馬を背負うて、カカオ酒を知る (前)
「放っておいてくれ。ココは日当たりがいい。暖かくて、やわらかいんだ……このコは本当に賢いコでねぇ。きっとアタシの死に場所を選んでくれたのさ。このコが駆け回っているような気がするよ。ここで眠れってね」
そう言って老婆はその亡骸に手をのせた。シワだらけの指先で、顔をなでる。草地に横たわる馬は動かない。老婆は惜別の涙をこぼし、その死を悼んだ。
関羽はしかしそれを否定する。
「如何にも馬は主と共に旅をするもの。されど賢き馬なれば、主に死出の道連れを願うことはありませぬ。御身には時が必要です」
「時は平等なもんさ。アタシの順番がきたんだよ」
老婆は立ち上がらず、ただ亡き愛馬に寄り添って、座り込む。かたくなにその場を離れようとしない。道の脇に広がる草地に伏して、墓標のようにかたくなにその身を留めて動かない。
関羽とユーリンは顔を見合わせて、考え込んだ。
関羽とユーリンがこの老婆と遭遇したのは、つい今しがたのことである。
次の街までの旅路をすれ違う人もなく黙々と歩む途中、けたたましい狼の吠え声をユーリンが遠く耳にした。「儂、犬の肉はさほど好まぬが」とぼやきながらも関羽がユーリンを置き去りにしてひとり息を切らして疾走し、まさに狼の群れに飛びかかられんとする老婆の身柄をすんでのところで救出したのである。
「危ないところでしたな。お怪我はございませぬか?」
関羽が何匹かの狼を足蹴にして痛めつけると、すぐに狼は力の差を理解し、怯えて身を竦ませたのち、あちこちに散っていった。
好みでない肉が逃げ去るのを未練なく見送り、関羽が老婆の容態を検めてみると、これがひどく衰弱している。義心のままに介抱を試みる関羽を、しかし老婆は追い払うように手を振って、邪険に遠ざけた。まるでその老いた身体の下に横たわる馬の亡骸を守護するかのように。
儒者を好まずとも、儒教の教えには素朴な敬意を抱く関羽である。危難に際した年長者に粗雑な態度をとられた程度で顔色を変えることはない。
「儂に触れられるのは、気が進みませぬかな。なれどせめて水の一杯でもお口にされては……」
なお老婆は応えない。獣の群れに襲われた恐怖で錯乱しているものとも疑われる。
人心の慰撫に長けたユーリンの到着を待つべきか――と思案する関羽であるが、ふと気がついた。老婆の下に横たわり永眠する馬が老いていることと、その馬に負傷の跡が全く無いことにである。
「その馬は、御身の……? よもや先刻の野犬によるものでなく……」
「……放っておいておくれ。このコは、静かに眠ったんだ」
「そういうことでしたか」
その馬は、老衰で果てたとのことである。その亡骸の肉を狙う野生の獣に囲まれたとみて間違いなかった。
「良き馬であったのでしょうな」
「このコの何がわかるんだい」
「歩めぬ馬は人を乗せませぬ。それでも御身をここまで乗せたのは、最期まで共にあるのが己の務めとする意気であったのでしょう」
転生前の生前は、数多の馬を所有し、愛し、戦場をかけ、共に生き、また別れもしてきた関羽である。馬の生態、性質については並ならぬ知見があった。
「見事」
老婆の下で黙して語らぬ老馬に対して、関羽は哀悼の念を捧げた。
そこにユーリンが息で肩を弾ませながら、関羽に遅れて駆けつけてきた。
「……はぁ、ハァ。……ふー、さて。どういう感じ? ん? おばあさんとお馬さん? ……パーティーは阻止できた感じゃん! ……なんで微妙な空気なのさ? とりまウンチョー、説明と水ちょうだい、多めにね」
近隣の人里まで送り届けるとの関羽とユーリンの申し出を、老婆はかたくなに拒絶した。小柄な馬の遺骸を、己の墓標のように抱きしめて、頑として離れようとしない。
辺りに民家はなく、地平の先まで草原が広がっている。太陽は中天を過ぎてまだ朱色の兆しのない頃であるが、この世界の理に従う限り、遠くない将来に夜を迎えるだろう。
関羽とユーリンは耳打ちを交わして協議する。来たる確実な老婆の殉死を阻止するべきか、否かについてである。
(あえて儂らが口を挟むこともあるまい。助けを求められれば応えるが、押し売りは商いの正道に反する)
(放っておくわけにもいかないじゃん。躾のない犬ころが満腹元気でルンルン駆け回ってもうれしくないでしょ。キミの好みでもなし。……それに、本当にいいの?)
(無理強いはできぬ)
(……ま。他人には率直なくせに、自分には素直じゃないのも、キミの魅力か。さておき、野ざらし心中はイケてないと思うな)
(愛馬との別れは身を裂かれる辛さ。この際に、との覚悟を抱くもやむを得ぬ。年端もゆかぬ幼子のこねた駄々ではないのだ)
(ボクも似たようなおダダはこねたことあるけどさ、別に幼くなかったでしょ)
(……。そう……さな……?)
狂気に身をやつした執念の復讐――その満願を遂げたとき、ユーリンは咄嗟に自死を望み、関羽はそれを戒めた。関羽が腑に落ちなかったのは、ユーリンの部分的な自己認識について部分的な見解の相違を覚えたためであるが、それはこの際の本題ではない。どうあれユーリンが過去の自分と向き合いつつあるのは関羽にとって喜ばしいことであったし、目下の議題は老婆についてである。
ユーリンはしたり顔で語る。
(ショックのドン底で握りしめた決意なんて、キミが焼いたスポンジケーキくらいに脆いものさ。次の日には崩れてる)
(この頃はだいぶ様になっておろうが)
(腹に入れば同じだしね)
(スイーツは見た目も重要であるぞ!?)
(お。わかってんじゃん!)
(……。儂はこの御仁に口を挟む立場ではない。そなたに生きることを求めたのは儂の願いであるが、それはそなたをよく知り、その責任を預かる気持ちがあったためだ。これは事情が異なる)
(責任……いい言葉だね……責任……セキニンを、とらせる……)
(話を逸らすでない)
(いいよ、まだズルズルのあいまいな関係を楽しみたいんだね! ボクもおなじ気持ちだ、その日を待つよ。……この辺の土地……たぶん聖女ヨーコの祝福が原因だと思うけど、なんだかやたらマナが豊かだ。……野ざらしですんなり地に還るとは限らない。無害な精霊としてそのうちふわふわ消えるならいいんだけど、ちゃんと『生命魔法:浄化』しないといずれ悪霊化して住み着くかも)
(む。聖女殿の御業であるか)
関羽が当地の訪問を望んだのは、この先の村にチョコレートの原料となるカカオの産地があると耳にしたためだ。
古の聖女陽子は、豊穣の神アマサオンから授かったマナを用いて、この世界の各所に祝福を与えた。特に、各種スイーツの原材料の産出については、今なお甚大な影響が継続している。カカオの樹は聖女がそれと定めた地域に限り実を宿すとのことであり、関羽はスイーツ修行の一環としてそのカカオの樹を直に観ることを切望したのである。
スイーツ文化の創始者たる聖女の名を出されては、その信奉者たる関羽としては耳を傾けざるをえない。
(この老婆が、聖女殿の御業のために幽鬼と化して害をなすと?)
(可能性はわりと高い。さして想いも強くなさそうだしたいした脅威にはならないだろうけど、それを駆除する人たちの気分の悪さときたら、まず最高なのは保証できる)
(むむむ)
この世界に転生後、多くの不可思議な術理を目にしてきた関羽である。ユーリンの言葉を疑うことはなかった。
(聖女殿の御名が災いの種に挙げられるを見過ごすは、この関雲長の義に反する。何ぞ、策はあるか?)
(いくらでも。でもボクの趣味で選んでいい?)
(……贅沢は言わぬ)
ユーリンはにんまりと、笑った。そして、悲嘆にくれる老婆に歩み寄る。関羽はユーリンの後方からそれを見守った。
無闇矢鱈と人の信頼を勝ち取る天禀の声音で、ユーリンはさわやかに老婆に告げた。
「おばあさん。ボクたちは道を先に進みます。そのお馬さんも埋葬したいですし、いっしょに来てほしいところですが、どうあってもおイヤです?」
「助けてくれたのは感謝してるよ。でも、これ以上は余計なお世話さ。……アタシはもう疲れたんだよ」
「では、おばあさんだけ残して、行きますね。それでよろしいです?」
「それでいい。まだ日のあるうちに進みな。この先に村がある。それがアンタたちの旅路だろう」
「……やっぱり着いてきてほしいのですが、どうしても?」
「しつこいね」
「念のためですよ。でも合意が取れてよかった! これで万事解決です」
くるり、とユーリンは振り返って関羽に……多少みだらな顔を見せた。関羽は嫌な予感を抱いたが、ユーリンの判断力を疑うことはない。たとえその趣味の悪さを確信していたとしても。
ユーリンはにこやかに関羽に言った。
「じゃ! ウンチョー、さっそくだ。このお馬さん、運んで!」
「……なぬ!? な、なんと?」
関羽は言葉を失った。馬は人を乗せるもので、人は馬に乗るものである。人が馬を運ぶなど、やったこともなければ、聞いたこともない。関羽は唖然として硬直した。
一方のユーリンは大満足の表情であった。
「その顔が! ……見たかったの……いい……やっぱり、良いっ……!」
放心した関羽を、ユーリンは堪能した。カタチだけはよい目鼻立ちを、満天の星空のように輝かせる。口元から涎さえ垂らしていなければ完璧な美の彫像の顕現であったかもしれない。
棒立ちになって微動だにしない関羽に歩み寄り、ユーリンはその腕を撫でて、たくましい筋骨の隆起の手触りを味わう。関羽はまだ硬直している。ユーリンはうっとりした。
「担げるでしょ? ずいぶん小柄な、やせたお馬さんだし。おばあさんだけ残して、ボクらは先に進もう!」
「馬の亡骸を、手で運べと……?」
「そそ。して! えっほえっほ」
「……他に術はないのか?」
「あるけどさ。ボクの趣味で選んでいいんでしょ? さっきウンチョー、そう言ったよね」
ぐぐぐ、と関羽は耐えた。生前は漢の臨界を極めた関雲長である。二言を己に許したことはない。
それに、それがこの場における極めつけの有効打であることが、関羽にも理解できてしまったのである。覚悟を決めて、吠えた。
「ええい! かくなる上は、やむなし!」
関羽は腹をくくった。老婆の下に横たわる馬の亡骸に向けて腕を伸ばす。
その所作を見て、その馬の飼い主であった老婆は、ようやく事態を理解して、絶叫した。
「ちょ、ちょっと、アンタ、何を言い出すんだい!? このコはアタシの馬だ!」
まるで老婆が不可解なことを言ったかのように、ユーリンは真摯そうに考え込む。
「あれ? 埋葬するため先に行くこと、ご承諾いただいたではないですか。おばあさんだけ残す、と」
「そりゃ、そうだけど、そんなつもりで言ったんじゃ……」
「不幸な誤解ということですか? でしたら街の役人に訴え出ればよい! ボクたちのような旅人の言よりも、おばあさんの訴えのほうが信を得ること間違いなし。とりあえずこの場は約束のとおりにさせていただきますが、後日あらためて法廷にてごきげんようです……さ、ウンチョー、期待してる」
関羽は老婆の身体を子猫でもつまむように持ち上げて馬の亡骸から引き離し、その下に横たわったている馬を見下ろした。老齢の痩せた馬である。よく手入れされているが、細く衰えた脚の弱々しさは否めない。全長としては小柄であり、かつて関羽が戦場を共にした名馬とは比べ物にはならない貧相な馬である。関羽は敬意を新たに、その亡骸に手を添える。馬の胴が地を離れた。馬の前脚を肩に乗せ、長く伸びた胴を背中で支える構えで、関羽は立ち上がった。抵抗なき亡骸とはいえ、関羽は馬を担ぎ上げたのである。
老婆は驚きのあまり手を口に添えて、目を見開いて呆然とする。
「……まさか……そんな……」
「眼福。さっすが」
当然、とユーリンは頷いた。そして、優しげに老婆に手を差し伸べた。
「おばあさんにも着いてきていただけると嬉しいのですが。それと、ボクはユーリンです。コッチはウンチョー、ご覧のとおり、ボクのです」
いまだ驚きからさめない老婆は、ユーリンの誘いには応じない。ただ関羽と、関羽に背負われた愛馬の亡骸に目を奪われている。
老婆に代わって、関羽がユーリンをにらんだ。
「……そなた後で話がある……いくつも、だ。入念に、だ……」
「口論はマイルド前戯! ピロートークのお誘いは断らない! ……だけどさ、まま、少し見ててよ。まず歩こう」
関羽は馬の亡骸を背負って、歩き始めた。無論ユーリンはそれに付き従う。残された老婆はしばしその後ろ姿を唖然として眺めていたが、やがてヨタヨタと足を動かして、後を追おうと試みた。しかし膝が抜け落ち、上体が崩れた。脚の自由を損ねている様子であった。
馬を背負う関羽がそれに気づいたとき、すでにユーリンは老婆のもとまで駆け戻っていた。
「おばあさんはボクの分ですよ。いっしょに来ていただけますよね」
そう言ってユーリンはしゃがみ、その背を老婆のために空けた。
関羽とユーリンは予定の道を、馬と老婆とをそれぞれ背負って歩んだ。無言の旅路が続いた。老婆を背負うユーリンの方に余裕が乏しいためである。馬を背負う関羽の方は、その足取りを乱すこともなく、ときおり遅れがちなユーリンを振り返って確認しながら、粛々と歩いた。
ユーリンは顔を上気させながらも、老婆を背負って関羽の後を追って歩く。関羽は馬の重量を背負っている。その負担の差はユーリンとは比べものにならないはずであるが、消耗の度合いはユーリンのほうが甚だしい。
負け惜しみのように、ユーリンが言った。
「……ボクも、たまには、男を、上げないとね……どう? 惚れなおした?」
「無理をするな。馬とあわせてさらに2人を背負うとなると、さすがに儂も辛い」
「言って、くれるね……ボクも、めいっぱい、身体は、酷使してきたんだけど、さ」
「よく鍛えている、それを疑ったことはない。だが身を壊してはならぬぞ。天分というものがある」
「じゃあ! 休憩!」
大きな樹木の日陰を選び、小休止をとった。
ユーリンはさっそく老婆を草地に降ろし、自身も寝ころんで脚を伸ばした。老婆はいまだ口を閉ざしたままである。愛馬の亡骸を質として強引に連れ出された経緯が不満のわだかまりとなって、老婆に意固地な態度をとらせていることは明らかであった。
老婆の姿をちらりとユーリンは視た。
(無理もない。けど、そろそろかな)
きっかけさえあれば、心を開く。むしろ老婆の側が開けることを望んでいる――これまでの関羽とユーリンの献身が、老婆の精神をその段階に至らしめていることをユーリンは察知していた。
関羽が馬の亡骸を背から地に降ろした。ゆっくりと、傷つけぬように、柔らかい草地を選んで動かぬ馬を横たえる。老婆の視線がそれにくぎ付けになっていることを確認し、ユーリンはそこに言葉を差し込んだ。
「なんという名前です?」
質すでも、聞き出すでもない、ただ話題にするだけの調整されつくした情感で、違和なく老婆にその言葉を受け取らせる。
「……テオ」
老婆が応えた。応えてから、応えた自身を意外に思う顔をした。
うろたえる老婆の緊張を見通し、それがもっともゆるむ間を計算して、ユーリンが穏やかにその音を反復する。興味と感心の色合いを躍らせることで、暗に補足をうながした。
「テオ……?」
「『テオブロマ』からとったんだ。カカオの樹の別名らしい。聖女様がそう仰せになったと、村では伝わってるんだよ」
一度開いた口である。老婆の方が求めていたのが実情だ。観念したかのように、老婆はその由来を明かした。
そして、ユーリンの直観通り、やはりこの老婆はカカオの産地に縁のものであることがわかった。老婆の連れ先が目的地とぴたり一致するのは好都合であった。
「へぇ。カカオに別名が……カカオは聖女ヨーコの創造の産物とする説が有力ですが、もしかするとカカオの原型となるテオブロマなるものがどこかにすでに存在していた? ……わざわざ独創した名を別名とするはずもなし、テオブロマがもしかしたら本来の名前なのかも?」
「そのとおり。曰く『産地だけに伝わる秘密の真実、ステキ雑学おすそわけ。ステキな人には明かしていいわ、土産話はチョコの装飾』だとさ。まぁカカオのほうが呼びやすいし、アタシら村のモンも普段はカカオと呼んでるよ。テオブロマなんて言葉を引っ張り出したのは、あのコを引き取った時くらいだねぇ。……あのコ、テオが若い頃は、そりゃあきれいな白色で、毛並みもふわふわしていて。開いたカカオの実にそっくりな、美しい色だったんだ」
喪った愛馬の過去を、過去形で語る――その何気ない言い回しが、心理療養の自己分析として老婆自身の心に作用した。老婆の眼が涙を流し、それが垂れ落ちてから、老婆は泣いている自身に気づき、いよいよ泣いた。口をついて出たのは、謝罪である。
「……すまなかった。アンタたちにとんだ迷惑をかけた。……悲しかったんだ。どうしようもなく、もう最後の、アタシの家族だったんだ。それが、テオが動かなくなって、終わったんだって……だからもう、いいと……」
「悲しみなんてあわててつかまえなくても、どうせ長々と居座るもんです。まずはテオさんを村に還してあげましょう。悲しみの相手をするのは、それからです」
「ああ、本当に、そのとおりだ……テオを無惨な姿にしちまうところだった。もうあのコを護れるのは、アタシしかいなかったのに……バカなことをしちまった……アンタたちにも、とんだ失礼を……」
脚の萎えた老婆が、人通り乏しく野生の獣の群生する地で立ち往生し、馬の遺骸を独りで保護する術などない。愛馬の屍肉を囮としてでも自らのみ逃げのび、人里まで辛うじて帰還できたのならば、僥倖とさえ言えたであろう。あの時点で老婆にできることなどなにもなかった。過ちがあるとすれば、関羽とユーリンの助力申し出に素直な態度をとらなかったことであるがそれはあくまで態度だけの問題であり、生きた人間同士のことであるからして、いくらでも埋め合わせの効く些細な過ちであった。
ユーリンと関羽は、老婆の謝罪を受け入れて、受け流した。
「失礼の名産地とはボクのことで、つまり海に塩を撒いたようなもんですよ」「然り。老婆殿の行き先は、儂らと同じと思ってよろしいな」「……ウンチョー、今のその『然り』、どこにかかった?」
「アタシはマイア。この先のクリオロ村でずっと生きてきたが、もうカカオの栽培は店じまいだ。家族は今はテオだけだ」
ようやく老婆の名をマイアと知れたことで、ユーリンと関羽は安堵した。名を告げるのは相手を認めた証である。
「よし。これで馬のご遺体泥棒嫌疑は回避だ。あらためてよろしく、マイアさん。クリオロ村がボクたちの目標地で、カカオの樹が目的物です」「カカオ見学の案内をお頼みしたいが、差し支えありませぬかな。無論道中の安全は儂らが請け負いましょうぞ。愛馬殿の運搬も、この関雲長の名にかけて、しかと」
「たとえ墓土におおわれたって、この幸運への感謝を忘れないよ。アンタら、スイーツ巡礼者だね。聖女様のお導きってことかねぇ」
しばしの小休止の後、老マイアは提案したが、関羽は拒絶した。
「この際です。村までお運びいたす」
「ここらだって、そう悪いとこじゃない。テオもきっとよく眠ってくれるさ」
老マイアは手近な場所に愛馬を埋めることを提案したのである。馬の亡骸を人の手で運ばせることに、さすがに忍びなさを覚えたためだ。
しかし関羽はきっぱりと意思を示し、ユーリンが言葉の揚げ足をつかんできっちりと遊ぶ。
「乗りかかった船を途中で降りるは名折れです故」
「この場合、運んでる船役はキミのほうだけどね」
「そなたの指図で始まったことではないか」
「うん。でもだからボクの指図で終えることもできるよ? どうする?」
「……むう」
関羽が返答に窮する様子を、ユーリンは愛でた。関羽の心境を見透かし、愛しさを覚え、その熱で自らを暖める気持ちだった。
「そんじゃウンチョー。引き続きクリオロ村までよろしくね」
「……承知した」
けたけたとユーリンは笑いながら、形式的に関羽を助けた。老マイアは不思議そうに、2人のやりとり眺める。
「本当に、任せちまっても、いいのかい?」
「安眠のためですよ。心と身体の健康体操です。やはり溜まってるものは出したほうがいい。……ボクはいつでも手伝うと言ってるのに、ウンチョーはかたくなに自分の手でしたがるんです」
ユーリンがなるべくなるたけ誤解を招くように解説した。




