51『蝕む手』
私は、女神の言った事が理解できず、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「告白って、どういうこと?」
「そのままの意味ですよ。彼が、彼の想い人に告白するんです」
「でも、直人はそんなことできないはず」
「どうしてそんなことが言いきれるんです?」
事情を知っているはずなのに、遠回りな言い方をする奴だ。
だからこの女神は嫌いなのだ。
「だって、直人が好きなのは私。私はもう向こうでは死んでるから告白できない、そうでしょ?」
「……すごいですね。あなたには、藤谷さんに確実に好かれている、という自信がおありなんですね」
むかむかする胸を押さえつけて、女神の真偽を問いただす。
「そんなことはどうだっていい。……どうなったら直人の試練が、告白になる訳?」
「まあまあ。夏目さんには関係のない事です。何か、別の事でもして待って置いたらどうですか。宝石の件もまだ解決していないんでしょう?」
「それこそあんたには関係ないでしょ。いいから答えて」
「さあ。私にも、藤谷さんに告白させる理由がよく分かんないんですよね。まあ、何となく、ですよ。心配する必要はないですよ。直ぐ帰ってきますって」
どうにも怪しく感じるのが女神の特性だが、どうにもよく分からない。
彼女が本当のことを言っているのか、そうだとしても、どうして何となく、などと言うのか。
「分かんないな」
「私の方が分かんないですよ」
「なら、直人が誰に何を告白するのか教えてよ」
「さあ?夏目さん、見てみます?あなた自身の目で」
「は?」
私は、本日二度目の素っ頓狂声を出してしまった。
「明日香……」
「何なに?何でそんな顔してんの?呼んだのはあんたでしょ。幽霊でも見たような顔しないでよ」
直人は、今見ている光景がどうにも嘘にしか思えなくて、ドアを開けた姿勢のまま、明日香を見つめていた。
ここがもし、直人が死ななかった時のルートなのだとしたら、明日香は死んでいるはずだ。
いや、そもそも、明日香が死ななかったから、直人は生きているのだろうか。
そんなはずはない。この状況は女神が作り出した虚像なのだ。きっと。
そうでなければ、つじつまが合わない。
向こうで会ったラリアンや、ルイナと出会った記憶があること。
女神が最後に残した言葉。
それを分かっていても、直人はこの奇妙な世界から抜け出そうとは思えなかった。
何故なら、生きて、直人が、明日香が、現実に存在するのだから。
「え、俺、呼んだっけ?」
「うんうん。なんか、1週間前ぐらいに、来週、俺んち来て、って」
「え、そうだっけ?」
全く覚えていない。
というより、一週間前は、直人が寝たきりになった筈の日だ。
「あ、思い出した」
確か、1週間前の1日前、つまり今から8日前は明日香が死んだ日だ。
直人は、明日香が死んだと分かる前までは、彼女の誕生日をサプライズで祝おうと思っていたから、明日香が死なないこのルートではきちんとそれが伝えられたのだろう。
「なら、その姿勢で固まってないで、中に入れて?寒い」
「ごめん、どうぞ」
明日香を部屋の中へ促す。
ドアを閉め、鍵を掛けてから、直人は席に着いた。
明日香はもう既に座っている。
「はい、お茶。寒かったでしょう?」
「ありがとうございます」
そう言って、明日香は母に渡された茶を飲んだ。
……母?
「母さん!?」
「あら、どうしたの直人」
「あ、いや。何でもない」
おかしい。母は先程家を出ていったはずだ。
ここはマンションだから、部屋に入れる裏口は無い。
だから、帰ってきた母が直人に気付かれずに戻ってくる事なんて不可能であるはずなのだ。
「直人、あれ持ってきておきなさいよ。ご飯は、お母さん、今から作るから」
「あ、うん。……何だっけ?」
直人が母の言葉の意味を分からずにいると、母は直人の耳に顔を近づけ、耳打ちしてきた。
「プレゼントよ。あんた、昨日、買ってきてたじゃない」
「え?」
母のその言葉に、直人はより困惑させられた。
もちろん、直人に昨日の記憶は無いし、そもそも、昨日は昏睡状態の設定だったはずだ。
「ほら、取って来なさい」
と、母に背中を押され、直人は階段へと促された。
言われるがままに階段を上り、自分の部屋に入る。
部屋の中を見渡し、机の上の青い箱を発見する。
手に取ると、『明日香へ』と書かれたタグが付いてあることに気付いた。
どうやらこれが、昨日直人が買ったプレゼントらしい。
その細長い箱の中身は、直人の予測では、アクセサリだ。
恐らく、形状からすると、ネックレスであろうそれに、直人は心当たりがある。
取り敢えず、それを机の上に置き、移動してクローゼットの前に立つ。
部屋の中は暖かいので、パジャマから、Tシャツと短パンに着替え、そのポケットに先程の箱を突っ込み、直人は部屋から出た。
階段を下りると、リビングには、ソファに座って、テレビを見ながらくつろぐ明日香がいた。
その明日香の隣に腰掛け、直人は長考する。
確かに、直人は明日香へのプレゼントを買っていた。
けれど、不可解だ。直人は先週、プレゼントを買おうとは思っていても、まだ買ってはいなかったし、昨日買ったと言っても、昨日はまだ昏睡状態だったはずなのだ。
自分の鈍い頭では、いくら考えても答えに辿り着けない。
そう考えた直人は、明日香に助言を求めることにした。
「ねえ、明日香。例えば、昨日寝てたはずなのに、周りは起きてたって言うんだったら、俺は起きてたと思う?寝てたと思う?」
「何それ。新手のなぞなぞ?……さあ、周りが起きてたっていうんだったら、起きてたんじゃない?直人の事だったら、私は起きてたと思うよ」
「そっか。ありがとう」
明日香の証言でも、直人は昨日、起きていた、らしい。
いや、そもそも、直人が昏睡状態になった理由は、自殺しようとしたから、だったはずだ。
けれど、実際には車に轢かれておらず、何故だか昏睡状態になっていて、そして、なっていなかった。
もう、ひっちゃかめっちゃかだ。
明日香に本当の事を話すと、何言ってるの、と引かれてしまいそうなので、考える頭は直人の物1つしかない。
いずれ、閃くだろう、という考えに辿り着き、直人はこの長考を破棄した。
しばし無言が続く。
明日香は不意に、スマホを取り出し、視線をスマホの画面に移した。
「お母さん、今日も帰ってこないって」
独り言のように呟かれたその言葉には、少しの寂しさが混じっているように、直人には感じられた。
明日香の母は、良い人だった。
と言うのも昔の話で、今はと言われると、駄目な母親という表現しか直人の頭には浮かばない。
明日香は2度ほど画面を触ると、それを直ぐに閉じた。
そしてこちらを見ると、申し訳なさそうに、
「ごめん。今日もここでご馳走になってもいいかな?」
「もちろん。元々そのつもりだったし……」
咄嗟に、母の言葉を思い出し、そこから確信を得て返答をする。
「ありがとう。ごめんね」
「いいえ」
明日香の表情が変わらないことに直人は寂しさを覚えながら、敢えて笑顔で返した。
明日香の、ほんの少しの違和感をも感じながら。
「好きだ」
ーーこのタイミングしかないと思った。
母が寝て、辺りも静まり返り、聞こえるのが、くだらないバラエティ番組の声だけ、というこのタイミング。
図って起きた状況ではないにも関わらず、直人はその言葉を自然に、いとも図ったかのように、呟いた。
明日香は、こちらを見なかった。
ただ、
「嬉しい」
という言葉だけが、直人の耳に残った。
そんなはずは無かった。
いつも通り、普段通りならば、明日香はこの告白に答えるはずもなかった。
けれど、直人はそれに気づかなかった。いや、気付かないふりをしていた、と言うべきか。
気付かないふりをして、ただただ、明日香との甘い蜜な時間を過ごしたい、そんな事しか、直人の頭にはなかった。
だから、気付けなかった。
迫り来る明日香の思惑が、直人の心を蝕もうとしている事に。
直人は、動かずに次の言葉を待った。
私も、という、本来なら有り得ないはずの言葉を。
けれど、次は無かった。
明日香が溶けだす。溶けたあとの液は直人に侵入してくる。
それを直人は受け入れ、それが完了するのをただひたすら待った。
ようやく最後の1滴が直人の中に入り終え、明日香と直人が一体化する。
それは、直人には悦びでしかなかった。
自分の中にある明日香を愛でようと、直人は必死に彼女の核を探した。
けれども、それは叶わなかった。
何故なら、その直人自身が、明日香に蝕まれ続けていたのだから。




