表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の鍵盤  作者: 宵凪琴葉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/13

第五話 『かぎしっぽのプロムナード』

 ――みゃーお


 頬が、ざらざらする。いや違う、頬は少しヒリヒリしている。何かに、頬を擦られて――いや、舐められている。


 うっすらと目を開ける。片膝を立てた足の上に猫が乗っていた。朝焼け……なんて呑気な時間ではなく、青い空に日が燦々と照っていた。

 

 どうやら昔の夢を見ていたらしい。知らず、頬を流れていたらしい涙を、猫が舐めていた。


 ベッドの上で目覚まし時計が鳴り響く。今は朝7時らしい。まだ動き始めたばかりでぼんやりする頭を振り、猫を膝から下ろす。壁に手をついて起き上がり、ドアを開ける。


 ――リーン


 ドアベルがなる。母さんと暮らしていた家についていたベル。家を引き払った後、そのまま自分の部屋につけてある。最も、最近はパイプバーが錆びてきて、鳴る音は減っているのだが。

 また夢のことを思い出し気分が沈むが、足元にまとわりつく猫を感じて我に帰る。


「お前はまだ部屋から出ちゃダメなの。ちょっと待ってて」


 かかりつけの動物病院は九時半から診療開始である。それまでリビングにいる猫たちと接触させたくないので、ヒョイっと抱き上げて部屋の中央に置いてくる。

 再び廊下へ出て扉を閉め切る。


 ――リーン……ニャオ!リリーンリーン……


 ドアベルにじゃれつく猫の声を後に、俺は一階へと降りていった。


 襖を開けてリビングに入ると、猫たちが警戒の眼差しでこちらを見つめている。俺の体についてしまった黒猫の匂いに威嚇し始める子もいた。

 肩身の狭い思いをしながら右手側の壁にあるもう一つのドアを開けると、ダイニングに出る。


「おはよ」

「おお、おはよう。さっき部屋を覗きにいったら寝てるみたいだったから一度戻ったんだ。まずは朝ごはん食べな」


 そう言いながらばあちゃんが机にトーストと目玉焼きを並べ始める。ダイニングの一角を占めるキッチンの水道で手を洗い、もそもそと食べ始める。


「じゃ、私はキャリーを部屋に持って行くからゆっくり食べてな。ついでだし猫も洗ってくるよ」

「……んぐ。ばあちゃんありがとう」

「なぁに、食べ終わったら自分の部屋の掃除しときな。猫の毛一本残さない位にね」


 口の中に目玉焼きを突っ込んだばかりだったので頷きだけを返す。

 

 カリッと焼けた白身の端っこを堪能していると、上からドタバタ音と共にに゙ャ゙あーという悲鳴が降ってきた。

 ばあちゃんに抱き上げられるのはお気に召さなかったのか、風呂に連れて行かれるのを第六感とやらで察知したか。――とりあえず、猫に合掌しておいた。


 食べ終わった食器を流しに置いて水につける。そういえば、朝の散歩にでも出かけているのか、じいちゃんの姿は見えなかった。

 廊下の突き当たりから水の音がかすかに聞こえる。この世の終わりみたいな悲鳴が聞こえたのは気のせいだろう。多分。ばあちゃんは今頃鼻歌でも歌ってるに違いない。猫よ、永遠に。


 部屋に帰ると、ベッド脇にレモン色の猫キャリーが置かれていた。シトリンの物である。中にはすでにシートも引かれていた。キャリーを机の上に乗せ、ベッドの縁に引っ掛けてあるカゴからコロコロを取り出す。

 そういえばこれの正式名称なんだろななんて呑気なことを考えながら部屋のあちこちで転がす。粘着部分に長い黒い毛がびっしりついた。


 掃除をあらかた終え、暇になる。病院が開くまであと1時間とちょっと。もう身支度も整えた。

 しかし夢を見たせいだろうか。なんとなく寂しくて、蓄音機に針を下ろす。


 ――ジッ……ジジッ……ザァー……

 ……幻…曲……家…じ………かな……プレ……ト


 数時間前に聞こえたのと同じ音が流れ始める。

 曲が跳ねて、回って。不協和音が響いて、捻れて、擦れて。また跳ねて回って。曲が一番盛り上がったあたりでぷつりと音が途切れる。あとはレコードが虚しく回るだけ。


 もう一度針を下ろして、今度は鼻歌でメロディをとってみる。思い出してきたら次は右手、左手。

 繰り返しレコードを流しながら、記憶の中に染み付いている旋律を奏でる。もちろん音など出るはずのない空気の鍵盤は頼りなく沈むだけ。だが、頭の中にははっきりとピアノの音が――レコード越しではない本物のピアノの音が聞こえていた。


 母さんを亡くした後、俺は意味もなく母さんの面影を求めた。ピアノの音色、母さんの部屋に積まれていた楽譜。カラカラと開かれる窓の音にドアベルの澄んだ音色。

 校舎は変えたが塾にも通い続け、勉強を続けた。母さんにもらったものを、何一つ忘れたくなかった。


 ある日、母さんの部屋を片付けていると、真新しいレコードが見つかった。割れないように丁寧に保管されていたそれに、内容を示すメモはなく、ただ実家行きとだけ書かれた付箋が貼られていた。


 荷物をまとめてばあちゃん達の家に移った後、ばあちゃんが蓄音機をくれた。

 じいちゃんが一時期はまった骨董品蒐集で掘り出したものらしい。

 レコードをはめ、初めてこの曲を聴いた。


 ずっと求めてやまない母親の声に母親のピアノ。この世のどこにもない曲と途切れたメロディ。

 しばらくの間ピアノを狂ったように弾き続け、曲の続きを埋めようとした。様々な旋律を試し、時には転調して雰囲気を変えてみたりもした。だが、ピッタリとはまる旋律は、ついぞ見つからなかった。


 その後本格的に受験が始まったのに合わせてピアノからもその曲からも遠ざかり、よっぽどのことがないと聴かないようになってしまった。

 多分、追いかけても追いかけても「母さん」という人に出会えないことが苦しくなっていたのだろう。


 ソルフェージュに残る書き込み、昔流行ったらしいマスコットのぬいぐるみ。俺の知らない、俺が生まれる前の母さんの記憶。

 楽譜に残る黒々としたインク、流しに置かれたフライパン。今も母さんが生きているように、変わらずそこにある物。

 

 僕の中の「母さん」は、あの病室を境に時が凍りついていて、それなのに、物に宿る「母さん」の記憶は僕が生まれる前から、なんなら今も続いているように見えたから。


 なるべく触れないようにしていた。触れなければ思いは麻痺していって、やがて「日常」が戻ってくると思っていたから。それでもなぜか、このレコードは時折勝手に音を奏で始める。思い出せと言わんばかりに。


 ――あの頃の夢まで見たんだ。今日くらいはこの気持ちに付き合ってやろう。

 そう思ってただひたすらに指を踊らせる。鈍っていた指は、動かせば動かすほど、錆が剥がれるように滑らかに動くようになっていた。


「奏音ー!入るよ」


 音を止め、ばあちゃんを部屋に招き入れる。ばあちゃんの手に抱かれる黒猫はしっとりとして、えらく痩せて見えた。長毛種あるあるだが、風呂上がりは別人、いや別猫なのだ。


「今から歩いていったらちょうど医院が開くくらいだろ。用意できてんなら行っておいで。あーあと、お金渡すから出る前にリビングに顔出して」


 猫を下ろすとばあちゃんはパタパタとすぐに階段を降りていってしまった。うちから病院まで、徒歩なら二十分くらいかかる。

 確かにちょうど良い頃合いだ。机の上に置いていたキャリーを床に置き、戸を開ける。部屋の中をポテポテと歩き回っている猫をキャリーに誘導するとすんなりと中に入ってくれた。


 「ばあちゃんー!行ってくるー」


 言われたとおりにリビングで声を掛けると、はいよという声とともに、五千円札を手渡された。

 

 黒に白でスタイリッシュな模様が入っているお気に入りのスニーカーを履き、キャリーに入った猫と共に外へ出る。

 サラリと乾いた初夏の風が頬を撫でる。甘いハナミズキの香りに、新緑の青臭い匂いと、ピリッと辛いような匂いがアクセントを添えていた。


 道を何度か曲がりながら進み、住宅街を抜ける。

 駅前から南に広がっている商店街では、あちこちで母の日セールとやらをやっていた。

 顔を伏せて中を足早に通り抜け、途中から伸びている横道へと入る。


 ようやく動物病院につき、二重扉をくぐり抜ける。朝一番に来たのでそれほど待たされることもなく、診察室へ通された。

 見慣れた顔の獣医さんに、家に迷い込んだ野良猫であることを伝えると、野良猫かぁとつぶやきながら、猫の肩辺りに機械をかざし始めた。マイクロチップが埋め込まれていないか確認していたらしい。


 「飼い主さんはわからないですね……顔つき的にペルシャのミックスだと思うので、親が脱走して野良猫になった、とかでしょう。女の子です。健康上の目立つ異常はないので特にお薬とかは必要ないですが、なにか異常があったらすぐ来て下さいねー」

 「あ、はい。ありがとうございます」

 「宮森さん家なら分かってると思いますが、先住猫ちゃんとのお顔合わせは慎重にね」

 「もちろんです」


 診察がスムーズに終わり、黒猫をキャリーに戻そうとすると、獣医さんが急にあっと声を上げた。

 そして盛んに猫の尻尾を触り始める。

 

 「……えっと、どうかされましたか?」


 獣医さんは目をキラキラさせ、首を縦にこくこくと振りながら言う。


 「いやあのね、この子、かぎしっぽですよ!やっぱペルシャ猫ちゃんと、かぎしっぽの和猫ちゃんの子供なのかもですねぇ。いやぁ、かぎしっぽ。いいなぁ」


 長い毛に埋もれて分かりづらかったが、確かに尻尾を撫でると先っぽのほうがカクンと曲がっていた。

 獣医さんの熱量に圧倒されながら、猫をキャリーの中に戻す。

 彼はまだ笑顔で猫に手を振りつづけていたが、挨拶もそこそこに診察室を後にし、お会計を済ませる。お釣りをズボンのポケットにねじ込んで、元来た道へと歩を進める。


 病院からしばらく進んだところで一度キャリーを目線の高さまで持ち上げ、中の猫と目を合わせる。


 「お前、かぎしっぽなんだってなぁ。珍しいんだぞ。ペルシャのかぎしっぽ」


 キャリーの中の猫は、ふにゃあ!と鳴いて、こころなしか胸を反らせてドヤ顔をしているように見えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ