15.みんな少しずつ訓練の成果が出てきたんだよ
キュッキュッ。
ごっちゃんのシューズがリングの上でテンポよくリズムを刻む。
細いふくらはぎの上で躍動する太もも、小さなお尻、そして、Tシャツの裾からちらちらと覗く、おへそ。
ちょっと、これは不味い。ごっちゃん、ちっぱいだから、ブラしてない。
「タイム、タイムー!」
俺はゴングを鳴らして、リングに駆け上がった。ボクサーの間に割って入り、ふたりに離れるように指示。
俺はごっちゃんとともにコーナーに戻り、周囲のブーイングを無視しつつ、ひそひそと教える。
「ごっちゃん、リング下からだと、あの」
「ん、なんじゃ?」
まったく気づいていないらしく、ごっちゃんは首をかしげてリング下に群がる変態亡者を見渡す。全員、ギトギトにぎらつかせた目を、さっと逸らしていく。
「んん?」
「低い位置からだと、Tシャツの裾から、ちょっといろいろと、見えちゃいそうなんです」
「うにゃっ」
ごっちゃんはビクッとしてお腹を押さえた。それから、俺を睨んでくる。
「いやいや、俺を睨むのは間違いでしょ。俺は教えたんだよ。下で覗いている奴らを睨んでくださいよ。ほら」
俺が攻撃の矛先を逸らそうと、周囲の変態亡者を指さしたらリングの周りは無人だった。
パンチングボールを叩く者、縄跳びをする者、鏡を前にしてシャドーボクシングをする者、みな熱心に自主練に励んでいた。
「み、見たよね。さっき、みんながごっちゃんのことジロジロといやらしい目で見ていたのを」
「ちゃんと練習しておるし、見ておれと言ったのはワシじゃよ? 見て学習しようとしておったのではないのか?」
「あー、もう」
この子、自分が男子からどういう目で見られているのか自覚が無いっぽい。
「とりあえず、すそ、縛ってください」
「う、うむ」
俺が強気に出たらごっちゃんは従ってくれた。ゴング化していた銀細工が糸の様にほどけてごっちゃんの腰を覆い、チャンピオンベルトのようになった。でも、Tシャツがピンと張ってしまったため、胸のあたりに微かなふくらみが。
「無し。やっぱ、無し、ほどいて」
「むう。どうして? さっきから言っていることが変なんだよ」
「だ、だって」
「ここを縛っておけば、下から覗かれても平気なんだよ?」
「あ、あう、あう……」
俺はもう、声に出して説明することが無理だから、ごっちゃんの胸元を指さした。俺は目を閉じてごっちゃんから顔をそむけていたから、いったい、どんな表情をしたのかは分からない。
でも、「ふにゃっ」という慌てた声がして、シュッという風を切る音とともに、俺は頬に強烈な衝撃を感じて、吹っ飛んだ。
身体がふわっと浮いて、リング下に真っ逆さま。
「ぐふうっ」
どんなパンチを貰ったか分からないが、芯に響く一撃だった。
一瞬、場内がしんとする。
みんな、何だかんだとリング上の様子を窺っていて、俺がぶっとぶところを目撃したのだろう。これで、迂闊にごっちゃんに近づく者はいないだろう。
と、思うじゃん。
「試合だ! さあ、試合だ! 強打を喰らっても俺はダウンしないぞ。クリンチしてでもダウンしないぞ!」
リング上にいたケチャップは両手のグローブを打ちつけ合い、むはーっと息を吐きながら意気軒昂と猛っている。
「次は俺だ。俺が行くぞ! 今のパンチを見ては、俺はもう闘争本能を押さえきれない!」
さらにリング下では醤油が鼻息で眼鏡を曇らせながら周りに次の順番をアピールしている。
さすが変態集いしA組の中でも四天王との呼び声高い調味料四人衆だ。はんぱねえ。
「僕も強くなるために頑張りたいと思えるよ」
塩が俺の傍らに立ち、何か格好いいことを言っている。けど、倒れた俺に寄り添う位置って、リング上のごっちゃんを見上げるのにベストポジションだよな。相変わらず、善人面してさりげなく腹黒いぜ。
他のやつらみたいに、ごっちゃんの姿を楽しめばいいのに、なぜか俺には無理だった。上手く言えないけど、薄着なごっちゃんの姿をクラスメイトの目にさらすのは、とにかく嫌だった。
俺はスキル《小人による瞬間移動》で室内にあったウインドブレイカ―をごっちゃんの前まで移動させた。
俺が一部の生徒から恨みを買うのと引き換えに、ごっちゃんはウインドブレイカ―を着てやわ肌を露出しなくてもよくなった。
みんなさぞ落ち込んでいるかと思えば、少なくともリング上のケチャップや、2番手のソースはやる気まんまんだった。
試合開始と同時にケチャップがごっちゃんめがけて走り、胸元を狙ってジャブを放った。あっさりと避けられたにも拘わらず、ケチャップは真っ直ぐ胸を狙ってジャブを繰り返した。
何という短絡で素直な思考回路。
「うむ。ジャブで間合いを計ろうとする手はよし。小刻みに牽制する回転速度も上々。身長差を考慮すれば、お主のジャブはワシに対して打ちおろし気味だから、当たれば効果的だろう」
ごっちゃんはグローブをかすらせもせず、上半身の動きだけでケチャップの攻撃を避けている。最初に間合いに入った位置からほとんど動いていない。
にわかにクラスメイトたちの関心を引いたようだ。
先ほどまでと異なり、ごっちゃんはもう太ももをさらしていないし、胸やおへそがちらちらすることもあり得ない。
なのに、クラスメイトたちは自然とリングの周りに集まっていた。
「凄い。護国先生、ほとんど移動していないのに、全部避けている」
「テレビで見たけど、素人とプロのパンチ速度って大差ないんだろ? それを全部、避けてるのか?」
「顔を狙った攻撃と違って、胴体を狙った攻撃は避けるのが難しいって、漫画で読んだことあるぞ」
みんな情報の出所が漫画やアニメだけど、いっぱしのうんちくを語りながら観戦している。
俺が感心したのは、ごっちゃんよりも、むしろケチャップだ。
完全に避けられているが、かれこれ1分は打ち続けている。たかが1分、されど1分。やってみれば分かるというか、男子高高校生ならだれでもやったことのある、あるあるネタなんだろうけど、一分も全力で拳を振るのは、辛い。
シャドーボクシングをすれば、三十秒で息が上がるほどだ。
なのに、ケチャップはふっふっと短く呼吸を刻み、疲労を感じさせない動きで攻撃を繰り返している。
ケチャップが左だけでなく右も織り交ぜ始めると、ごっちゃんが脚を使って避け始めた。
するとケチャップが流れるような足さばきで、追従する。ケチャップなのに、動きが流麗で、つい目が釘付けになってしまった。
「ケチャップ、強くね?」
俺の疑問に返事をする者はいなかった。みんな、分かっているのだ。
ケチャップは強い。
そして、おそらく、ケチャップだけではない。
目に見えて、全員に訓練の成果が現れてきているのだ。
クラスメイト達は真剣なまなざしでリング上を見つめ、己の力を試したいと思っているのだろう。誰もが静かに牙を剥いている。
「やはりフィジカルはお主が一番優れているな。だが、顔を狙わぬ優しさは戦場では命取りだぞ?」
ごっちゃん、優しいから顔を狙わないのではなく、そいつは単におっぱい触ろうとしているだけです……。
「さて。ひよっこはまだまだ大勢いるからな。お主は、そろそろ終わりだ」
ごっちゃんはケチャップが左ジャブを引くタイミングにあわせて懐に飛び込んだ。これ幸いと抱きつこうとしたのか、ケチャップの両手が輪を描こうとした瞬間、ごっちゃんがさっと身を引いた。
ケチャップはゆっくりとしゃがみこみ、腹を押さえたまま顔からマットに沈んだ。
俺じゃなきゃ見落としていたね……。
ごっちゃんの細腕が離れ際に放った、たった一撃でケチャップを悶絶させたのだ。
認めたくはないが、ケチャップの身体能力の高さはクラスメイトの誰もが認めていたはずだ。そのケチャップがたった一発のパンチでダウンしたのだ。
クラスメイトはしりごむしかないかに思われた。
「次」
ごっちゃんがリング下に声を投げ捨てると同時に、ただひとり、勇ましい声を上げる男がいた。
「おう!」
満面の笑みの醤油だった。マゾ疑惑ありの知的眼鏡だ。
殴られて快感を覚える変態がリングに飛び乗った。
第2ラウンドも、ごっちゃんVSケチャップ戦のような華麗なフットワークの応酬が見られるのかと思ったが、そんなことはなかった。
ごっちゃんが生徒に合わせて、訓練効率が高まるようにファイトスタイルを切り替えているのだろう。
醤油戦は悲惨だった。
醤油の耐久力を試すためだとは分かっているのだが、あまりにも一方的な乱打だった。ゴングと同時に突進したごっちゃんが右パンチを振り抜き、醤油が倒れのを許さず、左パンチ。
ドガンドガンと爆音が連発し、一瞬で勝負はついたかと思ったが、醤油は耐えきった。しかし、反撃は出来ないようだ。
ひたすら殴られながら醤油は恍惚とした表情を浮かべている。
果たしてこれは訓練になっているのかと誰もが疑問に思ったことだろう。
「どうした。殴られているだけでは面白くないだろう。たまには攻撃したら、どうだ?」
「いえ、私は専守防衛を心がけていますので。それに。この感じ、何かに目覚めそうなのです」
いや、あんた、既に目覚めてるだろ……駄目なやつに。
「ふむ。だが。攻撃は必要じょ。お主の攻撃にワシが反撃するであろ。いわゆるカウンターというやつだ。威力は倍増だ。痛みも倍増じゃ。一瞬で気持ち良くなって気を失うほどなんだよ」
「おりゃあっ!」
何か急に醤油がやる気を出して、ごっちゃんの顔めがけてテレフォンパンチ、狙いが見え見えの大ぶりのパンチを繰りだした。
ごっちゃんは、僅かに焦ったようにして、ソースの正面からサイドステップで離れた。
「えっ?」
ごっちゃんの背後、醤油の拳を振り抜いた先で、ズドンッという音が鳴り部屋が揺れた。壁がボクシンググローブの形で凹み、ピシッと周囲に亀裂が伸びる。
「ふむ。受けたダメージを蓄えて敵に返す技。お主は前衛で身体を張って仲間を護るのに向いているな」
「い、いまの、俺が、やったんですか」
「そうだ。今の感覚、忘れずに自分の技としてモノにするのだ」
「はい!」
こうして生徒たちは次々とごっちゃんに戦いを挑み、自らの成長の度合いを知ったり、己の特技に気づいたりしたのであった。
俺は最後のオチに使われたというか、クラスメイトのやる気を引き出す発奮剤に使われたというか。
俺がリングに上がろうとしたらごっちゃんは、いやんいやんと肘を曲げて身体を振った。
「流星は、夜になったら、ふたりっきりで相撲じゃよ。成績優秀な者には特別授業なんだよ」
ああ、首筋に流れる汗がきらきらして綺麗なあ。
俺は背後から感じる、だんだんシャレにならなくなってきたクラスメイトの殺気が籠もった視線を無視して、現実逃避するようにごっちゃんの汗ばんだ姿を眺めた。
ただ、俺はごっちゃんの姿を見つめながら、言いようのない、もどかしさを覚えていた。
上手く表現できない違和感の正体を、夜、妹が教えてくれた。
「んー。クラスメイトと比較して兄ちゃんの成長が遅いから焦っているんだと思うんだよ」
「じゃあ、この妙に落ち着かない気分は何なの?」
「んーとね。訓練が終わったら兄ちゃんは、異世界転移訓練学校で過ごした記憶をなくし、異世界へ行っちゃうんだよ。そうしたら、ごっちゃんのことを忘れちゃうし、もう会えないんだよ。兄ちゃんは、それが不安なのじゃ」
「でも、それは最初から決まっていたことだし……」
「どうするのじゃ? たとえ忘れてしまうと分かっていたとしても、告白する? どうせ忘れてしまう相手だから、気持ちを伝えないのもありだと思うんだよ」
「そんなことは分かっているよ。でも、どうしようもないじゃないか」
「うん。だから、ね。それは兄ちゃんの悩みであって、もやもやとは違うよ」
「え?」
「兄ちゃんがもやもやしているのは、だったら、問題行動でも犯して停学処分にでもなれば、ごっちゃんと一緒にいられる時間が増える。そんなことを漠然と考えいるからなんだよ」
「いや、でも、それはさすがに」
「うん。あとは、ごっちゃんをこの世界から連れだして異世界に連れていくって手もあるよ」
俺は妄想の妹と会話することにより、自分が大それたことを企てていることに気付いた。
もし、もしもだ。
ごっちゃんが同意してくれるのなら、俺は何かしらの手段で、ごっちゃんを連れだそう。異世界に行って問題を解決して、一緒に日本に帰るんだ。
俺はごっちゃんのことばかり考えていた。
だから、俺の決断が、ベッドで隣に座る脳内妹にいったいどんな影響を与えるのか――。
人を好きになったのに、いつまでもその面影を宿す脳内妄想の妹を作りだしていては――。
「駄目だよ。兄ちゃん、それは考えたら駄目なのじゃ。私は、どんなことになっても気にしないし、応援しているからさ。ね。頑張って」




