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スイーツ巡りのぶらり道中  作者: das
幕間短編
21/36

関雲長、街中にてナンパにチャレンジし、ユーリン、ムシャクシャして不埒な憂さ晴らしに興じる (後)

繁華街は日が暮れるほどに賑やかになる。次第に客足の雑踏が増えてゆくのを背中で聞きながら、ヘンリクは1人で酒をあおっていた。テレーサの面前で醜態を演じた苛立ちが、杯の傾きに勢いをつける。


「……くそっ、テレーサのヤツ……ちょっと顔が俺の好みだからって……いつまでもしつこく俺をフリやがって……」


通りに面した露天の酒場の末席で、誰にともなく1人で愚痴る。日の傾きが濃くなるにつれて客足が増して喧しくなり、なるにつれてヘンリクは孤独感を強くした。


「ったく、安菓子なんて売ってムリしてねぇで、俺のトコにくりゃいいんだ……いくらでもマシな生活させてやれるってのに……」


稼業の商いが軌道に乗り、ヘンリクの生活には余裕ができた。テレーサに豊かな生活を提供できる――その自信がヘンリクの勇気となって、長年想いを抱いていたテレーサに声をかけたのはしばらく前のことであるが、いまだ色良い返事をもらえたことはない。蠱惑的なオーバン焼きの香りを身にまとったテレーサは、その甘やかさの一粒すらもヘンリクには分け与えなかった。


「使命だの役目だのと……くっだらねぇ。なんでテレーサなんだよ、他のヤツにやらせりゃいいじゃねぇか。……何が聖女ヨーコ様だ……呪いみてぇなもんじゃねぇか。別にいいだろ、あんなモン途絶えちまったって」


「それは同感。……お隣、よろしいです?」


耳を埋め尽くす街並みの雑踏を、そのひと声が背景にした。その声音の美しさに思わず聴き入り、次を待ったが、それが言葉としては自分に向けられたものであるとヘンリクは遅れて理解して、まだ酒気の及ばぬ目を声の主に向けた。


月明かりのように流麗な銀髪を朱色の夕差しに遊ばせた少年が、あどけない、けれどどこかイタズラな誘惑を潜ませた顔つきで、ヘンリクの後ろに立っていた。見ている側が逆に見透かされそうな空色の瞳が目をひいた。不意なお目見えが許されるような気安い美貌ではない。


一瞬、目と心を奪われかけたヘンリクであるが、商人としての習性で、反射的に警戒心をむき出しにする。


「あん? 向こうに空いてる席があんだろ」


「ボクはここがいいんです。お嫌でしたら離れますが」


「……あンだ、お前? ……まさか客引きか? 俺の範疇外だ、ヨソ行ってろ」


客引き――という明け透けな物言いに不意を突かれたらしく、少年は息を飲んで驚きをあらわした。その仕草さにも、見るものを心地よくさせる魅力があった。


少年はくすくすと笑みをこぼし、ヘンリクの罵声を受け流す。


「あはは、そうみえます? ……ご安心を、そういう商売はしていません。旅の途中に寄った街で、フラフラと話し相手を探してるだけですよ。今夜はお暇です?」


「……ヒマじゃねぇよ。……見りゃあ、わかんだろ」


ヘンリクの手元の酒杯と食い散らかした肴の小皿が言葉の説得力を無にしていた。少年の空色の瞳がそれをしっかりと見咎めたが、その視線に嫌味はなく、むしろ歓迎するような色であった。


「そうなんです? ルグスの残光が成りを潜めてもいないのに、お手元はだいぶ進んでおられるようですが」


「俺が早いんじゃねぇよ。夜の方がもたもたしてンだ」


「なるほど。そんじゃ、朝日の方も遅刻してくれそうですね。……この街のお酒て何が人気です? ボク、お酒は詳しくないので、目録みてもさっぱりで」


少年はヘンリクの悪口を気に留めるでもなく、ヘンリクの横の席に腰を下ろす。そして、手元の品書きを眺めるために銀色の髪を耳にかけた。見る者の陶酔を誘う横顔があらわになる。


ヘンリクは喉の渇きを覚えて、たまらず酒杯をあおった。あたかもそれが、少年の臨席をヘンリクが歓迎したかのような構図になった。


安酒場である。隣に誰が着席する運びになろうとも、ただの客にそれを拒む正当な権利はない。仕方なし、という顔でヘンリクは応えた。


「あいにくと名物になりそうな地酒はねェさ。機織りと染め物だけの味気ねェ街だよ。……コレにしときな、ガキにはお似合いだ。飲んだら帰れよ」


ヘンリクは品書きの端を指した。果実の風味を加えた蒸留酒の水割りである。

ユーリンを名乗る少年は顔を輝かせ、それを2つ注文した。


「それじゃ、お酒いっぱい分だけ。それで退散します。『一杯奢らせてくれないか』……これやってみたかったんですよ」


「変なガキだな」


「よく言われます。……ボクはユーリンといいます。押しかけたご無礼の分くらいは楽しんでいただける自信はあります」


「……ヘンリク。一杯だけだ……暇つぶしにからかってやるよ」


すぐに届けられた2つの酒杯を不慣れな手つきで握りしめ、少年は興味津々といった面持ちでそれを掲げ持った。


「あはは。お手柔らかに……カンパイ」




一方的な都合による、ユーリン以外には理解不能のねじくれた憂さ晴らしのために、青年ヘンリクの夜は侵食される。


(……上等。やってやるよ。……ボクに焦がれてもだえて、延々と悶々とした夜を過ごせ……お前の心の自由、おちょくり倒してやる!)


それは恋人に不貞の裏切りを受けた妙齢の女があえて程度の低い男に身を委ねることで恋人への痛烈な報復とする心理と同質のものであったが、ユーリン自身にその自覚はなかった。ユーリンの研ぎ澄まされた精神感応力は専ら他人に対して向けられるものであり、自省のためにそれを自身に用いる発想がそもそも無いのである。


(ならぬ恋心はオトナの玩具(オモチャ)てね。コイツにねじ込んで、窒息するまで喘がせる。そして思い知れ、ボクの怒りを! ……ウンチョーのバーカ)「わ。コレいい香りですね。青リンゴ? あま、い……すみません、ちょっと強いですね、水で割っても。あ、でも美味しい」


(すす)めたものが喜ばれるのは、先駆者たる推薦人の面目を助ける。ヘンリクはいとも容易く気をよくした。ユーリンから奢られた一杯に、確かめるように口をつける。


「だろう? アテにはコレだな、つまんでみろ」


「……う、しょっぱ」


ユーリンはヘンリクの提案のとおり、塩炒りの豆をつまみ、その塩気に顔を歪めた。


ヘンリクが満足げにその反応を笑う。それは嫌味のない笑いであった。

年齢相応のユーリンの少年らしい反応を見て、ヘンリクは心地良い余裕を実感したのである。己の領域で後進を導くことに快感を感じるのは、健全なことであった。


一方のユーリンは手応えを覚え、内心で(わら)う。声掛け以来当然にヘンリクが抱いていた警戒心の土台に入る亀裂を、()たのである。年少者の明白さと予測可能性は、心理的な障壁を取り除く。いわば素直な反応こそが、年長者の心をほだすのである。


青年ヘンリクは得意げに少年ユーリンに酒を指導する。


「そこで流し込め」


「……んっ! ……ぷはー。うっわ、クセになりますね。甘……い? あ、後から塩気が……まだ飲める」


「酒は飲み方が大事なんだ。いろいろ試してみな。だが飲みすぎんなよ。お前の介抱なんて、今夜の俺の予定にゃねぇからな」


「気をつけますね。せっかくルグスがもたもたしてる夜ですし、長く楽しまないと。……ヘンリクさん、今夜のご予定は?」


「……無い。あったらこんなトコには来ねぇさ。……あー、もっと品のいい店に行くつもりだったんだがなぁ、1人で行く気にもならねぇ気分なんでな……」


ヘンリクは言葉を濁し、残念そうに肩を落とした。


しかしその理由を熟知しているユーリンは、戸惑い言葉を探して慌てるような表情の裏で、たっぷりとヘンリクを鑑賞して酒の肴として堪能する。ムシャクシャに身を任せた憂さ晴らしがユーリンの目的である。前菜としては満足の味わいであった。


ふと気がついた、とでも言わんばかりの様子で、ユーリンが話題を転じる。


「ふぅん。あれ? ……ヘンリクさん、もしかして稼業は染め物関係ですか?」


「……なんでわかる?」


「ほのかに染料の臭いが。この街には染物屋が多いので、もしや、と」


ユーリンは顔を寄せ、けれども失礼だとは感じさせない雰囲気のまま、ヘンリクの臭いをかいだ。


「ふふ、何かの植物の香りですね。さては紅か藍……」


「お。正解だ。うちの店ではタデ染めの卸をやっててな。俺の仕入れの質は王都でも評判なんだぜ。この間も行ってきたところだ」


「王都まで商いを伸ばしているんですね! それはすごい。ボク、王都って行ったことないんですけど、どんななんです?」


さながらヘンリクの話に興味があるかのような表情で、ユーリンは自然に身体をヘンリクに寄せた。ヘンリクは気がつかない。ユーリンに抵抗なく体臭を受け入れられたことで警戒心をすっかり失ってしまっていた。稼業に伴う後天的な属性を歓迎されることは、男性にとって安心感をもたらすためである。


ヘンリクは得意げに王都での商いが好調である旨を語った。話し込むうちにユーリンの身体が近いことにも気がついたが、それを強いて遠ざけることはしなかった。視線をさまよわせた挙句、手元の酒器の波模様を観察しただけである。


しかし視線に敏感なユーリンは、ヘンリクの心情を悲しいほどに見透かしていた。


(情欲発動ね。よしよし。ボクの容姿はどストライクですかそうですか。そんで腰派ですか、そうですか。……そういえばあの女もたしか……忘れた、足はたしか2本あったはずだけど。……ウンチョーの、バーカ)


ユーリンはヤケクソになってヘンリクに自身の腰を寄せた。




酒がまわり、ヘンリクが時間を忘れはじめたころ、ユーリンはさみしげに告げた。


「……と、そろそろお暇しないと」


「あん? 最初の威勢のわりに早いじゃねぇか。今日の夜はずいぶんとダレてやがる、急ぐことはねぇぞ」


「急ぐわけではないのですが」


ユーリンはほくそ笑んだ。ヘンリクの挑発的な言葉の裏に潜む自分に対する否み難い好意の芽生えを察知したのである。後はそれを自覚させるだけでよい――そのためには、好意を具体化した自発的行動を誘うのが効果的だ。

ユーリンは悲しそうに目を伏せる。


「せっかくですが、そろそろフトコロの持ち合わせが」


経済力の優位は、常に男を勇敢な紳士道に誘う。ヘンリクはむしろ安堵して、けれども仕方なさげに提案した。


「……払いのことは気にすんな」


「え?」


「要らん。ここは俺が出しておく。……代わりにもう少し付き合え」


口調だけは無頼を気取っているが、その声に悲哀の懇願の色彩が混じりつつあるのは否めなかった。

ユーリンは、我が意を得たり、とばかりにその油断を刈り取る。


「でも……あ、だったら、明日はボクが出しますからね。でも明日は控えめにしてくださいね」


「……明日?」


「あれ? ……ボクたち……一夜限りですか?」


「そういう言い回しはよくねぇぞ。誤解するヤツがいたらどうすんだ」


「あははは。だっておにいさんたら隙だらけだから、ボクなんかでもイケるかなぁて……やっぱり、ご迷惑でしたでしょうか」


自ら発掘したものの価値を信じたくなるのは、人間の普遍的な性質である。ヘンリクは、明るく振る舞う少年の言動の裏に張り詰めた緊張があることを感じとり、その虚勢の影には、自分に向けた慎ましくほのかな慕情が眠っていることを嗅ぎ当て……させられた。


突如として好意の双方向性を自覚させられて、ヘンリクはしどろもどろになる。


「……いや、その……メーワクなんてことはない。ないんだが……」


ユーリンを安心させるようにヘンリクは言い、ユーリンは安心させられたかのようにそれを受け入れて、言葉を抱き寄せた。


「ボク、初めてです。こんなに気兼ねなく誰かとお話しできたの、て。……今夜はもうちょっとだけお話を続けたいんですけど、いいですか?」


喜怒哀楽の適度な明暗が自身の外見的な魅力を否応なしに増幅させることをユーリンは知悉している。不安げな目元の影に、募る想いめいた親愛みたいな光を宿す。


それがある種の呪いであることに気がつかないヘンリクは、されるがままに誘導された。


「……まぁ……やることもねぇしな」


「よかった」


ユーリンは鮮やかな喜びで麗顔を彩った。もしも感情に光があるとすれば、それはまさに珠玉の宝石のような輝きに満ちていた。

酒の酔いがまわったヘンリクは、それに見惚れている自分に気がつかない。ユーリンの表情と声から溢れる心地良い美しさを、惚れ惚れと鑑賞している。素っ気ない言葉とは裏腹に、ユーリンに喜びに満ちた反応を見せてもらうことが、すでにヘンリクにとっての何よりの報酬となっていた。


そんなヘンリクの心の揺らぎを見透かしたユーリンが、掌中の蝶の羽をむしるように容易く、トドメをさした。


「……お店を変えません?」


ヘンリクの耳元でささやく。ヘンリクの理性にヒビを入れ、欲情の濁流を堰き止めていた堤を決壊させるために狙い澄ました、ユーリン渾身の一撃であった。


ヘンリクの目の焦点が失われる。耳に吹きつけられた音色が頭の中を反響し、したたるような恋心を実らせた。


「……あ……ぁぁ、……!」


ユーリンの細くしなやかな手が、酒杯を握ったまま硬直しているヘンリクの指に触れた。


「他にも美味しいお店、知ってるんでしょう? ……できればもっと静かなところで、2人きりで過ごしましょうよ」


ユーリンが顔を寄せて、ヘンリクを見つめた。もちろんユーリンはヘンリクの顔にまったく興味はない。チラチラと横目で舐めるようにユーリンを覗き見していたヘンリクに、それを見せつけるためである。


――ヘンリクは、透きとおる空色の瞳に出会ってしまった。


「……ユー……リン……」


恋は世界を再定義する。


ヘンリクの目に映るユーリンは、この世の誰よりも純真で、素直で、己の容姿を鼻にかけることもない、瑞々しい輝きを放つ美貌の少年であった。

それを認めた時、ヘンリクのこれまでの全ての過去が色褪せた。

ただユーリンの存在だけが、ヘンリクの心を照らす光となった。


「……行くか。ここよりは品性に配慮した店がある。少し歩くが、ついてくるか?」


「やった! お誘い成功ですね。うれしい」(チョッロ! わかりやすく一色に染まったな。……はい、ボクの勝ちー。……ザマァ! ……後はテキトウなトコで惨たらしくフるだけだな。ウンチョーのバーカ)


ユーリンはまるで嬉しそうな声で、あたかも喜び踊るようにヘンリクの腕を抱くようにつかまえ、いささかの羞恥とそれを乗り越える勇気の混じったかのような恥じらいを含んだっぽい表情で、頬を寄せてしなだれかかった。そして、ヘンリクが快感に震える身体を必死で押さえ込んでいるのを感じとり、何だかとっても無性にスカッとした。


(あー、気持ちいい……もうちょっと、飲んじゃおうかなー……ウンチョーの、バーカ、バーカ、バーーーッカっっ!!)


ユーリンは酒を好まない。酩酊による自我の希薄に恐怖を覚えるためである。ユーリンにとっての酒とは、関羽に楽しんでもらうためのご褒美であり、他者の意志力を奪うための手段であった。しかしこの日に限ってユーリンは自らのために酒精をあおった。




大通りに面したテレーサの焼き菓子屋の店先。テレーサからオーバンの手ほどきを受け充実感に包まれた関羽が、満身の感謝を込めてテレーサに礼を述べる。


「オーバンの製法、しかと伝授仕りました。簡易な構造なれど素材の(たえ)を引き出す工夫の数々、誠に感服しきりにございます」


「やっぱりウンチョーさん、ヨーコ様に認められましたね。わたしの予感どおりです! 優しい人だってわかってましたもの」


「やさし……? い、いや儂はそのようなことは……し、しかし、アレですな! オーバンの製法に触れてやはり感じたのですが、その、呼び名が地域によって異なるというのが、どうにも珍奇ですな」


「そうですよね。同じものにいくつも名前をつけるなんて、不思議です。聖女様の意図はよくわかりません。……聖女様のただの悪ふざけだという方もいますが、聖女様に失礼ですよね。そんな下らないことをなさるはずがありませんもの」


慎み深く(いにしえ)の聖女を讃えながらも、どこか探るようなテレーサの視線に、関羽は気がつかない。 ただ剛直に、思うがままを述べる。


「存外に、左様なものかもしれませぬぞ」


関羽の言葉に、テレーサは目を見張る。しかしその口元は、期待を込めて関羽の次の言葉を促していた。


「儂も稚拙未熟の身でこれまで聖女殿の跡を辿って参りましたが、時折、感じるのです。聖女殿の強かさ、清らかさ、優しさ……そしてイタズラ心を」


「やっぱり!?」


テレーサは嬉しそうに関羽の手をにぎった。


不意にテレーサとの距離が近くなったことに、関羽は身を固く緊張させる。先刻までオーバンの指導を受けていた時には覚えなかった、テレーサの女の性を感じたのである。しかしその手を振りほどく無礼を働くわけにはいかない。ただ胸中に込み上げるぬくもりに酔いしれるばかりであった。


そんな関羽の――精神年齢はともかく――いかにも若者らしい反応をむしろ好ましく感じたようで、テレーサは安堵して語った。


「わたしもそう思うんです! ヨーコ様って、もしかしたらけっこうオチャメな御方なんじゃないかって」


聖女への私見を述べた。長年のはばかりから解き放たれたように歓び舞い踊り、淑やかに告げた。


「……同じ考えの方と……出会えてよかったです」


熱のこもったテレーサの、つぼみから解き放たれた花のような自由な眼差しに、関羽は引き寄せられた。


「テレーサ殿……」


「ウンチョーさん、わたしのこと、立派だっておっしゃってくださいましたね」


そんな感じのことを言った覚えは関羽にもあったが、この文脈を解する機能は備わっていなかった。ただ話題の是非のみを己の記憶に沿って首肯する。


「それは、いかにも」


テレーサは意を決したように、関羽を見つめた。


「でも、わたし、そんなに強いわけでもないんです。ただ必死で、ひとりで切り盛りしてるだけ。たまにさみしくなることがあっても、それでも立派だって思ってくださ――」


「あらま。ごきげんよう。おふたりの営みはおしまい? はやいね! さぞかしおたのしみでしたでしょうね。まる」


すっかり薄暗くなった大通りの夜の幕をいとも容易く吹き飛ばすような声音が響いた。見れば見紛うはずもない、見知った関羽の連れが見覚えのある男を連れてそこに立っていた。とりあえず上機嫌としか言いようのない様子のユーリンが、ヘンリクの腕を抱いて身を寄せて、にこやかであるかのような態度で関羽とテレーサを睨みつけていたのである。関羽としては反射的に尋ねるしかない。


「そなた、何をしておる……?」


「え? みてわかんない?」


「……わからぬ」


勝ち誇ったかのようなユーリンを前に、関羽は困惑を隠せない。

対するユーリンは、すっかり酒精に上気した艶のある朱色にまぶたを重くしている様子であった。


「ただのデート。じゃね」


ユーリンはそう言い捨てて、ヘンリクの腕をことさらに抱き寄せた。


その場の全員が互いに面識のある関係であったが、誰も事態を理解できなかった。


関羽は思考を放棄して頭をかかえた。

ユーリンは見せつけるようにヘンリクに身を寄せた。

ヘンリクはいつの間に自分がテレーサの店の前まで歩いてきたのか思い出せず、記憶と自我の在り処を求めるように辺りを見渡している。


テレーサは少しの間、不思議そうにヘンリクとユーリンを見比べていたが、やがて軽蔑の目をヘンリクに容赦なく叩きつけた。


「……ヘンリク……さん……?」


「ん? ……ああ、テレーサ。遅くまで大変だな」


が、ヘンリクは動じない。余裕ありげな態度でテレーサの蔑みを受け流す。ユーリンに魅了された瞬間から、長年執心していたテレーサの魅力がその心のなかで色褪せてしまったのである。今のヘンリクにとって、テレーサはただの地元街の風景のひとつであった。


誰もが混乱のただ中にあった。

夜の訪れを告げるように、涼風が甘い香りをのせて去っていった。


いち早く立ち直ったのは、やはり歴戦の武人たる関羽である。動揺を抑制してユーリンにシンプルな疑問をぶつけた。


「なに、ゆえ?」


「ヒマだったから。ほかに、りゆう、いる?」


「しかし、その男は……」


「キミ、ヘンリクさんの、なんなのさ。ボクがヘンリクさんと、どこにいこうと、かんけい、ないでしょ……ね?」


ユーリンに返答を促されて、ヘンリクはコクコクと頷いた。操られている――と関羽は感じた。未成熟な大器が感情のままに暴走し、善良とはいえずともさしたる邪悪でもない凡庸な男の理性を、ほしいままに狂わせる構図が、そこにあった。


関羽は胃痛の兆しとなる冷たさを腹部に感じながら、ユーリンに尋ねた。――嫌な予感が外れることを、願いながら。


「待て。そなた、いずこに赴くつもりだ?」


「んー? ……おもいでづくり?」


物理的な(ちから)の及ばない、精神的な世界における王者の貫禄を示す微笑みをたたえて、ユーリンは恥じらいもなく言った。それは、たとえ庶民がその生涯を費やしても決して至ることのない富貴を生まれながらに備えもった至尊の血統のみに許された自堕落な浪費の予告のような、(みだ)らな表情であった。


関羽はめまいに苦しみつつも、強靭な現実対処能力を発揮し、事態の理解に努める。しばし瞑目し、思案した。


関羽は、ユーリンが――例えば近い年頃の少女と想いを交わして将来を考えたのであれば、関羽は満願成就の熱量を以てそれを祝福したであろう。己が身命を賭すにふさわしい慶事であり、その夫婦(めおと)と子孫とに守護の恩寵を注ぐ捧誓(ほうせい)を天に示したに違いない。その際においては、相手の人物は何らの障りとならないだろう。如何なる器量、性質、能力の人物をユーリンが選んだとしても、それがユーリンの選んだ人物でありさえすれば、関羽にとってはそれが本望となるに違いない。


しかし現状は著しく異なる。欠落した節操と人心籠絡の大才が心血を注いで合作した、忌まわしき抱擁の成果がそこにあった。ユーリンの成果物たる哀れなヘンリクは、虚ろとも夢心地ともいえぬ薄弱な意思のもとで、操り人形のようにユーリンに従わされている。


――何故、その程度の、男と、何の、因果にて……


関羽は沸騰した。万騎を率いて戦塵を背にする気合で、理性を叩きつけるように、呼んだ。


「ユーリンッ!!」


「……っ! な、なにさ!」


じろり、と関羽はユーリンをにらむ。

びくり、とユーリンは関羽に怯えた。


関羽は嘆息し、己の熱気を逃がした。

潔癖であることを、求めたことはない。ユーリンの美点も悪癖も承知して、その器の彩りのひとつとわきまえて、それでもなお見込んだ未完の大器である。

故にこれは関羽のワガママであった。その自覚が、関羽の語調を柔らかくした。


「宿に、帰るぞ」


「……へ?」


「芝居は終いだ。そこな男から身を離せ」


「かえる、て。キミは?」


「何を申すか。そなたと帰る」


「え、でも……」


ユーリンは、テレーサを見やった。テレーサは不安そうに事態の推移を傍観している。「どうする気なの?」と伝わるように、ユーリンは関羽に視線を戻した。しかし関羽はユーリンへの視線をそらさない。テレーサの存在はすでに関羽の眼中にはない――それがユーリンにはよくわかった。涙がこぼれなかったのは、涙腺が震えるよりも早く、関羽がユーリンの手を握ったためである。ヘンリクは小石のようにその場からはじかれていたが、誰も気に留めなかった。


関羽がユーリンの意思を求める。


「不服か?」


「いや、その……ううん。あの……いい、です……けど……」


ユーリンは、次の言葉を、待った。


「今宵は宿に帰る。寝る。明日は出立する。それでよいな?」


「あ、っ……ん……は、はい! ……そう、します……」


薄暗い中にもわかる関羽の改まった面持ちは、ユーリンの酒酔いの酩酊を洗い流した。途端に我に返ったユーリンが顔に染めた羞恥の赤を、夜の帳が控えめにさえぎる。


「ね、ウンチョー……キミのうで、にぎっても……いい?」


「酒を飲んだのか?」


「すこしだけ」


「つかまれ。そなたに酒はあわぬ。男子なれば飲むなとは言わぬ。が、痛飲は儂の目の届くところに限れ。よいな?」


「……はい。ずっと、そうします」


ユーリンは関羽の腕に、静かに身を寄せる。


「あの、ウンチョー……」


「うむ?」


「ごめん、なさい」


「……? 何のことだ?」


「勝手にフラフラしました。八つ当たりでヤケクソしました。……ごめんなさい」


「何やら思い詰めておる様子であるが、何ぞ窮地でもあったか? 儂の助力が必要か?」


「そういうわけじゃ、ないけど」


「……そなたが無事なれば、よい」


「でも、ボク、いつも助けられてばっかで」


「ん? いったい何を申しておる。そなたが儂を助けておるのではないか。これからも頼むぞ」


「……はぁい」


関羽とユーリンの2人は、連れ立って大通りを歩いていった。


いともあっけなく関羽に捨て置かれたテレーサはしばし呆然と立ち尽くす。そして、そこにヘンリクがいることにはじめて気がついたように、言った。


「あ。こんばんは」


ユーリンに捨てられることすらもなく放置されたヘンリクは、口を開けて目を丸くし、口を丸くして目を見開いて、去り行くユーリンの後ろ姿を眺めていたが、やがて思い出したようにテレーサに応えた。


「ん……ああ……そんじゃ」


テレーサとヘンリクは顔を見合わせ、何事もなく解散した。その後、二度と会うこともなかったが、少なくともそれは誰の不幸にもならず、テレーサは隣町の大工職人と、ヘンリクは王都で見初めた街娘と、やがて良縁を結んだ。この日のことを思い出すこともなかった。


一連の騒動において全体の総和としての幸福度は少しだけ向上しているのが、全員にとっての救いであった。




翌朝、旅支度を整えた関羽が宿の帳場で唐突に言った。ユーリンは硬直する。


「出立前にこれを渡しておこう」


「え」


それは淡い空色のハンカチであった。薄手の布地を走るように、銀糸の刺繍が飾っている。


驚きのあまりそれを受け取れないユーリンを催促すために、関羽が言葉を足した。


「そなたに似合うと思うたのでな。昨日の昼の集合前に、街で買い求めておいた。良い染め物を並べておる店があったのでな、たまらず、な」


「……ボクに?」


「それはそなたのために世に生みだされた染めである。そなたが所有せずして如何とする。されど織りはあまり強くない。実用には堪えぬ故に、適当に身の飾りにでもすればよかろうと思うておるが」


恐れるようにユーリンは差し出されたハンカチを受け取る。ユーリンの空色の瞳に合わせたような控えめの青が、(やわ)い布地に鮮やかに広がり、風のそよぎを連想させるように波うつ。木々の(こずえ)から差し込む月光の如き銀の刺繍は、ユーリンの髪と同じようにきらめいていた。


「あのさ、あのさ……ウンチョーは、ボクにこれ、()けて欲しいの?」


「ふむ? そなたに似合うと思うて買い求めたのだ。他にどうするというのだ。……よもや気に沿わぬか? 儂はそなたがこれを身に纏えば、それが髪でも首でも胸元でも、得も言われぬ映え様であると確信しておったのだが、そなたの意には合わぬか? なれば次の街で別のものを探しもとめるが」


「え、い、いや、そういうわけじゃ」


「ぬぅ。なれば名分が不足しておるか。贈答にも理由を要するとのことであるが、日ごろのねぎらいでは名分にならぬと――」


「そんなことよりさ! 挙式はいつにするッ!?」


「……なにゆえそうなる!?」


迫るユーリンの剣幕に首をかしげる関羽の預かり知らぬことではあるが、関羽がそのハンカチを買ったのは、実はヘンリクの店であった。しかし少なくともそれは誰の不幸にもならなかった。

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