第9話
「無礼だ! 父上に申し上げるぞ!」
フーベルト殿下が暴れると、ロルフ卿は押さえる腕に少しだけ力を加えた。
殿下の声が詰まる。
「その陛下からの命令です」
法務官が、先ほど届いた封書を開いた。
国王の署名と王印。その下に、第二王子の身柄を拘束し、査問に付すことが記されていた。
「王室の宝物を用いた虚偽告発、および式典費用の不正流用の疑いについて。近衛による捜査と拘束を認める、とあります」
「不正流用だと!?」
殿下が私を見た。
その顔を見て、私は鞄の中の帳簿を思い出した。
私に支払われていない半年分の報酬。見積書より増えていた装飾費。尋ねても、父に確認済みだと取り合われなかった請求書。
「従者の証言から、宝物だけでなく第二王子家の支出も調べた」
ロルフ卿は私を見る。
「お前の仕事の記録が役に立った。国庫からは支払われているのに、お前へ渡っていない金がある」
会場の後方で椅子が鳴った。
父が出口へ向かおうとしていた。そこにも、近衛の騎士が立つ。
「ベルツ伯爵。お話を伺います」
「私は何も知らん! 娘が勝手に」
「伯爵の受領印が押された原本についてです。ご同行ください」
継母が父の腕にしがみついた。首には、見覚えのない大粒の真珠が並んでいる。
先月、屋敷の修繕で金がかかるからと、私の冬用の外套を売らせた人だった。
殿下が喉を鳴らした。
「パウラの母親が、式典に必要だと言ったのだ! 俺は知らぬ!」
「殿下がお許しになったのですわ!」
継母の叫びが返る。
パウラは殿下へ手を伸ばした。
「私を守ってくださると仰ったでしょう!?」
「お前が余計な芝居をしたからだ!」
ロルフ卿の部下が二人を引き離した。
医師の診察を受けるパウラにも騎士が付き、その場を離れることは許されなかった。
殿下は取り巻きの令息を見つけ、声を張った。
「おい、何とか言え! お前も俺の指示は正しいと言っただろう!」
呼ばれた令息は、父親らしい男の後ろへ隠れた。
あれほど殿下の言葉に笑い、拍手していた者たちが、いっせいに視線を外す。
「誰か、父上を呼べ! 俺は第二王子だぞ!」
その声が廊下へ遠ざかっても、誰も追いかけなかった。
法務官が壇上に残り、私への窃盗と毒害の疑いは、現在集まった証言と証拠から裏づけられないと告げた。正式な調査結果も後日公表するという。
婚約解消の承認書は、それらとは別に発効していた。
「アグネス嬢。ご無事で何よりです」
先ほどまで遠巻きにしていた貴族が、今度は次々と声をかけてくる。
私は一礼だけ返し、人の輪を抜けた。
足が少し震えていた。剣が抜かれかけた時の音が、まだ耳に残っている。
「怪我は」
ロルフ卿が目の前に来た。
「ありません」
「そうか」
その肩が、わずかに下がった。
私は彼の胸元を指でつついた。
「私の台本には、こんな大捕物はありませんでしたわ」
「あいつらが勝手に書き足したんだろ」
「本人は、婚約を解消して静かに帰るつもりでした」
「今からそうしろ。後始末はこっちの仕事だ」
私は口を閉じた。
父が連れていかれた以上、家のことも、王宮のことも、私が何とかしなければ。そんな考えが浮かびかけていた。
ロルフ卿は、見透かしたように首を振る。
「必要な証言は、日を改めて頼む。今夜は帰って寝ろ」
「それでは、お言葉に甘えます」
今度は言えた。
法務官から受け取った書類には、ベルツ家から独立し、私自身の名で暮らせることも記されていた。
父の署名がある申請を、正式に審査してもらったのだ。私の無関与が確認された支出について、家の借金を引き受ける義務もない。
それでも母の裁縫箱を持ち出せるかだけは気になって、私は確認した。
「すでに私物として記録済みです。ご安心を」
その返事を聞いた時、ようやく泣きそうになった。
それから三日後。
職人街の外れにある木造の貸家、その二階の一室で、私はベッドに大の字になっていた。
綿のワンピースは腰を締めつけない。枕元には裁縫箱。窓の向こうから、パン屋の朝の呼び声が聞こえる。
「……最高」
ここには、私の起きる時間を決める人はいない。
もう少し寝ようと目を閉じたところで、扉が叩かれた。
「アグネス、起きてるか」
起きていなかったことにしたかった。
けれど、声の主が気になって、私は扉を開けた。
ロルフ卿が、麻袋を二つ担いで立っている。隣には大家の女性。
「護衛が近い方が安心とは、お伝えしていたけれどね」
大家が笑う。
彼は隣室の鍵を持ち上げた。
「近くって、隣でもいいか?」
私は鍵を見て、彼の顔を見た。
「卿ご自身とは、聞いておりませんわ!」




