第4話
「貸出札だと?」
フーベルト殿下の声が裏返った。
紫の包み紐には、小さな札が結ばれている。宝物の名、持ち出した日付、受け取った者の署名。
「卒業行事で展示するために、昨日の朝に貸し出された品、と読めますわね」
署名の主は、殿下のすぐ後ろにいた。
従者が一歩下がると、ロルフ卿の部下が静かにその背後へ回った。
「受取人の欄に、あなたのお名前がありますね?」
私が尋ねると、従者は殿下を見た。
「そ、それは、展示場所へ運ぶ途中で盗まれて……」
「どこで、いつ?」
「廊下で。その、目を離した隙に」
ロルフ卿が持っていた手帳を閉じた。
「宝物庫の管理人は、受領後に殿下の学内執務室へ運ばせたと証言している。お前が抱えて入るところも、廊下の当直が見ていた」
「それは……!」
「目撃者と記録を突き合わせる。別室へ来い」
従者の膝が折れかけた。
パウラが息を呑み、殿下は机の包みへ手を伸ばす。
「もうよい! 見つかったのだから、俺が王宮へ戻しておく!」
「触らないでいただきたい」
ロルフ卿は包みを部下へ預けた。
「盗難を届け出たのは殿下です。途中で取り消せば、それで終わる話ではありません」
殿下の指が宙に残った。
後ろで見ていた生徒が、そっと友人に耳打ちする。昨日まで殿下にまとわりついていた令息も、今日は目を合わせようとしなかった。
「盗んだところを見たと言った者も、聴取に呼ぶ。名を」
ロルフ卿が促す。
殿下は歯を食いしばり、ようやく一人の名を告げた。
あとは近衛が調べる。私がその場で犯人まで決める必要はなかった。
それなのに、安堵より先にため息が出た。
今日も授業が遅れる。今夜までに届けるよう言われた建国祭の名簿は、まだ鞄の中だ。昼休みにはパウラの代わりに提出物を取りに行けと、家から言いつけられている。
こんなことを続けて、私はいつ眠るのだろう。
「アグネス、貴様が素直であれば、こんな騒ぎにはならなかったものを」
殿下が、すれ違いざまに囁いた。
私は顔を上げた。
「まだ私のせいになさるの?」
「何だ、その口の利き方は!」
「もう結構です」
思ったより、よく通る声が出た。
「殿下は私との婚約を解消したい。私も、同じ気持ちです」
殿下が黙る。
父は、王家との縁を失うくらいなら私を一生この婚約に縛りつけるだろう。私から願い出ても、何度でも差し戻される。それなら、殿下の方から手放していただけばいい。
「来週の卒業記念舞踏会で、公に婚約解消をお申し出ください。私はその場で受け入れます。二度と復縁を求めないと、書面にも残しましょう」
「俺に、非があったと認めろと言うのか?」
「そこまでの勇気は期待しておりませんわ」
殿下の顔が赤くなった。
「性格が合わない。それでよろしいでしょう。私の物言いがお気に召さないのは事実ですもの。ただし、盗みや暴力の罪を認めるつもりはありません」
「お前は、公衆の前で婚約を捨てられるのだぞ!」
「ええ。ですから、上手に捨ててくださいませ」
パウラが私を見つめていた。
喜ぶかと思ったのに、その口元はひきつっている。
「私が騒いで泣きつくのを期待されても困ります。明日、執務室へ話し合いの書面を届けますわ。お読みになってから、正式にお返事ください」
私は一礼し、鞄を持ち直した。
左肩が痛む。思わず顔をしかめると、横から鞄を取られた。
「帳簿は重いものに入るって言われただろ」
「卿、まだいたのですか」
「証言を取る相手を置いて帰るかよ」
ロルフ卿は私と廊下を歩きながら、声を落とした。
「お前の台本で、捜査を終わらせる気はねえぞ」
「それは卿のお仕事です。どうぞお続けになって」
「婚約は、正式な手続きまで見届ける。殿下が大勢の前で言っただけじゃ、父親にうやむやにされかねねえ」
私は彼を見た。
頭の中で、いくつも先回りしていた心配の一つが消えた。
「そこまでお願いして、よろしいのですか」
「その代わり、無実の罪を被って逃げようとすんな」
「まだ何も申し上げておりませんわ」
「考えたろ」
考えた。少しくらいの悪評と引き換えに自由になれるなら、安いと思った。
黙る私の前で、ロルフ卿が鞄の持ち手を握り直した。
「その顔でわかる。台本、できたら俺にも見せろ」
「悪役の控室に、観客を増やすつもりはありませんのに」
「観客じゃねえ。袖で待ってる方だ」
私は顔を背けた。
笑ってしまったのを見られるのが、何となく悔しかった。




