62『死の恐怖』
「やあ、こうして2人きりで話したのは何年振りかな?」
「1年も経ってませんよ。……多分」
「そうかい?僕の体感時間では、もう100年は経っているんだが」
先輩は、笑いながら冗談めいた年を言う。
「一体先輩は今何歳なんですか……」
「さあね。でもまだ、精神年齢も体年齢も20代のつもりだけどね」
「……」
しかし、昔と全く変わらないように思えるその姿は、幾年も積み重ねてきた荘厳さを滲み出している。
一体この人は、どんな経験をして、どんな生き方をしたのか。
見かけや今の喋り方とは違って、中身はもう私の知らない先輩になってしまっているのかも知れない。
「それで?先輩は、どうしてここに残したんですか?」
「特に理由はない、と言いたいのだが、君が何か言いたそうな顔をしているのが気になってね」
相変わらず勘の鋭い人だ。誰も、この人の前では嘘をつけないに違いない。
「私、そんな顔をしてましたかね」
「そうだね。疑問と安堵、恐怖が見て取れるよ」
先輩は、何もかも見透かしたように、眼鏡の奥で目を細めた。
私は諦めて口を開く。
「先輩に隠し事は出来ませんね。このまま何も聞かずに帰ろうと思っていたのですが……」
聞きたがったが、その必要性があまり感じられないので、諦めていた事。
そして、言おうと決心したくせに、言わないでおきたかった事。
「初めに……。あの時は、ごめんなさい。私達のせいで……」
「いいや。君達のせいじゃない。あれは、起こるべくして起きたんだ。誰のせいでもないよ」
「でも……」
「もうこの話はやめよう。……聞きたい事というのは?」
先輩は、まるでこの話はこれ以上したくないというかのように、無理矢理中断させる。
かなり大事な話なのに、どうして止めてしまうのだろうか。
──もう少し、話させて欲しいのに。
しかし、止められてしまったものは仕方がない。
スイッチを切り替え、聞きたかった事を口にする。
「先輩は、転生したんですか?」
「ああ。そうだよ。君はそうじゃないのかい?」
「私は……、転移というか転生というか……。魂だけこっちにきて別の人に乗り移ったみたいな感じ、ですかね」
「へえ。僕とは全然違うね」
先輩は、自分は別の世界に転生したことと、その世界からこの世界を創り出したことを説明した。
「先輩は、あの女神と会ったことはあるんですか?」
「女神、と言うのはあの人のことか。そうだね……。何回か話した事があるよ。世界創世のときに。君は、ここに来る前に話したのかい?」
「はい。今から別の世界に行きます、的な感じで」
あの時は冷静だったが、今よくよく考えるとかなりやばい出来事だった様な気がする。
普通なら夢と思うはずなのに、何故かすぐに慣れてここまで来てしまった。
「へえ。興味深いね。それより、君達はこれからどうするんだい?ここに来たのは、僕に直談判するためだったんだろ?もう目的が無くなったじゃないか」
「そうですね……。まだ決めてないですけど……」
確かに、することがない。
この世界には少しずつ慣れてきたが、特に大した目的もなく歩いて来てしまったせいで、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。
唯一、目的と呼べるものもついさっき無くなってしまった。
ウンウン悩んでいると、先輩が耳を疑いざるを得ない事を提案してきた。
「じゃあ、僕の補佐をしないかい?住む所も提供させてもらうよ」
「ホサ?」
ベッドに腰掛け、息をつく。
──今日は、色々ありすぎた。
あの後、ルイが昼寝をした後すぐに、観光に行きたいと言ったので、バタバタと宿を出て色んなお店を回った。
その後に、宿を移すことになったので、荷物を詰め、やっと今休む事ができた。
「補佐、かあ」
正直、あの提案には驚いたが、何もすることがない私には丁度良かった。
何をするかは明日説明するそうだ。
この事はまだ、3人には話していない。
言う勇気がないのだ。私が補佐になれても、他の皆はそうじゃない。
私だけが、ここに残り、仕事を始めて良いのかどうか。
直人は、駄目と言うかもしれない。
何より、相談せずに決めてしまって、怒られるに違いない。
でも、もう決定事項で、今更断ることはできない。
「明日、言うしかない、か」
言いながら、ベッドに体を預け、天井を眺める。
──この世界に来てから、どのくらい経っただろうか。
正確には数えていないから分からないが、もう1ヶ月は経っているかも知れない。
色々あり過ぎてもう何が何だかよく分からなくなってしまっているが、良い思い出ばかりだった。
この世界に来て、やっと自分のしたい事がやれたし、自分自身も変われた。
今はとにかく、したい事を見つけて、この新しい人生を全うしたい。
もう元の世界に戻れないし、戻りたくないのだから。
ふと、目が覚めた。
いつの間にか寝ていたのだが、変な時間に起きてしまったようだ。
しかし何故か嫌な予感がする。これのせいで起きたのに違いない。
動けずに目を開いたまま天井を見上げていると、耳元で声が聞こえた。
「やあ、起こしてしまったかな?」
──有り得ない。どうして、1人部屋の筈のこの部屋から人の声がするのだ。
しかも、聞いた事がある声だ。これは確か……。
「ワン!?」
あまりの驚きで、飛び起きてしまった。
しかし、そんな事を気にしている場合ではない。
──何故ワンが。死んだのではなかったのか。
「やあ、数日ぶりだね。元気にしていたかい?」
「……」
「心外だなあ。まあ、驚くのも仕方ないか。なにせ、殺したと思っていた相手が生きていたんだからね。……まあ、僕はいくら殺そうと生き返るさ。元が死なない限りはね。さあ、僕がここに来た理由を話そうか。いやあ、僕もこんな命令受けたく無かったんだけどね、仕方がないんだよね。上下関係というのは思ったより厳しいのさ。一回負けたやつに価値なんかないから、反論も苦言も呈せない。そんなものさ。いやはや、君も弱くなったよねえ。何が起きたんだい?まあ、その方が排除しやすくて良いんだけど。寝起きで抵抗できないよね?そうだよね?僕が今からすることに君は抗えない。抗えないまま死んでいくのさ」
ワンは、冷たい目でこちらを見下ろす。
その目線に、背筋が凍えるような思いを感じながら、私はやっとの思いで口を開いた。
「あなたは、私を殺すの?」
「ああ、そうさ」
「誰の命令?」
「それは言えないな。まあ、僕の意思ではない事を覚えておいてよ。君の恨みを買うと、あの魔女様の怒りも買いそうだからね。まあ、どちらにしろ、僕が君の仲間に恨まれるのは間違い無いんだけどね」
──いけない。逃げないと。
でも、体が動かない。体に纏わりつく悪寒が、私を動けなくしている。
かろうじて動くのは、口だけだ。
「わ……、私は、どうして殺されるの?」
「さあ、知らないね。僕は幹部っちゃ幹部なんだけど、主はいつも目的を話してくれないのさ。……さあ、君は抗うかい?僕は早く君を殺して寝たいね。弱くなった君と戦うのは心が痛むけど、仕方ない。さあ、抗うなら立ち上がってくれ。抗いに抗って、僕を満足させてくれよ」
立ち上がれない。体が全く動かない。死の恐怖に、怯えて体が竦んで、動かない。
このまま死ねば、どうなってしまうのか。
──嫌だ。死にたくない。
今死んでしまえばもう、女神はもうチャンスをくれないかもしれない。
「……。君は、少し会わなかっただけで、つまらない人間になってしまったんだね。僕は悲しいよ」
「……っ」
首を鷲掴みにされ、ベッドから持ち上げられる。
息が詰まり、最後の生命線である声も出せなくなってしまった。
「ああ、やっとの思いで君を殺せるんだね。こんな風に対等じゃ無い条件で殺すのは癪だけど、仕方がないよね」
──苦しい。死ぬのか。こんなところで、何も出来ないまま、また死んでしまう。
涙が滲み、空気を吸おうと喉が精一杯開くが、空気は全く入ってこない。
この怪力に抗う方法なんてない。死に抗うことができないまま、私は死ぬのだ。
「ああ、君はそんな死に方をするんだね。僕とは全然違うや。まだ生きたいって顔をしてる。……じゃあね」
声と同時に、私の意識は暗転した。




