17『一度切れたはずの縁』
「あはは、あはははは、あはははははははは!」
狂った叫び声が、街中に響き渡る。
しかし、それをまともに聞けている者はほとんどいない。何故ならば、この場にいるカンジ以外の人間が彼女と同じように狂気を纏い、戦いに酔いしれているからだ。
敵味方関係なく争い合うその異常な景色は、もはや混沌と名付けるほかなかった。
──間に合わなかった。
カンジはここに辿り着いた時、その異常さに思わず立ち尽くしてしまった。
カンジのよく知っている仲間も、騎士の街で知り合った人達もみな、その場にいた。しかしその全員が、カンジの知らない顔をしていた。焦点の合わない目をして、どこか笑っているような表情の彼ら。
カンジは、その誰にも話しかけることができなかった。話しかけられるはずもない。どうしたって、狂った彼らを止める方法はないのだと、そう分かっていたから。
とにかく、この異常事態を起こした原因を排除しなければどうにもなるまい。しかし、自分に出来るのか。
この、いつ誰に襲われるかも分からないこの状況で。
「あらぁ?もしかして、楽しくない子がいる?困ったわね。ワタクシ、みーんなを楽しい気分にさせているつもりだったのだけれど」
同時に、カンジの肩は高く跳ね上がる。
建物の陰に隠れて様子を見ていたから気付かれていない、と思っていたが、どうやら彼女を甘く見過ぎていたらしい。
──どうするか。ここは潔く顔を出し、仲間を元に戻すために戦うべきか。しかし、洗脳されてしまえば元も子もない。カンジも彼らと同じように、狂ったように戦争に明け暮れる羽目になるだけだ。
カンジは爪を噛みながら、今だに奇声を上げているエリスの様子を伺う。
槍を持った彼女は、飛びながら腹を抱えて笑っていた。黒い翼から抜けた羽は、闇夜のもとで怪しく光っている。
「あ、見つけたわ。そこにいたのねぇ」
「……っ!」
カンジは驚いて思わず、爪を噛んでいた歯を指先に移動させてしまい、強くそこを噛む事になった。
心臓が激しく脈打ち、息が上がる。もう駄目だ、何の策もないままに見つかってしまう、と思った。だが幸いなことに、彼女が探していたのはカンジではなかったようだ。
「ああ、あの方と同じ匂いがするわ。まるで、この世のものではないようなあの匂い。けれど、あの方と彼とでは決定的に違うものがあるわ。ふふふ。それもいいわね。それがいいのよね。でも、ワタクシの目的はそれだけではないのでした。本当、あの方は慎重なのですわよね。邪魔者はもういないと言ったのに。まあ、ワタクシは彼女が死んだ様子は見ていないのですけれど」
誰も聞いていないと理解しているはずなのに大声で喋る彼女は、ふわふわと翼を閉じながら地上に降り立つ。
そこは戦場で、すぐさま彼女は他人の血で塗れたが、全く気にしていないようだ。むしろ、それを望んでいるのだろうともカンジは感じた。
彼女は血を受けながらふらふらと歩くと、ある地点でふと止まった。
カンジはおやと思い、半分建物の陰から身を乗り出しながら、彼女の止まった理由を探す。
彼女は真紅の唇を三日月型に変え、槍を持っていない方の手で誰かの肩を掴んだ。
その誰かも他の者と同じように狂っていたので、反応は絶対にないだろうとカンジは思った。それに、その事態を招いたのは彼女自身だ。自分自身がやったことなのに、それを忘れてしまったのか。
カンジは、彼女が肩を掴んだ相手は誰なのかと身を乗り出す。その行為のせいでもう完全に体が建物の陰を出てしまったが、その人物を確認した途端、カンジはそれさえも気にしてられなくなった。
「ナオト……!?」
目が覚めたと感じた時、直人は直立していた。
──どうして、眠っていたはずなのに立っているんだ……?
そして、直人は思い出す。あの赤髪の女性を見た途端、頭がおかしくなったのだ。いや、違う。頭がおかしくなったのではない。何者かに意識を乗っ取られたのだ。
自分が自分ではないような感覚がして、直人の意識は眠り、乗っ取った意識が直人の頭の中で働き出した。
そこまで思い出すと、直人にも周りの景色が見えてくる。
怒声が聞こえた。どこかで生まれた血飛沫が、直人の頬に当たる。騎士同士で戦っている者も、武士同士で戦っている者もいる。
思えば、直人の頭も狂いきり、幾人かの仲間を斬りつけていた記憶がある。
きっと、みんなが直人と同じような状態に陥り、敵味方構わず斬りつけ合うような、このおぞましい事態を引き起こしてしまったのだろう。
「でも何で……」
そこまで口に出した後、直人は初めて目の前にいる人物のことを認識した。
赤い髪に血に濡れた鎧。右手には槍を持っていて、青い瞳を輝かせている。
「あ、気付きました?ワタクシ、エリスですわ。貴方はナオト様、ですわよね?」
「……っ!」
「ああ、そんなに警戒しないで下さいまし。危害を与えるつもりはないですから」
直人は、彼女の青い瞳を前にまた動けなくなってしまう。片手に持っている剣も、気を抜けば落としてしまいそうだ。
「貴方、ナツメという方の関係者ですよね?そして、こんなところに1人でいるということは、ナツメはもういない、と。了解しました。ワタクシの任務は完了いたしましたわ。どうも、ご協力有り難うございました」
彼女は言い終えると、ドレスの裾をつまみお辞儀をする。
ドレスの上には鎧をつけているが、上品さは全く欠けていない。しかし、その裏には恐ろしいものが隠されているに違いない。
今だって、用が済んだから帰るような言い草だが、実際はまだ帰る気はないかもしれない。
「あ、分かっていらっしゃるようで感心しました。そうです。ワタクシはまだ帰りませんわ。戦争はまだまだ続きますもの」
ニッコリと微笑む彼女に、直人は恐怖で鳥肌が立つのを感じた。
口に出していないのに、どうしてこちらの考えが……。
「ワタクシたちは人間の感情を司っているのですから、読心ぐらい当たり前ですわ。貴方は経験ありませんこと?他の者たちが貴方たちに何度か会っていると思うのですけれど」
心当たりは、なくもない。ニンフとかいう奴と戦った時、同じように心を読まれた。しかし、彼女たちがどういう関係性なのかが直人にはよくわからない。シュ、とやらに仕える仲間、としてもよいのだろうか。
「そう、ニンフが貴方に会っていたのね。あの子はお下品でワタクシはあまり好いておりませんの。ごめんなさいね。でも、貴方の仲間というのは当たっているわ。あの子も、ワタクシと同じように主に仕えております。あの子の事情はワタクシとは少し違うようにも感じますけれど、貴方には関係ないことですわね。失礼いたしました。さ、お喋りはもう終わりにしましょう。貴方をまた楽しい気分にさせてあげますわ。体の力を抜いて下さい」
彼女は、直人をその青い双眸でじっと見つめる。また、あの状態に戻すに違いなかった。
──今度こそ逃げなければ。
だけど、逃げたところでどうなる?直人の仲間が死んでしまうだけだ。ならば、そうならないようにしなければなるまい。
自分の中に根付く正義心を奮い立たせ、取り落としそうだった剣を強く握る。
そして、ありったけの力を振り絞り、剣を両手で握って相手に臨戦体勢であることを示す。
「みんなを、救うんだ……!」
「彼女を救えなかった貴方がいうことですか?そんな風に剣を握っていたって楽しくありませんよ?楽しく争い狂った方が気持ち良いじゃありませんか。戦争に、そんな正義感なんて必要ないんです」
「戦争はいらない……!言葉だけで、人は分かり合えるんだ!」
「ああ、そうですか。戦争を否定しますか。ならば、ワタクシ自ら戦争に参加することにしましょう。戦争の楽しさを、死が迫る事の気持ち良さを、貴方に分からせてあげます」
彼女は、慣れた手つきで手に持っていた槍を構える。
槍との戦い方は習っていないので少々不安だが、きっと何とかなるだろう。掌に脂汗が浮かび上がるのを感じながら、剣を握り直す。
──命を賭したって、この街を救ってみせる。
そう直人が覚悟を決めると同時に、聞き慣れた、だがもう聞く事のないだろうと、そう思っていた声が直人の耳を突き抜けた。
「言葉だけで分かり合える。それ、めっちゃくちゃ良い言葉じゃねえかっ!俺もそう思っぜ!」
「カンジ!?」
「さっきはすまんかったなァ。おめえをあの街から遠ざけるにはああするしかなかったんだ。分かってくれよ」
カンジはニカっと笑うと、直人の隣に並び、自らの刀をエリスに向けた。
「俺も戦うぜ。それに、あいつが入って来ちまったのもほとんどは俺のせいなんだ。責任を取らせてくれ」
「ああ、もちろん」
カンジの笑顔に直人も笑顔で返し、エリスに向き直す。
隣に親友がいてくれれば、負ける気がしない。きっと、しばらく直人は無敵だ。
「俺たちは、戦争を終わらせるために戦うんだ!」
直人が叫び終わると同時に、2人はシンクロしたかのようにそれぞれの武器を振り上げる。
──一度切れたはずの縁は、また繋がる。




