第2話
翌日の放課後、西校舎の渡り廊下には、教員と巡回の騎士が立っていた。
私が頼んだ立ち会いだ。これなら余計な芝居もできないだろう。
そう思ったのが甘かった。
「お姉様! こちらへいらして!」
パウラは西階段ではなく、その手前にある小さな脇階段の踊り場にいた。昨日とは別の、薄桃色のドレスを着ている。
これにも私が縫ったレースがついていた。見るだけで肩が凝る。
「お話なら、先生の前でどうぞ」
「二人きりではお話も聞いてくださらないのね」
彼女が一段、後ろへ下がった。
私は足を止める。階下では、殿下の取り巻きの令息たちが不自然に天井を見上げていた。
教員のいる方へ顔を向けると、パウラが私の手首を掴んだ。
「お待ちになって! あっ、お姉様、押さないで!」
「まだ何もしていません!」
わざと後ろへ傾けた身体が、ぐらりと揺れた。
パウラの踵が段の縁を踏み外す。掴むつもりだった手すりは、彼女の指先より遠かった。
その顔から、作り笑いが消えた。
「きゃっ!」
私は咄嗟に手首を掴み返し、もう片方の手でドレスの肩口を掴んだ。
左肩に痛みが走る。引き戻そうとしても、踏ん張った靴が滑った。
「動くな!」
背後から伸びた腕が私の腰を支えた。もう一方の腕がパウラを抱え込み、踊り場へ引き戻す。
私たちはまとめて床に座り込んだ。
ロルフ卿だった。
教員も駆けてくる。階下にいた令息たちは、口を開けたまま立ち尽くしていた。
「手ぇ離せるか」
言われて初めて、パウラのドレスをまだ握っていると気づいた。
指をほどくと、レースの縫い目が少し裂けていた。パウラはそれを見つめ、喉の奥でひくりと音を立てた。
「お姉様が、突き落とそうと……」
「私が引かなければ、そのまま落ちていたでしょうが!」
声が廊下に響いた。
パウラがびくりと肩を震わせる。私の左腕も震えていたので、右手で押さえた。
「階段から落ちるなら、角度を計算しなさい! その位置で後ろへ倒れたら、下の踊り場に頭からぶつかりますわよ!」
「ちょっと、足を滑らせるだけのつもりで……」
言いかけて、パウラは口をつぐんだ。
遅れて近づいてきた教員が、その言葉を書き留める。
「パウラ嬢。お話は医務室で伺います」
「違うの! 今のは!」
「俺も見た。姉の手を取って、自分で後ろに下がったな」
ロルフ卿の声に、階下の令息が一人、逃げようとした。
巡回の騎士が出口を塞ぐ。
「下で何を待っていたのか、君たちにも聞こう」
パウラは泣き出した。けれど、今度は誰も私を責めなかった。
教員に付き添われて歩いていく背中を見送り、私は床に落ちていたレースの切れ端を拾った。
「また、縫い直しだわ」
「直さねえんじゃなかったか?」
「そうでした」
くしゃりと握り、手を開く。
捨てる場所もなくて、私は結局それをポケットに入れた。
「立てるか」
差し出された手に、右手を乗せる。
ロルフ卿は私を立たせると、左肩へ目をやった。
「そっちも医務室だな」
「少し引っ張られただけです」
「なら、少し診てもらえば済む」
言い返す前に、教員を呼び止められてしまった。
医務室では肩を冷やされ、しばらく重いものを持たず、針仕事も控えるように言われた。重い帳簿も駄目なのかと尋ねたら、医師とロルフ卿に同時に睨まれた。
何なのだ、二人とも。
診察を終え、廊下へ出ると、ロルフ卿が窓際に立っていた。
「お仕事は?」
「部下に指示は出した。お前に話がある」
差し出されたのは、油紙に包まれたアップルパイだった。
「これは?」
「裏門の露店で買った。昨日、昼飯を食い損ねてたろ」
「今日は食べましたわ」
「じゃあ俺の勘違いだ。食えるなら食え」
返そうと持ち上げた時、バターと煮たリンゴの匂いがした。
昼食は食べた。パンを半分だけ。
私は受け取ったまま、油紙の端を折った。
「代金は後ほど」
「はいはい」
窓から差す光が、彼の手の甲を照らした。赤い擦り傷ができている。
「それ、さっきの階段で?」
「かすっただけだ」
「少し診てもらえば済むのではなくて?」
私が医務室を指すと、ロルフ卿は眉を上げ、それから笑った。
「そいつは一本取られた」
手当に入る前に、彼は声を落とした。
「話ってのは、殿下から近衛に来た捜索要請だ。明日の朝、お前のロッカーを調べろとよ。学園に貸し出された王家の羅針盤が盗まれたらしい」
パイを持つ手が止まった。
「なぜ、私のロッカーを?」
「そこまで場所を指定できるのが、俺も引っかかる。担当を部下に任せず、俺が立ち会う」
私は窓の外を見た。
つい先ほどまで、裂けたレース一枚で済んだことにほっとしていたのに。
「医師に、手当を急いでいただきましょう」
「何でだ」
「卿にも聞いていただきたいことがあります。私のロッカー、先週から壊れていますの」




