水の城、休息中
――水の城 魔法使い
一日ぶりに水の城へ着き、ヴィヴィーはどっと押し寄せる安堵に座り込んだ。
灰色の都の中、混じり気のない水晶色に輝く水の城は、変わりなく平和そうだった。
「つ、疲れた…」
中央の噴水では、守人が縁に所在なさげに腰掛けている。その近くに聖職者らが敷布を広げ、光粒を色々な角度から観察していた。
――私にくれれば良かったのに。
旅人の胡散臭い笑みを思い出し、ヴィヴィーは頬を膨らませる。だがすぐに顔を強張らせ、ぶるぶると首を振った。
――無駄に力を求めるなど、私らしくない。やはり禁忌の業だったか…。
水魔法を得て以来、彼女は正体不明の高揚に調子を狂わされているのだ。
『人ではなくなるかも…』
守人の言葉を思い出す。あれは、こういう意味だったのだろうか。
「おお、おかえり。どうじゃ、収穫はあったか?」
急に話しかけられびくりとするが、何のことはない。鍛冶屋のじじいだ。
「そうねぇ。少しは薬草を採取してきたけど…」
「見せてみい」
袋に適当に入れた薬草を差し出すと、爺はううむと品定めの目をする。
「……使えるのは三日月の霊草くらいか。ま、いいかの」
「なによ、偉そうに」
「交換だ。お前さんの短剣を鍛え直してやろう」
腰に挿した短剣を指差され、ヴィヴィーは目を丸くした。
「え、いいの」
「腕は使わねば錆びるからの。どれ、どんな風が良いか…」
トンカチを取り出しつつ、爺は思案するように眉を寄せる。意外に良い爺のようだ。現金にヴィヴィーは喜びながら、座って待つことにした。
しばらく体を休めていたが、城の中の人数は変わらなかった。
ヴィヴィー、鍛冶職人、聖職者、聖者。そして、城の隅で昼寝を決め込む謎の男。傭兵風の格好だが、傭兵が亡国になどやって来るだろうか。
墓地へ向かったランスや狩人、騎士はまだ帰って来ず、何をしているのか旅人も森に籠もったまま。魔女は言わずもがな。
――良い機会だから、魔女に魔法を教わりたかったんだけど。
ヴィヴィーの師匠は魔女だった。魔法使いは基本姿を隠すもので、信頼の置ける傭兵としか仕事をしないものだが、ヴィヴィーの師匠は気紛れに弟子をとる変わり者だった。
十四番目の弟子だというヴィヴィーは、師匠曰く『凡俗の極み』だそうだ。
その評価に不満を持ったことはないが、”水”を得た今、少しでもその力を使いこなしたいと思う自分がいる。
――掴みどころがなく、清冽。
洞窟に流れるひんやりとした水。暗がりから見上げた煌めく水面。
全ての生命を祝福する水は、秘されたもののように清冽でありながら、人の清い暖かさに満ちていた。
――真反対も良い所よ、私と。
ヴィヴィーにとって、生命とはただ『在る』ものだ。祝福も憎悪も端緒にはない。
だからこそ王の力はヴィヴィーの手に余り、憧れに似た感情を持ちながらも、森で老人に会うまで触れることすら出来なかったのだ。
「ウル、か…」
――いいかい、
老人の穏やかな声が、幾許かの憧憬を持って思いだされる。
『魔法とは解放だ。そこには「理解」よりも「共感」が必要となる』
『王の性質に共感しろというの? 無理よ、正反対なんだから』
『ならば、自分の好きな側面に「共感」すれば良いんだよ』
『好きな側面…?』
『人間とはそういうものだ。全てを見たと思っても、全てを理解なんて出来ない。だから自分の好きな所に注目して、好きなように解放すれば良いのさ』
『随分いい加減ね』
『ああ、魔法はいい加減だよ。…その昔、賢者が体系化したというが、あれはあんまり参考にしない方が良い。他の者の真似をすれば、それだけ自分の「共感」が鈍る。それは魔法使いとして致命的なことだ…』
確かにヴィヴィーは魔法を使う時、あまり深く考えた覚えがない。強いて言えば、ばーってやってどーん、という感じなのだ。
師匠はどうだっただろうか。彼女は簡単に「水櫃の中の性質の選び方」、「戦いに際し、どのような方法が有効か」などを教えてくれたが、彼女自身の魔法の使い方は教えてくれなかった。
それはヴィヴィーの『共感』を鈍らせないためか。はたまた、自分の手の内を知られたくなかったのか。
ともあれ、ヴィヴィーは王の水の魔法を得た。
共感を示したのは、「祝福は薬にも毒にもなる」というところ。誰かの祝福が、他の誰かにとっても祝福となるとは限らない。…という穿った見方をしてみたのだ。
幸い上手く発動したため、王の”水”にもその側面があったのだろう。
聖職者たちが、守人に何事か話しかけている。
光粒についての相談だろう。王女の”水”と騎士の”水”。一体どのような聖法になるかは想像の範疇外だが、興味はある。視界の端に捉えておこう。
ふと考える。ヴィヴィーの中にある”水”は、魔法だ。そう思っている。
それならば、聖職者たちが得るものは、魔法なのだろうか?
ヴィヴィーは眉根を寄せる。自分が魔法使いだからか、先程使ったのは水魔法だと断じていたが、よく考えれば魔法ではないかもしれない。水櫃へ行かず、自分の中に法則を打ち立てるなら、むしろ聖法に近いのではないか。
だがしかし、ヴィヴィーは王の”水”を理解したわけではない。手探りで触れていって、なんとなく感じたものを解放しただけだ。それは聖法とは言えないし、そもそも聖法は魔への反発なのだ。人の”水”から性質を取り出す作業は、むしろ魔法に近い。
痛くなってきた頭を押さえ、首を振る。埒が明かない気がしてきた。そのことはおいおい考えるとして、今はこれからの方針を決めよう。
残っている鎖の候補地は霊廟、図書館、儀式場。その内の霊廟は既に三人向かっている。全員が物理攻撃系なのが心配だが、騎士の親父が真面目そうだったので大丈夫だろう。
となれば、後は図書館と儀式場。
「…亡国の図書館ともなれば、素晴らしい蔵書がありそうよね」
少なくとも、儀式場よりは楽しそうだ。そう決めて、ヴィヴィーは大きく伸びをした。
ふっとトンカチの音が途切れる。
「出来たぞい」
「え。……わぁ」
新しく鍛え直された短剣を見、ヴィヴィーは素直に感嘆の声を上げた。
元は錆びた銀の短剣。それが、輝かんばかりの白銀の剣になっている。柄には新たな模様が彫りなおされ、絹の飾り羽根がついていた。
「すごいすごい! 綺麗! 爺さん凄いじゃない!」
「ふっふ、もっと褒め称えてくれても構わんぞ? これからもわしの腕が錆びつかんよう色々持って来なさい」
「それはランスに任せるわ。……あら? これ…」
持った瞬間違和感を覚え、しげしげと短剣を眺める。蔦模様を指でなぞれば、淡い赤色の光筋が浮かび上がった。
「気付いたか? 魔法剣に鍛え直してあげたんじゃ。お前さんの魔法行使に連動し、短剣の威力や硬度が上がる」
「…爺さん何者?」
「無粋なことを聞くでない」
爺は好々爺然として笑顔を崩さない。ヴィヴィーは追求を諦め、新しい短剣の握り具合を確かめた。
――この爺は…、
まず間違いないのは、魔法使いであること。そして並大抵の魔法使いではないこと。
錆びた銀が美しくなったのは、砥石のおかげであろう。だが魔法剣への鍛え直しは、普通の魔法使いでは出来ない。より多くの性質を得ることが出来る、魔女級の魔法使いだけだ。
ただの爺だと思っていたが、なかなかどうして奇妙な縁もあるものである。
手のひらを漂う黒い光粒。淡い白の光を輪郭に纏うそれは、断続的に明滅を繰り返していた。
『自らの内に”水”を取り込み、水櫃へ往かず、聖法を使うことが出来ます。聖具も必要ありません。…どうしますか?』
「頼む」
守人に聞き返された時には、既に心を決めていた。
主君のため、なにより亡国を倒すため、ユスティーファには力が必要だ。
だが次の言葉には、さしもの聖職者も躊躇した。
『…あなたは異端となるやもしれません。魔女と同じ、異端…』
ユスティーファは、魔と対立する聖職者である。
その彼女が異端に堕ちることは、並大抵でない落差があった。
「わ、私は…」
ユスティーファは白皙の顔を曇らせ、視線を彷徨わせた。
だがユスティーファが受け取らないなら、アンドラステが二つとも引き受けると言い出し、慌てて黒の光粒を取り返す。
「何をするのですか、アンドラステ様!」
「え、だってユスティーファがいらないっていうし…」
「言っておりません!」
全く、主はあらゆる意味で自由すぎる。
「す、少し気後れしただけです! ですが、わたくしたちにはオンドーラより遣わされた使命がありますゆえ!」
主が迷いないというのに、何故従者がまごついていられようか。
確かに魔法使いは王の影の”水”を魔法として顕現させた。だがそれは、彼女が魔に染まっているからなのだ。私たちは違う。光の国オンドーラに仕える、魔に立ち向かう聖職者である。
そう無理やり結論付け、ユスティーファは守人に向き直る。
頑固な聖職者は朱鷺色の目で守人を見据え、「では、頼む」と頭を下げるのだった。




