63『冷たい月』
──嫌な予感がした。まるで、大切なものが失われてしまったかのような。
そのせいか、こんな時間に目が覚めてしまった。ベッドを見ると、静かに寝ているルイがいる。
もしや、明日香に何かあったのか。
「くそっ」
ソファーから飛び起き、すぐさま部屋を出る。明日香の部屋は、ここよりずっと上だ。
その前に、ラリアンの部屋へ行こう。彼女なら何かもうすでに分かっているかもしれない。
幸い、彼女の部屋はすぐ隣だ。
「ラリアンさん!」
「藤谷君!君も……」
どうやら、彼女も直人同様、明日香の身に何かが起こった事を察したようだ。
動きを止まらせる彼女に近寄り、手を取る。
「こうしている暇は無いです。行きましょうっ!」
「待て。転移魔法を使おう。このくらいの距離なら座標がなくても行ける」
そう言われて、直人は彼女の手を放そうとしたが、逆に掴み返されてしまった。
「なっ」
「こうしないと転移出来ないんだ」
見事に言いくるめられ、ぐうの音も出ないまま、大人しくラリアンに手を握られる。
しかし、彼女の手が恐ろしく冷たいせいで、直人の手間で冷たくなってくる。
「あの……」
「気にするな」
彼女自身も自分の手が冷たくなっていることに気が付いているらしい。
大して寒くも無いのに冷たくなっている理由は、なんとなく予想できた。
──無事であって欲しい。
ただの予感なのに、この予感が当たってしまう事を直人達は恐れていた。
「ははっ。上手くいったようだね」
暗闇の中、月夜に照らされた主の眼鏡が怪しげに反射する。
「ええ、まあ。……主は、これで良かったんですか?だってあなたは……」
「良いに決まっているじゃないか。これで、俺達の大願成就に一歩近づいた。後もう少しだ。もう少しで……」
「……」
主の声はだんだんと昂り、ついに頂点へと達する。しかし、その先が語られる事はなかった。
頭を垂れたままいると、主は頭上から命令を下してくる。
「残りも排除しろ。目障りだ」
「承知致しました」
──全く、困った主人だ。絶対的強者である主でも、恐れるに足る人が存在するとは。
ワンはしゃがんだままの姿勢で、その場から離れた。
「うぅんん……」
目を覚ますと、すぐ近くの寝椅子で寝ていたはずのナオトの姿は無くなっていた。
「お兄ちゃん、どこ……?」
寝台から這い出し、ナオトの姿を探すが、どこにも見つからない。
「あっ」
寝る前まで彼がいた寝椅子に近づくと、ルイの頭が痛んだ。
何故だろうか。そんな事、すぐに分かった。
「ナツメのお姉ちゃん!」
ルイは確信を持って彼女の運命を悟り、彼女の名を叫んだ。
今更行ったって仕方がない。そう分かっているからこそ、ルイは怒りを持って駆け出した。
──お姉ちゃんを殺した奴は、絶対に許さない。
「ナツメ!」
「明日香!」
転移が完了すると、光の向こうから、ベッドに横倒しになる人影が見えた。
その人影が、ただ寝ているだけという事を願って、直人達は駆け寄る。
「うっ」
「ひっ」
あからさまに、彼女は死んでいた。瞳孔がギリギリまで開かれ、喉奥が見えるほど口が開いている。
その身体を抱くと、冷たく冷え切っていた。
「明日香……」
──どうして。どうして、明日香は死んでしまったんだ?
この状況で自殺だとは到底思えないから、他殺である事は確実だが、その理由が思いつかない。
「──ラリアンさん。この世界に、蘇生魔法はないんですか?」
「それは……」
無理な願いである事は重々承知だ。ただ、それを聞か無い訳にはいかなかった。
何故なら、そうでもしないと、明日香はもう2度と直人達の元へ帰ってこないからだ。
明日香がいなければ、この世界で直人が生きている意味は最早無い。
後はただ、明日香の後を追うだけだ。
「待て。早まるな。蘇生魔法は、存在しないわけではないんだ。女神に頼めば、何とかしてくれるかもしれない」
「じゃあ早く女神様に掛け合ってくださいよ!早くしないと、明日香は……」
蘇生魔法も聞かないくらいに腐ってしまうかも知れないのに。
けれど、ラリアンは即急には対応してくれなかった。
「すまないな。やはり、私には出来ないよ。何故なら……」
彼女がその先を言おうとすると、この部屋の扉が開かれたために途中で止まってしまった。
「お姉さん達!気を付けて!そいつは……!」
「……うるさいなあ。そろそろ消えてくれる?」
“黒い奴”が扉の向こうから現れるのと、ルイの悲鳴が響くのとはほぼ同時だった。
それ以降、ルイの声は聞こえなくなってしまう。
「ルイちゃん!?」
「ルイ!?」
「おやおや。死体なんか抱えて。……君と喋るのは初めてだったかな。僕はワン。君は?」
「……」
「だんまりとは酷いなあ。せっかく僕の方から自己紹介してあげたのに。君は礼儀というものがなってないんだね」
「初めてじゃないし、一度名乗った」
確か、あいつはラリアンにやられて一度死んだはずだ。しかし今、直人達の目の前にいる。
「あれ?そうだったかな?まあ、いいや。君さあ、その死体、僕にくれない?回収し忘れちゃって」
「お前、何を言っている。それに、お前、死んだんじゃないのか」
驚きを隠せない直人に変わって、ラリアンがワンに返答する。
ワンはそれに首を大きく横に傾けさせた。
「あれえ?あなたが一番知っていますよねえ?僕は何度討たれても蘇る、そういう存在であることを」
直人は、冷え切った明日香の身体を傷つけない程度に強く抱き締め、逃走を図るが、どこから見られていたのか、ワンの方から黒い球が飛んできてそうも行かなくなってしまった。
「おっと。逃がさないよ。逃げるにしても、“それ”は渡してもらおう」
“それ”が何を指し示しているのかは、聞かなくてもすぐに分かる。
「明日香は渡さない!」
「じゃあ、力尽くで奪うしかないか。残念だね。素直に渡してくれたら、殺さないであげようと思っていたのに」
「そうはさせない」
そう言ったのは、少し怒った様子のラリアンだった。
彼女は、いつの間にか手に持っていた刀をワンの首筋にあてがえている。
「おっと。物騒な物を急に出さないで下さいよ。危ないじゃないですか」
「お前が何度蘇ろうとその分私が殺してやる。有難く思え」
「そんな怖いこと言わないで下さいよ。それに、こっちとしてはいい条件だと思ってるんですよ?そこの物を渡すだけであなた達は死なずに済んで、そのまま平穏に暮らすことが出来る。こんなにいい条件、他にないと思いますよ?」
何も悪気が無いように言うワンに対して、直人の心は酷い憎悪を抱いた。
何故明日香を欲しがるのか。その疑問より、まるで自分の方が有利かとも言うその言い草が気に入らなかった。
「何があってもナツメは渡さない。……いくら、死んでいようとも」
その一言で、戦況が変わった。
ワンのもともとあまり開かれていなかった瞼がより細められ、直人達を睨みつける。
そのまま彼は何も言うことなく、急速に動き出す。
「なっ」
何をし出すのかと思えば、ただラリアンと直人に触れるだけではないか。
一体どう言う策略があって──。
「僕は寛大だからね。君達を逃がしてあげる。だけどね、これだけは覚えておいて。次また同じ事があったら、容赦はしない」
その声と同時に、直人達の体は闇に包まれた。




