1『リセット』
「女神さんは、本当に女神なんですか?」
「ええ、まあ」
「でも女神って、女性の神であることの総称ですよね? 名前とかないんですか?」
「ですから、私の名前は女神です。それ以外の何者でもありません」
「ええ……」
今私たちは、やけに白い空間で2人、穏やかに話し合っていた。
と言っても特に話すことはなく、大抵は私や世界の話で、面白いようなことは一つもない。
今のように女神個人を話題に挙げてみても素っ気なく返されるばかりで、肝心なところははぐらかされるてしまう。
「ところであなた、前に私……のような人と会っているはずですよね? 覚えていらっしゃいますか?」
「うーん、思い出せません。まだ記憶は戻っていないみたいですね」
「そうですか。では、しばらく私は業務に戻りますので、あなたはここで休んでいてください」
「業務?」
「ええ。女神ですので」
その女神は個人名なのか役職名なのかしばし考えていると、女神はいなくなってしまっていた。
「女神って、なになの……」
そう呆気に取られつつも、結局のところどうでもいいや、と通常通りの思考に戻す。
──そう、どうでもいいのだ。
女神が女神であってもそうでなくても、私には関係ない。夏目明日香という存在には何ら関係はないのだ。
どうせ、そのうち別れる運命だ。
「私は、ここから出る。異世界だか何だか知らないけど、私は元の世界に戻って……」
──先輩達との楽しい時間に戻る。
私にはまだしたいことがある。だから、異世界なんてまっさらごめんだ。
白い空間をうろうろと、ドアを探しては開け、探しては開けを続ける。
元の世界に戻る方法は、前もって女神から聞いていた。
その時は元の世界の戻りたいと言うと渋い顔をされたが、この場所のどこかにある階段を登ればいつかは辿り着く、とは教えてくれたのだ。
「女神だか何だか知らないけど、神様なんだったらどうしてこんなところにいるのかぐらい教えてくれたらいいのに……!」
この空間同様に白い見た目をした彼女のことを思い出していると、さっきはなかった怒りが段々とこみ上げてきた。
いくらドアを開けても見つからない階段のせいかもしれない。
理由も分からないまま異世界に来て、訳も分からないままただひたすらドアを開けて。
怒らない方がおかしいくらいだ。
「あった……!」
開けたドアも2桁に入ったかという頃、私はやっとの思いで階段を見つけることができた。
目の前にあるそれが女神の言っていた階段かは分からないが、登ってみる価値はあるだろう。
ドアを限界まで開け、思い切って階段のある部屋へ踏み込む。
「いっ」
その瞬間、有り得ないぐらいの激痛が私の脳天を襲った。
雷に打たれたのではないかと疑うほどの激痛に、思わず顔を歪める。
何が起こったのか、よく理解できなかった。しかし、その後に脳内で起こった現象に状況を察する。
『ごめん、なさい……』
『死なないでください!』
『どうしようもないんですよ』
『どうしようもないんだ』
『どうしようも、ないって』
『諦めないで……!』
思わぬ記憶の奔流に、察せない私ではない。
──記憶が、戻ってきている。
階段の前で跪いた私は、頭を抱えて少量の涙を流す。
「……そっか、飛鳥先輩は、死んじゃったんだっけ……」
涙を袖口で拭って、私は這いつくばるように階段を登った。
白い階段を、いつまでもいつまでも登り続けていた。果てがあるかすらも分からないその階段を、ある一つの目的のためだけに登り続ける。
──先輩を、救ってみせる。絶望に包まれたはずの先輩の心を癒して、私は……。
「あぅ゛……」
そこまで言葉にしたところで、再び私の頭は激痛に襲われる。
──また、思い出してしまうのかもしれない。
思い出したくない。この先は、何があっても思い出してはいけない。奥深くから浮上してくる記憶自身が、そう私に訴えてくる。
思い出してしまったら、私は。
「わた、しはっ……」
深く息を吸い込み、息を止める。涙目で激しい頭痛に耐えながら、私は階段の角に額を打ち付けた。
物理的な痛みが額に走り、私は背中を丸めて体を震わせる。
「……ぷはっ」
吸い込んでいた息がついに耐えられなくなり、唇が開かれる。犬のように呼吸を繰り返し、私は記憶の奔流からどうにか逃れられたことを知った。
だが、いつまでも逃れ続けることはできないだろう。
いずれ記憶は思い出され、私はその分の苦痛を味わうことになる。
それまでの時間を何とか引き伸ばし続け、耐えなければ。また“これ”に耐えられるかは自信がないが、耐えなければどうしようもないだろう。
痛い思いも、悲しい思いも、もう十分だ。もう十分だから、どうか今だけは。今だけは、私に希望を持たせていて欲しい。
長いこと白い階段を上り続け、ようやっと私は終わりにたどり着けたようだ。
上っている間に何度かあの頭痛に襲われたが、どうにか全て耐えることができた。そうして上り続け、私はこの一室にたどり着いたのだ。
正確には部屋かどうかは分からない。
入り方からすると踊り場のようなものかもしれなかったが、これ以上階段が続くとは思いたくないので仮に部屋と置いておくことにした。
ここもまた白い部屋に侵入し、あたりを見回す。
見回すと言っても白いので、自分が首を回せているのかさえも疑わしいくらいだ。
「あのー、誰か、いませんかー?」
小さく声を掛けるが、誰からのアクションも変化もない。
「あのー!」
白い部屋の真ん中で大声を出す。しかし何も変わらない。
「あれ?」
部屋の中で先ほど見回した時は気付かなかった何かを見つけ、駆け寄る。
「光でできた、板?」
近未来系の物語でよくみるような、光のみで映像が映し出されるアレだ。
首を捻りながらその映像板に手を触れてみる。
すると、板に写った映像が変わった。
──手形だ。
それを認識した瞬間、出していた手が吸い込まれるように手形に伸ばされる。
重ねてもいいのか。近くに頼る人がいないので、その真偽はわからない。
しかし、手はついに手形に重なってしまった。
「あ゛っ……!」
手形に重なった瞬間、体から急激に力が抜け、ついには白い床に倒れる。
──頭が痛い。
朧げになりゆく意識下でそれに気付いた瞬間、私は気を失った。
「世界は、突然現れました。──世界の始まり、《原初の層》。あなたは世界の発現を見届け、最後には何を思うのでしょうか」




