使いの敵に邪魔された狩人らは、紅鎧の戦士にその場を任せ、狩人だけが騎士の元に駆けつけたのだ。

 

 そうして敵を排除した戦士は――炎を携え、堂々たる佇まいで現れた。狩人はむっと唇を引き結ぶ。

「遅い。許さん」

「許しを請う前にそれを言われては、立つ瀬がないな。では謝罪の代わりに、貴方を助けよう」

 元は真白い剣だったというクレスランスの得物。それは今や柄から剣先までが紅く燃えており、男がふるう度に紅の残像をひく。

 クレスランスはトータの前に立ち、紅の剣を正眼に構え、純白の女剣士を見据えた。

 突然の闖入者にシルファーナは呆けたように立ち尽くし、剣先が迷うように揺れる。

 それを見逃す男ではなく、クレスランスは神速の動きで剣を下から上へ跳ね上げた。恐ろしい膂力(りょりょく)と技量による一撃を受けたシルファーナは、たまらず剣をとり落とす。

「…と言う訳だ。降参するか?」

 突然現れ突然敵を下した男は、何故かあっけらかんと笑い、敵に降伏を勧め始めた。トータはやれやれと首を振る。

 シルファーナは数秒口を震わせ、視線を後ろへやり、自身の友が既に動かなくなっていることを確認し、ふっと目を伏せた。

 だが次の瞬間猛烈な勢いで顔を上げると、女はつま先でとり落とした剣を蹴り上げ、剣身の半ばを乱雑に掴んだ。

 ランスが反応するより早く、刺突剣を投擲の体勢で振り被り、狩人へと放とうとする。

 トータは目を見開くが、それが彼に到達することはなかった。シルファーナの胸から、巨大な剣が生えていた。

「……悪いな」

 何故か詫びを口にする騎士に、女剣士は震える唇を微笑ませ、ずるりと崩れ落ちる。騎士は彼女の姿勢を正させ、虚ろに開かれた目を閉じた。

 その手が仮面に触れ、騎士は一瞬手を止めるが、結局どうもせずに乱れた三つ編みを整えてやる。その手にそっと赤い光粒をのせると、女の姿は緩く(ほど)け、青い光粒を散らしたのだった。

 

 赤と青が共に浮かび合い、殺伐とした空間に幻想を残す。

 やがて一対の赤と青の光粒だけが残り、騎士はそれをそっと布袋にしまった。

「援護感謝する。無事で良かった」

 騎士の緑色の目が悲しげに見えたのは一瞬。すぐに歴戦の兵の顔に戻ると、クレスランスへ一礼した。

「いや。少し敵に邪魔されてな…。慌ててここに辿り着き、そこにいた令嬢に教えてもらったのだ」

「アルレか。彼女は無事か?」

「ああ。貴方の仲間か?」

「いや、ここの案内人だそうだ。皆、怪我の具合はどうだ? 少し薬を持って来ているから、怪我があれば見せなさい」

 そう言われ、ランスは首を振り、トータはあちこちに出来た傷を見せる。心配したアルレが様子を見に来たのは、その少し後のことだった。





「シルファーナは、わたくしの友でした」

 霊廟へと続く橋を渡りながら、女主人は騎士にだけ語る。

「意地っ張りでしたが素直な良い子で、ヴィンを見つけた時も、必ず育て上げる、と殿下に直談判したのです」

 思い出を語りながら、女は終焉へと騎士を案内する。

「シルファーナは美しい子です。彼女は常々気にしておりました。自分がヴィンから、野原を奪ったのではないかと。大きく育つことを知っていながら、こんな洞窟に閉じ込めたのだと。姿も心も美しい、良い子です。ですがその顔の右には、惨たらしい傷がある。彼女は殿下より贈られた仮面をいつも身に付け、殿下の前以外では決して外しませんでした」

 シルファーナたちの“水”は、貴方に差し上げます。女はそう言い、頭を下げた。

「この国には、そのような悲劇が多く存在するのです。わたくしたちは人への恨みを絶ち切りましたが、 中には憎しみが募り、街へ戻って人殺しを繰り返した者もいた。だから墓地へ続く道は、あのように入り組んでいるのです。精神的な障害を持った者もいました。わたくしのように、邪魔だという理由からだけで棄てられた者もいた。この国には――いえ、世界には、こんなことが幾つもあるのですわ」

 だから、騎士様には感謝しています。わたくしたちの悲劇は、最早剣を以ってしか救えない。

 霊廟への入口へ辿り着いた時、アルレは微かに微笑み、三人へと優雅に一礼した。

「ここで別れか。大丈夫か?」

「ここはわたくしの城。危険はありません。ですが、裏切り者のわたくしは、ここより先へは行けません」

「…分かった。ありがとう」

「ええ。御武運を」

 女の細い立ち姿に向かって、握った右手を胸に当てるレヴァーン式の礼をとる。ランスは紅の剣を胸に当てて微笑み、トータは簡潔に一礼する。

「では…行こう」

 そうして三人の男たちは、隠された霊廟へと臨む。各々の目的を果たすために。


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