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水の亡国  作者:
第五項: 灰の城
14/46

六: 騎士 キルファ in ヴォルナスタ

剣に誓いを捧げ、女王の左手とならん。







 北の見張り台の崖からひっそり伸びる、細い道。

 崖壁に沿うように出来た小道は、薄暗い洞窟へと続いている。

 王立図書館、ヤクタのちょうど真下。

 そこには、棄てられた者たちの城がある。





――隠された霊廟へ


 ざり、と砂を踏み締める音。

 それまで灰色に褪せた石だった地面は、短い草の生える茶色の砂に変化していた。

 王の影がいたという大門の、橋を渡る直前の左横にある、下へと続く長い長い道。

 崖に沿って伸びる道だ。手摺(てすり)もなにもない細い道が、下を覗き込む者を誘うように、なだらかに谷底へと伸びている。

 鋼の足甲が騎士の一歩一歩に合わせ、重い音を響かせた。足音の主は初老の男。銀色が混じり始めた髪は紺色で、深い皺の刻み込まれた顔には数十年の経験を経た者が持つ動じなさがある。全身を鋼の鎧で守っており、今は兜を外して手に抱えていた。背中に巨大な剣を背負っており、左手に紋章印の入った盾をくくりつけている。

 男は、水の檻に程近い小国に仕える騎士であった。

 彼がこの亡国を訪れたのは、消息を絶った同僚を見つけるためである。

 騎士は右手の荷物袋を抱え直し、金属が擦れる音を立てながら道を下っていった。





――小国レヴァーン 女王の騎士キルファ


 女王の片腕が連絡を絶ってから、もう一週間。

 幸いにして亡国の侵攻を逃れている小国はしかし、依然として予断の許さない状況にあった。

 水の檻の歩みは一定でなく、早い日もあれば遅い日もある。そうして侵攻を続けるかの国は、じわりじわりと女王の支配する国へと近付いていた。

 女王の片腕たる騎士が亡国へ赴いたのは、少し前のことだ。

 黄金の騎士と称される彼は、女王の命を受け旅立った。正直に言えばキルファも同行したかったのだが、彼には民の避難を誘導する任務があった。黄金の騎士は領土を守るため亡国へゆき、キルファは国に残り万が一のため民を逃がす。そういう役割分担としたのだ。

『死ぬんじゃないぞ』

『ああ、必ず』

 金鎧に女王より贈られたリボンを結わえ、同僚はキルファに微笑んだ。キルファは彼の肩を強く叩き、激励の代わりとする。加護の意味も込めて。

 しかし、あらかた民を近くの国々へ移動させ、女王やその側近たちと騎士の帰還を待ったが、彼が戻って来ることはなかった。女王は騎士を待つといって聞かなかったが、何よりも大切な主君を失う訳にはいかない。幸い隣国との関係は良好なため、女王の保護を頼むことが出来る。キルファは側近に彼女を任せ、黄金の騎士の足跡を辿って亡国へとやって来た。

 

 

 辿り着いたのは、夜明けの薄靄色の都。灰色にけぶる石造りの街は、まるで死者の都であるかのように閑散として音を返さない。

 とりあえず西辺りをあちこち回っていたが、数時間もしない内に誰かが鎖を砕いたようだ。都の中央付近に、多量の水が集まってゆくのが見える。急いでそちらへ向かうと、透明な水の城の中に続々と人間たちが集まって来ていた。

 金色の鎧を身に付けた騎士の姿は、そこにはなかった。

 居合わせた者らに訊ねてみるが、同僚を見た者はないらしい。

 キルファは少なからず落胆した。最悪の想像もした。しかし、ここではない何処かにいる可能性もある。キルファはそれに賭け、霊廟へと向かうことにしたのだ。若い青年や、紅の鎧の男も霊廟へ行くらしい。

「私はクレスランスだ。貴殿の名を伺っても良いだろうか」

 やたら明るい表情の男に訊かれ、彼は名乗り返す。

「キルファだ」

 左手に備えた盾を確認し、大剣(クレイモア)を背に、鋼色の鎧の男は立ち上がった。

 私は女王の左手。右手たる黄金の騎士と一対で知られる、忠実なる王国の家臣。





――地下


 小道を降り切った先には、人ひとりが通れる位の洞窟があった。

 じめじめとした空気が流れており、だが胃に氷を落とされたかのような冷たさも感じる。このような場所を、キルファは知っていた。

「王族の霊廟、か…」

 ――歴代王族の遺体を収めた霊廟、ヴォルナスタ。この真っ暗な洞窟は、地下墓地へと続いているらしかった。

 というのも、この小道を見つけたのは狩人の青年だからである。守人へ小道の先について質問していた彼は、クレスランスという男に捕まり、半ば強制的に共に霊廟へ行くことを約束させられていた。

彼らの話を聞いていたキルファは、森よりは『右手』のいそうな場所として、霊廟へ向かうことに決めたのだ。

 荷物袋からカンデラを取り出し、火石を打ち合わせる。火の土地で採られた火石は、数度かちかちと鳴らすとすぐ火花を散らし、火種から小さな炎が上がった。

 灯した火で洞窟を照らせば、草の生えていない地面がぼんやり浮かび上がる。

 周囲の音を聞き漏らさぬよう注意しつつ、キルファは洞窟を奥へと進んで行った。



 王族の霊廟とはいうが、ヴォルナスタは城から離れた場所にあり、しかも隠されるように存在している。

 人ひとりが通るのがやっとな道を歩きながら、キルファは所在なくその疑問について考えていた。

 そもそも廃王の時代より古い時代の文献を見てみると、歴代王族の遺体は城庭近くに収容されていたらしい。それがクレトスの治世になり、急に移動した。

――それも、このような迷路のような造りに。

 初めは墓泥棒対策かと思ったが、それにしては少しおかしい。何故なら――墓の入り口は、綺麗に舗装されていたのである。

 かつては入り口付近に見張りを立てていたのかもしれないが、それにしては墓への道が親切にも整えられ過ぎていた。通常王族の墓なら入口を覆い隠すなりなんなりするし、時には塞いでしまうこともあると聞く。だがこれでは、

「入れた者を、二度と出さぬかのような…」

 手に負えぬ化け物を封じる際の手法に似ているが、ここは霊廟だ。化け物を封じる意味が分からない。


『ヴォルナスタには、棺の主たちに墓守、王族とその騎士たちだけが入ることが出来ました。中は入り組んでいますが、洞窟を抜けた先の霊廟自体に入ってしまえば、後はほぼ一本道です。迷うことはないでしょう。霊廟の出口は朧火の森に通じています』

 透き通った水のような女の言葉を思い出し、キルファはしばし思案した。

 


 そんなことを考えつつ歩いていると、ふいに開けた場所に出る。

「……」

 長い洞窟を抜けて来た先には、天上から陽光降り注ぐ明るい空間があった。吹き抜けとなっているが、丁度洞窟を円柱形にくり抜いたような形だ。

 霊廟を訪れた者たちの憩いの場だったのだろうか。あちらこちらにベンチが置かれている。

 固い茶色の土だった地面は、幾重にも葉が積もる柔らかなものへ。中央には胴の太い大樹が植わり、灰色めいた地肌がこの場所を幻想的にしている。左端には円形の澄んだ池があり、不可思議な花々が表面にゆらゆら浮いていた。

 およそ死者の眠る場所とは、似つかわしくない空間だ。

 騎士はカンテラを傍のベンチに置き、池の水を手で掬い取った。これだけ陽を浴びているにも関わらず、ひんやりと冷たい。

 

 亡国アクリアルは自然を信仰する国だったという。水を最も上位においていたのは当然だが、その他にも木々や風、火にも深い身心を寄せていた。

 ならば、死者を弔う場所がこのようなのも、道理なのだろうか。

 半ば調子を狂わせながらも、キルファは右の壁にある小さな入口へ向かった。洞窟の入り口のように通路となっているようだが、その先は明るく照らされている。また外へ出るのだろう。

 だが通路の先に人影を見つけ、キルファはそっとカンデラをしまい、背の大剣を抜いた。

柄に緋色の石が嵌められた、全長が子供ほどもある巨大な剣。常人では持ち上げることすら出来ぬものを、騎士は軽々と片手で掲げ上げる。

 気配を殺し様子を窺えば、やはり相手は異形の者のようだった。

「ようやくおでましか…」

 敵が出ないにこしたことはないが、道中退屈ではなかったと言えば嘘になる。キルファは心持ち生き生きとしながら人影の出方を見るが、ふと違和感に眉を顰めた。

――手が、

 その異形の片手は――肘から先が、なかった。

 既に誰かが戦ったのだろうか? だが異形は偶然キルファの姿を認めると、金切り声を上げて何処かへ逃げ去ってしまった。後には静寂だけが残る。

「なんなんだ…?」

 王族の霊廟への洞窟。だがその場所は、ひどく神聖である代わりに、王家の格式をひとつも感じさせなかったのである。



 その後も度々異形に出会ったが、その全員がキルファを見るなり逃げ出した。ハイロリアにいた餓鬼とは全く違う挙動だ。

 そして、共通するのは『身体の欠損』。分からないだけで、もしかしたら精神を病んだ者もいるかもしれない。

『棺の主たちと…』

 薄暗い洞窟の中を歩きながら、キルファは確信していた。ここは、隔離院のようなものだと。

 その予想を裏付けるように、洞窟のあちこちには昔の『生活の跡』が見てとれる。この墓へ続く場所で、誰かが、ずっと暮らしていたかのような。

「隠されるように存在する訳だ…」

 しかし、それでは守人の意図が分からない。彼女はここを指して『霊廟』だと言った。では何故その前にこんな場所があるのか。

 だがその疑問は間もなく解消された。洞窟を歩き切った先には、王族の紋章が描かれた石造りの扉があったのである。

――隔離院の後に、霊廟。

 なんとも分からない取り合わせだ。ここまで来て引き返すわけにもいかないが。

 扉は数センチほど開いていた。狩人と戦士が開けたのだろう。地面を見てみれば二人分の足跡がある。


 中を覗いて見れば、全てを拒絶する様な闇が広がっていた。キルファは夜明石(よあけいし)を取り出し、短剣でかち割る。欠けた石の間から光が滲み出し、ぼうと輝く光の玉をかたどった。

 照らし出された室内は、灰色の煉瓦で造られた数メートル四方の空間だった。少し細まった通路が先に続いている。部屋の両脇には風化しかけた棺が並べられていた。

――王族のものではない。

 その質の悪い石材は、王らの為のものではあり得なかった。

 キルファはある種の予感を抱きながら、歩を進めていく。





――霊廟 ヴォルナスタ


 ぼろぼろの棺群の主は見当たらなかったが、代わりに盛大な歓迎がキルファを待っていた。

 細い剣と楯を構える『骨』を相手に、キルファは巨大な剣を振り抜く。

 模型の見本のような骨の異形は、叩き付けるような斬撃を受けばらばらになった。


 意志を持って動くおぞましい骨に出会ったのは、つい先ほどのことである。

 細い石の通路は時折左右に分かれ、その度に勘で道を選びつつ歩いていた時のこと。

 薄暗い霊廟内は、年月で古びてしまってはいるが、瀟洒な装飾が施されていた。

 壁に備え付けられた燭台。等間隔に描かれた王族の紋章。柱には複雑に草花が描かれている。

 予想していたような華美な宝飾の類はなかったが、充分に王族のものといえる空気がそこには満ちていた。

「ん?」

 奥まった場所に小さな部屋があるのを見つけ、キルファはゆっくりと光玉をそちらへ差し向けた。ゆらゆらと揺れる光が、微かに室内の様子を浮かび上がらせる。

 キルファは軽く眉を顰めた。室内には小さな机、ローブ、そして二体の白骨死体があったのだ。

「墓守か…?」

 これだけ広い霊廟であれば、中に墓守が休む用の部屋があるはず。そう思いながら足を踏み入れると、ふいに小気味よい音が耳に響いた。

「…な」

 音は断続的に大きくなり――カキコキと()を鳴らす骸骨が、直剣を握り締め、ふらつくことなくその場に立ち上がった。

 同様に隣の一体も起き上がり、こちらは弓を構えた。とどめを刺すように床に落ちていた黒ローブへ(もや)のような何かが集まり、ローブの中に人ひとり分の質量を持った物体が現れる。黒ローブはそのまま意志を持つかのように浮かび上がり、キルファと相対するのだった。



 状況を理解するなり、キルファは素早く部屋から飛び退った。

 追いすがる骸骨の剣をいなし、広い通路へと移る。奥の骸骨が弓を番える前に、直剣の骸骨へと大剣を振り抜いた。骸骨は直剣ごと吹き飛ばされ、壁にぶち当たるが、まだ動けるようだ。次いで飛んできた矢を盾で防ぎ、黒ローブの出方を窺う。

『……』

 黒ローブは小声で何事か唱える。氷の塊がその手に生まれ、魔法使いか、とキルファは目を細めた。

 再び放たれた矢が迫る。それを身を捻って避け、降り注ぐ氷の刃を頭部に盾をかざして防ぐ。鎧や手甲に刃が当たるが、対魔法加工を施された防具はびくともしない。

 体勢を立て直した骸骨が直剣を振りかざすが、重装備に似合わぬ速度で踏み込んだキルファは躊躇なく胴を薙いだ。骨を砕かれた骸骨が今度こそ崩れ落ちた。

「ふんっ」

 弓を捨て刀を抜く骸骨に、盾を構えながら思い切りぶつかる。後ろに倒れる骸骨に大剣を突き刺し、動きを止めることなく黒ローブへと突きを放った。

 大剣から伝わる、固い感触。防壁だ。

 キルファは首に掛けていたモノクルを素早く眼前にかざす。緑色の宝石で飾られたモノクルだ――透明な硝子で遮られた視界は、黒ローブの前に浮かぶ三つの点を映し出す。大剣を床に突き刺し、ナイフでその点を突けば、軽い音を立てて防壁は崩れ去った。

 慌てて詠唱を終えた黒ローブが炎の槍を放つのを待たず、騎士は大剣を抜き、黒ローブを水平に斬る。


 静寂が戻った通路で、男は小さく息をつき、再び歩き出した。

 その背に、小さな拍手が贈られる。

「素晴らしい手際ですわ。腕の良い騎士と見込んでのことですが、少しお話出来ます?」

 薄暗い霊廟に不似合いな、張りのある艶やかな声。

 キルファが少しの緊張をもって振り向けば――先程まで誰もいなかった場所に、美しい薄緑のドレスの女が立っていた。





――隔離院の女主人 アルレ


 女はアルレと名乗り、キルファにゆっくりと歩み寄った。

 高貴な装いの女だ。薄緑の厚手のワンピースを上着風に羽織っており、下には淡い黄色のレースドレスを着込んでいる。上着の袖口や裾に繊細な刺繍が縫われており、褐色の髪は高く結い上げすっきりと纏められていた。

 女は蒼の目を細め、にっこりと微笑む。はっきりとした顔立ちの美人だ。

「わたくしはアルレ。この灰の城の管理人ですわ、騎士様」

「灰の城?」

「ええ。棄てられた者たちが集う場所、それが灰の城…。未来にはそのような物はありませんか?」

「未来とは?」

「失われた亡国で生き続けるわたくしには、騎士様はまさしく未来からいらっしゃった方です」

 女はうっとりと小首を傾げ、キルファの足元に跪く。キルファが軽く眉を顰めると、アルレは片膝をついたまま真摯に騎士を見上げた。

「殿下をお救い下さい、騎士よ。もはやあの方には、安らかな眠りしか救いとならないのです…」



 何処からか落ちた雫が、ぴちょんと床に跳ねる。

 金の鎧の騎士を見なかったかと訊ねると、女は申し訳なさそうに首を振った。どうやら同僚はここには来ていないらしい。

 骨折り損と言えるが、引き返す気はない。同僚の任務は水の亡国の崩壊。ならばキルファもそれを無視することは出来ないだろう。

「キルファ様は、アクリアルについてどれ程御存じでしょうか?」

「水の祝福を受けた、豊かな国だったと。あまりの強国具合に敵らしい敵もなく、民もなんの不自由なく暮らす、理想の国だったという文献を読んだことがある」

「他国からは、そう見えたでしょうね…。記録を残すほど余裕のあった、アクリアルの民にも。ですが、何処にも闇はあるもの。アクリアルとて、完全無欠の国だった訳ではありません」

 そうだろうな、と頷いておく。なし崩し的に女と歩くことになったキルファは、一応歩調を合わせながら歩いた。左右に分かれた道に出会えば、アルレが正しい方を指してくれる。

「王の統治は誠実なものでした。都市ごとに官吏を配置し、不正を許さず、年に数度国を回って見るのも忘れませんでした。武芸に長け、容貌にも優れた彼を民は褒め称えました。臣下にも恵まれ、王女もその最期以外は欠点のない姫だった。しかし王妃には少しばかり不安定な所がありましたね」

「意外だな。王妃の方が要注意人物だったのか」

「率直に言うとそうですね。王は良いお方でした。最期をわたくしが見ることは叶いませんでしたが、そう記憶しています。…ですが、ひとつも暗い所がなかった訳ではない…御覧下さい」

 そう言ってアルレはひとつの棺を指差す。棺には子供らしき白骨が納まっていたが、両腕の骨部分が欠けていた。

「ここは棄てられた者たちが最期に行き着く城…。同じように『棄てられた』殿下がお開きになった、隔離療院のようなものです」

「さっきから気になっていたが、その殿下とは誰だ? 王女のことではないだろう?」

 そう訊ねると、女の表情が曇る。

「ああ、そうか。やはり『無かった』ことにされているのですね…。良くお聞き下さい、騎士様。クレトス王の正式な子供は確かにリリアーヌ様だけです。ですが、本当は、彼女には兄がいたのです…」

 女の言葉に、緑の目を見開く。アルレは繊細な睫毛を震わせ、小さく微笑んだ。



「アクリアルは美しい国でした…。だからこそ、小さな汚れも許さなかった。殿下は光なき瞳の御方です。王にはなれるはずもない。クレトス王は殿下をお庇いになりましたが、臣下や、なにより王妃がそれを咎めた…。騎士よ、殿下は自分からこの霊廟に籠もられたのです。誰も傷付かぬよう。そして、自分と同じ思いをする者がいなくなるよう」



 淡々と紡がれる、艶やかな声。それとは正反対の、おぞましい内容。

 キルファはさりげなく嘆息すると、「それで」と切り出した。

「この霊廟の鎖を守るのは、その王子なのか?」

「ええ。殿下はお優しい方ですが、王妃の行った儀式の影響で、我を失ってしまわれている」

「儀式だと」

「ラニャシャスティアナに行けば分かるでしょう。王妃は優れた術士でした」

 アルレは笑い、ドレスを翻して歩き出す。通路の先から薄く光が漏れている。どうやら外に出るらしい。

「一旦外に出た後、橋を渡り向こう側の建物に入れば、殿下の待つ『王族の霊廟』があります。こちら側は主に殿下が集められた爪弾き者たちの住んだ場所でした」

 洞窟にあった生活の痕跡を思い出す。あれは、隠された王子により集められた者たちのものだったのか。

「こちらへ…あら?」

 通路を抜け、外に出れば、一歩先は崖であった。キルファは目を丸くしてアルレを見るが、彼女も戸惑ったようにキルファを見返す。数十メートル向こう側にはこちらと同じような建物があった。――どうやら、こちらと向こうとを繋ぐ橋が崩れ落ちてしまっているらしい。

「おかしいわ、さっきまでちゃんと…」

「……そういえば」

 キルファの前に、狩人と戦士がここを訪れているはずだ。

「まさか…」

 げんなりとして向こう側を見遣り、はたと口を噤む。後ろからカキコキという音が聞こえてきていた。

――場所が悪い。

 そう思いながらも、アルレを崖ぎりぎりまで押しやり、後ろを振り向こうとし――


 一本の黒い矢が、風を切り裂くように飛来した。


 矢は狙い違わず背後の骸骨に命中し、小さな爆発を起こす。どうやら炎の加護を与えられた矢のようだ。

「すまない! 俺たちが橋を落としてしまった! 不可抗力なのだが、左側から回って来てくれ! こっち側と同時に操作すれば降りる橋があるようなんだ!」

 そう叫ぶのは、あの狩人の青年。こちらと同じように崖ぎりぎりに立つ彼は、弓を引いた姿勢のまま必死に叫んでいた。左を見れば、確かに細い道が奥へと続いていた。有り難いと頷き、叫び返す。

「承知した! すぐ行く!」

 青年の後ろに紅鎧の男が現れ、キルファに一瞬手を振った後すぐ剣を構え直す。どうやら向こうも戦闘中のようだ。

「そういう訳だ、アルレ。貴女はどうするか?」

「途中までご案内しましょう。わたくしは一度殿下の元を去った身。気軽に姿を見せる訳にはいきませんから」

 アルレは寂しそうに目を伏せる。キルファは躊躇いつつも、短い問いを口にした。

「…アルレ、貴女は何者だ? 王族と親交が深いようだが…」

 そう言うと、アルレは澄んだ青の目でキルファを見上げた。

「わたくしですか? …わたくしは、殿下の従者とでも言えば良いのか…。由緒もなにもない家の生まれですが」

「それでは何故…?」

 女はゆるやかに微笑み、ドレスを摘んで、優雅に一礼した。

「わたくしも『棄てられた者』。体に不自由はございませんが、子供を煩わしがった両親に此処へ捨てられました。哀れに思った殿下が取り立てて下さり、わたくしは永遠の服従を誓ったのです。…王妃はわたくしが忠実な守護者となるだろうとわたくしの“水”を残したのでしょうが、わたくしは幾年経とうと殿下の矜持を忘れることはありません…」

 繊細で華奢な容貌。だが女は揺るぎない目でキルファを見ると、「こちらです」と左を示した。

 キルファは頷き、その後ろに続く。

 眼前に広がる闇は、何処にでもあるものだ。ただここの闇は、少しだけやるせなく見えた。


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